王宮の裏庭へ続く回廊は、朝の光を反射して白く輝いていた。
侍従たちが壁際に寄り、息を潜めている。 予が、こんなに落ち着きなく大股で歩いているからだ。
「……来たか」
回廊の端で立ち止まり、一つ、深く呼吸を整えた。
皇帝一家のプライベートエントランスに、フェリックス・ミッターマイヤーが立っていた。
軍服ではない。かき集めたらしい簡素なスーツ。だが足元は士官学校指定の磨き上げられた革靴のまま。そのアンバランスさが、まだ「何者でもない境界線」にいる彼を物語っていた。
「陛下。お呼びと伺い、参上いたしました」
完璧な臣下の礼。顔が隠れて、ダークブラウンの髪しか見えない。
予は無言だった。視線を斜め下45度に固定し、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。
侍従たちは全員、予が面倒くさいタイプの拗ね方を始めたと悟ったらしい。エリックに至っては、肩を震わせて必死に抑えているのが丸見えだ。
卒業式の夜、あんなに美しく、あんなに悲壮な覚悟で彼を自由へと解き放った。
数ヶ月、あえて会わずにいたのは、再会すればその決意が揺らぐと知っていたからだ。
だが、フェリックスが他星系へ修行に行くという報せを聞いた瞬間、理性という防壁は粉々に砕け散った。
プライベートラインで、反射的に呼び付けてしまった。
「他の星系へ修行に行くと聞いた」
なんとか絞り出した言葉は震えていたが、自分でも驚くほど重々しく響いた。だからフェリックスは下問と捉えたのか、真剣に答える。
「はい、陛下。私のは単なる放浪ではなく、宇宙規模のサンプリングです。フェザーンの表土は滅菌されすぎていて……微生物の多様性が……」
相変わらずのフェリックスの声。
「旧ロイエンタール家領の鉱山星の岩盤切削庭園は、地学的摂理と強欲が衝突した空間の極致で……」
予の眉が限界まで跳ね上がるのをフェリックスは見ない。
「——さらに、北方星系の赤土と希少ガス循環下での光合成効率は、植物学を根底から……」
「行くな、と言っているんだ!!」
咆哮が回廊に木霊した。
フェリックスが、鳩が豆鉄砲を食った顔で固まる。
「他星系など許さん! まず予の裏庭を作れ! 今すぐだ! 皇帝の庭が荒れ果てているというのに、お前は土を求めて銀河を彷徨うというのか!」
もう止まらなかった。
「急ぎだ! 最優先事項だ! 予の精神衛生の維持には、お前の作る庭が不可欠なのだ!」
フェリックスは意味がわかっておらず、
「……陛下の裏庭? 精神衛生? 私にお任せくださるのですか?」
予は胸を押さえた。
横でエリックが小声で「お前、陛下がどれだけ寂しがってたか……」と耳打ちしているが、フェリックスは本気で「寂しい? 花が足りないとか?」と首を傾げている。
「……俺を置いて行くな」
絞り出すような呟きに、ようやくフェリックスがしっかりと予を見た。
「あのう、陛下……」
「いや、違う! 裏庭だ! 裏庭が先だ! 修行はその後で行けばいい!!」
フェリックスは、ようやく幼馴染の「引き止め」を理解したように、柔らかく笑った。
「……わかりました。マインカイザー。まずはあなたの庭をお作りします」
その笑顔に、予は再び胸を押さえた。
王宮の裏手。
長らく放置されていた一角に立ち、フェリックスの顔から「友人」の甘さが消えた。空色の瞳が、冷徹なまでの観測者のそれに変わる。
「……フェリックス。どんな庭でもいいぞ。予の小遣い(ポケットマネー)の範囲内ならな」
わざと砕けた口調で言い、金額を耳打ちすると、フェリックスは目を丸くした。
「それだけあれば、どんなプランでも試せそうです」
頭の中で高速演算が始まったのか、怜悧な空色の瞳がキラキラしてくる。
「用途は何ですか? 一時だけ楽しむ派手な庭か、それとも長く愛でる場所か。人を集めるためか、自分が楽しむのか」
「自分が楽しみたいが……友人や母上と過ごす庭でもある。長く愛でる方がいい」
フェリックスがふふふっと笑った。
「長く残すつもりなら、奇をてらわず、空間の良さを殺さないように、植栽も計画的に。ああ、五年後のお昼寝計画ですね」
卒業の朝にかっこよく決めたセリフを思い出されて、予は撃沈した。
侍従たちは胸を撫で下ろし、エリックは肩を震わせて笑い続けている。
「ふん。予が気に入ったら永遠に残してやる。気に入らなかったら容赦なく潰す。予は甘くないのだ!」
「了解です」
フェリックスは再び敷地全体へ視線を向けた。再び、穏やかな表情がすうっと消えていく。柔らかさが抜け落ち、代わりに静かな鋭さが宿る。
それは、士官学校の戦術演習でも見せた目。空間を読み解こうとする目だ。
予は息を潜めた。
フェリックスは歩き始めた。ゆっくりと、しかし確かな目的を持って。
途中でしゃがみ、土を指でつまむ。立ち上がり、風の向きに顔を向ける。空を見上げ、光の角度を確かめる。そしてまた歩く。
やがて中央付近で立ち止まり、拾った小石で地面に一本の線を引いた。
予は思った。
これは戦術じゃない。でも……同じだ。
一ヶ月後。
フェリックスから上がってきた計画書は、驚くほど整然としていた。 資材リスト、工事日程、人員配置。彼の几帳面さが、数字の端々ににじんでいる。
予はゆっくりと計画書を指でなぞる。
これは一種の「約束」だ。
「五年後の木陰」を約束する、創造の福音なのだ。
pixivから転載