レクイエム・フレーム   作:momomotototo

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プロローグ 灰色の死神

 

 赤い空だった。

 

 夜のはずなのに、空は異様なほど明るい。

 

 遠方で燃え続ける炎が、崩壊した都市を赤黒く染め上げていた。

 

 断続的に響く砲撃。

 

 黒煙。

 

 崩落していく高層建築。

 

 瓦礫の雨。

 

 その戦場を、一機のFRAMEが高速で駆け抜けていた。

 

 灰白色の装甲。

 

 細身で鋭角的なシルエット。

 

 背部スラスターから蒼白い粒子光を噴き出し、瓦礫群を飛び越えていく姿は、まるで赤い空を裂く灰色の流星だった。

 

 背中の装甲へ刻まれた白文字。

 

 《STRIKER》。

 

『Reaper-1、応答しろ』

 

 ノイズ混じりの男の声。

 

『聞こえてんだろ、灰狼』

 

 灰色のFRAMEは応えない。

 

 崩落した高架道路を蹴り砕き、そのまま大きく跳躍する。

 

 蒼白い残光が、赤い空へ尾を引いた。

 

『おい、単独突出はやめろ』

 

『司令部がキレてる』

 

 短い沈黙。

 

 そして。

 

「うるせェな」

 

 装甲の奥で、女が低く吐き捨てた。

 

「生存者がいるんだろ」

 

 ヘルメット内部の視界HUDへ、赤いマーカーが灯る。

 

『B-17区画に生存者反応を確認』

 

『反応数、一』

 

『第十三戦術学園内部です』

 

 炎に包まれた学園区画。

 

 崩れた校舎。

 

 煙。

 

 赤黒い瓦礫。

 

 その中心部に、小さな生体反応が一つだけ灯っていた。

 

『周辺CHORUS濃度、上昇中』

 

『ケルブ級反応、多数接近』

 

『到達予測、二十秒』

 

 灰狼は小さく舌打ちした。

 

「……こんな状況で生き残りかよ」

 

『灰狼』

 

 男の声が、少し低くなる。

 

『間に合わねェなら撤退しろ』

 

 女は鼻で笑った。

 

「ガキ見捨てて帰ったら、《Grim Reaper》の名折れだろ」

 

 返答を待たず、背部スラスターが展開する。

 

 首元の神経コネクタと接続された機械脊椎に沿って、蒼白い光が走った。

 

『コーラスリアクター出力上昇』

 

『機動補助同期開始』

 

 轟音。

 

 灰色のFRAMEが加速する。

 

 赤い空を、蒼白い残光が一直線に貫いた。

 

 

ーーー

 

 

 暗かった。

 

 何も見えない。

 

 耳鳴りだけが、ずっと鳴っている。

 

 キィィィィィ――――。

 

 天音海斗は、薄く目を開けた。

 

 視界が赤い。

 

 額から流れ落ちた血が、片目を塞いでいた。

 

「ぁ……」

 

 息を吸った瞬間、肺の奥が焼けるように痛んだ。

 

「……っ、げほ……!」

 

 反射的に咳き込むと、喉の奥から血の味が込み上げる。

 

 口元から零れた赤が、顎を伝って瓦礫の上へ落ちた。

 

 視界に映るのは、崩落した天井と、折れ曲がった鉄骨。砕けたコンクリート片が幾重にも重なり、海斗の身体を押し潰すように覆っている。

 

 埋まっている。

 

 そう理解した途端、呼吸が浅くなった。

 

 左腕が動かない。

 

 いや、動かないだけじゃない。

 

 見なくても分かる。

 

 瓦礫の下で、潰れている。

 

 感覚がない。

 

 ――いや。

 

 違う。

 

 感覚が“ありすぎた”。

 

 骨の奥を、ドリルで掻き回されているような激痛。

 

「あ……ぁ……っ!!」

 

 叫ぼうとして、また咳き込む。

 

