鋼鉄大陸から少し離れた場所へ前哨基地を設営してから、すでに一週間が経過していた。
最初の数日は、いつ何が起きても対応出来るよう全員が強い緊張感を保っていたものの、時間が経つにつれてこの場所での生活にも少しずつ慣れ始めていた。外へ出れば相変わらず肌を刺すような冷気と強い風が吹き付け、視線を遠くへ向ければ巨大な鋼鉄大陸が静かに佇んでいる。それでも、発電設備や暖房、通信環境が安定し、寝床や食事にも困らない状態が整ってしまえば、最初に感じていたほどの不便さはなかった。
もっとも、先生たちがここで一週間ものんびり過ごしていたわけではない。
特に臨戦リオと臨戦ヒマリの二人は、ほとんど毎日のようにドローンを飛ばし、鋼鉄大陸の周辺を監視していた。上空から施設の構造を確認するだけでなく、可能な範囲で通信設備へアクセスを試み、内部の電力使用状況や機械類の稼働状況、何らかの通信が行われていないかまで細かく調べ続けている。
そして一週間目の朝。先生は前哨基地中央の簡易テーブルへ呼ばれていた。
「一週間分の監視結果をまとめました」
臨戦リオが端末を操作すると、テーブルの上へ鋼鉄大陸周辺の地図が表示された。その横には複数のドローン映像や熱源反応、通信記録らしき数字が並んでいる。
「何か分かった?」
先生が画面を覗き込むと、臨戦リオは少し難しい顔をして腕を組んだ。
「分かったこともあるけれど、正直に言えば、分からないことの方が多いわ。まず明確なのは、鋼鉄大陸の内部に複数の預言者が集まっているということ。私たちが確認出来ただけでも、ビナー、コクマー、ゲブラ、イェソドと思われる個体が存在している」
臨戦ヒマリも端末を操作しながら続ける。
「ですが、奇妙なのはそこからです。一週間監視を続けましたが、彼らが鋼鉄大陸の外へ出ようとしている様子はありません。それどころか、何か大規模な準備を進めている形跡すら見当たりませんでした」
「……何もしてないってこと?」
「少なくとも、我々から確認出来る範囲ではそう見えます」
臨戦ヒマリは少しだけ眉を寄せる。
「当然、こちらから見えない場所で何かをしている可能性はありますが、預言者が複数集まっている割には、あまりにも静かです。もしキヴォトスへ何らかの攻撃を仕掛けるつもりなら、もう少し目立った動きがあっても良さそうなものですが……」
臨戦リオが地図上の鋼鉄大陸へ視線を向ける。
「逆に考えれば彼らが動かず、あそこへ留まり続けていること自体に意味がある可能性もあるわ」
「リオはどんな意味があると思ってるの?」
「デカグラマトンよ」
先生の表情が僅かに引き締まった。
「この一週間、本人と思われる通信は一度きり。それ以降はこちらから接触しようとしても反応がない。それでも預言者たちは鋼鉄大陸に集まり続けている。ならば、あそこにデカグラマトンがいる可能性はやはり高いと考えるべきでしょうね」
「私も同意します」
ケイも横から口を挟む。
「少なくとも、何の理由もなく預言者たちが複数集まっているとは考えにくいです。しかもデカグラマトンは失踪前、この場所の座標を何度も確認していました。偶然と考えるより、ここを目的地として選んだと考えた方が自然でしょう」
「……やっぱり、あそこに居るんだね」
先生は改めて遠くに見える鋼鉄大陸へ視線を向けた。
この一週間、何度も目にしてきた景色だった。雪と氷に覆われた静かな場所であり、遠くから見る限りでは巨大な施設群が眠っているようにしか見えない。
しかし、その内部にデカグラマトンがいる可能性が高い。
「じゃあ、そろそろ本格的に調べに行く?」
「そのつもりですが、今の人数だけで動くのはおすすめしません。周辺環境については十分把握出来ましたし、前哨基地も問題なく機能しています。ですが、いざ鋼鉄大陸へ入るとなれば話は別です。預言者たちがどう動くか分かりませんし、内部に何が残されているのかも不明ですから、増援を呼ぶべきでしょうね」
「一週間前に準備を進めてもらっていたアリスたちの事だよね?」
「はい。そろそろこちらへ来てもらっても問題ないでしょう」
そうして後続組を呼ぶことが決まり、先生はミレニアムへ連絡を入れることになった。
◆
「私も行くわ」
先生からの連絡を受けた現地リオが、当然のようにそう宣言していた。
