一度さ、こうやって昔の話をしたかったんだよ。アリーナ。

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また、明日

 

━━そう、これは昔の話だ。話せるなら、と何度思ったことだろう。

 

(さむい)

 

ゴウゴウと、雪が横殴りに吹き付けていた。

 

白、白、白。目に映っている全てが真っ白で、耳は雪風が吹き荒れている音しか聞き取れなかった。

 

そんな中、美しい純白な雪に反して見窄らしく黒ずんだ、どこかの穴から這い出てきたような少年がゆっくりと歩みを進めていた。

 

それが、俺だった。

 

(あれ?でも、これがさむいっていうんだっけ?わかんねぇや)

 

いつものような肌に走るような鋭い痛みじゃなかった。それなのに、どうしようもなくしんどい。

 

ただただ嫌な感覚とでしか説明できなくて、なぜか体が勝手に震え始めて、今すぐこの空間から逃げ出したくなるような。

 

その感覚が『寒い』というものであると分からなかった。

 

どさっ

 

とうとう身体に限界が来て力無く雪の中に突っ伏した。雪からまたその嫌な感覚がさらに伝わってくるが、もうそれから逃れる気力も残っていなかった。

 

「つかれた。」

 

その単語だけはよく知っていた。周りにいた大人は譫言のようにそれを毎日呟いていたから。

 

体がどうしても動かなくって、ずっと横で眠っていたくなるような、そんな感覚。

 

(おれ、しぬのかな)

 

瞳に浮かんだのは、捨てられたように横たわっている亡骸。体から赤いもの垂らして、小さな虫が音を立てて集っているあの光景。

 

周りの人はそれを極度に恐れていて、確かに怖かったけど。

 

でも、少し羨ましかった。ずっと寝れるなら、それもいいなって。

 

「あーうー」

 

恨み言なんて出てこなかった。だって、それを語れるほどの言葉を知らなかったから。

 

嫌な感覚が消えていって、どこか体がスッと軽くなっていくのが分かる。

 

「こんなところに、人?」

 

どんどんと、視界が白から黒へ塗り変わっていって

 

「駄目!しっかり意識を保って!」

 

(ようやく、ねむれる)

 

そう思った瞬間、確かに感じたんだ。

 

俺に触れた、あの手の温かさを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・んぁ?」

 

「ん?ああ!意識が醒めたのかい!おい、アリーナ!この子が目ぇ覚ましたよ!」

 

なんか、ふかふかしたものに包まれてる気がした。

 

顔を上げて、辺りを見渡す。

 

暖かい光を放つ照明、美しい風景を映している絵画、寒さを凌いでくれる壁。

 

そのどれもが未知そのもので、でも俺には少し体が軽いってことしか分からなかった。

 

ドタドタと、どこからか足音が聞こえてきた。

 

「本当に!?・・・良かった、目が覚めたのね。体に違和感はない?」

 

「ぇっ、ぁ」

 

ただ圧倒されるしかなかった。

 

正面から目を合わせて他人と会話することなんて初めてだったし、そもそも彼女が喋っている『いわかん』が何なのか分からなかった。

 

「えっと、その、き、れい?キレイ、キレイだ!」

 

「え?」

 

だから、自分の思うままに喋ることしか出来なかった。

 

目の前にいた少女の顔は、黒ずんでなくて、肌が荒れてなくて、痕もなくて。いつも見ている痩せ細った人々や、黒いマスクをしている人と比べて、あまりにも可憐だった。

 

「綺麗って。あぁ、もしかしてこの絵のことを言ってるのかしら。これは私のお気に入りなの。巷ではそこそこ有名な人が描いたものなのよ?こういうものが好きなの?」

 

「??スキ?スキって、え、あ。」

 

「・・・もしかして。」

 

「ほら、ホットティーを入れてきたよ。これでも飲んで温まりな。」

 

コトン、とそのコップはそばに置かれた。でもそれは今まで見たこともないような形で、白い何かを発しているそれを前にして、どうすればいいか分からなかった。

 

「どうしたの?飲まないのかい?」

 

「・・・ちょっと待って、おばあさま。ごめんなさい、今まで貴方が何処にいたか教えてもらっていいかしら?」

 

「んっと、暗くて、デカい穴?」

 

「そこで、何をしていたの?」

 

「なんか、つ、ツ、ツルハシ?だっけ?棒の先に、別のかたい棒が付いていて、それを石にガンガンって当てて。」

 

「アリーナ、この子は」

 

「うん、そうね。おそらく、ずっと炭鉱で・・・」

 

彼女は一瞬痛ましそうに目を瞑った後、再び少年を見据えた。きっとあの一瞬は、覚悟するためのものだったのだろう。

 

「飲み方は分かるかしら?この取っての部分に、指をこうやって引っ掛けて」

 

「こ、こう?」

 

「ええ、それを口まで運んでいって、ゆっくりと傾けて?熱いと思うから、火傷しないように。」

 

「・・・んっ。」

 

彼女の言う通りに、ゆっくりとその容器を傾け、その液体を口に含み、喉を動かした。

 

初めての体験だった。なんと説明すればいいのだろうか。喉を鳴らした瞬間、鋭利な痛みとは違う、ただそれに匹敵するほどの衝撃が体の芯を伝っていったのだ。

 

「えっ、あっ、なんかっ、身体が」

 

「それを温かいっていうのよ。」

 

「あたた、かい?」

 

幼子を宥めるような、優しい口調だった。

 

「貴方、名前は?」

 

「・・・分かんない。」

 

名前。

 

その言葉自体は知っていた。周りの大人達はそれを使ってお互いを呼び合っていた。

 

でも、俺には関係ないと思っていた。俺は、誰かに呼んでもらったことなんてなかったから。

 

「だったら、そうね・・・アナトリー、なんて名前はどう?その名前にはね、日の出って意味があるの。」

 

「あなとりー・・・」

 

「大丈夫。これからの人生、貴方は今までとは違う新しい明日を迎えられるわ。」

 

名もなき少年にとって、その少女の仕草も声も表情も、どれもが何よりも温かくて、キレイだった。

 

「私の名前はアリーナ。よろしくね?」

 

「よ、よろしく。」

 

「そんな怯えなくていいわ。年齢もさほど変わりないだろうし、ね?」

 

俺はその少女に、そっと手を包み込まれた。

 

━━ここから先は、俺の話だ。

 

アナトリー、いや、俺はその日、アリーナという幼馴染であり、自身の先生となる女性と出会った。

 

 

 

 

━━━

 

 

 

おれは今、アリーナといっしょにえほんを読んでいる。

 

「ほら、音読して。」

「む、むかしむかし。あるところにおじーさんが住んでいました。」

「おじいさんは庭に、大きなかぶの種を蒔きました。続けて。」

「おじーさんはにわに、大きなかぶの種をまきました・・・むぅ。」

「あら?どうかしたの?」

 

ほんを読むってのは、むずかしい

 

おれがしゃべっている言葉には、文字があって。変なかたちをしている線がそれで、そこから何を言うのか分かるらしい。

 

「なぁ、こんなとこして、意味あんのか?」

「意味?」

「だってこれ、ふつーの人からしたらとーぜんなんだろ?いくら声出したって、アリーナみたいに難しいこと知れるわけじゃないし」

 

「アナトリー。」

 