 熱い。

 

 息ができない。

 

 耳鳴りが止まらない。

 

 キィィィィィ――――――。

 

 瓦礫の隙間から、赤い空が見えていた。

 

 煙。

 

 火花。

 

 焼けた鉄の臭い。

 

 そして、血の臭い。

 

 海斗は浅く息を吐く。

 

 何が起きた。

 

 ここはどこだ。

 

 頭が上手く回らない。

 

 だが。

 

 痛みだけは、はっきりしていた。

 

 脈打つような激痛が、心臓の鼓動に合わせて脳を揺らしている。

 

 その視界の先で。

 

 第十三戦術学園が、燃えていた。

 

 第十三戦術学園。

 

 FRAME兵養成校。

 

 

 ーー数時間前まで。

 

 そのグラウンドでは、訓練用STRIKERが低速機動を繰り返していた。

 

 灰白色の細身装甲。

 

 背部スラスターが短く噴き、人工地形を飛び越える。

 

 遅れて、教室の窓ガラスが微かに震えた。

 

「おー、やっぱ速ぇ」

 

 誰かが窓際で声を上げる。

 

「でもあれ、訓練出力だろ?」

 

「実戦用はあんなもんじゃねェって」

 

 教室の中に、軽い笑い声が広がる。

 

 海斗も窓の外を見ていた。

 

 教本の中の兵器ではない。

 

 人間の身体へ接続され、神経で駆動する強化外骨格。

 

 それがFRAMEだった。

 

『席につけ』

 

 教官の声が響く。

 

 ざわついていた教室が、少しずつ静かになっていく。

 

 教官が教卓の端末へ指を滑らせると、前方の空間に半透明のホログラムが浮かび上がった。

 

 表示されたのは、灰白色の細身装甲。

 

 STRIKERの構造図だった。

 

『STRIKERは汎用高機動型FRAMEだ』

 

 首元の神経コネクタ。

 

 背中へ接続される機械脊椎ユニット。

 

 そこから粒子状の装甲が、人体を覆うように展開されていく。

 

『FRAMEは搭乗兵器じゃない』

 

『兵士の神経と接続し、身体能力を引き上げる装備型強化外骨格だ』

 

 教官は淡々と続ける。

 

『接続が深いほど強くなる』

 

『だが、深く繋がるほど、人間の側が削られる』

 

 その言葉に、教室の空気が少しだけ静かになった。

 

 だが、それも一瞬だった。

 

「またそれかよ」

 

「実習の前に脅すのやめてほしいわ」

 

 すぐに誰かが笑い、教室の空気が元へ戻る。

 

 退屈な座学。

 

 窓の外の訓練機。

 

 半透明のホログラム。

 

 眠そうに頬杖をつく生徒たち。

 

 海斗にとっても、それはただの授業だった。

 

 その時だった。

 

 警報が鳴った。

 

 耳を裂くようなサイレン。

 

 赤色警報。

 

『外壁突破』

 

『CHORUS反応接近』

 

『全生徒、地下シェルターへ避難――』

 

 

 

 そこから先は、曖昧だった。

 

 爆音。

 

 悲鳴。

 

 衝撃。

 

 校舎を揺らした凄まじい振動。

 

 そして。

 

 空から落ちてきた、“何か”。

 

 気付けば海斗は、瓦礫の下にいた。

 

 キィィィィィ――――。

 

 耳鳴りが強くなる。

 

 遠くで、何かが動いていた。

 

 ギチ。

 

 ギチ、ギチ。

 

 骨を擦るような音。

 

 海斗の呼吸が止まる。

 

 赤煙の向こう。

 

 “それ”はいた。

 

 四足。

 

 異様に長い前脚。

 

 裂けた口。

 

 白濁した複眼。

 

 黒く脈動する筋肉が剥き出しになった、獣のような異形。

 

 海斗には、それが何なのか分からなかった。

 

