ミッターマイヤー家の庭の奥に、ひときわ鮮やかな黄色の大輪が咲いていた。
フェリックスが丁寧に植えた薔薇《プロメテウス》だ。
六月の半ば、湿気を含む前の澄んだ初夏の光を吸い込み、その花はまるで太陽の欠片を抱えたように輝いていた。
午後の光は柔らかく、庭の奥の古いベンチを金色に染めていた。
フェリックスが造った庭は、年を重ねるほどに静けさを深め、風の通り道がどこまでも穏やかだった。
ミッターマイヤーは、そこで午睡をとっていた。
胸の上下はゆっくりで、庭の呼吸と同じリズムだった。
エヴァはリビングから戻る途中、ふと足を止めた。
ベンチのそばに立つフェリックスの背中が、いつもより少しだけ固い。
初夏の光に縁どられたその立ち姿が、かつて見た男の姿と重なって見えた。ダークブラウンの髪の高い背も、肩の角度も、沈黙のまとい方も、彼にあまりにもよく似ていた。
エヴァの胸の奥に、ひやりと冷たいものが落ちた。
ミッターマイヤーが目を開けた。
老いた瞳は初夏の光を映し、ゆっくりと焦点を結ぶ。
そして、フェリックスに微笑んだ。
「……やっと迎えに来てくれたか。
ロイエンタール……遅いじゃないか」
その名が、庭の静寂に落ちた。
最初、エヴァには意味がわからなかった。
フェリックスも、ほんの一瞬だけ理解が追いつかなかった。
だが、ミッターマイヤーの表情があまりに安らかで。
あまりに嬉しそうで。
その理由を悟った瞬間、フェリックスの肩がわずかに震えた。
「……ファーター」
呼びかけは届かない。
ミッターマイヤーは、ただ穏やかだった。
長い長い歳月の向こう側に失った親友の姿を、ようやく取り戻したかのように。
フェリックスは膝をつき、父の手を取った。
その手は温かかったが、力はもうほとんどなかった。
「ファーター……僕は……フェリックスです」
ミッターマイヤーの瞳が、かすかに揺れた。
だが、もう現実には戻ってこない。
「……ああ、フェリックスは、ほんとうに、いい子だ……」
その言葉は、誰に向けたものだったのか。
フェリックスは父の手を離さなかった。自分は、この人の失った男の依代でもあったのだと、改めて胸の奥で嚙みしめながら。
エヴァは、胸の奥が裂けるように痛んだ。
夫の最期の瞬間に、自分が入り込む余地などないことを、本能で理解してしまった。
フェリックスの横顔の線は、彼とそっくりだった。
そこには、彼女が一生踏み込むことのできない『男たちの聖域』があった。
ミッターマイヤーの呼吸が、ゆっくりと浅くなる。
風が吹き、満開の黄色い薔薇が揺れた。花弁が光を受けて、淡い影を地面に落とす。
ミッターマイヤーは、最後に小さく息を吐いた。
「……ロイ……エン……タール……」
その声は風に溶けて消えた。
初夏の光の中で、静かに、穏やかに、名将は眠るように息を引き取った。
フェリックスは、父の手を握りしめたまま、しばらく動かなかった。
肩を震わせ、庭の奥でひとり耐えている。
エヴァはようやく歩み寄り、そっと息子の背に手を置いた。
「……ムッター」
振り返ったフェリックスの空色の双眸は、涙で濡れていた。
その顔を見た瞬間、エヴァの胸の奥で、長い間封じていた感情が音を立てて崩れた。
エヴァは、立ち尽くして夫の静かな顔を見つめた。
そこには、ただ、長い旅路を終えて、ようやく待ち合わせの場所に辿り着いた男の、満足げな微笑みだけがあった。
風が吹き抜け、黄色い薔薇が揺れた。
その色には、いくつもの意味がある。
友情、平和、希望、再生。
そして——嫉妬、孤独、別れ。
花弁がひとひら、老いた元帥の膝の上に静かに落ちる。
六月の光は、どこまでも優しく、どこまでも残酷だった。
pixivから転載
石黒版のミッターマイヤーはこういう善人だが酷い男、というイメージがある。ノイエやフジリュー版は脳筋ぽくて良い家庭人なイメージが薄いよね。