おれが顔を上げると、アリーナの青い目がよく見えた。

 

「誰だって皆、全てを知っているわけじゃないの。だからこうやって絵や言葉を通して色んな物事を知っていくことで、その人が学んでいく上での土台、経験ができていくの。何もない状態から、考えの種が芽吹くことはない。」

 

「で、でもよぉ。わざわざ声出すことあるのか?あ、アリーナだってこんなバカみてーなことして、退屈じゃねーの?」

 

「・・・()()鹿()()()()()()()()()()()()()?」

 

あっ、まずい。そう思ったけど、遅かった。

 

「言葉を習得するにあたって最も重要なことは発音することよ。頭の中で留めておくだけじゃダメ。話す、聞く、基本的なコミュニケーションは発話を通して行われるし、読む時にも言葉に出すことでその文の意味と音を結びつけることができるの。」

 

「んぅ・・・でもぉ、アリーナはほんをよんでる時に声出してねぇじゃん。」

 

「それは母国語だからよ。私だって異国の言語を学ぶ時は声に出してるのよ?」

 

「・・・ぐぬぬ。」

 

このままアリーナの言うことを聞くのは悔しくて、言い返そうとしたけど、何も思いつかなかった。

 

どーせアリーナに勝てるわけでもないのだ。だからおれは何かを言おうとしている口を閉じて、大人しくほんをまた読もうとする。

 

「それに、私にとってこれは退屈なことじゃない。」

 

「ん?だって、アリーナは全部これわかってんだろ?」

 

「でも、誰かに教えるという経験は全然ない。だから、私にとってもこれは学ぶことがあるの。」

 

ふーん、と感心したように息を漏らした。そういえば彼女は以前せんせーになりたいとか言っていたような気がする。

 

「そうね。この絵本を読み終わったら、一緒に市場でかぶを買いに行きましょうか。実際に見て、触って、食べて。そういうことも貴方の糧となるはずよ。」

 

「でも、外に出るのは危険だってじっちゃんとばっちゃんが」

 

「別に今から行くところは治安がいいところだから大丈夫よ、子供が狙われるところではない。多分監視隊も来てないだろうし、何も心配することはないわ。」

 

「ふーん。それじゃ一緒に行くか、アリーナせんせー。」

 

そう言った瞬間、ぴくっと、アリーナの肩が震えて。それが面白くて、思わず吹き出してしまった。

 

「ぷっ。へぇ〜、アリーナはせんせーって言われると嬉しいんだな。」

「・・・今日の宿題の量は2倍にしたほうがいいかしら。」

「ウェ!?じょ、じょーだんじゃんかよ〜」

 

えへへ、と笑ってなんとかごまかそうとする。

 

「もう・・・あっ、思い出したわ。アナトリー、貴方に渡したいものがあるの。」

「??」

「確かここら辺に・・・よいしょ。重いから気をつけてね?」

「しろい、ほん?」

 

アリーナから受け取ったソレは、どっしりとしていて、分厚くて。これを本気で振り回したら家が壊れちゃうんじゃないかと思うほどだった。

 

一回パラパラとページをめくって内容を確認したが、さっきのほんじゃ考えられないほど知らない文字とか絵が一枚にびっしりとあって、おれは固まってしまった。

 

「???んっ、んー???」

 

「・・・そうね。今は難しすぎて読めないだろうけど、そこにはたくさんのことが書いてあるの。国の場所とか、そこにある料理、服装とか、本当に色々よ。」

 

「それ、おれが知って意味あるのか?」

 

「えぇ、もちろん。今私たちがいるウルサスは広大で、ある意味殺風景なところだけど。世の中には綺麗な海とか、想像できないほど複雑な技術がある国とか、様々な所があるのよ?それにほら、この本は昔のお話も知ることができるの。」

 

「へぇー」

 

「例えば、ほら、ここを見て。これはガリア時代に使われていた昔の文字媒体なの。この文を訳すと、『熊は東の方へ行きました。』って意味になるわ。」

 

「ふーん。『くまは、ひがしの方へ行きました』」

 

しょーじき、おれはアリーナの言ってることは全然わからなかった。でも、アリーナが俺の為に色々してくれていることはわかった。

 

「おれさ、よく分かんないけど、アリーナなら、良いせんせーになれると思う。おれ、大切にする。ありがとう。」

 

「━━えぇ、どういたしまして。」

 

アリーナはそう言ったけど、なぜかおれと目が合ってなかったような気がした。

 

なんかいつもと違う気がして、それについて聞こうと思ったけど、何が違うのか分からなかったから、何も言えなかった。

 

「ん〜、えへへ。」

 

気を取り直して、おれはそれをもう一回見つめた。

 

白い見た目はキラキラと輝いていて、それを見ているだけでわくわくしてくる。

 

おれは白いほんをぎゅっと抱き締める。

 

やっぱりどっさりとしていて、ほんの角が体に当たっているのがちょっと痛かったけど、それでも安心できた。

 

 

 

 

 

 

 

「おや、灯りがついていると思ったら。まだ起きていたのかい、アナトリー。」

 

「ウぇっ、ばっちゃん・・・えっと、あの、俺、今本読んでたんだ。えらいだろ?」

 

「だからと言ってこんな夜遅くまで起きる事はないだろう?全く、アリーナには後で注意したほうがいいね。」

 

「!?ち、ちげ〜って、俺が勝手に読んでただけだから、アリーナは何も関係ないんだって。だから、アリーナは悪くないって。」

 

「・・・そうかい。それじゃ、あんたが悪い子って事だね。」

 

周りの家の明かりも消えていて、辺りが真っ暗になっていた頃。

 

夜更かししていることがばっちゃんにバレて怒られると思ったけど、表情はいつものように柔らかかった。

 

ばっちゃんはゆっくりと俺が居る机の方まで寄ってきて、俺が読んでいる本を覗き込んだ。

 

「これさっ、アリーナがくれた本なんだ。おれっ、簡単なところなら読めるようになったんだぜ。」

 

「そうかい、それはすごいね。・・・あんたは、勉強が苦痛じゃないかい?アリーナは迷惑をかけていないかい?」

 

「??何で迷惑って話になんだよ。アリーナはなんも悪いことしてないぞ?わかんないことがあったら、すぐ教えてくれるし。」

 

「ならよかった。最近のアリーナは張り切りすぎているからね。出来れば今後も、あの子に寄り添ってやってくれ。」

 

「??」

 

よりそう?俺が、アリーナに?

