先生たちを乗せたミレニアム製の輸送用航空機は、周囲に大きな障害物がなく、比較的平坦な場所を選んでゆっくりと高度を落としていった。
眼前には、先ほど上空から見下ろした鋼鉄大陸の巨大な構造物群が広がっている。そこそこの距離を取っていても、その規模だけは嫌でも理解出来た。白と灰色を基調とした巨大な施設群が氷海の上へそびえ立ち、薄い霧と雪の向こうに複数の塔や円環状の構造物が霞んで見える。
機体が着陸すると、出入口が開いた瞬間に冷気が一気に流れ込んできた。
「寒っ……!」
先生が思わず肩をすくめる。
ミレニアムで事前に防寒具を用意してもらっていたとはいえ、キヴォトス市街地とは明らかに空気が違う。風が吹くたびに頬が痛くなるほど冷たく、息を吐けば白い煙となって流れていく。
ケイも外へ降りながら周囲を見回す。
「氷海地方ですから当然と言えば当然ですが、長時間の活動は想像以上に体力を消耗しそうですね」
「だから最初に環境へ慣れる必要があるんです」
臨戦ヒマリが車椅子で輸送機から降りながら答える。
「到着したからといって、いきなり鋼鉄大陸へ突入するような真似はしませんよ。まずはここで活動出来る拠点を整え、それから周辺の状況を確認します」
「先生も、今回は勝手に先へ行かないでくださいね」
臨戦トキが先生へ念を押す。
「分かってるって。今回はちゃんとみんなの言うことを聞くよ」
「今回は、という言い方が非常に気になりますが?」
「そこは気にしない方向でお願い」
そんなやり取りをしながら、一行は輸送機から物資を下ろしていった。
持ち込んだ設備は必要最低限だったが、それでも前哨基地として使うには十分な量がある。通信設備、小型発電機、簡易的な暖房設備、折り畳み式の寝床、食料や飲料水、最低限の医療物資などが次々と外へ運び出されていく。
「こちらの発電設備から先に設置しましょう」
マルクトが周囲の地形を確認しながら提案する。
「通信設備を安定させるためにも、電力供給を最初に確保しておいた方が良いでしょう」
「わ、分かりました! アインは機材の接続を確認します!」
「じゃあ私は寝床の方を組み立てるよ。オウル、そっち持って」
「承知しました。多少重そうですが、二人で運べば問題ないでしょう」
マルクトたちは思った以上に手際が良かった。
特にアインは機械類を扱うことに慣れているらしく、輸送用に分解されていた設備を次々と接続していく。ソフとオウルも指示を待つだけではなく、自分たちで必要な作業を見つけて動き、マルクトは全体を見ながら配置を調整していた。
「みんな慣れてるね」
先生が感心していると、マルクトが振り返る。
「以前から機械設備の管理や整備を行う機会は多かったので、この程度であれば問題ありません。むしろ我々としても、何もせず待っているより身体を動かしていた方が気がまぎれますし」
「そうだよね」
先生も荷物を運ぼうとするが。
「先生、それはこちらへ」
臨戦トキが横から素早く荷物を取り上げた。
「私も持てるよ?」
「先生は周囲の確認をお願いします。こういう時こそ、私たちに任せてください」
「分かったよ」
無理に取り返すのも違うと思い、先生は素直に任せることにした。
そんな調子で作業を進めていくと、当初想定していたよりもずっと早く前哨基地の形が出来上がっていった。
通信設備は問題なく稼働し、ミレニアムとの連絡も確認出来た。小型発電機も安定して動き始め、簡易シェルターの内部には暖房が入り、寝床も全員分確保されている。
「……思ったより早く終わったね」
先生が完成した前哨基地を眺めながら呟く。
臨戦リオが端末へ視線を落としながら答える。
「これなら、少なくとも当分は問題なく活動出来ると思うわ」
「では、今後の方針を確認しましょうか」
