海霧の中の奇兵隊 ―対米戦争を回避せよ。死んだはずの高杉晋作と乃木大将の隠し遺書―   作:yoshiume

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第四十二話 ビスマルク砲台破壊作戦

「――徹夜の洗浄と修理により、四五式二十四(センチ)榴弾砲の『遅延信管』は完全に蘇生しました」

 

 泥にまみれたまま、真崎勇気大尉は地図の前に立っていた。疲労の極致にありながらも、その声は研ぎ澄まされた刃のように冷徹だ。

 神尾光臣(かみおみつおみ)中将が指揮を執る司令部の天幕。カンテラの頼りない灯りに照らされた幕僚たちの視線が、一斉に真崎へ集中する。

 

 「我が軍の重砲群をもってすれば、ビスマルク砲台の主陣地たるコンクリートの天蓋を物理的に粉砕することは可能です。……しかし、問題が一つあります」

 

 真崎は地図上のビスマルク山、その裏側に当たる斜面の一点を指差した。

 

 「山の地形が作り出す完全な『死角』。ここに、ドイツ軍は二十八センチ砲をもう一門、巧妙に隠しています。海軍の平射はもちろん、我が陸軍の曲射をもってしても、この地形の窪みにある一門だけは、どうしても砲弾が届きません」

 

 神尾中将が、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。

 

 「大砲で撃てぬのなら、どうするのだ。あの化け物を一つでも残しておけば、我が軍の被害は算を乱すぞ」

 「私が工兵と決死隊を率い、歩兵の交通壕を抜けて山の裏側へ回り込みます」

 

 真崎は、己の死を語るような顔ではなかった。ただ、算式の答えを述べるように淡々と言った。

 

 「標的の土台へ肉薄し、綿火薬を仕掛けて直接爆破します」

 「馬鹿な! 敵の要塞のど真ん中だぞ!」

 

 幕僚の一人が叫んだ。

 

 「工兵が爆薬を抱えてノコノコ近づく音など、すぐに察知されてハチの巣にされるわ!」

 「ええ。だからこそ、音を消すのです」

 

 真崎は、神尾の目を真っ直ぐに見据えた。

 

 「我々が接近する間、膠州湾(こうしゅうわん)の海軍艦艇と、陸の二十四センチ砲による『未曾有の十字砲火』をお願いします。天地をひっくり返すような圧倒的な質量の暴力で、青島のすべてを震わせてください。その鉄の嵐を隠れ蓑にして、死角の懐へ潜り込みます」

 

 神尾中将はしばし目を閉じ、やがて短く頷いた。

 

 「お前は論理的なのか、精神的なのか……よかろう。海と陸の全火力を以て、貴様らの足音を消してやる」

 

 翌朝。膠州湾の海面は、異様な殺気に満ちていた。

 第二艦隊旗艦「周防(すおう)」の艦橋で、秋月慧少佐は懐中時計の秒針をじっと見つめていた。陸軍からの合図の時刻が、刻一刻と迫っている。

 

 「……時間だ。全門、撃てぇ!!」

 

 秋月の静かな号令が下された瞬間。

 三十センチの巨大な主砲が、凄絶な閃光とともに咆哮を上げた。空気を引き裂く衝撃波が海面を叩き、黄色い硝煙が艦全体を包み込む。

 

 そして、それに呼応するように、陸の黄土からも巨大な火柱が上がった。

 真崎たちが命懸けで修理した「四五式二十四糎榴弾砲」が、ついにその本来の牙を剥いたのである。

 

 ズドォォォォォン!!

 

 それはもはや、大砲の音という次元を超えていた。

 

 海からの水平射撃と、陸からの曲射射撃。日露戦争の旅順をも凌駕する、近代工業の粋を集めた圧倒的な「鉄の嵐」が、ビスマルク山へ向けて一斉に降り注いだのである。

 重さ数百キロの鉄塊の雨が、要塞の表面を抉り、コンクリートの天蓋を叩き割る。遅延信管が要塞の腹の中で炸裂し、大地が悲鳴を上げて隆起した。

 

 青島の天地は、完全にひっくり返っていた。

 

 鼓膜を圧し潰す連続した轟音と、足元をすくうような強烈な震動。ドイツ軍の守備隊は、この未曾有の十字砲火の前に身をすくめ、塹壕の底で耳を塞ぐことしかできなかった。

 

 陸軍が修羅で一発ずつ運ばなければならない砲弾を、海軍の戦艦は何百発も腹の中に抱え込んでいる。揚弾機が次々と大質量弾を薬室へ送り込み、泥に足を取られることもなく、洋上から絶え間なく降り注ぐ。しかも戦艦は自走する巨大要塞だ。陸の砲は一度据え付けたら動かせないが、海軍は機関の力で自在に移動し、要塞の死角へ回り込んで砲口を向ける。

 

 いかなる堅牢な要塞も、この圧倒的な「質量の暴力」の前に長くは耐えられない。そして、その爆音を隠れ蓑にして這い進む者たちがいた。

 

 その天地鳴動の嵐の底を、泥にまみれた一団が這うように進んでいた。

 真崎に率いられた爆破作業の工兵たちと、彼らを護衛する数十名の歩兵部隊である。

 