 

アリーナはなんでも知っているし、色んなことだって一人で出来る。

 

だったら、俺が何しても変わらないじゃないか。

 

「私達はあの子の親にはなれない。だから、アンタが必要なんだよ。」

 

「でも、ばっちゃんとじっちゃんだってアリーナの家族じゃん。」

 

「あの子と私達じゃ、歳が違いすぎる。物事の捉え方も、新しい事に挑戦することも、老いぼれにはできないのさ。」

 

ばっちゃんはそっと俺の頭を撫でた。

 

「こんな広いだけの土地じゃ、人と巡り合うのも難しくて、その癖皆が怯えて小さくまとまって。空腹感で満足に寝ることさえさせてくれない。」

 

「・・・」

 

「アナトリー。あんたとアリーナだけはあたしらが守るから。だから、アリーナとずっと一緒に━━」

 

ふと、言葉が止まった。

 

不思議に思ってばっちゃんの方を見ようとしたら、顔を向ける前に抱きしめられた。

 

「こんなことは、言うべきじゃなかったね。忘れておくれ。」

 

「別に、俺はアリーナと一緒に居るぞ?」

 

「違うんだよ、アナトリー。あんたが知っている世界はあまりにも狭すぎる。だから、まだ早すぎるんだよ。」

 

ばっちゃんの言っていることはいまいち分からなかったけど、真剣だってことは分かった。

 

今だって俺はアリーナに色んなことを教えて貰ってるし、それでも一緒に居たいって気持ちは全然変わらない。なのに、ばっちゃんは何を心配してるんだろうか。

 

「・・・もう夜もこんなに遅いんだ。早く寝るんだよ、無理して体を壊してたら世話ないからね。」

 

ばっちゃんはそう言い残して部屋に戻っていった。俺に残ったのはアリーナの本と、ろうそくの火だった。

 

「もう少しだけ、読むか。」

 

俺は椅子を机に近づけて背筋をピンと張る。それと同時に、俺の声も聞こえ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

我ながら、ここでの生活もだいぶ板に付いてきたと思う。

 

アリーナに色んなこと教えてもらって、ばっちゃんと一緒に農業の手伝いをしたり、たまにじっちゃんと狩りに行ったり、たくさんのことに触れてきた。

 

それでも、ただ一つ慣れないことがある。

 

「なんで!毎回毎回、じっちゃんとばっちゃんが育てたものをあいつらなんかが奪うんだ!」

 

「落ち着いてくれ、アナトリー。あんまり騒ぐと監視隊に目をつけられてしまう。」

 

自分の呼吸が荒くなって、唇が震えているのを感じる。

 

じっちゃんが心配するように覗き込んでくるけど、それでも口は止まらない。

 

「オレっ・・・俺がっ!あいつら殺してくる。もう二度と来れないようにすれば、じっちゃんとばっちゃんも苦しまなくなるんだろ!?」

 

「馬鹿なことを言うな!これであいつらを殺したとて、また別の奴らがやってくるだけだ!何より、お前の命が危険に曝される。」

 

「っっ・・・だってぇ、だってよぉ。」

 

俺はまだバカのまんまだ。きっとじっちゃんから見たら俺が言っていることはバカそのものなんだろう。

 

ただどうしても考えてしまう。なんでじっちゃんたちまで俺みたいな思いをしなきゃいけないんだろうって。

 

「じっちゃんたちは、頑張ってるじゃん。朝早く起きて、寒い中畑耕して、仕事行って。それなのになんで、なんでじっちゃん達もあの黒いマスクに怯えて生活してるんだよ。」

 

「アナトリー、すまん、不甲斐なくて、すまんなぁ。」

 

まただ、またこのやりとりになってしまう。俺は謝らせたいわけじゃないのに。じっちゃんは何も悪くないのに。

 

「━━どうかしたの?」

 

「アリーナ。」

 

声がした方向に目を向けると、そこには顔を暗くしたアリーナがいた。アリーナは怯えるようにぎゅっと強く手を握りしめていて、その事実に胸が更に苦しくなる。

 

「あまり目立つ行動はしないで、アナトリー。貴方はこの村に来てから日がまだ浅いから、目をつけられることもあるわ。さっ、早く隠れましょう。」

 

「・・・なぁ、アリーナぁ。」

 

これ、どうにかできねぇの?

 

喉まで突っかかった言葉を、すんでのところで飲み込んだ。

 

分かってる。彼女にそんなことが出来るなら、とっくにやれてるってことくらい。俺が思いついたことなんて全部、彼女の頭で考えられたことなんだろう。

 

だけど求めてしまう。頭良くって、頼りになって、色んなことを教えてくれるアリーナなら、どうにかしてくれんじゃないかって。

 

すると、いきなり彼女に力強く手を握られた。

 

ギリギリと手を締め付けられて、その強さに驚いて、自然とアリーナの方へ目を動かしていた。

 

「どうか、わかって頂戴。結局、貴方も私達も大して変わりはない。この大地では、皆何かしらに怯えて生きているの。」

 

「っで、でも。じゃあ、アリーナはなんで学んでんだよ。アリーナみたいに頭良くなれば、なんでも出来るようになるんじゃないのか?」

 

「そんなことない。確かに知恵は私たちの生活の恩恵になり得るけど、それだけよ。」

 

分からない。それじゃ、なんで俺は、アリーナは勉強してるんだよ。

 

最初は、きっとアリーナみたいにいろんなことを知ればこの現状を変えられると思っていた。でも、実際はアリーナも俺と同じように黒いやつらを恐れている。

 

本当に、どうしようもないことなのか。

 

「そ、そもそも、なんであいつらは、ここに来るんだよ。」

 

「名目は、感染者の取り締まりってところでしょうね。」

 

「それって、確か、オリパシー?ってやつか。」

 

鉱石病(オリパシー)。アリーナから教えてもらったことがある。その病気は身体から石が生えて不思議な力が使えるようになるけど、悪化すると命に関わる危険なものだと。

 

だからあいつらはそれが他の人にうつるまえに、感染者を見つけて殺すらしい。

 

「病気って、全員がなるもんなんだろ?なら、仕方ないじゃん。」

 

「・・・えぇ、そうなの。貴方の言っている事は正しいの。でも」

 

「大体!俺だって石が生えてるけど、じっちゃんとばっちゃんに」

 

「アナトリー!」

 

じっちゃんに口をぎゅっと手で掴まれた。

 

「二度と、それを口にするのはやめなさい。」

 

「んっ・・・こめん、なさい。でも、でも俺、嫌だよ。」

 

「・・・」

 

「また、野菜とかパンとか取られんだろ?嫌だよ。俺、じっちゃん達にそれ食って欲しいよ。なぁ、アリーナぁ。」

 

「ワシらには、その想いだけで十分じゃよ。・・・今ので監視隊に気づかれてしもうたわ。ほら、早く隠れなさい、アナトリー。」

 

「・・・ごめんなさい、行きましょう?」

 

アリーナは申し訳なさそうにこちらを覗き込んでくる。それがどうしようもなく痛々しくて、そんな顔をさせていることが悔しくって。

 

だけど俺は力を抜いて、アリーナに手を引っ張られるまま移動するしか無かった。

 

何をすれば、これが変わるんだろう。そんな答えが、俺の頭に思い浮かぶことなんてなかった。

 

 

 

━━━

 

 

 

うちにもう一人住人が増えた。

 

「はぁ、うちには育ち盛りの子が三人に増えて、おかげでうちの食卓は毎日賑やかだよ。そう思わないかい?タルラ。」

「まぁまぁ、そんな固いこと言わないでくれよ婆さん。というか、たくさん食べているのはアナトリーだろう?それに私も、狩猟や畑作業で食卓に貢献してるじゃないか。」

「大体動物を狩ってきたり畑作業を手伝ってくれているのもアナトリーだけどね!あんたはたまにいなくなって、何処をほっつき歩いているんだか。」

 

名前はタルラ。俺と同じく雪原で倒れていて、それを見つけたばっちゃんとアリーナが保護してきたらしい。

 

その整った顔立ちも、頭にあるカッコ良い角も気になるけど、一番目を引かれるのはその服だ。

 

