プレナパテスを巡る騒動から数日が経ち、キヴォトスはようやく以前の日常を取り戻しつつあった。
各自治区に出現していたミメシスはほぼ姿を消し、紅く染まっていた空も今やすっかり元通り。アビドス砂漠へ不時着したアトラ・ハシースの箱舟については残念ながら消えてしまったが、少なくとも今すぐ世界が滅びるような事も無い平和な日々が戻っていた。
そんなある日の夜、珍しく一人きりになったシャーレの執務室で、先生は本日最後の書類へ目を通していた。
「……よし、これで終わりだな」
記入した書類を所定の場所へ置き、椅子の背もたれへ身体を預けながら両腕を大きく伸ばす。
時計を見れば随分と遅い時間になっていたが、今日は途中で大きな事件に巻き込まれることもなく、予定していた仕事をすべて終えることができた。
「平和って素晴らしいな~」
机の端に置いていた飲みかけの缶コーヒーを手に取り、残っていた分をゆっくり飲み干す。
そうして一息ついたところで、先生は数日前に起きた出来事を思い返していた。
プレナパテスとのよく分からない最終決戦を終えた後、彼女と共に連邦生徒会へ直行した。
当然ながらリンには非常に疲れた顔で迎えられた。
「先生。まずは……色々と聞きたいことがあります」
「だろうね…」
「ですが、その前に――」
リンの視線が先生の隣へ移る。
「そちらの方が、プレナパテス本人で間違いありませんね?」
「え~っと……」
それまで威勢よく歩いていたプレナパテスが、リンの目を見た瞬間に先生の背中へ半分隠れた。
「……私です」
結局、そこで今回の騒動について一通り事情を説明したのだが、クロノス報道部によって最終決戦がキヴォトス全域へ生中継されてしまった以上、連邦生徒会だけへの説明では済まなかった。
その日のうちに急遽、記者会見まで開かれることになったのである。
最初のうちはプレナパテスも何とか平静を装っていた。
「虚妄のサンクトゥムを起動した目的は?」
「えっとですねぇ……」
「世界を滅ぼすとは具体的にどのような計画だったのでしょうか?」
「いや、それはノリというか……」
「キヴォトスを滅ぼす意思があったということですか?」
「ち、違います! それについては色々事情がありまして!」
質問はなかなか終わらなかった。
プレナパテスの目に徐々に涙が溜まり始め、先生が隣から「大丈夫?」と声を掛けた頃には既に手遅れだった。
「うぅ……私だって好きで世界を滅ぼすとか言ったわけじゃないもん……」
遂には完全に涙声となり、それでも記者たちから次の質問が飛んでくる。
そして追い詰められたプレナパテスは、両手で机を叩きながら大声で叫んだ。
「……あれもこれも全部ラギアクルスが悪いの!!」
会見場が静まり返った。
今回の事件にラギアクルスは一切関係ない。
その場にいた誰もが分かっていた。
だが目の前では、いい歳をした大人の女性が本気で泣いていた。
連邦生徒会の生徒たちも、クロノスの記者たちも、どう反応すればいいのか分からない。
結果として、プレナパテスは誰にも突っ込まれないまま勢いだけで記者会見を乗り切ってしまった。
会見終了後。
「いやぁ~、危なかったぁ……」
目元を真っ赤にしたプレナパテスは、親指を立てながら得意げに笑っていた。
「女の武器を使っちゃったぜ!」
「…………」
「何その顔」
「いや、何でもないよ」
あれは女の武器というより、追い詰められた子供の癇癪に近かったと思う。
むしろ泣いている大人に気を遣って質問を止めた生徒たちの方がよほど大人だったのではないだろうか。
先生はそこまで考えたものの、口には出さなかった。
どうせ言ったら、また泣くと予感したからだった。
「フフフ……」
思い出しただけで笑いが込み上げてきた先生は、空になった缶コーヒーを指定されたゴミ箱へ捨てた。
それから机の上に置いてあった二つの物を手に取る。
一つは新しく発行されたシャーレの入館証。もう一つは職員用の名札だった。
「さて、と」