 だが、本能だけは理解していた。

 

 アレは、人間を殺す。

 

 粘ついた唾液が、瓦礫の上へ落ちる。

 

 ぬちゃり、と湿った音がした。

 

 海斗の喉が引きつった。

 

「……ぅ……」

 

 声が出ない。

 

 逃げられない。

 

 喉の奥で、息だけが震えている。

 

 逃げなければ。

 

 分かっている。

 

 だが、身体は瓦礫に押し潰されたまま、上体を起こすことすらできなかった。

 

 異形が止まる。

 

 白濁した複眼が、ゆっくりと海斗を捉えた。

 

 見つかった。

 

 そう理解した直後。

 

 異形の四肢が、低く沈む。

 

 跳ぶ。

 

 瓦礫が砕ける。

 

 黒い肉体が、一直線に迫ってくる。

 

 海斗は反射的に右腕で顔を庇った。

 

 死ぬ。

 

 その思考が脳裏を掠めた刹那。

 

 白い閃光が走った。

 

 ズバンッ――!!

 

 海斗の目前で、異形の上半身が空中で真っ二つになった。

 

 黒い血が降り注ぐ。

 

 肉片。

 

 内臓。

 

 赤黒い液体。

 

 海斗の頬へ、生暖かい何かが叩きつけられた。

 

 遅れて。

 

 重い音。

 

 そして。

 

 そこに、“灰色”が立っていた。

 

 細身。

 

 鋭角的な灰白色装甲。

 

 背部ユニットから噴き出す、蒼白い粒子光。

 

 右腕には、血に濡れた長刀型ブレード。

 

 背中の装甲へ、白文字が刻まれている。

 

 《STRIKER》。

 

 海斗は息を呑んだ。

 

 本物のFRAME。

 

 教本や映像とは、まるで違う。

 

 圧迫感。

 

 存在感。

 

 そこに立っているだけで、空気そのものが変わっていた。

 

『ケルブ級反応、沈黙を確認』

 

 無機質なAI音声。

 

 女が小さく舌打ちする。

 

「チッ……まだいたのか」

 

 低い女の声だった。

 

 装甲越しでも分かる。

 

 歴戦。

 

 本物の兵士。

 

 本物の戦場を生き残ってきた声。

 

 女は海斗へ視線を向けた。

 

「生きてるか」

 

「……っ」

 

「待ってろ。今出してやる」

 

 その瞬間だった。

 

『高濃度CHORUS反応接近』

 

『複数確認』

 

 空気が変わる。

 

 赤煙の奥。

 

 ギチ。

 

 ギチギチギチ――。

 

 大量の“音”。

 

 海斗の顔から血の気が引く。

 

 来る。

 

 大量に。

 

 女がゆっくり立ち上がる。

 

『ケルブ級反応、十二』

 

『スローン級反応、二』

 

『敵性反応多数』

 

『危険度上昇』

 

 女はブレードを握り直した。

 

「……面倒だな」

 

 その声が落ちるのと同時に、背部スラスターが展開した。

 

 灰色の装甲背面で機械翼のような推進器が開き、首元の神経コネクタへ接続された機械脊椎に沿って、蒼白い光が走っていく。

 

 まるで、背骨そのものが発光しているようだった。

 

『コーラスリアクター出力上昇』

 

『フルバーストモード移行』

 

 轟音。

 

 蒼白い粒子光が爆発的に噴き出し、灰色のFRAMEが瓦礫を蹴った。

 

 消えた。

 

 そう見えた直後、赤煙の中で無数の閃光が炸裂する。

 

 斬撃。

 

 爆音。

 

 黒い血。

 

 異形が次々と切断され、吹き飛んでいく。

 

 速すぎる。

 

 海斗の目では追えない。

 

 ただ。

 

 蒼白い残光だけが、嵐のように戦場を駆け抜けていた。

 

 数秒後。

 

