フェリックス・ミッターマイヤーは庭師になった   作:シロン茶

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私のエヴァンゼリン解釈です。


母の木の庭

——私は、あの人を嫌いだった気がする。

 

オスカー・フォン・ロイエンタール。

夫の親友。宇宙を飛び回っていつも家にいない夫が、地上に戻るたび、必ず連れてきた不可思議な人。

 

誠実なはずの夫が、あの人の撒き散らす女性の匂いや、家庭を軽んじる不遜さには寛容だった理由を、私は最後まで理解できなかった。

 

「あなたがあの方と敵対なさるなら、私は……あの方を無条件で憎みます」

 

それは、私が夫に捧げた唯一の“自分の意志”だった。

 

そして——

あの人が死んだとき、夫はそれを抱えて帰ってきた。

私はそれに、幸福という名を付けた。

 

Ⅰ:士官学校入学の前に

 

春の庭に、剪定鋏の乾いた「カチリ、カチリ」という音が、澄んだ朝の空気に響いていた。
陽光はまだ柔らかく、唐楓の若葉が淡い緑の光を透かしている。風がそよぐたび、葉裏が銀色に翻り、地面に細かな影のレースを落とした。土の湿った匂いと、切られた枝の青い樹液の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。

 

フェリックスは背を伸ばし、枝の一本一本を迷いなく選んで切り落としていく。
その横顔は、まだ少年のあどけなさを残しながらも、どこか冷ややかな線の整い方をしていた。陽光を受けたダークブラウンの髪が、さらりと揺れる。

 

「芽を摘みすぎると、夏に葉が茂らない。葉が互いの光を奪わないように……今は透かして風の通り道を作ってやらないと」

 

フェリックスの理屈っぽい言い方に、思わず笑みがこぼれる。その奥にある優しさを、私は知っている。

 

「あなたはいつも、先を読みすぎるのね」

 

フェリックスは鋏を止め、こちらを振り向いた。
澄んだ空色の怜悧な瞳が、春光を受けて淡く輝く。

 

「五年後、十年後の空間を想像しながら整えるのは楽しいから。切る枝を自分で選ぶのが、難しいけれど……好きなんだ」

 

「切る枝を、自分で選ぶ……」

 

「それが庭師の仕事だと、お祖父様が」

 

フェリックスは士官学校に入る前、
オーディンのミッターマイヤー家に遊びに行き、祖父母の庭を心から楽しんでいた。


十二歳で孤児となった私を迎え入れ、娘として育ててくれたミッターマイヤー家。
善良で、温かく、期待に満ちた家。
その期待に応えることが、私の“役目”だった。義家族から愛された娘となり、義兄ウォルフの妻となり、私はきっと誰よりも恵まれた幸福の中にいる。

 

「オーディンのあの庭、僕は大好きだから」

 

あの人の血を分けた子が、ミッターマイヤーの家の庭を愛している。
喜ぶべきなのに、まるで取り忘れた薔薇の棘に触れたように心のどこかが痛い。

剪定を再開して、フェリックスは言う。

 

「放っておくとすぐ枝が暴れるんだよね、唐楓は。士官学校に入ったら、この庭になかなか帰って来られないから、困ったな。誰かに頼んで手入れしてよ、ムッター」

 

「あなたが帰ってきた時に、切ったらいいわ。少しくらい伸びすぎても」

 

息子は首を振る。

 

「でも、切るべき時があるんだ。時期を逃した剪定は木を痛めるよ」

 

エヴァンゼリンは庭の隅に目をやった。金雀児の細い枝に、黄色い蕾が膨らみかけて、春風に軽やかに揺れている。フェリックスがまだ幼かった頃、この庭で一緒に植えた金雀児だった。

 

「金雀児は……放っておいても大丈夫かしら。あの木は、切らなくていいと言っていたわよね」

 

フェリックスは唐楓から少し視線を移し、頷いた。

 

「うん。あれは剪定しなくても自然に形がまとまるから。強く切りすぎると、かえって花が咲かなくなるんだよ。僕が帰ってきたら、また一緒に様子を見ようよ」

 

「ええ。そうね」

 

フェリックスが士官学校に入ることはずいぶん昔から決定事項だ。

ロイエンタール元帥の息子をミッターマイヤー元帥が育てるならばどれほど名将になるか……皆がそう言うのだから。

 

「アレク陛下の学友として士官学校に入れる。将来は皇帝の盾となる」

 

夫に言われなくても、そうなることはわかっていた。

 

私はフェリックスに静かに聞いた。

 

「士官学校を卒業したら、軍人になるの?」

 

フェリックスは少し間を置き、枝の影を瞳に落としたまま言った。

 