先生は執務室を出るとエレベーターへ乗り込み、シャーレに居る生徒たちが普段使っている休憩スペースの階へ向かった。
エレベーターを降りる前から、既に賑やかな声が廊下まで響いていた。
「ハッハー! ドロー4だ! 食らえミカァ!! ウノ!」
「じゃあ追加ドロー4じゃんね! ウノ!」
「お、では私もドロー4で返すとしよう。ウノ」
「それでは私もドロー4でウノです。さて返せますか?」
「…………」
先生は足を止めた。
何が起きているのか、見なくても大体分かった。
「じゅ、16枚ドロー……ターンエンド……」
「はい、勝ちじゃんね☆」
「お先に失礼」
「私もこれで上がりです」
「嘘だ……」
絶望した声。
「嘘嘘嘘! なんでお菓子賭けた瞬間負けるの!? 今までずっと勝ってたのに!」
「貴方はね、騙されたんだよ♪ じゃあ私はたけのこの里貰うね~☆」
「私はブラックサンダーを貰おうかな」
「私はアルフォートでお願いしますね」
「あ……あぁ……私の……夜食が……」
先生は苦笑しながら休憩スペースへ入った。
テーブルではミカ、セイア、ナギサが戦利品のお菓子を楽しそうに分け合っている。
そしてそのすぐ近くでプレナパテスが床に寝転がり、両手両足をばたつかせていた。
「くっそぉぉぉ! あの三人、最初から私を嵌める気だったなぁぁぁ!!」
「オイ、負け犬」
「誰だ!? 今私を負け犬呼ばわりした奴は!?」
勢いよく身体を起こし、声のした方向へ振り返る。
「って先生じゃん。おつかれ~」
「おつかれ」
数日前まで世界の終焉を齎す存在としてキヴォトスへ現れていたとは思えない馴染み方だった。
「先生聞いてよ! この三人酷いんだよ! 最初は普通にUNOしようって言ってたのに、途中から『少し刺激が足りないですね』とか言ってお菓子賭け始めて――」
「それは今は置いといて、ほら」
先生が持っていた入館証と名札を差し出す。
「これで君も正式にシャーレの一員だよ」
「おぉ……!」
プレナパテスは床から立ち上がると、少し嬉しそうに二つを受け取った。
「遂に私にも身分証が……」
しかし名札へ視線を落とした途端、首を傾げる。
「……テス先生?」
「うん」
「あの~……」
「何?」
「本当にテスで登録したの?」
「だってそれでいいって言ったじゃん」
「言ったけど!」
名前が決まったのは、ほんの数日前のことだった。
◆
記者会見や連邦生徒会への事情説明を終えた翌日。
シャーレで今後の生活に必要な様々な書類を書かされていたプレナパテスは、最初の数枚こそ真面目にペンを走らせていた。
「氏名……プレナパテス」
次の書類。
「氏名……プレナパテス」
さらに次。
「プレナパテス……」
また次。
「プレナ……パテス……」
そして。
「…………」
ペンが止まった。
「長い!!」
「うわっ!? 何が!?」
近くで仕事をしていた先生が驚いて顔を上げる。
「名前だよ名前! なんで私、書類一枚書くたびに『プレナパテス』って全部書かないといけないの!?」
「そういう名前だからじゃない?」
「先生なんて『先生』で済むじゃん! ずるい!」
「いや、それに関しては私も本名じゃないんだけど……」
「私も短い名前欲しい!」
「じゃあ適当に決める?」
「適当なの!?」
「う~ん……」
先生はプレナパテスを眺めながら、ほんの数秒だけ考えた。
「プレナパテスだから……テスでいいんじゃない?」
「…………」
「どう?」
「なんか安直じゃない?」
「駄目かな?」
「う~ん…悪くはないけどぉ……なんかなぁ…」
「残りのプレナパでもいいよ?」
「それは絶対いや!」
文句を言いながらも、本人は一度小さな声で呟いてみた。
「……テス」
もう一度。
「テス……かぁ」
「本気で嫌なら別のを考えるけど」
「…………」
少しだけ考えた後、プレナパテスは再び書類へ視線を落とした。
そこにあった氏名欄に今度は。
『テス』
たった二文字を書く。
「……楽」
「でしょ?」
「じゃあこれでいいや」
