フェリックス・ミッターマイヤーは庭師になった   作:シロン茶

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フェリックス・ミッターマイヤーは公園を作る その6

ハイネセンに珍しく乾いた風が吹いた日、人々は息を呑んだ。

数万株の黄色い薔薇――《プロメテウス》が、静かに、しかし圧倒的に花開き始めたのだ。

 

青空を抱き込むように輝く、澄み切った黄色。豪華でありながら、古いバラが持つ優雅で気品ある佇まい。

風が渡るたび、花弁の奥から甘く豊かな香りが立ち上った。

 

最初、人々はただ驚愕した。

この呪われた場所で、これほど鮮やかで大量の黄色が一斉に咲き誇るなど、誰も想像していなかった。

 

人々が引き寄せられるように集まり始めた。

 

花弁にそっと触れる者もいた。

何層にも重なる柔らかな花弁は、朝露に濡れてしっとりとし、中心へゆくほど薄く光を透かしていた。指先に伝わる柔らかさと、意外なほどの花首の強さが印象的だった。風に揺られても決して折れず、まっすぐに青空へ向かって咲き誇るその姿に、思わず息を詰める。

 

「これが……《プロメテウス》か」

 

やがて、市民の間で囁かれるようになった。

 

「黄色い薔薇の花言葉には、平和もあるらしいぞ」

 

「平和……なるほど」

 

誰かが苦笑した。三十年前の業火を知る者にとっては、皮肉に聞こえる言葉だった。しかし、若い世代や子どもたちは素直にその色と香りに惹かれていった。

 

園内の一角に、小さな資料館ができていた。

「土壌の履歴」という言葉が掲げられたそれは、ゾフィーが全面的に協力した結果生まれた空間である。

中央展示室の床には、巨大な垂直の土の断面が鎮座していた。

モノリス(monolith)。

ゾフィーが現地で採取・分析した地層を、そのままの状態で垂直に切り出したものだ。三十年の時間が層となって堆積した証拠――黒く焼けた有機物の層。

化学消火剤と結晶化した「記憶の化石」。

金属片や骨片が混じり、分解しきれなかった何かが固まった灰白の層。

そしてその上に、新しく入れられた健全な表土。

壁面の大型パネルには、ゾフィー・フォン・フォイエルバッハの署名入りで以下のデータが公開されていた。

• 焼却残渣由来のダイオキシン類と重金属濃度の経年変化

• 土壌微生物相の解析結果

• 遺骨のDNA解析概要(匿名化処理済み)

さらに、ハイネセン自治政府に全ての土壌解析データと遺骨情報のアーカイブが正式に引き渡されたことも、資料館内で明記されていた。

 

訪れた市民の中には、黙ってモノリスを見つめる者もいれば、休憩に便利な建物として寄っていく者もいる。

 

公園入り口には石碑が建つ。そこにはフェリックス・ミッターマイヤー自身が簡潔に刻んだ言葉があった。

 

「薔薇は、地中の灰と骨を栄養として咲いている。」

 

咲いた花が無残に切り取られる事件も起きたが、やがて薔薇を見るためにたくさんの人々がやってくるようになると、止んだ。

 

公園完成式典の朝。

フェリックス・ミッターマイヤーは、薔薇の回廊の中央に一人佇んでいた。

 

数日前に誕生日を過ぎて三十四歳になった彼は、父よりも先の時間を噛み締めていた。これまで自分を縛り付けていた、目に見えない秒針の音が止まったのを感じていた。

 

「……見事なものだ」

 

背後から響いた落ち着いた声に、フェリックスは背筋を伸ばした。

 

「陛下。到着は事前にご連絡をください。警備は、会場の警備は終わっているのか」

 

飛び出して行きそうなフェリックスを、アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムが捕まえる。

 

「硬いことを言うな」

 

皇帝は、護衛を遠ざけ、フェリックスの傍らに並んだ。

黄金の薔薇に囲まれた若き皇帝は、その金色の髪も相まって、まるでこの風景の一部のように溶け込んでいた。

 

「予はただ、友人が作り上げた“墓”が、どのように花園へと変わったのかを見に来ただけだ」

 

アレクは薔薇の海を静かに見渡した。

 

「……美しいな。さすがだ」

 

フェリックスは答えなかった。

アレクは少し声を落とした。

 

「おまえは、これを偽善だと思うか」

 

フェリックスは、風に揺れる花弁を見つめたまま、静かに答えた。

 

「かつては、そう思っていました。美しさで醜い過去を塗り込め、厚化粧を施したものだと」

 

フェリックスはゆっくりと息を吐いた。灰の上に咲く花を、もう恐れはしない。

 

「子どもたちは、ここを墓だとは知りません。ただ、美しい花が咲く場所だと信じている。……過去を知らぬ者に、笑う場所を与える。それが偽善だと言うのなら、私は喜んで偽善者になりましょう」

 

アレクの瞳に、かすかな驚きが過ぎった。

 

「……変わったな、フェリックス」

 

その言葉にフェリックスは小さく笑い、傍らの薔薇から一輪を摘んだ。

 

アレクは受け取り、薔薇を指で軽く回しながら、低く言った。

 

「人間とは、意味を塗り替えて生きるものだ」

 

フェリックスは息を止めた。

 

「おまえは昔から、自分だけは意味を背負わずに生きられると信じていた節がある」

 

アレクはそこで、わずかに口元を歪めた。

 