 彼らは、ドイツ軍が掘り巡らせたジグザグの交通壕(塹壕)の暗がりへ滑り込み、死角の二十八センチ砲の裏側を目指していた。上空を飛び交う巨大な砲弾の轟音が、彼らの軍靴が泥を蹴る音を完全に掻き消している。

 

 だが、潜入がいつまでも無血で済むはずがなかった。

 交通壕の曲がり角を抜けた瞬間、前方から土嚢を盾にしたドイツ軍の守備隊と鉢合わせたのである。

 

 「――アハトゥング!(敵襲!)」

 

 ドイツ兵が慌てて小銃を構えようとする。

 だが、この幅一メートル半ほどの狭い塹壕という閉所において、機関銃の掃射という近代の暴力は使えない。

 

 「行けェッ!!」

 

 真崎の背後から、怒号とともに日本の歩兵たちが雪崩を打って突撃した。

 当時の日本陸軍は『歩兵操典』において、「戦闘の最終の決を与えるものは銃剣突撃である」と狂信的に定義していた。

 

 開けた平原において、マキシム機関銃の正面へ万歳突撃を敢行するのは、ただの自殺行為である。しかし、一度敵の懐――すなわち狭く入り組んだ塹壕の中に潜り込んでしまえば、この白兵主義という前近代の戦術は、突如として「最強の殺人術」へとその姿を変貌させるのである。

 

 日本の歩兵が手にする「三八式歩兵銃(全長約一二七センチ)」に、「三十年式銃剣(約五十センチ)」を着剣すると、その長さは一・七メートルを超える。

 これはもはや小銃ではない。日本の武士が古来より扱い慣れてきた、長大な「槍」である。

 

 狭い通路において、このリーチの差は絶対的な物理的優位性を誇った。

 

 取り回しの良い短機関銃など、この時代にはまだ存在しない。ドイツ兵がボルトアクションのライフルを構え直すよりも早く、目を血走らせた日本の歩兵たちが踏み込んだ。大音声とともに、一・七メートルの槍がドイツ兵の腹や喉元へと深く突き刺さる。

 

 「死ねェェェッ!!」

 

 飛び散る鮮血。肉を裂き、骨を砕く鈍い音。

 狂気とも呼べる「大和魂」に憑かれた歩兵たちは、味方の血を顔に浴びながらも、少しもひるむことなく敵の肉の壁を抉り開けていった。

 

 (……野戦では機関銃の的でしかなかった彼らが、この閉所においては無敵の修羅となるのか)

 

 真崎は、血路を開いていく歩兵たちの泥臭い肉弾戦を背後から見つめ、驚嘆とともにその認識を改めた。

 

 海軍の三十センチ砲という「極致の近代」が頭上を飛び交うその足元で、全長一・七メートルの槍を振り回す「前近代の肉弾戦」が、戦局を切り拓いている。その残酷で美しい対比こそが、戦争という生き物の正体であった。

 

 歩兵たちが血で贖った道を進み、真崎と工兵たちは、ついに「死角の一門」の真下――巨大なコンクリートの壁面へと到達した。

 上を見上げれば、二十八センチ砲の巨大な砲身が、すぐそこにある。

 

 「急げ、海軍の砲撃が止む前に仕掛けるぞ!」

 

 真崎は泥だらけの背嚢から、木箱に詰められた「綿火薬(破城薬)」を取り出し、コンクリートの壁面に据え付けた。

 

 ここから先は、彼自身の手作業である。

 当時の工兵が爆薬を時限式で起爆させるには、極めて泥臭い物理作業が必要であった。

 爆薬に穴を開け、そこに起爆薬である「雷管」を差し込む。雷管のお尻に火薬を芯にした「導火索」を差し込み、専用のペンチでカシメて抜けないように固定し、最後にマッチで火を点ける。

 

 最新の化学兵器も、現場で起爆させるための『最後の手間』は、人間の指先に依存していた。

 

 真崎は震える手でナイフを握り、導火索を切り裂いた。

 手がかじかみ、泥と他人の血で滑って、ペンチが雷管にうまく噛み合わない。頭上のコンクリートが艦砲射撃の震動で軋み、バラバラと破片が降り注いでくる。

 

 (クソッ、早く……!)

 

 焦燥の中、真崎はなんとか雷管を爆薬にねじ込み、懐から防水マッチを取り出そうとした。

 

 だが。

 

 その瞬間、真崎の背筋を、爆薬の恐怖とは全く異なる、這い寄るような冷気が撫で上げた。

 背後の交通壕。歩兵たちが血路を開いて通り過ぎたはずの、暗く静まり返った暗がり。

 

 そこから、饐えた血の臭いを押しのけるようにして、あの場違いな芳香――フランソワ・コティの『ロリガン』の甘く粉っぽい匂いが、濃厚に漂い始めたのである。

 

 真崎が弾かれたように振り返る。

 

 まだ、姿は見えない。だが、暗闇の奥に潜む「何か」が、圧倒的な暴力を伴ってこちらへ歩を進めてくる気配がした。

 




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