彼女が時折着ている軍服。まだ文化とか階級について詳しく知らないけど、そんな俺でも上質なものであると分かる。

 

「な、なぁ。やっぱタルラって、すげー偉い人なのか?」

「ん?・・・ふふっ、そうだとも。それが分かっているのなら、これからは私に率先して肉を恵んでくれるといい。もちろん塩もたっぷりとな。」

「ほ、ほへー、わ、分かった。」

「ま〜たこの子はいい加減なことばっか言って、アナトリーもなんで毎回騙されてるんだい!」

 

正直、タルラは結構謎が深い人だとは思っている。

 

服について聞いてもはぐらかされるし、生い立ちだって全然分からない。

 

「ほら、そんな怠け者のあんたにおつかいだよ。その服を今すぐ脱いで、これ持って塩を買ってきなさい。」

「げっ、それは酷くないか婆さん。私だって日頃真面目に働いてるんだぞ?」

「働いてないから言ってるんだよ!あんたが塩を頻繁に使ってるから無くなるんじゃないか!どこで舌を肥やしたんだか・・・ほら、早く行ってきな。」

 

タルラは不満そうな表情を浮かべて渋々自室に戻り、次に現れたときには普通の衣装に戻っていた。

 

そのまま彼女はドアノブに手をかけたが、その瞬間何やらイタズラっぽく口元が歪み、面白そうな表情でこちらに振り返った。

 

「あっ、アナトリーも一緒についてこないか?近頃、アリーナの好きな絵画が入荷されたらしくてな。きっと買って帰ったら喜ぶぞ?」

「そっ、そうなのか?なら、一緒に行く。」

「ちょ、待ちなアナトリー!・・・全く、またタルラの口車に乗せられて。」

 

後ろでばっちゃんがぶつくさ言ってた気がするが、それを聞き取る前にタルラに無理矢理引っ張られて外に出された。

 

色々分かんないことはあるけど、タルラはアリーナやじっちゃんとばっちゃんには優しいし、悪意なんかなくて、素で接してくれていることがわかる。それだけで十分だ。

 

「いやー良かった。こんな寒い中一人で出歩くのも退屈だし、第一私はまだ市場の場所を完全に覚えていないからな。お前がいてくれると助かるよ。」

「ん?俺も市場の場所は覚えてねぇよ。」

「・・・ん?お前はいつもアリーナと一緒に出かけてるじゃないか。」

「いや、でもぉ。いつもアリーナが案内してくれるからぁ、その、えへへ」

「・・・これは、険しい道のりになりそうだ。」

 

タルラは深いため息をついた後、ぐるっと辺りを見渡した。

 

「まぁ、幸い帰れないことはなさそうだ。」

 

「?なんで分かるんだよ。」

 

「太陽の位置で考えれば、ある程度の方角は分かる。それにほら、あそこに大きな山があるだろう?それを目印にして、頭の中の地図を重ねれば、今いる場所を突き止めることだって出来るさ。」

 

「へ、ヘェ〜。タルラって物知りなんだな。タルラも誰かから教えてもらっていたのか?」

 

それを言った瞬間、タルラの顔がはっきりと歪んだ。

 

「あぁ、確かに教えて貰ったさ。このような知識から、聞くに値しない世迷言までな。」

 

「・・・その、世迷言って、なんだ?」

 

「色々だ。だがいずれにしても、あんな教えは私には無意味だった。世の中にはお前やアリーナ、爺さんや婆さん、優しい人々がいる。それだけで十分だ。」

 

無意味、無意味か。アリーナはどんなことでも、たとえそれが必要のないことであっても、学ぶ価値があるって言ってた。

 

だから、その言葉は小骨が刺さったようにつっかえて、頭がどんどんとモヤモヤしていく。

 

「━━すまない、お前に言うべきことではなかったな。

・・・ふむ、そうだな、市場に行くこともできなさそうだし、かと言ってこのまま戻るのも味気ない。そこで、今回はアリーナ先生ではなくこのタルラ先生が授業をするとしよう。」

 

「タルラって、教えられるのか?」

 

「もちろんだとも、たとえそれがアリーナの知らないことでもな。たとえば、それっ」

 

タルラが木に向かって走り始めた。

 

何事かと思って見ていると、タルラは手や足を上手く木の皮に引っ掛けて流れるように上まで登っていき、やがて一番上の枝で止まった。

 

「ふぅ、どうだ?アリーナは運動音痴だからな。外での遊び方は教えてもらわなかっただろう?」

 

「すげぇ!カッケェ!」

 

「ふふっ、そう見上げるな。何、お前もコツを掴めばこのくらいすぐできるさ。」

 

俺は、タルラに色んなことを教えてもらった。

 

木の登り方とか、食べれる果物の見分け方とか、雪だるまの作り方とか。

 

そうやって遊んでいたらいつの間にか日が落ちそうで。俺たちは急いで帰ったけど、結局塩も買うこともできなくて、服も泥がついてるところが何箇所もあって。

 

結局俺とタルラは正座しながら、アリーナとばっちゃんの説教を1時間も怒られるハメになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別の日、俺とタルラは狩りにいっていたのだが、天候が悪くなって吹雪に襲われた。

 

次第に天気が悪くなって、目の前が白で埋め尽くされていく。

 

今はタルラの姿を捉えるのがやっとだ。

 

「アナトリー!大丈夫か?一回、どこかで休憩をとろう。この天候でこれ以上動くのは危険だ。」

 

「大丈夫、大丈夫だから。進もう、早く帰んないと、ばっちゃん達も心配する。」

 

前が見えない。ひょうがパラパラと当たって、その度に体が重くなって、頭を掻きむしりたくなる。

 

ようやく雪が収まっても、地面に高く積もっているせいで碌に進めない。

 

「アナトリー、もう休もう。」

 

「なんで、タルラの炎で溶かせば歩けるだろ。」

 

タルラの近くでは、炎が揺れている。

 

アリーナ曰く、こういう不思議な力をアーツっていうらしい。

 

俺も感染者だからアーツを使えるけど、人によって使える力が違うらしくて、タルラみたいな炎を出すことはできなかった。

 

「駄目だ。お前の体は冷え切っている。これ以上は命に関わる。」

 

「だ、だから、早く帰らないとアリーナ達が」

 

「しつこい。お前の体以上に大事なものがあるか。」

 

タルラは頑として譲らなかった。

 

何度も説得しようと話しかけたけど、タルラの態度は全然変わらなくて。結局俺はタルラの為されるままに、

 

目の前で、パチパチと薪が燃えていた。

 

「しかし、運が悪かった。まさかこんな大雪に見舞われるとはな。」

 

「・・・あぁ、そうだな。」

 

疲れた。もう辺りは暗くなっていて、タルラが炎をつけてくれなければまともに前に進むことができない。

 

アリーナも、心配してくれているはずだ。もしかしたら、俺たちが監視隊に襲われた、なんて思ってるかもしれない。

 

「なぁ、タルラ。この現状ってどうにかならねぇのかな。」

 

「・・・なんだ。藪から棒に。」

 

「じっちゃんもばっちゃんもアリーナも、みーんなあの黒い奴らを恐れて、どーせこの食糧も奪われるかも知れねぇんだろ?」

 