「……僕は」

 

そこから先が続かない。

エヴァは唐楓の枝先に触れた。
切り口は白く清潔で、きれいだった。

 

「……きれいに整うのね」

 

フェリックスは得意そうに頷く。

 

「切れば、その分だけ形がはっきりするから」

 

「分かりやすくなるのは、いいことよね」

 

風が少しだけ吹いて、剪定されたばかりの唐楓が一斉にざわめいた。
まだ柔らかい枝先が、まるで抗議するように揺れる。

 

「私もね、そうだったの」

 

フェリックスが顔を上げる。
怜悧な空色の瞳が、わずかに揺れた。

 

「ちゃんと整って、誰が見ても分かる形になると、安心されるの。周りに」

 

「……それは、良いことだよね」

 

「ええ。悪いことじゃないわ。ただ——」

 

私は切り揃えられた枝を見た。

 

「もう少し違う形も、あったのかもしれないって思うことはあるの」

 

すぐに微笑む。

 

「でも、それだけよ」

 

きちんと伝わるだろうか。

 

「あなたは、ちゃんと選びなさい。切るなら——自分で決めて」

 

フェリックスは鋏を置き、静かに言った。

 

「……私は、空間を作る者になりたいんです」

 

私は息子の肩に手を置いた。
もう私よりずいぶん高い肩。大人になりつつある、大きな肩。その温もりが、愛おしい。

 

「応援するわ。あなたがなりたい形になれるように。フェリックス、私はあなたのムッターよ。忘れないでね」

 

けれど聡いフェリックスは、わずかに泣きそうな顔をした。

 

 

Ⅱ.卒業を前に

 

 

春は瞬く間に過ぎてゆく。
久しぶりに帰省したフェリックスが、泊まりもせずにまた士官学校に戻ってしまった。その代わりにいつも多忙な夫が、今日は家でゆっくりと寛いでいた。
夜は深く、家は静寂に包まれていた。私は化粧台の前で髪を解きながら、夫に告げた。

 

「ウォルフ……フェリックスが、軍人になりたくないと言っているのを知っていて?」

 

夫は穏やかに頷いた。

 

「前にも君がそう言っていたからな。木を徒に曲げれば弱くなる。そんな庭は造園の基本に反する。フェリックスとは、そんな話をしたよ」

 

「そうでしたの」

 

「うちの両親も、あの子が庭を好きなことを喜んでいるからな。“エヴァに似て優しい子だ”と」

 

そう、愛された娘は、優しい。私はゆっくりと微笑んだ。

 

「実は、摂政皇太后陛下にも伝えてある。いずれ軍籍離脱の証書を用意してくださるそうだ」

 

その言葉が胸を静かに刺した。夫はいつも、私より先に“決めて”しまう。

 

「この間のパーティーでも、皆様が当然のようにフェリックスが皇帝陛下の傍らに立つと言っていましたのに……少し胸が痛みます。でも、フェリックスが好きな道を行けるなら、本当に嬉しいわ、あなた」

 

夫は私の肩に手を置いた。

 

「エヴァ……お前は、あの子をずっと案じていたな。だが心配はいらん。あの子は必ず、自分の力で道を切り開く」

 

その言葉は優しく、正しかった。
私がそっと息を吐くと、夫は思い出したように、笑顔で言った。

 

「フェリックスには、士官学校を卒業したら、ロイエンタールの名を名乗らせてもいいかと考えている」

 

「まあ……」

 

その瞬間、胸の奥で何かが小さく砕けた。
フェリックスの横顔が脳裏に浮かぶ。ダークブラウンの髪、高い背、整った貌。光の角度で冷たく見える空色の瞳。
忘れることを許さない強烈な自己主張のようなその姿に、羨ましいとさえ思う。
私は静かに聞いた。

 

「ロイエンタールの姓を名乗りたいと、あの子が言ったのですか?」

 

「優しい子だからな。自分からは言わないさ」

 

「どうして……庭を作るなら、ミッターマイヤーの名前でもいいではありませんか。あの子は……」

 

「だが、あいつの名前を残したいじゃないか」

 

夫は少し眉を下げて私の顔を見た。その申し訳なさそうな顔に、つい許してしまうと、夫は顔を輝かせて私を抱きしめるのだ。その腕の温もりは、昔から変わらない。

暖かい。あまりに暖かい。
私は、夫の腕の中で目を閉じる。何かを言えば、変わるのだろう。
けれど——

 

窓の外で、金雀児の細い枝が夜風に揺れていた。冬の寒さに耐え、細く緑色の枝をほうきのように広げ、どこまでも耐え忍ぶように風を受け止めている。

 