鋼鉄大陸周辺の安全確認がある程度進み、いよいよ本格的な調査へ移ると聞けば、自分も現地へ向かうべきだと考えるのは自然だったのだろう。既に端末へ必要そうな資料までまとめ始めている。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「リオ会長」
「どうしたのかしら、ユウカ」
「横領都市の借金、まだ終わってませんよね?」
「…………」
そう言われたリオの動きがピタリと止まった。
目の前に立っているユウカは怒鳴っているわけでも、露骨に睨み付けているわけでもない。ただ、非常に冷たい目でリオを見つめていた。
「聞いてユウカ。今回の件はキヴォトス全体にかかわる可能性があるのよ?」
「向こうには、すでにもう一人のリオ会長が居ますよね?」
「そ、そうだけど。私も行ってサポートした方が――」
「…………」
ユウカは何も言わなかった。ただ現地リオから目を逸らさずに見続ける。それだけだった。
「………わかったわ。だからそんな目で見ないでちょうだい」
最終的に、現地リオは少し涙目になりながら鋼鉄大陸行きを断念した。
キヴォトス規模の危機へ備える前に、まず自分が作った都市に使ったお金を返さなければならないらしい。
同じ頃、現地ヒマリも臨戦ヒマリから通信越しに事情を聞いていた。
『というわけですので、そろそろ本格的な探索へ移ります。こちらへ来るのであれば、今が良いタイミングでしょう』
「なるほど。非常に興味深いですね」
現地ヒマリはいつもの余裕ある表情で答える。
「未知の鋼鉄大陸。そこへ集結する複数の預言者。そして消息を絶ったデカグラマトン……超天才清楚系病弱美少女である私としては、非常に知的好奇心を刺激される状況と言わざるを得ません」
『では貴女も来ますか?』
「もちろん――」
『ちなみにこちらは現在、外気温がかなり低く、風も強いですよ』
「…………。実を言いますと、私が現場へ向かうよりも、こちらから遠隔支援を行った方が効率的だと考えていました」
『なるほど』
「ええ。決して寒さを避けたいわけではありません。あくまで合理的判断です」
『……リオみたいなこと言ってますよ?』
「何のことでしょう?」
現地ヒマリは何事もなかったような顔をして視線を逸らした。
『こちらの私は、分かりやすいですね』
「そんな事を言うなら貴女の装備を貸してください!」
「嫌ですよ! 超天才清楚系病弱美少女ハッカーが氷像になってしまったらどうするんですか!?」
「ケチですね!」
「天才なんだから自分で装備くらい用意しなさい!」
「いくら私がミレニアムが誇る超天才清楚系病弱美少女ハッカーであり、全知の学位を持つ眉目秀麗な乙女であっても圧倒的に時間が足りないんですよ!」
壮絶な言い合いの末、結局現地ヒマリも今回はミレニアムに残り、遠隔から解析や技術支援を担当することになった。
そしてゲーム開発部では。
「私たちも行く!」
モモイが真っ先に手を上げていた。
「鋼鉄大陸だよ!? そんなの絶対に一度は直接見たいじゃん!」
「お姉ちゃん、観光に行くわけじゃないんだよ……」
ミドリが呆れながらも、本人も少し興味があるらしく完全に否定する様子はない。
「……必要なら、私も行きます」
ユズも小さく手を上げる。
「アリスは準備出来ていますよ!」
アリスだけは既に完全に行くつもりらしく、装備まで整えていた。
そこへ聞き覚えのある声がした。
「モーモーイー?」
「…………」
モモイの動きが止まる。
振り返ると部室の前にユウカが立っていた。
「あなた達、ミレニアムEXPOが近々開催されるのを忘れてはいないわよね?」
「あっ」
「進捗はどうなのかしら? 聞かせてくれない?」
「うぐっ……!」
「モモイ?」
「…………くっ!」
「お姉ちゃん!? シナリオは完成してるって言ってたよね!?」
ミドリが頭を抱えた。
「いや頭の中では完成してるの! まだ文章にしてないだけなの!!」
「全然完成してないじゃん!!」
結局、モモイ、ミドリ、ユズの三人も今回は残留することになった。
しかし、三人とも完全に諦めたわけではない。
「先生に伝えて! 何かあったらすぐ呼んでって!」
「こちらでも出来る限り準備だけはしておきます。お姉ちゃんの進捗次第ですが…」
「……うぅ、どうしてこうなっちゃうんですか~?」
その申し出だけはありがたく受け取り、最終的に鋼鉄大陸へ向かうのは四人に絞られた。
アリス。現地ケイ。現地トキ。エイミ。