「少し落ち着け。今温めてやる。」

 

「そんなの、いらないっ!」

 

タルラはいつもより目を大きく見開いて、戸惑ったように俺のことを見ている。

 

「なんでじっちゃんとばっちゃんは苦しんで生活しなきゃならねんだ?俺たちが育てたものを勝手に奪って、そいつらに怯えて過ごさなきゃいけないんだ?」

 

「・・・お前は今の生活が不満なのか?」

 

「違う。そうじゃない。」

 

一度口に出してしまったら止まることはなかった。

 

こんな事言ったってどうにもなんないって分かってる。分かってるのに。

 

「なぁ、教えてくれよ、タルラ。俺っ、俺はどうすりゃいいんだ?もう嫌だよ。もう、わかんねぇよ。」

 

「・・・アナトリー。」

 

タルラの声が今まで聞いたことがないくらい柔くて、優しくて、静かで。その声で荒ぶった感情がシンと静まりかえってしまった。

 

「少し、どこかで暖を取ろう。この際、時間は惜しまなくていいさ。」

 

 

 

 

 

「これで、もう寒くないか?」

 

「ありがとう。」

 

タルラのアーツは凄い。こんな寒い天気で、彼女が付けた炎は木を燃料にして、強く揺らめいている。

 

「お前はアリーナのことを、本当に大切に思っているのだな。」

 

「・・・別に、そういうことじゃない。」

 

パチパチと燃える音と、ゴウゴウと雪が吹きつける音が聞こえる。

 

タルラに何か話しかけようとしても、何故かそれが口からうまく出なくて。結局何を言おうとしたのか分からないまま、また黙り込んでしまう。

 

「お前は、覚えているか?あの子供のことを。」

 

「・・・それって、あの、石投げたやつのことか?」

 

「あぁ、そうだ。」

 

また一段と、雪の音が強くなった。

 

「あの子は、監視隊に向かって石を投げた。一回だけじゃない、何回も、何回もだ。きっと自分たちが育てた作物が奪われていることに耐えられなかったんだろう。だが、結果としてその場で監視隊達に嬲られ、殺された。」

 

「私は、その子の名前すら知らない。」

 

雪風が木を強く叩きつけ、炎が揺れ始めた。しかしそれは消えることはなく、更に大きくなって周囲を照らした。

 

「こんな小さな村でさえ、私達は団結できない。あの時、私が動いていれば、剣を抜いていれば、戦っていれば、また違ったのではないかと、今でも思う。」

 

「・・・そんなん、しらねぇよ。」

 

苦しくなって、思わず下を向いてしまう。俺も結局、あの場で動けなかった。

 

「俺が、動いとけばよかった。」

 

「馬鹿を言うな。もしお前の身に何かあれば、アリーナも、爺さんも、婆さんも、どれだけ悲しむと思ってる。」

 

「でも、俺のアーツを使ったら。全員、倒せた。」

 

「!!お前が感染者だとバレれば、それこそ一大事だった。第一、お前のアーツは危険すぎる。それを使うのはアリーナも、私だって認めやしない。」

 

「でも!俺だったら!出来た!」

 

そうだ。本当に変えたいと思っていたのなら、あの場で動くべきだった。

 

あいつらに奪われるのを、眺めているだけじゃ駄目だったのに。

 

『ねぇ、お願い。行かないで、お願いだから・・・』

 

あの時、アリーナの握る手があまりにも強くて、震えてたから。

 

「じゃあ、俺は、どうすりゃよかったんだよ。」

 

「・・・私にも、分からない。」

 

ポツリと、タルラは静かに、それでもはっきりと言った。

 

「ただ、今のままではダメだ。行動しないで、傍観しているだけだったら、私たちは何も変えることができない。」

 

「・・・こんな状況で、何ができるんだよ。」

 

「なんでもさ。人には力があるはずなんだ、この現実を、明日を変える力が。私は、そう信じている。」

 

何故か、俺はタルラから目を離せなかった。

 

タルラの姿なんていつも見ているはずなのに、彼女の横顔が、その動作が新鮮で。目が離せない。

 

きっとこの表情をしているタルラは、誰にも止められない。そんな考えがよぎった。

 

「もし、そうやって変えられることが出来たら。そしたら、アリーナも今よりもっと笑えるか?」

 

「今よりか、ずっとずっとマシになるさ。」

 

よいしょ、とタルラは軽々と腰を上げて、俺の方へ手を伸ばした。

 

「そろそろ出発しよう。きっとアリーナも、お前のことを心配しているはずさ。立てるか?」

 

「・・・うん。」

 

タルラの手を頼りに、俺はすっかり重たくなっていた足を持ち上げる。

 

タルラの手からは温かい感覚が伝わってきた。

 

 

 

 

 

━━━

 

 

 

「はっ、はっ、はっ。」

 

ただ、無我夢中で走っていた。

 

「なんでっ、村が燃えてるんだよっ!」

 

俺が狩猟に出かけている最中だった。一通り終えて、村に戻っている最中。銀景色の中、大きな黒い煙が村から立ち込めていた。

 

「はぁっ、ハッ、ハッ。」

 

一心不乱に走る、走る。ようやくの思いで狩った獲物も持っている荷物も投げ捨てて走る。これほど雪のぬかるみを鬱陶しく思ったことはない。

 

タルラと監視隊が揉め事を起こしたのは知っている。きっと、それで何かが起きたのかもしれない。

 

じっちゃんは、ばっちゃんは、アリーナは無事だろうか。タルラがいるから最悪の事態にはなっていないと思いたいけど、視界に映る黒煙がどうしようもなく不安を掻き立ててくる。

 

深く息をするたびに冷たい空気が肺をキュッと締め付けてきて、その苦しさに思わずむせてしまったが、それでも止まることなんてできなかった。

 

走って、走って、そして村に辿り着くことが出来た。

 

「っっ、なん、だこれ。」

 

息も絶え絶えな状況で、出てきたのがその言葉だった。

 

そこらかしこに激しい火柱が立っていて、村の人々がそこから逃げ惑うように雪の方へ逃げていく。

 

木が激しく燃えて建物が崩れ落ちる音と、今まで嗅いだことがない焦げた嫌な匂いがする。

 

いつも見ていた光景の有り様に思わず立ち尽くしてしまうが、本来の目的を思い出して再び走り出した。

 

「くそッ。どこっ、どこだよっ!」

 

避難している人々を避けて、とにかく走り回った。いつもの道を通って、いつもの角を曲がって、また直進したら曲がって、とにかく家の方へと。

 

走って、転んで、冷たい、雪は冷たかった。どこ、どこにいるんだよ。

 

そして、ようやく見つけることが出来た。

 

「タルラ!アリーナ!ばっちゃん!」

 

「アナトリー!無事だったかい!?」

 

「はぁ、はぁ、うん、大丈夫。ばっちゃん達も大丈夫だった?」

 

アリーナ達に会えて体から力が抜けそうになったけど、グッと堪える。

 

まだここは危険だから、早く逃げよう。そう言おうとして、止まった。

 

どこか呆然としているタルラの様子に、アリーナとばっちゃんの沈痛な面持ちに、気づいてしまった。

 

「なぁ?じっちゃんは?」

 

「・・・」

 

「アリーナ?なんで黙ってんだよ?」

 

