フェリックス・ミッターマイヤーは庭師になった   作:シロン茶

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フェリックス・ミッターマイヤーは薔薇を植える

皇宮の庭をフェリックスが作っている——その噂は、静かに軍部へも届いていた。

 

謁見を終えたアレクが庭へ向かおうとしたとき、廊下の柱の影から軍服が三つ、順に姿を現した。

ビッテンフェルト、ミュラー、メックリンガー。

 

アレクは小さく息をつく。

 

「……今日は軍人たちが揃って余裕があるようだな」

 

今日は植栽の最終日。薔薇を植える仕上げの日である。

 

庭の中央に立つフェリックスを見た瞬間、一同は思わず足を止めた。

すらりとした背。ダークブラウンの髪。

作業員に指示を出しつつ、父ミッターマイヤー元帥と軽やかに言葉を交わしている。

 

——その光景に、皆が一瞬だけ過去を見た。

 

はるか昔。

「彼ら」は双璧と呼ばれていた。

 

ミュラーがそっと目頭を押さえる。

 

「ロイエンタール提督に……なんとよく似て……。それにミッターマイヤー提督、相変わらずお若い……」

 

メックリンガーが静かに言葉を添えた。

 

「似ているのは容貌だけではありません。全体を捉えつつ細部も逃さない——あの視線の運びです」

 

三人は深く頷いた。

そのとき、ミッターマイヤーが振り返る。

 

「なっ、卿ら……!」

 

皇帝の背後に高級軍人がずらりと並んでいるのを見て、さすがの首席元帥も言葉を失った。だが、自分もここにいる以上、強くは咎められない。そこへ、さらにケスラーが静かに現れる。ミッターマイヤーは本気で目を見開いた。

 

「……帝都防衛は大丈夫なのか」

 

ケスラーは肩をすくめる。

 

「陛下が、ぜひとおっしゃったので」

 

ビッテンフェルトが腕を組み、不満げに唸った。

 

「しかし、ずいぶん寂しい庭だな。もっと大きな木がバーンとあって、緑豊かなのを想像してたんだが」

 

庭はまだ植えたばかりだった。

まっすぐに伸びる石畳の小道の両側を、低木の緑が細く縁取っている。その外側には、幼いメタセコイアの若木が規則正しく並び、細い幹と短い枝葉が一点透視のように遠くの一点へと収束していく。いまはまだ葉が疎らで、道の先には広い空と淡い春の光だけが広がっていた。巨大なキャンバスに最初の一筆を引いたばかりのような、空白の多い景観だった。

 

ミュラーが頷く。

 

「確かに、完成というには、まだ何もないように見えますね」

 

メックリンガーは指を一本ずつ折りながら、穏やかに説明した。

 

「植えたばかりの木は幼い。影は短く、枝は細い。空間の重心はまだ見えない。——しかし、木の配置が、十年後の影を計算している。風の通り道が、すでに設計されている。光の角度が、二十年後の美を前提にしている。余白が、"未来の密度"を受け止めるためにある」

 

一同がぽかんとする。

 

「"空間を読む"という一点で、戦術と庭園設計は同じなのです。フェリックスくんの設計は奇をてらわず、古典に学び、隅々まで計算が行き届いている」

 

メックリンガーはゆるやかに目を細めた。

 

「……思えば、ロイエンタール提督は奇策の人ではなかった。基本を積み重ね、手を抜かず、“勝利の形”を静かに積み上げる人だった」

 

その静かな述懐を咎める者はなく、一同が自然と耳を傾ける。

 

「芸術とは装飾ではない。必然だけを選び抜いたものが芸術なのです。余計なものを捨て、必要な線だけを残す——それが最も難しい」

 

メックリンガーは庭全体を見渡した。

 

石畳の直線が視線を遠くへ誘い、低木の緑の縁取りがそれを引き締めている。両脇のメタセコイアの若木は、まだ背が低く枝も細いが、すでに計算された間隔で並び、道の先の一点へと収束していく。 その消失点に当たる中央の円形花壇が、静かに次の瞬間を待っていた。

 

「完成したばかりの庭は、まだ未完成なのです。十年後に影が完成し、二十年後に重心が安定し、三十年後に庭の人格が生まれる」

 

そして静かに微笑んだ。

 

「彼は花や木で庭を飾ったのではない。空間に、時間を植えたのです」

 

フェリックスは黙って芸術家提督に頭を下げた。

 

皇帝アレクは満足げに庭を眺めていた。だが、その笑みの端に、かすかな苦みが差す。

 

「……三十年後も、予は皇帝なのだろうな」

 