 赤煙の中で、最後の異形が崩れ落ちた。

 

 切断面から黒い血を噴き上げ、痙攣しながら瓦礫の上を滑っていく。

 

 静寂。

 

 いや、違う。

 

 静かすぎた。

 

 さっきまで耳を埋め尽くしていた咆哮も、骨を擦るような不快音も、今は消えている。

 

 残っているのは、焼けた金属の臭いと、濃すぎる血の臭いだけだった。

 

 瓦礫の下で、海斗は浅く息を吐いた。

 

 女は動かない。

 

 ブレードを下ろしたまま、じっと前方を見ていた。

 

 海斗には分かった。

 

 まだ、終わっていない。

 

『周辺CHORUS濃度、急上昇』

 

 無機質なAI音声が響く。

 

『高位反応、接近』

 

 その瞬間。

 

 空気が軋んだ。

 

 ミシ、と。

 

 建物そのものではない。

 

 空間そのものが、無理やり捻じ曲げられているような、不快な軋みだった。

 

 同時に。

 

 キィィィィィィィ――――――!!

 

 耳鳴りが爆発する。

 

 海斗は思わず歯を食いしばった。

 

「あ……ぁっ……!」

 

 頭の奥へ、熱した針を何本も差し込まれたような激痛。

 

 吐き気。

 

 眩暈。

 

 視界が赤と黒に揺れる。

 

 赤煙の向こう。

 

 そこに、“白”がいた。

 

 白い。

 

 あまりにも白い。

 

 輪郭がぼやけて見えるのは、煙のせいじゃなかった。

 

 周囲の景色そのものが歪んでいた。

 

 壁の輪郭が波打ち、瓦礫の角度が揺らぎ、空気だけが別の流れで動いている。

 

 人型。

 

 だが、人間じゃない。

 

 白磁のように滑らかな四肢。

 

 血管の代わりに薄い光が流れ、顔のあるべき場所は、整いすぎた無機質さで塗り潰されていた。

 

 美しいのに、見ているだけで本能が拒絶する。

 

 海斗の全身が総毛立った。

 

『識別コード更新』

 

 AI音声が、わずかにノイズを混ぜる。

 

『SERAPH class』

 

 女が小さく舌打ちした。

 

「……最悪だな」

 

 低い声だった。

 

 疲労も、苛立ちも、全部押し殺した声。

 

 それでも、その一言だけで、今目の前にいるものがどれだけ危険か分かってしまう。

 

 白い異形は、何も言わない。

 

 ただ静かに立っていた。

 

 それだけで、耳鳴りがさらに強くなる。

 

 海斗は息を呑んだ。

 

 女がブレードを持ち直す。

 

 半身。

 

 腰を落とす。

 

 背部スラスターが小さく開いた。

 

『コーラスリアクター出力上昇』

 

『フルバーストモード、移行準備』

 

 蒼白い光が、首元から背中へ繋がる機械脊椎に沿って走った。

 

 次の瞬間。

 

 白い異形が、“消えた”。

 

 轟音。

 

 海斗の視界から、白が消える。

 

 反射で、女が横へ跳んだ。

 

 蒼白い残光が弧を描く。

 

 その刹那。

 

 何もない空間が裂けた。

 

 ドゴンッ――!!

 

 遅れて衝撃が炸裂する。

 

 避けたはずの女の機体が、横合いから叩きつけられたように吹き飛んだ。

 

 灰色のFRAMEが崩れた壁へ激突し、コンクリートを砕きながら瓦礫の中へ突っ込む。

 

 海斗の目が見開かれる。

 

 今のは。

 

 避けたはずだった。

 

 確かに躱していた。

 

 なのに、その後から衝撃だけが追いついてきた。

 

『衝撃異常』

 

『空間歪曲反応、確認』

 

「……チッ」

 

 瓦礫を蹴り砕き、女が強引に姿勢を立て直す。

 