「タルラ、アリーナ。早くアナトリーと一緒にここから逃げなさい。」

 

「だから、じっちゃんはどこだって」

 

そこで、視界の端に映ってしまった。

 

この炎の中で横たわり、一切動いていないものを。

 

その服は、背中は何回も見たもので、それで頭が真っ白になった。

 

「━━あ、え?あれ、なんだよ。」

「・・・アナトリー」

「あっ、もしかしてまた腰やったのか?なら、早く助けにいかなきゃ」

「アナトリー!」

 

ばっちゃんのその大きな声に、ビクッと体が震えてしまった。

 

じんわりと、それから赤いナニカは白い雪を染めるように広がっている。

 

でも、それでも。認めるなんてこと出来なかった。

 

「手ェ離せよ。ばっちゃん。」

 

「アナトリー。ここにいなさい。」

 

「っっ!だからっ、じっちゃんを早く助けなきゃ」

 

パシン!と痛烈な音が鳴った。

 

「こんな老ぼれの命なんか気にしてどうすんだい!爺さんはもう死んだんだよ!」

 

初めて、ばっちゃんに叩かれた。ばっちゃんが本気で俺を叩いたことも、それなのに頬が全く痛くないほどに弱々しかったことも。

 

それがあまりにも衝撃的で、何も体は痛くないはずなのに、何故か鼻の奥がキュッと痛くなって、目の前が涙でぼやけていく。

 

「タルラとアリーナと一緒に逃げるんだ。この子らも、あんたと同じ感染者さ。あんたらなら、こんな寒いところでも協力し合えば生き延びることができるさ。」

 

「・・・ばっちゃん。ばっちゃんも一緒に逃げよう?」

 

「だから、こんな老ぼれがいたところで何になるんだい。生憎と、私はあんたらの穀潰しになるなんてまっぴらゴメンだよ。」

 

ふっ、とばっちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 

「最初は読み書きも、会話すらできなかった子が、こんなに優しい子に育つなんてね。それだけでアタシと爺さんにとったら十分だよ。」

 

「や、ヤダ、やだよ。」

 

「男が泣くんじゃないよ、情けない。ほら、この本、あんたの大事なものだろう?」

 

「これっ、アリーナの・・・」

 

「家に火が付いたのに気づいた時に、持ってきたのさ。」

 

それは、俺がアリーナから貰った白い本だった。

 

だけどその表面は所々焦げて黒ずんでいて。そして、気づいた。

 

それを持っているばっちゃんの手は赤く腫れ上がって白い脂が滲んでいて、肌は大きく剥けていた。

 

「ばっちゃん、それ。その手」

 

「あんたが気にする事はないよ。何年生きてきたと思ってるんだい。こんな火傷なんか屁でもないよ。」

 

パンッ!とばっちゃんはもう一回俺の背中を叩いた。でもさっきとは違ってとても力強くて、思わず足が一歩動いた。

 

「ほら!早くいきな!」

 

「うんっ・・・うん!」

 

本当は、ばっちゃんを置いていくなんて嫌だった。引きずってでも連れて行こうかと思っていたけど、その顔があまりにも真剣で、幸せそうだったから。何もできなかった。

 

「タルラ、アナトリー、ここから逃げましょう。」

 

アリーナは俺たちの手を取って、真っ白な雪の方へかけていった。

 

次第に木の焦げている匂いが薄くなって、火が燃えている音も遠ざかっていって、人の声もなくなった。

 

ふと、後ろを振り返ってしまった。ばっちゃんは未だにそこに立ち尽くしていて、こちらをじっと見つめていた。

 

どんな表情をしていたのかなんて分からなかった。声も、姿すら分からない。

 

今更戻ることなんてできるはずもないから、だから俺は白い雪原と向き合うしかなかった。

 

 

 

 

 

パチパチと、薪が燃えている音が聞こえる。

 

「私は組織を立ち上げる。」

 

タルラは以前見た、強い灯火を瞳に宿している。

 

「爺さんと婆さんとの別れが、あんなのでよかったのか?私達にはもっとマシな、より良い何かがあったはずだ。」

 

タルラは吐き捨てるように言ってるけど、やけにそれが心に響いて。俺はタルラから目を離せなくなっている。

 

「作るしかないんだ、私たちの手で。これ以上奪われることがないように。」

 

「なぁ、タルラ。」

 

気づけば、勝手に口が動いてた。

 

「俺も、やりたい。俺も参加させてくれ。」

 

「それは・・・駄目だ。私はこれから戦い、殺し合う。きっと爺さんも婆さんも、お前がそれをするのを望んでいない。」

 

「タルラ、俺は戦える。」

 

タルラはじっと見据える。俺はタルラに手を差し出した。

 

「大変でも、苦しくても、俺逃げないから。だから、一緒に戦わせてくれよ。」

 

「・・・アナトリー。」

 

タルラの手が緩やかに俺の方に近づいてくる。それは少し震えていて、でも着実に距離を縮まっていって、そのまま

 

「やめて、タルラ。その手を握らないで」

 

「アリー、ナ?」

 

焚き火の炎がゆらりと揺れた。

 

アリーナは俺とタルラの間に割って入るように、結ばれようとした手を払いのけていた。

 

「タルラ、貴方はアナトリーを戦わせるという意味を十分にわかっているはずでしょう?」

 

「あぁ、わかってる。分かっているが」

 

タルラが、これ以上ないほどに狼狽している。だけど、それはきっと俺もおんなじだ。アリーナがこんな感情を露わにしているところなんて初めて見たから。

 

「アナトリー。私には、貴方が戦うことを受け入れられない。貴方のアーツは、危険すぎる。」

 

「っでも、戦いの役に立つだろ!」

 

「そうだけれども、それは魔法の力じゃないの。貴方の、痛みを消すアーツはあまりにも危険すぎる。」

 

「俺は、辛くない。」

 

「だからこそよ。貴方が力を振るう度に、無自覚に体は傷ついていく。」

 

「そう、かもしれないけれど。」

 

「第一、貴方は戦場に立つという意味がわかっているの?」

 

「そりゃ、俺が監視隊とか、国と戦って」

 

「いいえ、本質はそこじゃない。」

 

アリーナは一歩一歩踏み込んで、お互いの吐息が聞こえるほどほ距離まで近づいた。

 

初めてのことだったかもしれない、アリーナとこうやって真正面で向き合うのは。今までずっと、教えてもらう時には隣にいたから。

 

「貴方は戦うという意味が分かってるの?敵にも貴方と同じように家族がいるのかもしれない、それでも剣を鈍らせずに振るうことができる?

 

もしかしたら、失明して本が読めなくなるかもしれない。欠損して文字を書けなくなるかもしれない。それでも、貴方は戦うの?」

 

アリーナは、どこか必死だった。彼女が声を絞るように話していて、こんなにも震えていて、それに俺も揺られてしまう。

 

でも、それでも

 

「━━うん、俺、戦うよ。」

 

俺はずっと、何もできなかった。子供が蹂躙されていた時も、あいつらに強奪されてる時も、じっちゃんが殴られた時も、何もしなかった。

 

これで、もしアリーナが危険な時も何も出来なかったら?

