裏庭へ続く回廊は、朝の光を浴びて白く輝き、土と若葉の青い匂いが石壁の隙間から忍び寄ってくる。
工事が始まって以来、フェリックスは毎朝欠かさずこのプライベートエントランスに現れるようになった。
俺はそれを待ち構えるのが、密かな楽しみだ。
「おはようございます、陛下」
「おはよう。朝食はもう食べたか、フェリックス」
「はい! ご心配なく!」
……あまりに爽やかな拒絶に、侍従たちが揃って「あああっ」と心の悲鳴を上げる。
俺はしょんぼり朝の謁見に向かう。毎朝これだ。
だが今日は違う。
現場が「植える」段階に入ったのだ。俺は今日のために、死ぬ気で執務を片付けた。
廊下で母上に捕まる。
「皇帝が現場に顔を出したら、作業員が緊張しますよ」
「わかっている、母上。でも……今日は、俺は皇帝を休みます!」
現場に着くと、フェリックスが苗を運んでいる。俺は迷わずスコップを握った。
作業員たちは凍りつき、次第に「これは……集団幻覚か……?」という顔で固まっていく。
いいぞ、もっと驚け。
フェリックスは最初こそ遠慮がちだったが、すぐに俺にも指示を出し始めた。秀麗な頬に土をつけたまま「陛下はここを掘ってください」と指差す。
ああ、数ヶ月ぶりに「友」が戻ってきた。
母上が知らせを送ったのだろう。昼過ぎになって、ミッターマイヤー元帥が現れた。
「フェリックス、陛下、何を——」
声が途切れる。息子が苗を運び、皇帝がスコップを振り回し、護衛や侍従が微妙な距離でフリーズしている。
疾風ウォルフのあんぐりした顔を見られて、俺は満足だ。
フェリックスが顔を上げ、にこりと笑う。
「父上、ちょうどいいところに。『土の締め方』をお願いします」
「……は?」
「子どもの頃、祖父の庭仕事を手伝っていたでしょう。その経験が必要なんです」
ミッターマイヤー元帥が固まる。
「いや、待て待て! 俺は艦隊を指揮する側であって、土を踏み固める側ではないぞ!」
俺は目を輝かせて割り込む。
「予も学びたい! さあ、元帥。教えてくれ」
ミッターマイヤー元帥は観念したように袖をまくった。
「陛下、こうです。力任せに押すのではなく、自重で、ゆっくりと。土が呼吸できるように……」
「なるほど……! こうか?」
「……陛下、上手いですね」
ミッターマイヤー元帥が素直に褒めてくれた。侍従たちが「元帥、陛下を止めてください」と視線で訴えているが、無視だ。
ふと見ると、フェリックスの指示が上ずり、現場が混乱し始めていた。ミッターマイヤー元帥がそこへ歩み寄る。
「フェリックス。止まれ。今のお前は部下を迷わせているぞ」
低い声に、フェリックスがびくりと震える。
「指示は書いて全員に共有しろ。現場に任せる範囲と、お前が決める範囲を切り分けろ。それに声が小さい。一度で通じろ。士官学校で何を習った。軍隊だろうが造園だろうが、指揮官の役割は同じだ!」
フェリックスは反射的に士官学校式の敬礼をすると、背筋を伸ばして声を張り直した。言葉が明確に響き、作業員の動きがみるみる変わっていく。
俺は喉の奥でくっくと笑う。
「疾風ウォルフは厳しいな」
「いや、まったくお恥ずかしい……」
ミッターマイヤーが父親の顔で恐縮した後、声が一段低くなった。
「士官学校をやり直した方がいい」
フェリックスは作業の手を止めず、しかし、はっきりと言った。
「士官学校で学んだことは無駄にはしません。でも、私は"空間を作る者"になりたいんです」
フェリックスの言葉が胸の奥に小さな棘のように刺さった。
……だったら俺と一緒に『帝国』を作ってくれよ。 その言葉は、喉の奥に押し戻して、スコップの柄を握り直した。
だが、ミッターマイヤーが俺のスコップをそっと取り上げ、自分の袖で俺の手の土を軽く払う。
「陛下、もうおやめください」
もう臣下の顔だ。
「本分を忘れてはなりません。フェリックスはこれからも陛下のために空間を作ります。臣がお約束いたします。ですから……」
俺は言葉に詰まって、それから小さく笑う。
「わかった。……俺も、今日は満足したよ」
ミッターマイヤー元帥が深く頭を下げる。
俺はフェリックスを見た。
フェリックスは空色の瞳にしっかりと俺を写し、頷いた。
「約束だぞ」
それだけ言って、俺は振り返らずに歩き出す。
約束は取り付けた。
今日は、最高良い一日だった。
pixivから転載