専用車の窓外を、夜景が音もなく流れていく。整然と配置された宮廷都市の灯。つい先日まで辺境星にいたフェリックス・ミッターマイヤーには、その光景は煌びやかすぎる。
彼は窓から視線を外し、向かいの席に座る若き皇帝を見た。
アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム。
まだ青年と呼べる年齢でありながら、その目には年齢に不釣り合いな観察者の冷たさがあった。
「退屈か、フェリックス」
「いいえ、マインカイザー」
口ではそう答えながら、フェリックスは内心で舌打ちした。この時間に、この車で、この距離を移動する意味が分からない。皇宮に呼び出して命じれば済む話だ。わざわざ自分を人気のない深夜に専用車へ呼びつける。演出過剰である。
しばらく沈黙が続いた。車体の制御音だけが低く響く。やがてアレクは、窓外を見たまま言った。
「ハイネセンのグラウンドゼロに、公園を造る」
フェリックスの心拍がわずかに速くなった。
「旧ラグプール中央刑務所跡地だ。三十年を区切りとして、帝国から市民への贈り物とする」
沈黙が落ちた。
「……光栄に存じます。ですが、なぜ今、その地を」
「時効だ。人の憎悪にも、消費期限がある。三十年は、その目安として悪くない」
「陛下」
「血と炎の記憶を、緑で覆う。防災拠点も兼ねた国家事業だ。実利も象徴性もある。予算も通る」
あまりにも率直な言い方に、フェリックスは眉をひそめた。
「たいへん政治的に美しい計画です」
皮肉を込めたが、アレクは気にした様子もない。
「おまえに任せたい」
フェリックスは真正面から相手を見た。
「おまえしかいない」
「過大評価です」
「いや、評価ではない」
アレクの声は静かだった。
「帝国貴族の血を引きながら、爵位も官位もなく、軍人ではなく、造園技師である。ロイエンタールの子であり、ミッターマイヤーの子でもある」
フェリックスの唇が固く結ばれる。
「私は戸籍上では貴族の血を引いていませんよ」
「戸籍は人の心を統治しない」
フェリックスは視線を逸らした。
車窓に映る自分の顔は、いつ見ても他人のようだった。黒い髪。整いすぎた輪郭。冷ややかな目元。拒み続けてもなお、強烈に残るその面影。
「自治領バーラト星系では、今なおロイエンタールの名が妙な人気を保っていると聞く。策謀に陥れられた悲劇の名将。双璧の片翼。皇帝ラインハルトに宇宙の半ばを任された英雄。そして、ハイネセンで息を引き取った男だ」
アレクはさらりと言った。
「本物の息子がハイネセンに降りたら、市民がどう反応するか。少し興味がある」
「私は見世物ですか」
「有用な人材だ」
「白々しい言い方をなさらないでください、マインカイザー」
アレクは笑った。
「嫌な男だな、フェリックス」
「陛下ほどでは」
「そうかもしれない」
車が減速した。フェリックスは一瞬だけ顔を曇らせる。
「……ハイネセンに《プロメテウス》を植えるのですか」
フェリックスは、慎重に言葉を選んだ。
アレクはあっさりと返す。
「おまえのアイコンだからな」
「違いますよ、陛下。グリューネワルト大公妃様の新種を、陛下が命名された薔薇だから、帝国中が欲しがっているだけです。ハイネセンの市民は、そんな“帝国の物語”を知りません」
アレクは肩をすくめた。
「だが強くて逞しい品種だろう。最適じゃないか」
「……それは、否定しません」
フェリックスは資料に視線を落とした。
旧ラグプール中央刑務所跡地。
オーベルシュタインの草刈りで始まり、ルビンスキーの火祭りで焼かれ、その後は誰も触れず、開発から取り残されて、三十年ものあいだ“封印”された土地。
——あのグエン・キム・ホア広場とは違うのだな、とフェリックスは考える。
ロイエンタール元帥の短い統治下で起きた暴動。
ハイネセン市民五千人が倒れたあの広場は、血を吸ったまま、すぐにビル街として再生した。
都市の喧騒が、死者の声を上書きしていった。
だが、ラグプール刑務所跡地は違う。焼けた骨も、灰も、金属も、すべてが地中に沈んだまま、誰も手を触れなかった。
フェリックスは、頭の中で必要な工程を並べる。
土壌改良。
重金属。
焼却残渣。
地下構造物の撤去。
排水設計。
防災導線。
群衆流動。
植生計画。
やるべきことは無数にある。
そして——美しくなければ意味がない。
胸の奥で、冷たい興奮がゆっくりと形を取った。
「条件があります」
「聞こう」
「設計への政治介入は一切認めません。慰霊碑の文言選定にも関与しません。予算執行は技術側優先に。趣味の悪い銅像も置かせない」
「ほう。認めなかったらどうする」
「引き受ける理由がありませんので」
「おまえは断らないと知っている」
「……なぜ」
「おまえは自分の能力を証明する機会を決して逃さない」
フェリックスは口を引き結んだ。侮辱であり、同時に正確な観察でもあったからだ。
車が停止する。フェリックスはドアが開く前に言った。
「私が、設計主任を務めます」
アレクは小さくうなずいた。
「期待している。――おまえ自身のためにも」
その一言が、胸の奥に棘のように刺さった。
フェリックスは夜風の中に降り立ちながら、静かに歯を食いしばった。
pixivから転載