 

「なぁ。じっちゃんとばっちゃんがいなくなって、俺、アリーナまでいなくなったらどうすりゃいいんだよ。」

 

俺がこのまま何もしないで、また同じような目にあったら。それを考えると、頭が真っ白になる。

 

「結局、読めるようになったって、覚えたって、なんも変わらなかったじゃん。だからもう、これしかないじゃんか。」

 

「・・・アナトリー。」

 

俺は、アリーナの顔を見れなかった。

 

今までたくさん教えてもらっていたくせに、たくさん助けてもらったくせに。だから、彼女の顔を見るのが怖かった。

 

「それじゃあ、一つだけ、約束して。絶対にいなくならないって。」

 

「分かった。」

 

「アリーナ、私がアナトリーを守ると誓おう。絶対に、お前を悲しませるようなことは起こさせない。」

 

「・・・ありがとう、タルラ。」

 

それ以降、俺たちが会話することはなかった。

 

寒さのせいか、指が痺れて、体の震えが止まらなかった。

 

 

 

━━━

 

 

 

「アナトリー、この召集は、やはり戦いか?」

 

「まっ、そうだろうな。タルラがこんなに人を集めるなんて、それくらいしかないだろうし。」

 

「そうか・・・」

 

人が数十人入れる大きな広間。そこに、各部隊をまとめている全員の隊長たちが集めれている。

 

その中心にある大きな机の側に、タルラが佇んでいた。

 

「おそらく、あの件だろうか。」

 

「時期的に、それしかないな。」

 

「ふぅー・・・もしものことがあったら、頼んだぞ。『狂犬』」

 

「だから、その呼び方はやめろ。むず痒い。」

 

狂犬、それが俺が戦っている間につけられた名前だった。

 

元々は蔑称のつもりで名づけられたんだろうが、いつの間にかそれはみんなの間に広がり、俺の二つ名になった。

 

最初はかっこいいじゃん、とも思っていたけど、それで子供達に怖がられていることを知ってから、あまり好きではなくなった。

 

「皆、揃ったな。それでは、私から伝えたいことがある。」

 

タルラの力強い声が部屋に浸透し、皆の視線がそこに向けられた。

 

「以前から伝えていたが、私達が拠点としている場所から北にある村。そこから救助要請があった。どうやらその村は感染者の人々を匿っていたらしく、それが監視隊に露見し、それから敵対状態が続いているらしい。今から私たちは、その援護に行く。」

 

ぱっとタルラは机に地図を広げた。

 

「アナトリー、お前たちの隊は私たちが感染者と戦っている間、住民の避難誘導と、その保護を頼む。奴らが非戦闘員を狙ってくる可能性もゼロじゃない。」

 

「了解。」

 

「少し、待ってくれないか。」

 

タルラが皆んなを集めて作戦を伝えていた時、別のやつから声がかかった。

 

そっちの方へ目を向けると、最近合流した村の奴だった。

 

「確かその村の近くには監視隊の基地があったはずだ。もしかしたら、そいつらと戦うことになるかも知れない。」

 

「無論そのことは知っている。ただ、そこは手に負えないほどの規模ではない。その基地と我々の拠点の距離を考えれば、遅かれ早かれ衝突する。それが早まっただけだ。」

 

「だから、それがおかしいんだろ!?」

 

この部屋でタルラ以外のこんな大きな声が響き渡るのは、初めてだったかも知れない。

 

「俺たちはまともな武器も、訓練も積んで無い。この組織も成長しているが、今戦闘になるならたくさんの死人が出る!なら、もっと力を蓄えてから挑むべきだ!」

 

「それは、この村の人々を見捨てるということになる。私達の目的は虐げられている感染者を助けることだ。それにもしこの作戦が成功すれば、他の村に我々の存在が受け入れられるチャンスになるかもしれない。」

 

タルラは理路整然としているが、それに反して相手はどんどんとヒートアップしていく。

 

「タルラ!お前は強いかもしれないが、俺たちはまだ素人だ!もう少し現実を考えてくれ!」

 

「作戦では経験を多く積んだ者たちに前線を任せている。皆が団結すれば、乗り切ることも難しく無いはずだ。」

 

「だとしてもだ!危険がありすぎる!そもそも、俺たちがそんな知らない奴の為に命をかける必要があるのか!?」

 

「それは・・・」

 

前から不安に思っている奴もいたのだろう、中にはそいつの言っていることに賛同している者も少なくなかった。

 

「作戦は中止にしよう、タルラ。もう一回皆で見直しをしてから」

 

「いや、この作戦は実行する。」

 

「・・・アナトリー?」

 

「俺たちの隊を避難誘導じゃなくて、前線に配置してくれ。そうすれば多少マシになる。」

 

知ってるやつから知らないやつまで、一斉に視線が集まった。そりゃそうだ、今まで俺は一切作戦内容に口出ししてこなかったんだから。

 

「その代わり、お前らは住民の保護と物資の補給に回れ。俺の隊の奴らも一緒につかせる。」

 

「あ、あぁ。」

 

「他に意見はあるか?」

 

誰も声を出すことはなかった。

 

俺は会議していた部屋を抜けて、物資を揃えようとする。

 

「アナトリー!」

 

「タルラか。」

 

すると不思議なことに、タルラが小走りになりながらこちらに近寄ってきた。

 

「何故、前線に行くような真似をした。お前たちはつい最近まで戦闘続きだったじゃないか。」

 

「別に。怪我してる奴は避難誘導に回すからいいんだよ。」

 

「だったら尚更、お前自身への負担が大きくなりすぎる。今もアーツを使って誤魔化しているのだろう?」

 

「それでも、あの場で俺が出なかったらあいつらは納得しなかっただろ?」

 

タルラならあいつらを説き伏せられたかもしれないが、それでも溝を作ることになったかもしれない。

 

「だとしても、なんであんな無茶した。お前が体を張る必要なかっただろう?」

 

「なんで、なんでって。タルラは家族じゃんか。」

 

そう言った瞬間、タルラの目が大きく開いた。

 

「タルラは助けたかったんだろ?なら、俺も行くしかないじゃんか。」

 

諦めとか妥協とか、タルラはそういうのが一番嫌いな人間だ。

 

きっと皆に否定されても絶対に諦めないし、もしかしたら一人でも助けに向かったかもしれない。

 

だったらどのみち、俺が行かない選択肢はなかった。

 

「お前は」

 

「?」

 

「お前は私を、そう呼んでくれるのか?」

 

「?当たり前じゃん。」

 

いきなり何を言い出すのか。予想外の問いに思わず口をポカンとあけて呆けてしまう。

 

「いったい俺たちが何回買い物行って、アリーナに怒られたと思ってるんだよ。」

 

「・・・あぁ、そうだな。ありがとう。」

 

タルラが見せたその笑みはいつもとは少し違う、ほんわりとする温かさがあった。

 

 

 

 

 

 

 

「やっほ、アリーナ。今時間空いてるか?」

 

「あっ、アナトリー!来てくれたのね。ごめんなさい、少し離れてもいいかしら。」

 

「アリーナせんせー、えほんはー?」

 

「それはまた後で続きを読んであげるから、ね?」

 

アリーナは子供達に絵本の読み聞かせをしていたらしくて、数人の子供達に囲まれていた。

 

「俺は、邪魔だったか?」

 

「そんなこと言わないで。昔ほど話す機会も多くないんだから、大切にしないとでしょ?」

 