 左肩装甲が砕けていた。

 

 それでもブレードは落としていない。

 

 白い異形は、変わらず立っている。

 

 何歩か、ゆっくりと前へ出る。

 

 その動きは滑らかだった。

 

 だが、足音が遅れて聞こえた。

 

 カツ。

 

 カツ。

 

 半拍遅れて、空間の奥から響いてくる。

 

 おかしい。

 

 全部がおかしい。

 

 海斗の喉がひくついた。

 

 女が吐き捨てる。

 

「ズレてんのか……空間ごと」

 

 踏み込んだ足元で、瓦礫が爆ぜた。

 

 背部スラスターが開き、蒼白い粒子光が赤煙を裂く。

 

『フルバーストモード』

 

 灰色のFRAMEが、白い異形の懐へ向けて加速した。

 

 消えた。

 

 少なくとも、海斗の目にはそう見えた。

 

 一瞬で距離を潰す。

 

 ブレードが閃いた。

 

 居合。

 

 細く、鋭い、一筋の蒼白が、白い異形の懐を抜ける。

 

 遅れて、その胴体が斜めに裂けた。

 鮮血が弾ける。

 

 白い肉片が宙を舞う。

 

 断面から光る組織が覗いた。

 

 女は着地と同時に左腕を跳ね上げる。

 

 手首装甲がスライドし、内蔵火器が露出した。

 

『腕部火器、展開』

 

 乾いた重音。

 

 ドンッ――!!

 

 至近距離から叩き込まれた一撃が、切断された白い肉塊の一部を吹き飛ばす。

 

 肉片。

 

 血飛沫。

 

 骨片。

 

 いくつもの白い破片が、雨みたいに周囲へ散らばった。

 

 そのひとつが、海斗のすぐ近くへ落ちる。

 

 ぐちゃり、と。

 

 まだ温かい、拳大の肉片だった。

 

 海斗は息を詰める。

 

 その直後。

 

 切断された白い異形の身体が、蠢いた。

 

 ぬめるように。

 

 断面から、白い糸みたいな組織が無数に伸びる。

 

 血。

 

 肉。

 

 骨。

 

 さっき吹き飛ばされたはずの破片が、磁石に引かれるみたいに跳ね上がっていく。

 

 周囲へ飛び散った血液すら、空中で逆流し、白い身体へ戻っていく。

 

『自己修復反応、確認』

 

『再生速度、異常値』

 

 女の声が低く沈んだ。

 

「……再生持ちかよ」

 

 白い肉体がみるみる塞がっていく。

 

 切断面が閉じる。

 

 裂けたはずの胴が、何もなかったように繋がる。

 

 数秒も掛からなかった。

 

 完全再生。

 

 海斗の全身が粟立つ。

 

 その時だった。

 

 海斗のすぐ傍に落ちた肉片が、ぴくりと跳ねた。

 

 もう一度。

 

 ぴく、ぴく、と痙攣する。

 

 嫌な予感がした。

 

 理由は分からない。

 

 分からないのに、触れなきゃいけない気がした。

 

 海斗は震える右手を伸ばす。

 

 指先が、血塗れの肉片を掴んだ。

 

 ぬるい。

 

 気持ち悪い。

 

 だが離せない。

 

 その瞬間、遠くで再構築を続けていた白い異形の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。

 

 だが、それだけだった。

 

 すぐに白い肉体は再生を終え、何事もなかったように首を傾ける。

 

 ーーいや。

 

 さっきより、ほんの少しだけ、機嫌を損ねたみたいに。

 

 空気がさらに重くなる。

 

 キィィィィィィィ――――!!