声は低く、誰に向けたものでもなかった。

ただ、傍らの侍従エリックだけが、その呟きを確かに聞いた。

 

庭の中央花壇には、フェリックスが事前に掘っておいた植え穴が静かに口を開けていた。

有機肥料と完熟堆肥を黄金比で混ぜ、数週間寝かせた土は、ふかふかと柔らかく仕上がっている。あとは苗を迎え入れるだけだった。

 

「仕上げは予の番だ!」

 

アレクが得意満面で苗箱を掲げようとした瞬間、フェリックスが素早く手を伸ばした。

 

「待ってください。振り回さないで。ルートボールが乾きます」

 

「……えっ? あ、ああ……すまん」

 

アレクは喉まで出かかった「ジャーン!」を慌てて飲み込み、妙に丁寧な手つきで箱を差し出した。

 

軍人たちが箱の中を覗き込み、揃って眉をひそめた。

 

「……これが薔薇? もっと大輪がどんと咲くものかと想像してたんだが」

 

「まだ苗ですからね」

 

メックリンガーが苦笑する。

 

アレクは胸を張った。

 

「これはアンネローゼ伯母上が育てていた名もなき新種だ。予が『プロメテウス』と名付けた。天界から盗んできたような“火”が咲くはずだぞ!」

 

ビッテンフェルトが勢いよく身を乗り出す。

 

「おお、焔の如き赤か!」

 

「いや、黄色い薔薇だ! これで予の庭も“告白成功の聖地”になるわけだな」

 

ミッターマイヤーが即座に眉間を押さえた。

 

「……陛下、そういう俗説に乗るのはお控えください」

 

「俗説で婚姻率が上がるなら安いものだろう。一本で帝国に貢献する薔薇だ。歴史に残るぞ」

 

「残りません」

 

間髪入れずに返され、周囲に小さな笑いが弾けた。

 

メックリンガーが首を傾げた。

 

「告白成功……? しかし黄色い薔薇は友情や平和の象徴と聞きますが」

 

ミュラーが控えめに続ける。

 

「恋愛だと、あまり穏やかではありませんね……嫉妬とか、倦怠とか……」

 

エリックが遠慮がちに口を挟んだ。

 

「その、士官学校では事情が違いまして。フェリックス・ミッターマイヤーの黄色い薔薇なら告白成功率が高い、という噂がありまして……」

 

軍人たちが一斉に眉をひそめる。

 

「フェリックスの黄色い薔薇……?」

「告白成功率……?」

「……なんだそれは!」

 

アレクが得意げに頷く。

 

「フェリックスが士官学校で黄色い薔薇を大量に育てていたからな!あれは見事だった!」

 

「士官学校で薔薇……???」

 

呆れる諸将に、エリックがさらに続ける。

 

「実際に告白に使った上級生が卒業と同時に結婚したものですから、在校中にプロポーズする者も増えて……今ではすっかり“告白の花”として定着したんです」

 

ミッターマイヤーが遠い目をする。ミュラーが何かを思い出したのか、あっという表情でミッターマイヤーを見た。

 

「……文化とは、こうして形成されるのですね……」

 

「……どういう理屈だ」

 

誰も答えられなかった。

 

そのやり取りの間も、フェリックスは黙々と作業を続けていた。

穴の深さを測り、苗をそっと据える。柔らかな土が、静かな音を立てて苗の周りに戻されていく。押さえすぎず、緩めすぎず。根が息をできるだけの空間を残して、指先で優しく整える。最後に、土の表面を掌でそっと撫でた——まるで、眠りにつく者を優しく布団で包むように。

 

立ち上がって、フェリックスはアレクに穏やかに微笑んだ。柔らかな笑みだった。

 

「この土壌の物理性は、この苗を百年支えるために最適化してあります。あなたの『火』は、ここで確実に実体化されます」

 

彼は優雅に、しかし深く腰を折り、臣下の礼を取った。

 

「あなたは『お前の道を選べ』とおっしゃって、この苗をくださいました。その火を、絶対に消しません、マインカイザー」

 

 

 

こうして、皇宮の奥にフェリックスの最初の庭が生まれた。

皇帝アレクが私費で整えた、小さくて親密な庭だ。

その片隅で、やがてプロメテウスは初めて黄金色の花弁をひらく。

 

のちにフェリックスは「黄色い薔薇の庭師」と呼ばれるようになる。

彼が帝国中に植えた薔薇は、皇帝が名付けた『プロメテウス』として、公式の園芸登録簿に厳かに記された。

 

けれど、人々はいつしかその色を別の名で呼び始める。

ルミナ・フェリス(輝く幸福)と。

 

このとき、誰ひとり、その未来の名を知らなかった。




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