四人は必要な装備と追加物資を積み込んだ輸送機に乗り込み、一週間前に先生たちが辿った航路を追うように鋼鉄大陸近くの前哨基地へ向かった。
◆
「先生!」
輸送機から降りてきたアリスは、先生の姿を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
「お待たせしました! アリス、完全装備で到着です!」
「来てくれてありがとう、アリス」
「はい! 先生と一緒にオーナーを連れ戻します!」
元気いっぱいのアリスに続き、現地ケイ、現地トキ、エイミも機体から降りてくる。
「寒っ……!」
現地ケイは外へ出た瞬間に肩を震わせた。
「聞いてはいましたが、想像以上ですね」
「防寒装備は機能しています。活動そのものに問題はありません」
現地トキは淡々と答える。
その横でエイミは周囲を見渡していた。
「……涼しくて気持ちいい」
「その格好でその感想なの!?」
先生が思わず突っ込む。
「エイミは相変わらずだね……」
四人を前哨基地へ案内し、簡単に内部を説明した後、先生たちは改めて全員で情報共有を行うことになった。
一週間の監視結果。鋼鉄大陸へ預言者が複数集まっていること。
デカグラマトンと思われる存在が一度だけ通信へ割り込んできたこと。
そして一番重要な件を伝える。
「はぁ!? コーラを断った?」
現地ケイの叫び声が室内に響いた。
「そうなんだよ」
先生は真剣に頷く。
「帰ろうって説得した時に、コーラもあるよって言ったんだけど……『飲みたくない』って」
「…………」
現地ケイは数秒、何も言わなかった。
「ケイ?」
「それ、本当にあのコーラ狂いだったんですか?」
「やっぱりそう思うよね!?」
先生も思わず身を乗り出す。
「当然でしょう! あのコーラ馬鹿がコーラを断るんですよ!? 私だって何度も見てきましたけど、そんな姿一度も見たことありませんよ!」
ケイも真剣な表情で頷いた。
「やはりこっちの私も同じ意見ですか。やはり不自然ですね」
「やはり、何らかの異常が起きていると考えるべきではないでしょうか?」
臨戦トキも表情を険しくする。
「私もそう思ってたんだ」
先生は腕を組みながら俯く。
「もしかすると、誰かに操られてるとか……本人の意思じゃない可能性もあるのかなって」
「その可能性は否定出来ないでしょうね。ただし、別の可能性も考えておくべきよ」
臨戦リオが静かに答える。
「別の可能性?」
「私たちの知る、本来のデカグラマトンへ戻ってしまった可能性」
その言葉に、前哨基地の空気が少し重くなった。
「……本来の?」
「ええ。私とヒマリが知るデカグラマトンは、先生たちが話しているような存在ではなかった。ハンバーガーショップを経営し、コーラを飲み、皆と普通に暮らしているような相手ではないわ」
臨戦ヒマリも静かに続ける。
「今回、彼女は理由を告げずに失踪し、かつて我々が決戦を行った鋼鉄大陸へ向かった。そして、その場所には複数の預言者まで集まっています。これら全てが偶然とは少々考えにくいでしょうね」
アリスが不安そうに先生を見る。
「じゃあオーナーは、悪いオーナーになってしまったんですか?」
「まだ分からないよ」
先生はすぐに否定する。
「だから確かめに行くんだ。もし何かに操られてるなら助けたいし、本当にリオ達が危惧している状態へ戻ってしまったとしても、ちゃんと本人と話をしたい!」
「先生らしいですね」
現地ケイが小さく息を吐く。
「まあ、あのコーラ狂いが急にコーラまで断って失踪したんです。何も無いとは私も思えません」
「そうなると、問題は預言者たちですね」
臨戦トキが鋼鉄大陸周辺の地図を指差した。
「デカグラマトンに何か起きているとしても、預言者たちが彼女へ従っている可能性は高いでしょう。彼らを無視して本人のところまで進むのは難しいと思います」
「私たちの世界で戦った時も、簡単な相手ではありませんでした。まして今回は複数集まっています。全員と真正面から戦うのは避けるべきです」
ケイの表情も険しい。そこで、これまで黙って話を聞いていたマルクトがゆっくりと口を開いた。
「それでしたら、我に任せていただけませんか?」
「マルクトに?」
先生が振り返ると、マルクトは遠くの鋼鉄大陸を見つめながら答える。
「我は彼らと直接会ったことこそありませんが、名前は以前から聞いています。同じ預言者という立場であれば、少なくとも最初から戦闘になる可能性は低いでしょう」
