夜空に打ち上がった花火が、大輪の光となって百鬼夜行を照らしていた。
「おぉ……!」
「綺麗ですわね!」
舞を終えて戻ってきたユカリが嬉しそうに空を見上げ、周囲にいた生徒たちからも歓声が上がる。
少し前まで百花繚乱のことで険悪な空気になっていたのが嘘のように、今だけはレンゲもキキョウもナグサも同じ夜空を眺めていた。
先生も最初は一緒になって花火を楽しんでいた。
しかし。
「…………」
脳裏に、陰陽部へ届いていた手紙の一節が蘇る。
――お楽しみが始まり、空に咲いた大輪の花を見上げたその時に。
「……みんな」
先生の声色が変わったことで、キキョウが最初に気づいた。
「何?」
「ちょっと警戒した方がいいかも」
「……あの手紙?」
「うん」
ナグサもすぐに周囲へ視線を巡らせる。
現地キキョウたちも事情を聞いているため、先ほどまでの祭り気分から一転して表情を引き締めた。
「ユカリ、先生の近くに」
「分かりましたわ!」
その直後だった。祭り会場の端。
提灯の明かりが届かない路地の奥で、影が不自然に揺れた。
「……?」
近くを歩いていた人が足を止める。
影は地面を這うように広がり、その中から異形の何かがゆっくりと姿を現した。
「え……?」
それだけではない。
屋台の裏。建物と建物の隙間。
川面。提灯の影。
百鬼夜行の至るところで黒い何かが蠢き始める。
「きゃあああああっ!?」
最初の悲鳴を皮切りに、祭りの空気は一瞬で変わった。
「な、何ですのあれ!?」
ユカリが目を見開く。
妖怪の様な見た目の存在が、次々と祭り会場へ姿を現していた。
「……仁王始まった?」
先生は思わず呟いた。
「何て?」
「いや、こっちの話」
先生は迫ってくる怪異を見ながら顔を引きつらせる。
「現実で本物の百鬼夜行始めちゃダメでしょ!!」
「先生、突っ込んでる場合じゃないでしょ!」
キキョウの声で、先生もすぐに切り替えた。
「分かってる! まず一般の子たちを避難させよう! 怪異の相手はその後!」
「了解!」
現地キキョウがすぐに周囲を確認する。
「レンゲ! 右側の通りをお願い!」
「分かった!」
「ユカリは舞台の周り! まだ人が多い!」
「はいですの!」
現地ナグサも静かに銃を構えた。
「……私が時間稼ぎをする」
その動きを見たナグサの目が僅かに細くなる。
「私も行く」
「……必要ないよ」
「その腕じゃ無理。援護してあげる」
現地ナグサは一瞬だけ未来の自分を見る。
「…………好きにして」
それ以上は何も言わなかった。
二人のナグサが並んで前へ出る。
襲い掛かってきた怪異へ現地ナグサが銃口を向けるが、その瞬間だけ動きが僅かに鈍った。
ナグサは何も言わず、すぐに援護射撃をする。
「…………」
「次、来るよ」
「……分かってる」
現地ナグサもすぐに態勢を立て直す。
少し離れた場所ではキキョウがその様子を確認しながら、別方向から迫っていた怪異を撃ち抜いた。
先生は三人の動きを見て、現地ナグサへ一度だけ声を掛ける。
「ナグサ、無理してない?」
「……大丈夫」
「分かった。でも無理はしないでね」
「うん」
それだけで十分だった。
◆
舞台周辺。
「皆様! こちらですわ!」
ユカリが大声を張り上げ、混乱している生徒たちを安全な方向へ誘導していた。
先ほどまで舞台に立っていたため、まだ舞の衣装のままだ。
「ユカリ!」
レンゲが怪異を蹴散らしながら近づいてくる。
「お前、その格好で戦うつもりか?」
「着替えている暇などありませんわ!」
「いや、それはそうだけどよ!」
ユカリは武器を構える。
「身共も百花繚乱の一員ですの!」
「…………」
レンゲが少し驚いたようにユカリを見る。
別方向から現地キキョウもその言葉を聞いていた。
「家がどうとか、いつまでいるとか……今はそんなこと関係ありませんの!」
ユカリは迫ってきた怪異を撃ち返す。
「今ここで困っている方がいるなら、身共は動きますわ!」
「……へぇ」
レンゲの口元が僅かに上がった。
「言うようになったじゃん」
「何ですの、その言い方!」
「褒めてんだよ!」
現地キキョウも小さく息を吐く。
「……本当に」
「キキョウ先輩?」
「何でもない」
だが、その表情は少しだけ柔らかかった。
「本当にあなたは昔から変わらないわね。まっすぐ馬鹿なんだから」
「聞こえておりますわよ!?」
「なら早く避難誘導!」
「はいですの!」
この間まで互いにまともに話せなかったとは思えないほど、身体は自然に動いていた。
先生は少し離れたところからその様子を見て、小さく笑う。
だがすぐに気を引き締め、避難してくる生徒たちを誘導していると先生の端末に通信が掛かってきた。
『先生~!』
端末からニヤの声が飛び込んできた。
「ニヤ!」
『そちらも怪異だらけですよね!?』
「見れば分かるくらい大変だよ!」
『こちらも同じです~! 現在、陰陽部から各地へ人員を回しております!』
「発生場所は分かる?」
『いくつか集中している地点があります! 今送りますね!』
端末へ地図が表示される。
「ありがとう!」
先生はすぐに地図を確認すると、周囲へ声を飛ばした。
「キキョウ! 北側に多いみたい!」
「分かった!」
「レンゲはそのまま右側! ユカリは避難誘導を続けて!」
「了解!」
「はいですの!」
現地ナグサたちにも位置を伝える。
そこへキキョウが地図を覗き込んだ。
「先生、この辺りの怪異は正面から全部相手にしなくていい」
「分かるの?」
「うん。ある程度押し返せばいい。発生源を止めない限り増えるから」
「了解。じゃあ無理に倒しきらない!」
先生が即座に指示を変える。ナグサも別方向を指差した。
「そっちの大きいのは後回しでいい。動きが遅いから、避難を優先した方がいいよ」
「分かった!」
現地キキョウが未来の自分を一瞬見る。
「……便利ね」
「経験してるからね」
「開き直ったわね」
「使えるものは使った方がいいでしょ」
「それはそうだけど」
そんな中。
ズドンッ!!