剪定されることなく、ただ伸び放題にされたままの枝。誰にも決められなかった枝は、歪で、けれど自由に空を掴もうとしていた。


私はその影をじっと見つめていた。

 

 

Ⅲ. 旅立ちの前に

 

フェリックスがまた、新しい庭園をつくりに行ってしまう。
軍人にならなくても、こんなにも宇宙を駆けずり回るものなのか。
ずいぶん大きくなった庭の金雀児を降り仰ぎ、私は小さく息を吐いた。

 

 

息子は結局、ロイエンタールの姓を名乗らなかった。

 

「許されるなら、ずっとミッターマイヤーでいたいんです」

 

怜悧な空色の瞳でそう言ったとき、

胸の奥で、長い間固まっていた何かが、かすかに軋んだ。

 

世間では、フェリックス・ミッターマイヤーと言えば「黄色い薔薇の庭師」なのだという。

黄色い薔薇。私は義兄ウォルフに求婚されたあの日を、夫がものすごい顔で渡してきたあの黄色い薔薇の花束を、思い出しては笑いが込み上げてくる。

 

春の午後。

フェリックスは庭の最も古い隅にしゃがみ込み、褐色に乾いた古株に指で優しく触れた。

 

「これは大事な母木なんだ。……ここに新しい枝を継ぐと、全然違う薔薇が咲く」

 

土を払い、地中に絡む醜くも頑丈な根を見せる。

 

「母木は、自分の開花を放棄して、エネルギーの大半を根に回す。この根が強くないと、良い花は咲かない。

良い母木に継がれた薔薇だけが、綺麗に咲くんだ」

 

風が吹き、若い葉がさやさやと鳴った。

フェリックスは立ち上がり、私をまっすぐに見た。

 

「……僕たちも、構造としては同じなんだと思う」

 

その言葉は、説明のようで、告白のようだった。

 

「接ぎ木は、別の系統でも形成層が重なった瞬間から“同一個体”として振る舞う。つまり『一つの個体が二つの遺伝子型を同時に生きる技術』なんだよ」

 

私は、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じた。

 

私は、咲かなかったのではない。

咲かせていたのだ。

知らぬ間に。

 

「ムッター」

 

フェリックスが、少しだけ不安そうに私を覗き込んだ。

 

「ムッターが、僕の容姿を嫌ってるんじゃないかって……ずっとわかってた。でも、僕はあなたという母木に継がれて咲いた花なんだ。あなたが、僕を自由にさせてくれている」

 

息が震えた。胸の奥が、痛いほど温かくなった。

フェリックスは続けた。

 

「僕がロイエンタールの名を継がなかったのは、僕という花を咲かせてくれた“根”が、ミッターマイヤーという家で、そして何よりムッター、あなただったからだよ」

 

私が言葉を失ったまま、ただ見つめていると、フェリックスは私の手に自分の大きな手を重ねた。

 

「ムッター、僕にも守りたい未来がある。そのために、どの枝を残すか、自分で決めたいんだ。誰かの期待じゃなくて、僕自身の構造で」

 

私はフェリックスの手を握り返した。

その瞬間、彼は子どもの頃のように、少し照れた笑顔を見せた。

 

「その前に、まずあなたに言っておきたかった。また長く他の星で仕事をしてくるけど、ちゃんと戻るから」

 

視界が、春の光に滲んだ。風が吹き抜け、庭の木々がざわめく。

 

「行ってらっしゃい、フェリックス。あなたの庭を、作ってきなさい」

 

フェリックスが軽やかな足取りで庭を出てゆく。その艶やかなダークブラウンの髪が、陽光の中で揺れる。

 

私は、あの人を嫌いだった。

けれど、あの人が遺した「幸福」が、私を「母」にしてくれた。

……それだけは否定できない。

 

私は庭に降り、フェリックスが置いていった古い台木に、そっと新しい土を掛けた。

 

「……行ってらっしゃい、フェリックス」

 

もう一度小さく呟いた声は、風に溶けて、春の光の中へと消えていった。




pixivから転載

あの帝国の状況だと、身寄りの無い女の子が引き取られた家の義兄と結婚するのはよくあることだったと思う。でもやっぱりそれは保護者婚なんだよね。断れない。
それをミッターマイヤーはわかってないんだろうなと思うのは、信じるあまりとか言いながら連絡無しで赤子を連れて帰ろうとしたから。
そして、接木の理論でエヴァを規定してしまうフェリックスは残酷。自分の容姿をエヴァンが嫌ってたのを知ってたよと言ってしまうところが、フェリックスもまた強者に位置する。
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