俺はもう、何が起きても驚かないつもりでいた。
だって皇帝陛下がスコップ持って土掘ってる時点で、常識のラインはとっくに越えてるんだから。
でも、まさか「疾風ウォルフ」が袖まくって土踏み固めるとは……。
ミッターマイヤー元帥の実家が造園技師だという話は聞いている。だからフェリックスの庭園狂いにも納得はしていたが……それでも、親子で並んで土いじりをしている姿は、妙に現実味がなかった。
仲がいいんだな、と思う。
並んで立つと、やはり全然似ていない。フェリックスのほうが背が高く、彫りも深い。髪も暗い色だ。
資料で見た、あの双璧を思い出す。
並ぶと「そう見える」——背筋の奥が、ひやりとした。
……あまり、陛下には見せないでほしいものだが。
突然、フェリックスが庭の中央にしゃがみ込み、地面に棒で一本の直線を引いた。
空気が変わった。
その線は、正午の太陽を正確に捉え、王宮の尖塔と遠くの山並みを結ぶように伸びている。
「ここが"軸"です」
静かに、しかし確信を持って言った声が、妙に響く。
「庭は軸で決まります。軸が乱れれば、どれほど美しい花を植えても、全体が崩れる」
周囲がしんと静まり返った。
変人のフェリックス。
なのに、こういう時に人の耳を集めることができる。
俺の隣にいた侍従が言った。
「……庭に軸って……戦術図みたいですね」
フェリックスは少し照れくさそうに笑った。
「士官学校で習った空間把握を、そのまま応用してるだけです」
陛下がニヤニヤしながら割り込む。
「予の庭が、戦術図みたいになるのか。面白いな」
……陛下、それは面白がるポイントじゃないですよ。
俺も声をかけておこう。
「フェリックス、黄色い薔薇はどこに植えるんだ。早く植えようぜ」
フェリックスは首を振る。
「まだです。薔薇は"最後に置くもの"です」
「なぜだ?」と陛下が身を乗り出す。
「象徴は、空間が完成してからでなければ意味を持ちません。象徴だけを先に置くと、庭が象徴に引きずられてしまう。全体のバランスが崩れる」
……なるほど、何か理屈があるらしい。
ちょうど土を締め終えたミッターマイヤー元帥が顔を上げた。
「……黄色い薔薇!?」
元帥の横にいた若い少尉が、にこにこしながら説明を始める。
「元帥はご存知ないのですか? フェリックス・ミッターマイヤーは士官学校時代から『黄色い薔薇の男』として有名なんですよ」
元帥、完全に固まる。だよなあ。
「フェリックス様が育てた黄色い薔薇で女の子に告白すると、成功率が異常に高いとか……」
元帥が理解できない顔で言い募る。
「いやでも、黄色い薔薇は告白に向かないだろう! 花言葉は『嫉妬』や『薄れゆく愛』で——」
俺たち侍従全員が一斉に首を振った。
「元帥、何を言ってますか! 疾風ウォルフが奥方様に黄色い薔薇でプロポーズした話は、軍内じゃ伝説なんです! みんなあやかって、今では黄色い薔薇が告白の定番になってるんですよ!」
「はあああ!?」
陛下が腹を抱えて笑い出す。
少尉がうっとりと言った。
「ここにフェリックス様の黄色い薔薇が咲いたら、私もぜひ一輪いただきたいです」
ミッターマイヤー元帥は白目を剥きそうになっている。
陛下が元帥の肩をぽんぽんと叩く。
「予の庭が、未来の恋人たちの聖地になるのか。悪くないな」
元帥はがっくりと肩を落とした。
笑ってはいけない場面だが、少しだけなら許されるだろう。
陛下は——あの人にだけは、少し甘えるところがある。
あれだけ目の前で「親子」を見せつけられれば、無理もない。
……そんなふうにほのぼのと眺めて、油断した。
陛下から、元帥がスコップを取り上げて、忠告した。
元帥が深く頭を下げる。
フェリックスは、一拍置いてから、静かに頷いた。
それだけだった。
陛下は満足げに、そのまま歩き去っていく。振り返りもしない。
——妙に、機嫌がいい。
……あれ?
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
さっきの言葉。
元帥の声が、遅れて蘇る。
「フェリックスはこれからも陛下のために空間を作ります。臣がお約束いたします」
あれは——
ただの臣下の忠誠じゃなかった。
疾風ウォルフの約定だ。
フェリックスはもう、勝手にどこかへ行けない。何も言わずに他星系へ修行に行くような真似はできない。
行くとしても、「戻ること」が前提になる。
あの線。
庭のために引かれたはずの“軸”。
気がつけば、その上に立たされているのは——人間のほうだ。
思わず、乾いた息が漏れた。
フェリックスは気づいているのだろうか。自分の居場所が、選ぶものではなくなったことに。俺は慌てて陛下を追いかける。
でも——
それでも、悪い話じゃないのかもしれない。
やがてこの庭に黄色い薔薇が咲く。
そのとき俺は、何も知らない顔で一輪もらうだろう。
pixivから転載