少し離れた通りで、大きな爆発が起きた。
「何が起きた!?」
レンゲが咄嗟に振り向くと怪異が何体もまとめて吹き飛ばされていく、そして煙の向こうから一人の少女が姿を現した。
「…………」
現地キキョウの顔色が変わる。
「嘘でしょ……?」
ユカリも少女の姿を確認し。
「災厄の狐!?」
その声で、周囲の空気が一気に張り詰めた。
狐坂ワカモ。
百鬼夜行へ侵入したと陰陽部から報告があった七囚人の一人。
現地ナグサ、現地キキョウ、レンゲ、ユカリ、さらには周囲にいた百鬼夜行の生徒たちまで、一斉に武器を向ける。
ところがワカモは誰一人として見ていなかった。
「あなた様ぁぁぁ♡」
全員を完全に無視して、先生のところまで一直線に駆け寄ってくる。
「ワ、ワカモ!?」
「大丈夫ですかあなた様!?」
ワカモは先生の両腕を掴み、怪我がないか確認し始めた。
「このような危険な場所にいらっしゃるなんて……! お怪我は!? 痛いところはございませんか!?」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
「本当ですか!? お顔に傷などありませんか!?」
「ないって!」
「お身体は!?」
「元気だよ!」
「はぁぁぁぁぁ……良かったですぅ♡」
「…………」
周りに居た全員が銃口を向けたまま目の前の現実を受け止めきれなくて固まっていた。
ワカモはそこでようやく周囲から武器を向けられていることに気づいた。
「……?」
首を傾げる。
「あら? 皆様、そんな顔をしてどうかなさいました?」
「いや、元凶のお前が言うのかよ!」
レンゲが思わず突っ込んだ。
「ワカモ」
「はい、あなた様♡」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「何なりと♡」
「この事態を収拾するのを手伝ってくれないかな?」
「もちろんでございます。あなた様に仇なす不届き者など、私が全て消し炭にして差し上げます♡」
「そこまでしなくていいからね!」
だが戦力としては文句なしだった。
ワカモが加わったことで、怪異の勢いはさらに押し返されていく。
ナグサとキキョウは、その様子を見ながら顔を見合わせた。
「……やっぱり違うね」
「うん」
自分たちが経験した時には。
こんなところに災厄の狐はいなかった。
◆
全体を見渡せる高所からシュロは祭り会場を見下ろしていた。
その手には、大事そうに稲生物怪録が握られていた。
「…………」
次々と自分が出した怪異が押し返されていく。
だがシュロに驚きはなかった。
落ち着いて状況を俯瞰する。
百花繚乱の足並みが揃っている。陰陽部との連携も早い先生が連れて来た二人までいる。
「……災厄の狐まで」
それでも最も大きな要因は分かっていた。
先生
先生がいるから、全てが繋がっている。
バラバラだった生徒たちが一つの方向へ動き、陰陽部と百花繚乱が情報を共有し、混乱するはずだった生徒たちもすぐに避難していく。
「やっぱり……手前様が要なんですね」
シュロは小さく呟いた。
なら先生を排除すればいい、それだけの話なのに。
「…………」
しかしシュロの指が止まった。
剣へ龍が巻き付いたキーホルダーを見ながら楽しそうに話していた先生。
自分を花鳥風月部の一員だと知っても。
『その生徒の中には君たちだって入ってるんだよ』
そう言った大人。
「…………」
傷つけたくない。
「でも……」
コクリコの顔が浮かぶ、自分を認めてもらいたい人。
「コクリコ様のためには……」
百物語を完成させなければならない。
でも先生をどうにかしなければ完成しない。
だが先生を傷つけたくない。
矛盾する二つの感情の間で、シュロは暫く動けなかった。
「……手前様の馬鹿」
小さく呟く。
「だから帰ってって言ったのに……」
その時だった。
「――シュロ!」
「…………っ!」
突然下から自分の名を呼ぶ声が届く。
シュロが驚きでそちらに視線を向けると、先生がこちらを見ていた。
周囲には百花繚乱の面々に先生が連れて来た二人、さらにワカモまでいる。