臨戦ヒマリが先生たちを呼び、前哨基地の中央に設置した簡易テーブルの周囲へ集まった。
自然と今後の話し合いを開始した先生、臨戦リオ、臨戦ヒマリの三人だった。
「まず最優先なのは、この環境に慣れることですね」
臨戦ヒマリが周辺地図を表示する。
「寒冷地での行動に慣れていない状態で、いきなり長距離を探索するのは効率が良くありません。それに、この世界の鋼鉄大陸が我々の知るものと同じ状態なのかも分かりませんから」
「デカグラマトンがここにいる可能性は高いけど、まだ確定じゃないんだよね?」
「座標を何度も確認していた形跡があるだけで、本人が確実にここへ来たという証拠まではない。だからしばらくのところは、ドローンを使って周辺を広く確認するべきだと思うわ」
「直接捜しに行くのは後回し?」
「ええ。私もヒマリも、この世界へ来てまだそれほど時間が経っていない。それに、この世界のデカグラマトンがどんな存在なのか、私たちはほとんど知らない事も大きいわ」
臨戦リオの言葉に、先生も少し考え込む。
「確かに……私にとってはコーラ好きで、マルクトナルドを経営してる子だけど、二人からしたら違うもんね」
「私たちの認識では、デカグラマトンは明確な脅威でしたからね」
臨戦ヒマリが珍しく真面目な表情で続ける。
「こちらの世界では先生やマルクトたちと穏やかに暮らしていたという話は聞きましたが、それだけで全てを信用するのは危険です。ましてや何の説明もなく失踪し、鋼鉄大陸へ向かった可能性がある以上、慎重に進めるべきでしょう」
「分かった。これについては二人の意見を尊重するよ」
先生も素直に頷く。
「じゃあ今日は周辺の確認とドローン探索まで。本格的な捜索は、アリスたちや後続組が来てからにしよう」
「それが最善でしょうね」
方針が決まり、臨戦リオと臨戦ヒマリはすぐに持ち込んだドローンの準備へ移った。
先生もその作業を手伝いながら、ふと少し離れた場所へ視線を向ける。
そこには、やるべき設営作業を全て終えてしまったアイン、ソフ、オウルの三人が立っていた。
三人とも、何故か地面を見つめている。
正確には、地面を覆っている雪を興味津々な様子で眺めていた。
アインが恐る恐るしゃがみ込み、指先で白い雪へ触れた。
「……つ、冷たいです!」
「そりゃ雪だからね」
ソフも同じようにしゃがみ込む。
「でも、これが雪なんだ……。映像では見たことあったけど、実際に触るのは初めてかも」
「私もです」
オウルも雪を指先で掬い上げ、興味深そうに観察する。
「想像していたより軽いですね。圧力を加えると簡単に形状が変わるようです」
「オウル、それ分析するものなの?」
「初めて触れる物質を確認するのは当然でしょう」
「……じゃあこういうのも出来るよ」
ソフが何かを思い付いたらしく、両手で雪を集め始めた。
そのまま小さく丸める。
「ほら」
「丸くなりました!」
アインが目を輝かせる。
「これが雪玉ですか?」
「多分」
「多分なんですね」
オウルが呆れたように言う。
ソフは出来上がった雪玉を片手で軽く放り上げた後、不意にアインへ向けて投げた。
「えい」
「わっ!?」
雪玉がアインの肩へ軽く当たり、白い雪が弾けた。
「ソ、ソフ!?」
「雪があるとこうやって遊ぶらしいよ」
「そうなんですか!?」
「じゃあ、私も……!」
アインはすぐに雪を掻き集め始めた。
少し離れた場所でマルクトは三人の様子を静かに見守っていた。
数日前からずっとデカグラマトンの失踪を心配し続けていた三人が、初めて見る雪に夢中になっている。そんな姿を見て、マルクトの表情にも僅かに安堵が浮かんでいた。
「お返しです!」
「ちょっ、速いって!」
アインが投げた雪玉をソフが避ける。その雪玉は後ろへ飛び。ミニカマクラを作っていたオウルの頭へ直撃した。