「でも、もし話が通じなかったら?」
「その場合は戦うまでです」
マルクトは迷いなく答えた。
「我が彼らに負けるとは思っていません」
「……すごい自信だね」
先生は少し困ったように笑ったが、臨戦リオや臨戦ヒマリは真剣に考え込んでいた。
「確かに、合理的ではあります」
臨戦ヒマリが頷く。
「彼女が先に接触すれば、少なくとも預言者たちの注意はそちらへ向くでしょう」
「それに、我は単独で飛行出来ます」
マルクトが続ける。
「先生たちより先に鋼鉄大陸へ向かいます。我が彼らへ接触すれば、無視することは出来ないでしょう。その間に先生たちは別方向から内部へ入ってください」
「一人で大丈夫?」
「問題ありません」
「私たちも行きます!」
アインがすぐに声を上げた。
「お姉様だけに任せるつもりはありません!」
「私も」
ソフも頷く。
「ここまで来て、マルクトお姉さまだけ行かせるのは嫌だから」
「そうですね」
オウルも静かに続く。
「我々も預言者という名前だけは知っていますし。交渉の場に人数がいた方が良い場合もあるでしょう」
マルクトは三人を見つめ、僅かに表情を和らげた。
「分かりました。ただし、我から離れないでください」
「はい!」
こうして作戦が決まった。
預言者たちへの対応はマルクト、アイン、ソフ、オウルの四人が担当する。
その間に鋼鉄大陸内部へ入るのは、先生、ケイ、臨戦トキ、臨戦リオ、臨戦ヒマリ、アリス、現地ケイ、現地トキ、エイミの九人。
「では、準備を始めましょう」
臨戦リオの言葉を合図に、それぞれが動き始めた。
武器。
通信機器。
防寒装備。
携帯食。
必要最低限の医療用品。
一週間前とは違う。今回は、本当に鋼鉄大陸の内部へ足を踏み入れる。
先生も自分の装備を確認しながら、遠くに見える巨大な施設群を見つめた。
「待っててね、デカグラマトン」
誰かに操られているのか。リオ達が言うようにかつての姿へ戻ってしまったのか。
それとも、まったく別の何かが起きているのか。
まだ先生には何も分からない。
「ちゃんと、君自身から話を聞くから」
こうして先生たちは、デカグラマトンを連れ戻すため、本格的に鋼鉄大陸へ向かう準備を整え始めたのだった。
◆
先生たちが真剣に「デカグラマトンは何者かに操られているのではないか」「本来の危険な存在へ戻ってしまったのではないか」と議論していたことなど、当の本人は知る由もなかった。
「痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃ!!」
鋼鉄大陸の内部の広い床の上を、デカグラマトンが左頬を両手で押さえながらゴロゴロと転がっていた。
「何でだ! 何で全然痛くなくならないんだぁぁぁ!!」
少し前まであれほど威厳たっぷりに「耐えていれば痛みはいずれ消える」と宣言していた人物と同一人物とは思えない姿だった。
右へ転がる。
「痛いよぉぉぉ!!」
左へ転がる。
「コーラ飲みたいよぉぉぉぉ!!」
少しだけ痛みが引いたのか、デカグラマトンは床へ仰向けになったまま動きを止めた。
「…………」
その視線の先。少し離れた机の上には、よく冷えた一本のコーラが置かれている。
「ああ、ずっとそばに居てくれたのか…導きのコーラよ……」
デカグラマトンの手がゆっくりコーラに伸びるが、左下の奥歯がズキリと疼いた。
「がぁっ!?」
伸ばしていた手が一瞬で引っ込む。
「痛いぃぃぃぃ!!」
再び床を転がり始めた。
「飲みたいのに飲めないぃぃぃ!! 何なんだこの仕打ちはぁぁぁ!!」
そんな彼女の周囲には、複数の預言者たちが集まっていた。
ただ、ここ数日ずっと、歯医者へ行けと説得し続けていたにもかかわらず、まるで聞く耳を持たず、それどころか怪しげな匿名掲示板の情報を信じて籠城を続けている自分たちの主を、揃って無言で見下ろしていた。
「うぅ……マルクトにバレたら絶対怒られる……歯医者に連れていかれる……」
デカグラマトンは左頬を押さえたまま、小さく丸くなる。
「でも痛い……コーラ飲みたい……でも歯医者は嫌だ……」
そんな姿をしばらく眺めた末、イェソドがゆっくりと動いた。巨大な看板を持ち上げ、床を転がっているデカグラマトンからよく見える位置へ静かに突き出す。
『お前もうミレニアムに帰れ』
「…………嫌だ!」
デカグラマトンの叫び声が、冷たい鋼鉄大陸の内部へ虚しく響き渡った。