そうして世界の修正力によってプレナパテスとして生み出された女性は、わずか数十秒の雑な相談の末に『テス』という名前を得たのだった。
◆
「まあ、テスはいいよ」
現在へ戻り、テスは改めて自分の名札を見る。
「私も結構気に入ってるし」
「ならいいじゃん」
「問題はそこじゃない」
名札を先生へ突きつける。
「なんで後ろに『先生』って付いてるの!?」
「ああ、それ?」
「これ!」
「もう逃げられないってこと」
「…え?」
先生がにっこり笑う。
テスの背筋に、何故か嫌な予感が走った。
「明日から君には、きっかり八時間ほど書類と向き合ってもらいます」
「…………」
「元理事もカヤも大喜びしてたよ」
「…………」
「もちろん私もね!」
「なん……だと……!?」
テスの手から名札が滑り落ちそうになる。
「待って待って! 私、シャーレの一員になるって聞いただけで職員になるなんて聞いてないよ!?」
「だって君、大人でしょ?」
「そうだけど!」
「ユメの面倒も見るんでしょ?」
「見るけど!」
「じゃあ生活費も必要だよね?」
「ぐっ……!」
「それに今のシャーレ、人数増えすぎて人手が足りないんだよ」
先生は非常に良い笑顔を浮かべた。
「歓迎するよ、テス先生」
「嵌めたな!?」
「人聞き悪いなぁ。ちゃんとした雇用だよ」
「私、世界を滅ぼすプレナパテスだったんだけど!?」
「今はUNOで夜食全部取られた負け犬でしょ?」
「それは関係ないでしょぉぉぉ!!」
後ろではミカたちが腹を抱えて笑っていた。
「就職出来て良かったじゃん、テス先生☆」
「ふふっ、明日から大変ですね~。テス先生から巻き上げたアルフォートが美味しいですねぇ~♪」
「頑張りたまえ。労働は尊いものだよ。大人として頑張りたまえ」
「お前等! 絶対他人事だから言ってるだろ!」
「勿論じゃんね」
「当たり前では?」
「分かり切ったことをいちいち聞かないでくれないか?」
「悪びれもせずに認めやがった! これだからトリニティ生は!!」
先生もひとしきり笑うと、テスへ軽く手を振りながら休憩スペースの出口へ向かった。
「それじゃ、明日からよろしくね。テス先生~♪」
「ちょっと待って先生!」
「私はもう退勤だから~」
「逃げるなぁ! 卑怯者ぉ!」
「おやすみ~」
先生がそのまま扉の向こうへ消えていく。
「うわーん! 乙女の純情を弄ばれたぁぁぁ!!」
「人聞きの悪いこと大声で叫ぶなぁ!!」
先生の怒声が廊下の向こうから返ってきた。
休憩スペースでは堪えきれなくなったミカたちが一斉に笑い出し、事情を聞きつけた他の生徒たちまで何事かと集まってくる。
テスは名札を握ったまま散々文句を言っていたが、最後にはそこへ刻まれた新しい名前をもう一度眺め、小さく笑っていた。
かつて世界の終焉を齎すために現れ、本来なら生徒たちを先生へ託して消えるはずだったプレナパテス。
しかし今、その名前で彼女を呼ぶ者は少しずつ減り始めていた。
代わりに呼ばれるようになったのは。
テス。
あるいは――テス先生。
誰にも決められていなかった未来が、少しずつ当たり前の日常へ変わっていく。
その夜もシャーレからは、遅くまで笑い声が絶えることはなかった。
◆
シッテムの箱の中では、一人の少女が机の前に座っていた。
「…………」
アロナは難しい顔をしながら、目の前に浮かんでいる半透明の画面を睨みつけていた。
画面上部に表示されているファイル名は。
**【あまねく奇跡の始発点:台本】**
「……おかしい」
アロナが小さく呟きながらページを送る。
「やっぱりおかしい……」
もう一度戻る。
「どうしてこうなったんですか……?」
本来なら。ここで起こるはずだった出来事がある。
プレナパテスの襲来。
アトラ・ハシースの箱舟での決戦。
そして――別れ。
「……でも」
実際に現れたプレナパテスは先生に似た雰囲気を持つ謎の女性だった。
シロコテラーの代わりにいたのは、何故か梔子ユメ。
しかも遭難していて自転車で発電していた。
最後には先生と戦い負けた。