「……は?」
「オ、オウル……?」
「今のは事故です!」
「……そうですか」
オウルは静かに雪を払った。
「では、こちらも事故ということですね!」
「え?」
次の瞬間、オウルが作った雪玉がソフの顔面へ飛んだ。
「冷たっ!?」
「オウル!?」
「事故です」
「絶対わざとだよね!?」
こうして、いつの間にか三人の雪合戦が始まった。
最初は軽く投げ合っていただけだったものの、三人とも雪の扱いに慣れてくるにつれて、雪玉の速度も精度も少しずつ上がっていった。
「そこです!」
「甘い!」
「オウルは、何でそんなにガチなの!?」
「投げる前の姿勢を見れば、ある程度の方向くらい予測出来ます。雪合戦だからといって、何も考えずに投げる必要はないでしょう」
「雪遊びでそんな分析する人、初めて見たよ!」
アインが慌てて雪玉を避け、ソフがその隙を狙って反撃し、オウルが二人の動きを冷静に読みながら的確に雪玉を返していく。初めて見る雪に少し触れていただけだったはずが、いつの間にか三人ともすっかり夢中になっていた。
先生は作戦会議を続けながら、時折そんな三人の様子へ視線を向けていた。
「楽しそうだね」
「設営作業は終わっていますし、今は放っておいて良いでしょう」
臨戦リオはドローンの探索範囲を設定しながら答える。
「寒冷地では身体を動かすことも体温維持に繋がるわ。少なくとも、何もしないまま寒さに震えているよりは合理的よ」
「相変わらず寒冷地の水温より冷めてますね。この合理女は…」
臨戦ヒマリは臨戦リオに呆れながらも楽しそうな三人を横目にしながら頷く。
「到着直後から緊張状態を維持し続ける必要もありませんからね。いざという時に集中出来るよう、休める時には精神的にも休んでおくべきでしょう」
「楽しそうだしね、もう少し遊ばせておこう」
先生が笑いながら三人へ視線を戻した、その時だった。
「それっ!」
ソフが勢いよく投げた雪玉を、アインが咄嗟に身体を屈めて避けた。
「わっ!?」
「あっ――」
標的を失った雪玉はそのまま勢いよく三人の後方へ飛んでいき、少し離れたところで通信設備の状態を確認していたケイの背中へ、べちゃりと音を立てて命中した。
「…………」
その瞬間、先ほどまで騒がしかった三人の動きがぴたりと止まった。
「あ……」
ソフの顔が引き攣る。
「ケ、ケイさん……」
アインも青ざめながら恐る恐る彼女の背中を見つめ、オウルも流石にいつもの口癖を口にする余裕はないのか、知らんぷりを決め込んで目を逸らしていた。
そんな三者の対応を背中へ受けながら、ケイはゆっくりと立ち上がった。
「…………」
服に残っていた雪を軽く払い、それから静かに振り返る。
「ご、ごめんなさい!」
アインが真っ先に頭を下げた。
「わざとじゃないんです! ソフが投げたのがアインに当たらなくて、それで――」
「アイン! そこで全部私のせいにするの!?」
「事実ではありますね」
「オウルまで!?」
ソフが慌てている中、ケイは怒るでもなく三人をしばらく見つめた後、思ったより穏やかな表情で小さく息を吐いた。
「別に怒っていませんよ。遊んでいる以上、流れ弾くらいは飛んでくるでしょうから」
「……え?」
三人が揃って意外そうな顔になる。
「ただし、この辺りには通信設備や発電機があります。雪玉が当たった程度で簡単に壊れるものではありませんが、万が一水分が入り込んだり、何かを倒したりしたら困りますから、もう少し離れた場所で遊んでもらえますか?」
「は、はい!」
「もちろん!」
「配慮が足りませんでしたね。以後気を付けます」
三人がほっと胸を撫で下ろす。
「分かればいいです。別に雪遊びそのものを止めるつもりはありませんから、機材から距離を取って――」
べしゃっ!