 

 耳鳴りが跳ね上がった。

 

 海斗の視界が滲む。

 

 白い異形が、また一歩、歩く。

 

 カツ。

 

 遅れて。

 

 カツン。

 

 音が後からついてくる。

 

 女がブレードを構え直した。

 

「再生」

 

 一歩。

 

「空間偏向」

 

 二歩。

 

「……ふざけた合わせ技だな」

 

 再び、蒼白い光が爆ぜた。

 

 灰色のFRAMEが、白い異形へ突っ込む。

 

 左。

 

 右。

 

 上。

 

 連撃。

 

 斬撃が空間を裂き、周囲の壁へ巨大な裂傷が刻まれていく。

 

 だが。

 

 当たらない。

 

 全部、空を切る。

 

 白い異形の輪郭だけが、微かに揺らいでいる。

 

 斬ったはずの軌道が、途中でズレる。

 

 刺したはずの切っ先が、寸前で横へ流される。

 

 距離感そのものが狂っていた。

 

 女が低く唸る。

 

「……届けよッ!」

 

 居合。

 

 薙ぎ払い。

 

 刺突。

 

 怒涛の連撃。

 

 蒼白い残光が、閉鎖空間を網みたいに走る。

 

 そのどれもが、白い異形の周囲をかすめるだけだった。

 

 白い異形は、ゆらり、と女の周りを歩く。

 

 ゆっくり。

 

 滑るように。

 

 そのくせ、足音だけが後から響く。

 

 カツ。

 

 カツ。

 

 そのズレが、恐ろしく気持ち悪い。

 

 海斗は息をすることすら忘れていた。

 

 次の瞬間。

 

 女のブレードが、ついに白い異形の肩口を浅く裂いた。

 

 鮮血が散る。

 

 だが。

 

 その一閃とほぼ同時だった。

 

 白い異形が、“海斗の方”を見た。

 

 ぞっとするほど滑らかに、顔が向く。

 

 海斗の背筋が凍った。

 

「っ――!」

 

 女が反応する。

 

 そのまま強引に間へ割り込もうと踏み出す。

 

 だが、遅い。

 

 白い異形の周囲で、景色が大きく歪んだ。

 

 空気が捻じれる。

 

 音が消える。

 

 一瞬。

 

 世界から、全部の手応えが消えた。

 

 そして直後。

 

 空間が、鈍く鳴った。

 

 女の機体が吹き飛んだ。

 

 今度は避けたとか、躱したとか、そういう次元じゃなかった。

 

 見えない何かに空間ごと殴りつけられたみたいに、灰色のFRAMEが一直線に叩き飛ばされる。

 

 瓦礫を貫通。

 

 鉄骨をへし折る。

 

 床を抉りながら、海斗のすぐ傍へ激突した。

 

 ドガァンッ――!!

 

 衝撃で地面が跳ねる。

 

 海斗の頬へ、熱い液体が降りかかった。

 

 赤だった。

 

『致命的損傷』

 

『胸部装甲大破』

 

『内部出血警告』

 

『コーラスリアクター出力、低下』

 

 海斗の呼吸が止まる。

 

 灰色のFRAMEの胸部が、大きく抉れていた。

 

 白煙。

 

 火花。

 

 蒼白いスパーク。

 

 装甲の隙間から、赤黒い液体がとめどなく流れ落ちている。

 

 女はまだ動こうとした。

 

 片膝をつく。

 

 ブレードを支えにして、無理やり立とうとする。

 

 だが、膝が震える。

 

 装甲内で何かが壊れる鈍い音。

 

 白い異形が、ゆっくりと近づいてくる。

 

 勝者の歩みだった。

 

 静かで。

 

 美しくて。

 

 残酷な歩み。

 

 キィィィィィィィ――――――!!

