フェリックス・ミッターマイヤーは庭師になった   作:シロン茶

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幕間:庭園技監

その日、皇宮造園局の執務室で私は未来の皇族居住区の造園計画を練っていた。

植栽の更新周期、動線、そして何より排水。この三つが崩れれば、庭は十年も持たずに死ぬ。

 

そこへ侍従がやってきた。

 

「フォーゲル技監。陛下がお呼びです」

 

嫌な予感しかしない。

 

皇帝アレク陛下は、庭のこととなると突発的だ。突然に薬剤散布計画を見たいと言ったりする。

私は計画書を閉じ、コートの埃を払って謁見室へ向かった。

 

 

扉が開くと、案の定、アレク陛下が妙にそわそわして立っていた。

 

「来たか、フォーゲル!」

 

「はっ。ご下命と伺い参上いたしました」

 

「フェリックスに庭を作らせる! お前は手伝え!」

 

……は?

 

陛下の隣には、呆れるほど整った顔立ちの青年が立っていた。

 

アレク陛下とは別系統の、秀麗な顔。すらりとした手足。

艶やかなダークブラウンの髪に、冷ややかな空色の瞳。

 

「フェリックス・ミッターマイヤーです。よろしくお願いいたします」

 

深い礼。声は落ち着いている。青年の挨拶は丁寧だが、どこか硬い。陛下の無茶振りに戸惑っているようにも見えるし、自分の立ち位置に引け目を感じているようにも見える。

 

皇宮の客にしては簡素なスーツに、足元は軍靴。……軍靴?

 

陛下が得意げに付け加える。

 

「フェリックスは私と士官学校の同期だが、庭を作りたいと言って軍籍離脱した。だから予の庭を作らせたい」

 

つまりは“お友達の夢を叶えたい”とか、そんなところだろう。

実績作り。コネ。公私混同。

たぶん園芸を趣味とする優雅な坊ちゃん。

現場も知らない坊ちゃんが、いきなり皇帝のプライベートガーデンを作るのか。庭は絵画じゃない。生き物と泥と計算の積み重ねだ。

 

「……承知いたしました」

 

しかし、私は恭しく頭を下げた。宮仕えとはそういうものだ。

 

 

 

執務室に戻る廊下を、青年と共に歩きながら私は聞いた。

 

「……君、図面は描けるか?」

 

「概念図なら。構造計算や勾配計画は、まだ勉強中です」

 

素直だ。言葉の選び方も正確だ。

園芸ではなく、造園を志しているのは本気らしい。

 

「皇宮に限らず、フェザーンでは古い排水管や通信ケーブルが重層的に埋まっている。根域制限を設計の前提に置かねばならない」

 

青年の目が、獲物を見つけた猛禽のように鋭くなった。

 

「……ルートバリアで物理遮断するか、樹種選定で共存を図るか……」

 

ほう。それなりに勉強しているようだ。

 

執務室に入り、私は彼の「概念図」を机に広げさせた。

 

「この曲線はいい。だが、視線が遠くへ抜けすぎている」

 

「視線の先に解放感を作りたいのです」

 

「解放感と間抜けは紙一重だ。このあたりは皇宮の裏庭の既存ビジョンと重ねて再検討しよう」

 

「はい」

 

いやに素直すぎる。

成果だけ欲しくて、実務は全部丸投げかと、質問を投げてみた。

 

「水はどこへ行く?」

 

フェリックスがハッとした顔で私を見た。

私は製図ペンで、図面の一点を叩く。

 

「ここに水勾配をつけろ。表面排水を導き、暗渠(あんきょ)で回収する。……皇帝が歩く場所に、ぬかるみを作ってはならない。プライベートガーデンと言えど、主の動線を忘れるな」

 

「皇帝の歩く場所……」

 

彼は目を細め、自分のデザインを見直している。丸投げのつもりはないようだ。

 

私はふと、彼の手を見た。

 

「失礼」と私は断って、青年の手を取った。

指皮が厚い指先。

指の腹に剪定鋏の圧痕らしきものもある。

爪は短く、自然のままだ。

 

趣味というレベルではなく、庭を触ってきた手なのでは?