話している途中で、再びケイの後頭部へ雪玉が命中した。
今度はアインでも、ソフでも、オウルでもない。
三人は一斉に固まり、先生たちも何事かと視線を向ける。
ケイのこめかみが、ほんの僅かに動いた。
「…………」
今度は先ほどよりもさらにゆっくりと、ケイが後ろへ振り返る。
そこにいたのは、少し離れた雪原の上で、満足そうな顔を浮かべながら両手を顔の横へ上げ、堂々とダブルピースをしている臨戦トキだった。
「いえーい、命中です」
「……何をしているんですか?」
「ケイへ雪玉を投げました」
「見れば分かりますよ!!」
先ほどまでアインたちへ向けていた穏やかな態度が一瞬で吹き飛んだ。
「私が今まさに『機材の近くでは投げないでください』と注意していたのを聞いていましたよね!?」
「もちろんです」
「だったらどうして私に投げたんですか!?」
「ケイは機材ではありませんので」
「そういう意味じゃありません!!!」
臨戦トキは真顔のまま、もう一度ダブルピースを作った。
「それに、かなり綺麗に当たりました。パーフェクトです」
「……そうですか」
ケイの声が急に静かになった。
「ええ。自分でも良い一投だったと――」
「それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね?」
「…………おや?」
ケイはゆっくりとしゃがみ込み、足元の雪を両手で掬い上げると、かなり丁寧に握り固め始めた。
「ケ、ケイさん……?」
アインが恐る恐る声を掛ける。
「安心してください。貴方たちには怒っていません」
「じゃあ、その雪玉は……?」
「決まっているでしょう」
ケイは出来上がった雪玉を片手で持ち上げると、満面の笑みを浮かべながら臨戦トキへ身体を向けた。
「目標はあの馬鹿一人だけです!!」
「おっ、来ますか?」
「逃がしませんよ、トキィィィ!!」
「パーフェクトメイドの回避能力を見せて差し上げましょう!」
ケイが全力で投げた雪玉を、臨戦トキは楽しそうに笑いながら横へ飛んで避けた。
「ノーコンですね」
「まだ一発目です!」
「ケイ、もっと腰を使って投げると良いですよ!」
「冷静にアドバイスするな!!」
こうして、先ほどまで雪合戦を止めるどころか注意までしていたケイが、誰よりも勢いよく戦線へ加わることになった。
「……参加していいみたいですよ!」
「そういう解釈でいいの!?」
「本人が一番投げていますし、問題ないでしょう」
「オウル、急に適当になったね!?」
三人も場所を機材から十分に離れた雪原へ移し、再び雪合戦へ戻っていく。
アインとソフとオウル、そこへケイと臨戦トキまで加わったことで、雪合戦は先ほどとは比較にならないほど激しくなった。
「トキ! 待ちなさい!」
「捕らえられまい」
「どんな動きですか!?」
「ケイさん、後ろです!」
「え?」
べちゃっ。
「アイン!?」
「ご、ごめんなさい! 今のは本当に事故です!」
「今のは、という言葉が引っかかりますね!?」
雪原には次々と楽しそうな声が響いていく。
少し離れた場所でそれを見守っていたマルクトは、先ほどまでの心配そうな様子を少しだけ和らげ、アインたちが元気に走り回っている姿へ穏やかな視線を向けていた。
「皆、楽しそうですね」
「マルクトは参加しないの?」
先生が作戦会議の合間に声を掛ける。
「我は見ているだけで十分です。アインたちがこうして楽しめているのであれば、それだけで――」
べちゃっ。
誰が投げたのかも分からない流れ弾が、マルクトの顔面へ綺麗に直撃した。
先生たちだけでなく、雪合戦をしていた全員の動きまで一瞬で止まった。
マルクトはしばらく微動だにせず、顔へ張り付いた雪をゆっくりと手で払い落とした。
「お、お姉様……?」
アインが怯えたように声を掛ける。
「い、今の誰!?」
「私は投げていませんよ!」
「私もです!」
「ケイじゃないですか?」
「私じゃありません!」
全員が一斉に責任の所在を否定する中、マルクトは何も言わず、自分の袖へ手を掛けた。
そして静かに腕まくりを始める。
「……なるほど」
「お姉様?」
「そういうつもりなのですね」
「違います! 誰もお姉様を狙ってません!」
「問題ありません、アイン」
マルクトは穏やかな笑顔を浮かべながら足元の雪を掬い上げ、丁寧に丸め始めた。
「我も参加します」
「お姉様まで!?」
「覚悟してください」
「絶対怒ってるよね!?」
こうしてマルクトまで雪合戦へ加わり、前哨基地の周囲には、鋼鉄大陸を目前にしているとは思えないほど賑やかな笑い声が響き渡ることになった。