そして本来なら何らかの形で物語から退場するはずだったその人物は。
「……UNOしてましたよね?」
アロナの目が遠くなる。
しかも、それどころか名前まで貰ってこの世界に完全に根を下ろした。
代償はシャーレで八時間労働だがまぁそれはいい。
「世界を滅ぼす存在が……」
アロナは両手で頭を抱えた。
「なんでぇ……?」
さらに問題は先生である。
台本に書かれている「先生」と。
今自分が一緒にいる先生。
同じようでどこか違う。
「そもそも……」
アロナは画面から視線を逸らし、自分自身を見る。
青い髪。
白い制服。
いつも通りの自分。
考える。
「…………」
考える。
「………………」
さらに考える。
「…………………」
答えは出ない。
「募集が原因……?」
違う気もする。
「そもそも先生が最初から何か違ってた……?」
それも分からない。
「私が原因……?」
もっと分からない。
「もしかしてこの世界、最初から何かおかしかった……?」
あり得なくはない。
むしろ、ここまで起きたことを考えれば一番それらしい。
しかし。
「…………」
アロナはもう一度、台本を見る。
本来起きるはずだった悲劇。
失われる可能性があったもの。
傷つくはずだった生徒たち。
その多くがこの世界では。
そうならなかった。
ホシノは仲間と笑っている。
アリスはゲーム開発部で勇者を続けている。
ミカにはナギサもセイアもいる。
RABBIT小隊もFOX小隊もシャーレへ来るようになった。
ユメは戻ってきた。
プラナもいる。
そして本来消えるはずだったのかもしれないプレナパテスまで、明日の書類仕事に怯えながら生きている。
「……う~ん?」
アロナは暫く画面を眺めた後。
そっと台本を閉じた。
「まあ」
考えても分からない。
台本通りでもない。
予定通りでもない。
どうして最初からズレていたのか。
何故先生がこの未来を選んだのか。
何故自分がここにいるのか。
分からないものは分からない。
だったら。
「……なんかよく分かりませんけど」
アロナは椅子から立ち上がると、満面の笑顔で両手を腰へ当てた。
「ハッピーエンドになったからヨシ!」
そう言って、全部棚の上へ放り投げた。
台本から大きく外れ。
本来なら存在しなかった出会いを繰り返し。
予定された悲劇も、予定された奇跡さえも通り越して。
先生と生徒たちは、誰にも書かれていなかった未来へ進んでいく。
その先に何が待っているのかは、もうアロナにも分からない。
ただ一つ確かなのは明日もきっと、先生の周りは騒がしいということだけだった。
ここまで『新人先生、ネタバレ生徒しか引けない』を読んでいただき、本当にありがとうございます!
ここまで書き続けてこられたのは、読んでくださった皆様はもちろん、感想を送ってくださった方、高評価や応援をしてくださった方々のおかげです。
特に、展開に対する反応、キャラクターへの感想など、本当にたくさんの感想を書いてくださって本当にモチベを維持させていただき感謝しています。
「この展開はどうだろう?」
「このキャラはこう動いた方が面白いかな?」
と悩みながら書いている中で、皆様からの反応を見るのが毎回とても楽しみでした。
最初は「先生が募集を引いたら未来の生徒ばかり出てきてネタバレされる」という軽いノリで始めた作品でしたが、気が付けば、あまねく奇跡の始発点まで来てしまいました。
もちろん、これでこの作品そのものが終わるというわけではありません。
ただ、一つ大きな区切りまで来られたということで、改めてここまで読んでくださった皆様へお礼を言わせてください。
本当にありがとうございました!
感想、高評価、応援してくださった皆様にも心から感謝しています。
これからも「新人先生」らしく、シリアスになりそうでならなかったり、原作通り進みそうで盛大に脱線したりしながら、楽しく書いていければと思っています。
今後とも『新人先生、ネタバレ生徒しか引けない』をよろしくお願いいたします!