「無理だよ、フェリックス。おまえがこの薔薇を植えた瞬間、それはおまえの物語となった」

 

皇帝は低く続けた。

 

「……同盟にも生きていた人間がいた。予はその死者たちの上に、玉座を置いている」

 

アレクの視線は、珍しく遠くへ向かった。

 

「……なあ、フェリックス」

 

「はい」

 

「予は時折、おまえが羨ましいと思う」

 

その声はひどく静かだった。

 

「……予にとって、全ては政治の資源だ。おまえも含めて」

 

「陛下」

 

「おまえは色を植え替えられる。だが予は、それを全て統治に用いねばならない」

 

その声の疲労の軋みに、フェリックスはゆっくりと若き皇帝の横顔を見た。

それは黄金の光の中にあって、ひどく孤独だった。

 

「……アレク」

 

十年ぶりに、その名を呼んだ。

アレクはわずかに目を見開いた。

 

「ならば、私がまた庭を作りましょう」

 

「どんな庭だ」

 

「あなたが、少しだけ別の色で呼吸できる場所を」

 

アレクは鼻で小さく笑った。

 

「そうだな。いつかまとめて予はおまえの庭で昼寝しよう」

 

二人は、静かに笑った。

その笑いは、士官学校時代のものに似て、しかしそれよりもずっと深く、重く、哀しかった。

 

銀河帝国皇帝を迎えたハイネセン公園の完成式典は、満開の《プロメテウス》の前で盛大に行われた。

 

壇上で演説する皇帝の隣に、フェリックスは静かに立っていた。

 

式典の最中、一人の幼い子どもが規制線をくぐり抜け、薔薇の回廊へと駆け出した。警備兵が止めようとしたが、アレクが片手で制した。

 

子どもは黄金の波の中を駆け抜け、転び、土に汚れながらも明るく笑った。他の子どもも走り、転び、泣き出す。親たちも我が子を追って黄金の回廊に入り、子どもを抱きあげる。その光景に、参列した市民たちから、さざ波のような温かな笑いが湧き起こった。

 

警備兵は緊張したままだったが、それでも安堵の色が広がった。警備ドローンも通常配置に戻る。

 

フェリックスは、遠くで誇らしげに自分を見つめるゾフィーと子どもたちの姿を眺め、穏やかに微笑んだ。

 

それは、父オスカー・フォン・ロイエンタールが一度も見せたことのない、平穏で、満ち足りた微笑みだった。

 

アレクはその横顔を見て、小さく呟いた。

 

「……おまえには、勝てないな、フェリックス。だが、良い演出だ。これ以上の絵は描けない」

 

そのとき、風が吹いた。

 

青空の下、黄色い薔薇が一斉に揺れた。だが、薔薇の美しさの下には、依然として灰と骨が眠っている。

 

これはやはり墓なのだ、とフェリックスは思った。

 

だが、墓の上に人が笑い、泣き、また生きるのなら――

 

私は、私の時間を生きよう。

——その下に何があるのかを、忘れないままで。

 

(本編 完)

 

 

 

― 市民の回想録 ―

 

私は、あの日のことを今でも鮮明に覚えている。

 

公園の完成式典の日。

皇帝が来ているというのに、子どもが薔薇の中を駆け回っていた。

 

あの光景を見たとき、私は、理由もわからぬまま、泣いた。

少なくとも、そう記憶している。

公園が完成する少し前から、《プロメテウス》の薔薇が咲き始めていた。

 

誰かが「黄金の回廊」と呼んだ。

圧倒的だった。

黄色い薔薇の輝きは、まさに圧倒的だった。

 

「……旗だ」と最初に気づいたのが誰だったのか、私は知らない。

帝国側が意図していたのかどうかも、わからない。

 

黄色い薔薇は、あの日の青空の下で揺れていて、確かに、かつての同盟の旗の色を思わせた。

空色と黄色は、かつての自由惑星同盟の旗の色。そう見えるのだ、と言う者がいて、いつのまにか、そうに違いないという話になった。

 

不思議だ。

 

帝国があの土地を公園にすると聞いたとき、私は怒りしか感じなかった。花で覆い隠し、すべてをなかったことにするつもりなのだと思っていた。

 

ラグプール刑務所のことや、三十年前の業火について、私は詳しく知らない。まだ幼かったし、ずっと田舎で育ったからだ。

 

ただ、炎の色や、焼ける匂い、遠い叫び声を覚えている人々には、何度も出会ってきた。

 

整備の工事中に、フェリックス・ミッターマイヤーが現地に現れた。彼は美しかった。あのロイエンタールの血を引く男であり、皇帝のお気に入りだという話だった。

 

彼を見に来る者も多く、私もその一人だった。ヤジもずいぶん飛んでいたが、彼はいつも軍人のように歩いていた。

 

ある日、彼の頬に、子ども用の黄色い星の絆創膏が貼られているのを見た。

 

そのとき私は、初めて思ったのだ。

 

――ああ、この人もまた、生きた人間なのだ、と。

 

そう言えば、あの気味の悪い資料館を作った化学者は、彼の妻なのだそうだ。

 

プロメテウスの薔薇は、帝国内ではルミナ・フェリスとも呼ばれているらしいが、あの美しいフェリックス・ミッターマイヤーには、プロメテウスのほうが似合うと思っている。

 

叛逆者ロイエンタールの息子が、ハイネセンに抵抗の薔薇を植えたのだ。——そう考えると、少しだけ、胸が晴れるような気がする。

 

(証言 終)




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