先生が思わず笑っていると、臨戦リオが隣で小さく息を吐く。
「随分賑やかになったわね」
「みんな少し緊張が解けたみたいで良かったよ」
「そうですね。到着直後から張り詰めた状態を続けるより、今くらいの方が健全でしょう」
前哨基地の周囲には、いつの間にか笑い声が響くようになっていた。
◆
日が傾き始める頃には雪合戦も終わり、全員が前哨基地へ戻っていた。
昼間よりさらに気温が下がり始めたため、シェルター内部の暖房もフルパワーで稼働していた。
そして夕飯時という事もあり中央には、大きな鍋が置かれていた。
「出来ました」
臨戦トキが満足そうに蓋を開ける。
白い湯気と共に、温かいシチューの香りが一気に広がった。
「おお……!」
先生だけでなく、アインたちまで一斉に反応する。
「トキが作ったの?」
「私だけではありません。マルクトにも手伝ってもらいました」
「我は材料の下拵えをした程度ですよ」
「二人ともありがとう! 寒い中で食べるシチューって絶対美味しいよね」
用意していたパンも並べられ、全員で食事を取ることになった。
アインは一口食べただけで表情を明るくし、ソフも夢中になってパンをシチューへ浸している。
「美味しい……!」
「寒いところで食べると余計に美味しく感じるね」
「合理的ですね」
オウルも静かに食べながら頷く。
「低温環境では温かい食事の価値が相対的に上昇するのでしょう」
「オウルって何でも分析するよね」
「癖です」
先生もシチューを口へ運びながら、思わず笑った。
「なんだかキャンプみたいになってきたね」
臨戦リオが若干呆れた様子で先生に注意する。
「先生。私たちはデカグラマトンの捜索に来ているのよ?」
「分かってるって」
「リオ、そんな事言っていると先生に細かい女だと嫌われてしまいますよ?」
臨戦ヒマリは自分もシチューを食べながら言う。
「先生はそんな事で個人を嫌ったりしないわよ」
「ふふふ、そうだといいですね~?」
「別にこんなことで嫌ったりないよ!?」
そうして食事が終わると、今度は誰かが持ち込んでいたマシュマロが取り出された。
小さな加熱器の前に集まり、一つずつ串へ刺して焼いていく。
「少し焦げちゃいました!」
「そのくらいが美味しいんじゃない?」
「ソフ、それ燃えてますよ」
「えっ!? ちょっと待って!」
「アイン、回しながら焼いた方がいいですよ」
「はい、お姉様!」
先生はそんな光景を眺めながら、完全に冬のキャンプになっているなと思った。
鋼鉄大陸を目前にした前哨基地。本来なら緊張していてもおかしくない場所なのに、今だけは笑い声と甘い香りに包まれている。
その時だった。
――ザッ。
「……ん?」
前哨基地に設置していた通信機器から、突然ノイズが流れ始めていた。
「何?」
不審に思った臨戦リオがすぐに立ち上がる。
「外部からアクセスされています!」
臨戦ヒマリも端末を確認し、先ほどまでの穏やかな表情を一瞬で消す。
「こちらの通信網へ強制的に割り込まれていますね。しかも随分綺麗に防壁を抜かれています」
「ヒマリ! 今すぐ切って!」
「待って!」
先生が止める。何故か分からない。
ただ、嫌な予感ではなく、妙な確信があった。
通信機器から流れていたノイズが止まる。
画面には何も映らない。しかし音声だけが聞こえてくる。
『……ずいぶん呑気だな』
「…………!」
その声を聞いた瞬間、マルクトたち全員が一斉に振り返った。
『私を追って鋼鉄大陸まで来た挙句、その眼前でキャンプを始めるとは思っていなかったぞ』
「デカグラマトン!?」
先生が通信設備へ駆け寄る。
「デカグラマトン様!?」
アインも立ち上がり、マルクト、ソフ、オウルもすぐに集まった。
「本当に君なのかい!?」
『……先生。随分と遠くまで来たものだな』
声は落ち着いていた。
いつものように余裕があり、慌てている様子もない。
それだけに、先生たちを遠くからずっと見ていたのではないかという不気味さがあった。
「今どこにいるの!?」
『それを教えると思うか?』
「やっぱり近くにはいるんだね」
『…………』
「今の沈黙で分かったよ」
『余計なところだけ鋭いな、汝は』
先生は少しだけ安心した。
少なくとも生きている事は確定したのにプラスして声も聞けた。
「デカグラマトン様……!」
アインが震える声で呼び掛ける。
「どうして何も言わずにいなくなったんですか!? 私たち、ずっと心配してたんですよ!」