 

 海斗の耳鳴りが限界まで跳ね上がる。

 

 視界が歪む。

 

 頭の中へ、何かが流れ込んでくる。

 

 安心。

 

 静寂。

 

 繋がる。

 

 溶ける。

 

 独りじゃない。

 

 もう、戦わなくていい。

 

 そして――接続。

 

「あ……ぁぁぁぁっ……!!」

 

 海斗は絶叫した。

 

 白い異形は、ただ見下ろしている。

 

 女は膝をついたまま、なおも海斗の前へ出ようとする。

 

 ブレードを持つ右腕が、わずかに上がる。

 

 震えている。

 

 それでも、まだ折れていなかった。

 

「……ガキに……手ェ出してんじゃねェよ……」

 

 掠れた声。

 

 それが、海斗に届いた最後の声だった。

 

 視界が黒く沈む。

 

 

 

 暗かった。

 

 どれくらい気を失っていたのか、分からない。

 

 耳鳴りだけが、まだ続いている。

 

 キィィィィィ――――。

 

 海斗は、ゆっくりと目を開けた。

 

 視界がぼやけている。

 

 赤。

 

 黒。

 

 火花。

 

 崩れた瓦礫。

 

 そして、すぐ目の前。

 

 灰色のFRAMEが、崩れ落ちていた。

 

『……出力……低下』

 

 掠れたAI音声。

 

 装甲が割れている。

 

 胸部が大きく抉れていた。

 

 蒼白い火花が、断続的に漏れている。

 

 さっきまで、あれほど速かった灰色の機体が。

 

 今は、瓦礫の中で動けずにいた。

 

「……ぅ……」

 

 声が出ない。

 

 喉が焼けるように痛かった。

 

 灰色のFRAMEが、僅かに揺れる。

 

 頭部装甲が、粒子のように崩れた。

 

 割れたヘルメットの奥から、白い息が漏れる。

 

 続いて、首元へ接続された機械脊椎が淡く発光した。

 

 蒼白い光が、背骨のような装甲の節を一つずつ走っていく。

 

 胸部装甲が、連動するように分解されていった。

 

 剥がれるのではない。

 

 開くのでもない。

 

 装甲そのものが、光の粒子になって崩れ、背中の機械脊椎へ吸い込まれていく。

 

 その中から。

 

 女が、崩れるように姿を現した。

 

 長い銀灰色の髪。

 

 血に濡れた黒いインナースーツ。

 

 腹部を押さえた手の隙間から、赤が滴っていた。

 

 血は止まらない。

 

 瓦礫の上へ落ちるたび、黒く濡れた床が少しずつ広がっていく。

 

 それでも女は、海斗を見た。

 

 赤い瞳だった。

 

「……生きてるか」

 

 掠れた声。

 

 海斗は返事ができなかった。

 

 耳鳴りが酷い。

 

 頭が回らない。

 

 女は小さく息を吐いた。

 

「……運がいい」

 

 そう言って、崩れた壁へ身体を預ける。

 

 装甲の残骸が、彼女の背中で鈍く鳴った。

 

 遠くで爆発音が響く。

 

 天井から細かな瓦礫が降る。

 

 戦闘は、まだ終わっていない。

 

 でも。

 

 この場所だけが、妙に静かだった。

 

 海斗は理解した。

 

 この人は、もう助からない。

 

「……な……んで……」

 

 やっと声が出た。

 

 女は薄く笑った。

 

「ガキを助ける理由なんざ……いちいち考えねェよ」

 

 乱暴な言い方だった。

 

 だが不思議と、安心する声だった。

 

 海斗の視界が滲む。

 

 血のせいなのか。

 

 涙なのか。

 

 自分でも分からなかった。

 

 女はゆっくり目を閉じかけ――そして、再び開く。

 

「……聞け」

 

 低い声だった。

 

「お前は、生き残れ」

 

 海斗が息を呑む。

 

「何してでも生きろ」

 

 女の赤い瞳が、真っ直ぐ海斗を見ていた。

 

「化け物になってでもだ」

 

 その言葉に。

 

 何故か、海斗の背筋が震えた。

 

 次の瞬間。

 

 女の身体から、力が抜ける。

 

 沈黙。

 

 AI音声も、止まっていた。

 

 海斗は動かなかった。

 

