フェリックス・ミッターマイヤーは庭師になった   作:シロン茶

13 / 18
フェリックス・ミッターマイヤーは公園を作る その5

フェリックス・ミッターマイヤーが、少しおかしい。

 

最初に気づいたのは現場主任たちだった。

相変わらず毎日現場にやってくる。身なりは整っている。指示は的確。歩幅すら変わらない。

だがそこに、人間の温度がない。

 

「……そこではない。基準線を取り直せ」

 

静かな声に、現場を預かる者たちは凍りつく。

 

「水の流れの角度が違う。計り直せ。設計どおりに施工しろ」

 

数字は正しい。判断も正しい。

各工区の責任者は困惑しつつ受け入れたが、現場主任たちは顔を見合わせ、声を潜めた。

 

「設計主任が壊れた」

「皇帝と衝突したんじゃないか」

「計画が中止になる」

 

根拠のない噂だけが、土埃とともに舞い、沈殿していく。

 

そんな現場が続く中。

場違いな、帝国仕様の地上車がやってきて、作業員を驚かせた。

 

降りてきたのはラフな私服のゾフィーだった。

彼女の片腕には一歳の娘、もう片方の手で三歳の息子を引いている。

 

フェリックスの顔色が変わった。

 

「……子どもたちまで、どうしてここへ」

 

ゾフィーは迷わず泥を踏み、夫の隣に立った。

 

「あなたが家に持ち帰らないから、こちらから届けに来たのよ。忘却と、現実をね」

 

子どもたちは、巨大な重機や掘り返された土の山に目を輝かせている。

 

「ファーター!」

 

息子がフェリックスの脚にしがみついた。

 

「離れなさい。ここは危ない。……ゾフィー、連れて帰れ」

 

「嫌よ」

 

ゾフィーはきっぱりと言った。

 

「この子たちがね、“ファーターはハイネセンの怪獣と戦ってるの?”って聞くのよ。だから見せに来たの。ハイネセンの怪獣を」

 

現場に、笑いが漏れた。フェリックスは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。

 

「ゾフィー、やめろ」

 

「やめないわ」

 

ゾフィーは息子に言った。

 

「ほら、渡して」

 

息子は少し照れくさそうに、ポケットから何かを取り出した。

 

「ファーター、これ……あげる」

 

差し出されたのは、子ども用の安っぽい絆創膏だった。

黄色い星のマークがついている。

 

「ころんだとき貼るやつ。いたいの、なおるよ」

 

フェリックスは固まった。

 

「……なんだ、これは」

 

「ファーター、怪獣とたたかってるんでしょ?」

 

フェリックスは、その小さな黄色い星を見つめた。

 

「ファーター、勝ったの? 負けたの?」

 

フェリックスの唇から、乾いた笑いが漏れた。自分が何と戦っていたのか、もうわかっていた。

 

フェリックスは、ゆっくりと膝をついた。

端整な顔が、子どもの目線と同じ高さになる。その仕草はまるで自分がこれまで拒み続けてきた何かに、ようやく屈したかのようだった。

 

「……ああ。負けたんだ」

 

声が、わずかに掠れた。

 

「完敗した」

 

息子が嬉しそうに、黄色い星の絆創膏をフェリックスの頬にぺたりと貼り付けた。

現場にいた作業員たちが、思わず息を呑み、それからくすくすと笑い声を漏らした。

 

フェリックスは目を閉じた。

頬に貼られた黄色い星は、驚くほど温かかった。

 

ゾフィーは夫の肩に手を置いた。

 

「いい? フェリックス。あなたはロイエンタールの血を引いているけれど、ミッターマイヤーの家で育ち、私の夫で、この子たちの父親なの」

 

彼女は周囲の掘り返された土を指差した。

 

「ここも同じよ。灰は灰のまま。でも、その上に咲く花が人を前へ歩かせるなら、もう墓地とは呼ばれないわ」

 

「ああ」

 

フェリックスは口を曲げるようにして頷いた。

余白が無いというメックリンガーの言葉が、苛立たしいほど脳裏に蘇ってくる。

そんな夫をゾフィーは強い目で見据えた。

 

「公園を、完成させて」

 

「わかったよ」

 

フェリックスは立ち上がり、ふと周囲を振り返った。一様に手を止めてニヤニヤと眺めている作業員たちに眉を上げる。秀麗な顔に貼られた絆創膏を見て、妙に気まずそうに視線を逸らした作業員もいた。

三歳の小さな子どもだけが、黙り込んだ父親の機嫌も知らず、その足にしがみついていた。

 

その夕方、フェリックスは工区責任者だけでなく、現場主任と主な作業員を集めた。

 

「植栽計画を少しやり直す」

 

ざわめきが走る。

 

「……で、設計主任殿」

 

第三工区の現場主任が、笑うような呆れたような顔で言った。

 

「その絆創膏、会議中も貼ったままですか」

 

室内に笑いが漏れる。フェリックスは不思議そうに怜悧な目を上げて、首を傾げた

 

「とくに支障は無いだろう」

 

今度は、はっきりと笑いが起きた。

 

フェリックスは黄色い星を貼ったまま、図面を見下ろした。

完璧な設計だ。構造も工程も、もう変えられない。だが、樹種分布や密度なら、まだ変更可能だ。この庭を、誰のための空間として仕上げるか。

墓として整えるのはやめようと、フェリックスはようやく納得していた。

 

「北の第五区画に芝生を追加する」

「水場周りの植栽密度は減らす」

「ベンチは見えるように配置していい。木陰を作る樹種に変更する」

 

現場主任たちは顔を見合わせた。

誰かがぽつりと言う。

 

「……人が来ますかね、この場所に」

 

「この薔薇園に、回廊を作る」

 

フェリックスは、公園の真ん中を指した。

 

「ここに《プロメテウス》をありったけ植えてやる」

 

作業員たちは、一様にどよめいた。

 

やがて苗木の搬入が始まった。

市民たちがフェンス越しにざわついた。

忌避されて目を背けられていた工事現場に、いつの間にか見物人が集まるようになっていた。

 

とくに人々がざわめいたのは、数万本の《プロメテウス》の苗木の搬入だ。

 

「あれ、薔薇の花だってさ。帝国らしい趣味だなあ」

「プロメテウスって、火を盗んだ神様の名前じやなかったか? 火災の跡地だっていうのにね」

「黄色い薔薇って、愛の倦怠とか別れとか、そういう花言葉だよな」

 

この反応は想定内だった。

いや、むしろ穏当な部類かもしれない、とフェリックスは思った。

 

名は記号だ。

記号は、時に土壌より深く傷を掘る。

 

しばらく、土を均す音だけが続いた。

 

やがて、苗木を運んでいた年嵩の作業員の一人が、フェリックスに届くような大声で言った。

 

「プロメテウスってのは、要は、権力に逆らった男だろう」

 

周囲が静まった。

 

「俺は嫌いじゃない。この土地に植えるには、悪くない名前だ。皇帝陛下に敬意を表したいくらいだ」

 

若い作業員が驚いたように振り返る。

 

「……あんた、帝国寄りだったか?」

 

「違うさ。ただ……」

 

男は空を見上げた。

 

「火を盗んだかどうかなんてどうでもいい。“与えられた秩序に従わなかった”ってだけで、俺たちには十分意味がある」

 

フェリックスはその言葉に、初めて視線を上げた。

 

計画開始から二年近く。

幾度もの遺骨発見による中断と徹底的な土壌の更新を経て、ようやくこの地は形を成そうとしていた。

 

三十三歳。父の時間が終わった地点まで、あとわずか……

 




pixivから転載
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。