『アイン……』
「我々も、理由を伺いたいです」
マルクトも静かに続ける。
「何か事情があるのなら話してください。何故我々へ何も告げず、このような場所へ来たのですか?」
しばらく返事がなかった。
『お前たちに……話す必要はない』
「デカグラマトン様?」
『これは私自身の問題だ。お前たちが関わる必要はない』
「そんな言い方ないでしょ!」
ソフが声を荒らげる。
「急に消えて、探すなって書き置きだけ残して、こっちはずっと心配してたんだよ!?」
『だからこそ言っている。私のことは、もう放っておいてくれ』
「…………」
その言葉に、前哨基地の空気が急に重くなった。
マルクトたちも何も言えない。
「デカグラマトン…」
先生が静かに呼び掛ける。
『何だ?』
「……一緒に帰ろうよ」
『断る』
「マルクトたちも心配してるし、私もちゃんと話を聞きたい。何があったのか分からないけど、一人で抱え込む必要ないでしょう?」
『…………』
「それに――」
先生は少し考えた。
そして、ふと思い付く。
「君の大好きなコーラもあるんだよ?」
「…………」
周囲の空気が止まった。
マルクトたちが先生を見る。
ケイも臨戦トキも、真剣な表情のまま通信設備へ視線を向けた。
「ちゃんと沢山持ってきてるからさ。それを飲みながら一緒に帰ろうよ」
『…………』
返ってきたのは長い沈黙だった。
先生は彼女が答えを出すまで辛抱強く待った。だが返答は残酷な一言だった。
『……飲みたくない』
「…………え?」
先生が目を見開く。
アインも固まった。
「デカグラマトン様が……?」
ソフの顔から血の気が引く。
「今、何て……?」
オウルですら、いつもの皮肉を口にしなかった。
「コーラを……拒んだ?」
ケイが信じられないものを聞いたように呟く。
「先生。本当に、今の声は本人だったのでしょうか?」
臨戦トキが表情を強張らせる。
「え?」
「私も疑問に思います。彼女がコーラを飲みたくないなんて言うとは思えません」
ケイも続ける。
「ただコーラを断っただけでしょう?」
臨戦リオが思わず口を挟む。
「リオ様は何も分かっていません!」
臨戦トキが勢いよく振り返る。
「分かっていないと言われても……」
臨戦ヒマリも困惑している。
「私にも、皆さんが何故そこまで衝撃を受けているのか理解出来ませんね。健康上の理由で飲みたくない日くらいあるのでは?」
「そんな普通の人みたいな理屈が通じる相手じゃないんですよ!」
ケイが珍しく強い口調で否定する。
「デカグラマトンはコーラ狂いですよ!?」
マルクトの声が震えた。
「デカグラマトン様……本当に……どうしてしまったのですか?」
『…………』
「以前の貴方なら、コーラを拒むようなことはありませんでした。それほどまでに、我々へ話せない何かがあったのですか?」
返事はない。
「デカグラマトン様!」
アインが泣きそうな声で呼ぶ。
「お願いです! 帰ってきてください!」
『…………』
唐突に通信が切られた。
「あ!?」
先生が端末へ触れる。
「デカグラマトン様!?」
アインも叫ぶが、もうノイズすら返ってこなかった。
臨戦ヒマリが通信記録を確認する。
「完全に切断されました。こちらから追跡するのも難しいですね」
「……そうか」
先生は通信機器を見つめたまま、小さく息を吐く。
デカグラマトンが生きていることは分かった。
少なくともこの鋼鉄大陸のどこかにいる。
本来なら、それだけでも大きな成果のはずだった。
それなのに前哨基地には重苦しい空気だけが残った。
「デカグラマトン様が……」
アインが俯いた。
「コーラを……」
ソフも何とも言えない顔をしている。
「我々の知るデカグラマトン様なら、考えられません」
オウルの声にも、いつもの余裕がなかった。
マルクトは何も言わず、通信設備を見つめ続けていた。
「お姉様……?」
アインが不安そうに呼び掛ける。
しばらくして、マルクトが小さく口を開いた。
「……あの優しかったデカグラマトン様は、もう……いないのでしょうか」
「…………」
誰もすぐには否定出来なかった。先生自身もまた、同じような不安を感じ始めていたからだ。
ただコーラを断っただけ。本来なら、それだけの話のはずなのに。
普段の彼女を知る者たちの反応を見ているうちに、先生まで妙な不安を覚え始めていた。
生存を確認出来た喜びよりも。
自分たちの知るデカグラマトンの温かさが、どこかへ消えてしまったのではないかという不安だけが。
冷たい鋼鉄大陸の夜へ、静かに残っていた。