 動けなかった。

 

 耳鳴りだけが、ずっと続いている。

 

 キィィィィィ――――。

 

 

ーーー

 

 

 どれくらい時間が経ったのか分からない。

 

 熱かった。

 

 喉が渇く。

 

 腹が、痛いほど空いていた。

 

「……ぁ……」

 

 海斗の視界が揺れる。

 

 頭がぼやける。

 

 何も考えられない。

 

 ただ、腹が減っていた。

 

 瓦礫の隙間から、赤い空が見える。

 

 煙。

 

 火花。

 

 焦げた鉄の臭い。

 

 血の臭い。

 

 そして。

 

 すぐ近くに、まだ残っていた。

 

 白い肉片。

 

 あの異形から飛び散った、拳ほどの肉。

 

 海斗が、咄嗟に握り締めていたもの。

 

 手の中で、まだ微かに脈打っている。

 

 どくん。

 

 どくん。

 

 生きている。

 

 そんなはずがない。

 

 切り離された肉片だ。

 

 ただの肉だ。

 

 なのに、温かい。

 

 まるで心臓みたいに、手の中で震えている。

 

「……ハァ……」

 

 海斗の呼吸が荒くなる。

 

 気持ち悪い。

 

 吐きそうだった。

 

 なのに。

 

 目を離せない。

 

 女の言葉が、頭の奥で何度も反響する。

 

 ――お前は、生き残れ。

 

 ――何してでも生きろ。

 

 ――化け物になってでもだ。

 

 海斗の喉が鳴った。

 

 ゴクリ。

 

 自分でも意味が分からなかった。

 

 食べ物じゃない。

 

 こんなものを食べていいはずがない。

 

 分かっている。

 

 分かっているのに。

 

 身体が言うことを聞かなかった。

 

 腹が減っていた。

 

 喉が渇いていた。

 

 死にたくなかった。

 

 震える右手が、ゆっくりと動く。

 

 白い肉片を、口元へ近づける。

 

 生臭い。

 

 鉄の臭い。

 

 血の臭い。

 

 そして、どこか甘いような、吐き気のする匂い。

 

「……っ」

 

 海斗は目を閉じた。

 

 喉が拒む。

 

 唇が震える。

 

 それでも、震える手は止まらなかった。

 

 白い肉片を、口へ押し込む。

 

 ぐちゃり。

 

 嫌な音がした。

 

 歯が、柔らかい肉へ沈む。

 

 ぬるい血が舌に広がる。

 

 鉄の味。

 

 生臭さ。

 

 胃が逆流しそうになる。

 

 それでも。

 

 止まらなかった。

 

 噛む。

 

 飲み込む。

 

 血を啜る。

 

 肉を噛み千切る。

 

 喉が動く。

 

 腹の奥へ、熱いものが落ちていく。

 

 その瞬間。

 

 耳鳴りが、止まった。

 

 世界が静かになる。

 

 爆発音も。

 

 火花の音も。

 

 瓦礫の軋みも。

 

 全部、遠くへ消えた。

 

 静寂。

 

 暗闇。

 

 その奥で。

 

 どくん、と。

 

 海斗の中の何かが、脈打った。

 

 白い光。

 

 黒い影。

 

 混ざり合わない二つの色が、意識の底でゆっくりと広がっていく。

 

 そして。

 

 どこか遠くで。

 

 誰かが、海斗を見た気がした。

 

 ――接続、失敗。

 

 ――拒絶、確認。

 

 声ではない。

 

 言葉でもない。

 

 それでも、意味だけが脳へ沈み込む。

 

 海斗は、最後に浅く息を吐いた。

 

 そして再び、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





《CHORUS(コーラス)》は、この世界における“正体不明の群体共鳴存在”。
人類や生物の「意識・神経・情報」を媒介にして増殖・同期する、実体と非実体の境界が曖昧な侵食現象(または生命群)
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