 

私はもう一度、概念図に目を凝らす。

 

「……この抜けの配置。背後の排気口を避けて、空気の流れを意図的に作っているのか?」

 

「はい。夏場の熱気滞留で、うどんこ病や黒斑病が出やすい樹種なので。また、重機の搬入路を確保しつつ、将来的なメンテナンス動線も考慮しています」

 

「排気口からの風は、植物にとっては別のリスクになる可能性がある」

 

「ああ……そうですね。ええと、排気口の熱風が直接当たらないよう遮蔽し、自然の風が抜ける構造を作らないと」

 

なるほど。この青年は、本気で庭を作ろうとしている。

私は製図ペンを差し出した。

 

「よし。現場は私が責任を持つ。君は造園家としては、まだ知識が足りないかもしれない。だが、まずは君の設計を見せてくれ。陛下の庭だ。何度でも修正しよう」

 

「はい!」

 

「前提として、オーディンの宮殿の排水システムと、この地の地質を組み合わせる。表層土の透水係数は低い。この土壌で薔薇を植えるというなら……暗渠のピッチとpH調整はどうするつもりだ?」

 

「根域のpHは6.0〜6.5に調整する必要があると思っています。暗渠の間隔は……」

 

彼の澄んだ空色の瞳が、急速に「空想」から「現実」へと焦点を結ぶのを、私は見た。

 

 

 

執務室を飛び出していくように去った背中を見送り、私は小さく息を吐いた。

 

入れ替わるように侍従のエリックが顔を出した。皇帝のお気に入りの侍従だ。

 

「どうです? フェリックス・ミッターマイヤーは?」

 

「……あれは、本物かもしれん。彼は今、自分の翼を地に足のついた力に変える方法を知って、喜んでいる。見どころがあるな」

 

エリックが小さく肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。

 

「他星系への修行に行くはずが、陛下が命令で強引に引き留めてまして。ちょっと可哀想だと思いましたが、技監、どうか面倒を見てやってください」

 

「ははは……なるほど」

 

私はちょっと笑った。あれだけ見栄えがいいのだから、本来ならこのエリックと並んで、皇帝の側近候補だったんだろう。それを棒に振れるとは良い身分だ、と呆れていると、エリックが言った。

 

「あいつ変人で、士官学校の頃から庭の構造とか配置とかばっかりで、陛下に頼んでやたら資料を取り寄せてたんですよ。技監のレポートも暗記するくらい読んでましたよ」

 

私は固まった。

 

そのとき、視界の端に置かれた書類の束が目に入った。

ここ数年、皇帝経由で届いていた妙に専門的な資料請求の控えだ。

排水。地盤。根域。光と風。動線。維持管理——

すべてが、一貫して論理的で執拗だった。

 

「……あの資料請求の主は、彼だったのか」

 

私は眉をひそめ、青年の名をもう一度胸の中で反芻した。

フェリックス・ミッターマイヤー。皇帝の学友。士官学校の同期……。

 

「……まさか」

 

背中に冷たい汗が一筋、伝い落ちるのを感じた。

 

「あああ……あれは、もしかして……ミッターマイヤー元帥の……いや、『双璧』の息子か!?」

 

エリックが息を呑み、周囲を伺うように声を潜めた。

 

「技監、一応それ、禁忌です」

 

「分かっている。……だが、そうか。あれが」

 

あの秀麗で怜悧な容姿。艶やかなダークブラウンの髪。

公式記録からは消し去られ、今や人々の記憶の底にしか存在しない、あの叛逆の元帥。その面影が、先ほどの青年に重なった。

 

そうか。

そんな者が、造園などという地に足のついた道を選ぶのか。

 

私は思わず拳を強く握りしめ、感情の波に耐えた。指の関節が白くなるほど力を込めても、胸の奥で渦巻く衝撃は収まらない。

 

皇帝アレクのプライベートガーデン。

 

それは、皇帝の気まぐれと、若き天才の夢を、老練な職人が静かに支える——銀河で最も贅沢な「再出発」の物語だった。

 




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