「見つけたよ!」
シュロは少しだけ顔を歪めた。
「とうとう見つかっちゃいましたか」
先生が声を張る。
「シュロ! もうこんな事やめよう!」
「……嫌ですねぇ!!」
「否定が早いなぁ!?」
「手前様が帰らなかったのが悪いんですよ!」
「私のせいなの!?」
「そうです! 全部手前様のせいです!!」
シュロは完全に開き直った。
「だからってこんなに怪異出していい理由にはならないでしょ!」
「知りません!」
「逆ギレ!?」
レンゲがシュロを睨む。
「どうするよ、先生?」
「止めるよ」
現地キキョウも武器を構えた。
「話が通じないなら、まずあの本をどうにかした方がいいかも」
「そうだね」
ユカリも前へ出る。
「身共も参りますわ!」
「ユカリ」
「止めても無駄ですわよ!」
「止めるつもりないよ」
「……え?」
「百花繚乱なんでしょ?」
先生が笑う。
「なら一緒に行こう」
「……はいですの!」
ユカリが力強く頷いた。
現地ナグサも静かに前へ出るとそのすぐ隣へナグサが並んだ。
キキョウも二人の後ろへ位置を取った。
「行くよ、先生」
「うん!」
先生たちがシュロのいる場所へ進もうとしたその時。
シュロが静かに稲生物怪録を開いた。
「本当に――」
先ほどまでの拗ねた表情が消える。
「手前様は余計なことばかりしてくれますね」
ページが風もないのに激しくめくれていく。
「シュロ?」
「でもここまで来たら、もう仕方ありません」
シュロは少し寂しそうに笑った。
地面が揺れた。
「……何?」
現地キキョウが周囲を見る。
祭り会場を覆っていた影が、一か所へ集まり始める。
黒い影が幾重にも重なり巨大な何かの輪郭を作っていく。
「……来るよ!」
キキョウの表情が変わった。
「みんな下がって!」
先生が声を上げる。
その声に反応するように影の中で無数の眼が開いた。
「…………なんだよ、アレ!?」
レンゲが息を呑む。
「何ですの……!?」
巨大な猫を思わせる身体だが肉体ではなく、幾重にも重なった黒い影によって形作られている。
身体中に浮かぶ複数の眼、その存在が姿を現しただけで、周囲の空気が一変した。
花鳥風月部に伝わる稲生物怪録から顕現する怪異。
幻魎百物語。
――猫鬼クロカゲ。
「…………」
現地ナグサも初めて見る存在を警戒し、銃を構える。
現地キキョウもレンゲもユカリも言葉を失っていた。
ワカモですら、興味深そうに目を細める。
そんな中、先生の目だけがキラキラと輝いていた。
「何それ!」
先生が一歩前へ出る。
「かっこいい!!」
「先生!?」
ユカリが驚く。
「猫!? 影!? しかも目いっぱいあるじゃん!」
「先生、下がって!!」
現地キキョウが叫ぶ。
だが先生は止まらない。
「十種影法術みたい!」
「先生、それ作品違うから」
ナグサが真顔で言う。
「しかも普通に怒られるからやめて」
キキョウも続く。
「なんでその二人は冷静なんですの!?」
シュロも高所から呆れたように先生を見る。
「手前様、もう少し恐れてくださいよ!」
「いや怖いよ!? 怖いけど見た目めっちゃ格好いいし!」
「褒めても何も出ませんからね!?」
シュロが若干素に戻った。
しかしレンゲの声で空気が変わる。
「来るぞ!」
クロカゲが動いた。
ユカリたちが一斉に銃撃する。
銃声が響き、何発もの弾丸が巨大な影へ突き刺さるが。
「……嘘」
現地キキョウの顔が強張った。
撃ち込まれた弾丸は黒い影へ飲み込まれ効いていない、その巨体には何の変化もなかった。
「何で……?」
ユカリも銃口を向けたまま固まる。
レンゲが顔をしかめた。
「普通の怪異じゃないってことかよ……!」
みんなが驚いている中ナグサとキキョウだけは、驚いていなかった。
「クロカゲは普通に撃っても倒せない」
先生がもう一度クロカゲを見上げる。
無数の眼がこちらを見ていた。
「…………」
少しだけ考えてから。
「これ、ちょっと本気でヤバいやつ?」
「今気づいたの?」
キキョウの冷静なツッコミと同時に、クロカゲの巨大な影が先生たちへ向かって動き出した。