子供達は既に広場の方に向かっていて、雪で遊び始めていた。

 

それを見ていたアリーナは、嬉しそうに目を細めている。

 

「ふっ、やっぱ機嫌がいいな。アリーナ先生。」

 

「もう、揶揄わないで頂戴。」

 

むっすん、と怒ったかのように眉毛を下げているが、表情から嬉しさが隠しきれていない。

 

「ふーん、ここが学校?ってやつか?」

 

「そんな大層なものじゃないわ。黒板もないし、子供達が十分に学べるほどの教材もない。今はただの遊び場みたいなものよ。」

 

ガヤガヤと、子供達は大きな木の枝をどこから持ってきていて、チャンバラごっこをしていた。

 

「まだあの子達と関わり始めてから日が浅くって、良い子達なのは分かってるんだけど、中々距離感を掴むのが難しいの。婆さまや爺さまも、こんな風に・・・って、私の話はいいわね。アナトリー、貴方の手にもってるものは何?」

 

「ふふん、よくぞ聞いてくれた。アリーナ、これ飲んでみてくれないか?」

 

「これは、スープ?」

 

湯気がたってるそれを、火傷させないように慎重にアリーナに手渡す。

 

アリーナはそれを興味深そうに見つめた後、容器に口をつけた。

 

「んっ!これ、味が濃いわね。この味付けは、塩と、胡椒に、鶏ガラ?」

 

「最近、タルラが村の人たちと仲良くやっててさ。こうやって香辛料とか、色んなもの手に入り始めたんだ。まぁ、本人はスープに具材がないことを嘆いてたけどな。」

 

「いいえ、十分過ぎるわ。とっても美味しい。」

 

パッと輝いたように、無邪気に笑った。アリーナは指を温かい容器に添えて、味わうようにゆっくりと飲んでいる。

 

「最近、貴方の近況はどうなの?どこか怪我はしてない?何か困ったことはない?」

 

「・・・ぁあ、なんもねーよ。」

 

俺は今、なんてことないように、普通に言えただろうか。

 

「アリーナの方は、どうなんだ。」

 

「そうね。校舎とか環境は整い始めたけど、みんなに教えられるような教材はないし、子供はだんだんと増えてるし、大忙しよ。」

 

だから、と彼女は付け足して

 

「私と一緒に子供達に教えてくれない?アナトリー?」

 

その言葉に目を見開いた。

 

「俺じゃ、無理だろ。」

 

「もう、そんな弱気なこと言わないで。貴方は今までちゃんと頑張ってきたじゃない。貴方の能力は、私が保証する。」

 

「そっ、か。」

 

「それに私は全然運動ができないから、だから、アナトリーなら子供達と遊んであげられて、受け入れられると思うわよ?頭脳派のアリーナ先生と、肉体派のアナトリー先生!なんて・・・今のは、忘れてもらえるかしら。」

 

「ぷっ、いやいや、面白かったぞ?」

 

「もう!」

 

一度、その光景は想像してみる。

 

アリーナは子供からの人気教師で、子供の世話もなんなくこなして、やっぱりアリーナのところに一番子供達が来るんだろう。

 

俺は、どうだろうか。子供達との喋り方なんて分からないし、遊びでもうまく力が制御できなくて、怖がらせてしまうだろうか。でもまぁ、アリーナがなんとかしてくれるんだろう。

 

それを想像してみて、自分の頬が緩んでいることに気づいた。

 

「ねっ?どうかしらアナトリー、悪い話でもないと思うのだけれど。」

 

拳が、アリーナの手によってそっと包み込まれた。

 

けどその感覚は昔とは違って、俺より小さくて細いのがはっきり分かってしまった。

 

「━━あぁ、でも、その、忙しかったら、無理しなくてもいいのよ?ずっと貴方の先生をやっていたんだもの、私はこういうの慣れてるから。」

 

それは、アリーナに似つかわしくない辿々しい口調だった。

 

そりゃ、アリーナなら大丈夫なんだろう。現に今も、子供達から慕われている。

 

だから、アリーナの握っている手が一瞬揺れたのが、不思議だった。

 

「わりっ、俺これからタルラの所行かなきゃいけないから。また後で考えさせてくれ。」

 

「・・・そう。ねぇ、アナトリー。」

 

俺が背を向けて去ろうとした時。彼女は優しい声音で呼び止めた。

 

「どんな大きなことでも、些細なことでもいい。何かあったら、私に言って頂戴。少しは助けられるはずだから、ね?」

 

「そんなの、俺が一番分かってる。」

 

俺はアリーナの初めての生徒だから。

 

「どうか、自信を持って頂戴。貴方が夜遅くまで読書していたこと、私知ってるから。」

 

「・・・うん、ありがとう。」

 

「それじゃ、また明日。アナトリー。」

 

ニコッ、と微笑んだアリーナの笑顔を背中に向けて、雪に足跡をつけていく。

 

「あーあ、また言えなかった。」

 

俺はこっそりと懐に忍ばせていた本を取り出す。

 

あの頃とは違う、黒く、赤く染まっているソレをギュッと握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴシゴシと、汚れを落とすように。でも、傷つけないようにそれを拭いている。

 

何度繰り返したか。何回もやって、最初はキレイになってる気がしたが、途中からは変わっていないような気がする。

 

「アナトリー。まだやっているのか。」

 

「タルラ」

 

タルラは困ったようにこちらを覗き込んで、俺の隣へと腰を下ろした。

 

「いつまでそれを続けるつもりだ。」

 

「汚れが、取れるまでっ。」

 

再び水に濡らした紙を取って、水気をある程度抜いた後、それに擦り付けていく。

 

「もう、やめにしないか。」

 

「嫌だ。」

 

赤いソレが取れるように、何度も何度も何度も願いながら。そこに力を込めていく。

 

「こうなったのも、私の責任だ。アリーナに約束しておきながら、お前を傷つけさせてしまった。」

 

「タルラのせいなんかじゃ、ない!」

 

思わず声を荒げてしまった。それと同時に、タルラの肩がビクッと震えるのが見えた。

 

「なんで、こうなるんだよぉ。」

 

「・・・アナトリー」

 

タルラをそっと俺の手にあるソレに手を添えた。

 

事故だった。

 

俺たちは監視隊の動向を調べるために、いつもとは離れた場所で野宿をしていた。

 

だけど、そこで寝込みに奇襲を受けた。周りが全部暗くって、武器を取ることができなかったから、無我夢中で近くにあるものを手に取って、それが・・・

 

『アナトリー、貴方に渡したいものがあるの。』

 

「これでやめたら。おれっ、アリーナになんて言えばいいんだよぉ。」

 

「・・・すまない。」

 

ポロポロと、何故か無性に涙が流れてくる。喉からも嗚咽が聞こえてきて、それが無様で仕方なくって、思わず力が抜けて本を落としてしまった。

 

「全部、私のせいだ。」

 

「だからぁっ、タルラのせいじゃ」

 

「いいや、私だ。」

 

はっきりと、タルラの透き通るような声が響いて、俺の声が消え去った。

 

「お前を戦場に立たせているのも、傷つけさせているのも、泣かせているのも全部全部、私のせいだ。それなのに」

 

ふっ、とタルラは笑った。いつも皆んなの前で見せるような自信に満ちて、飄々としている笑顔じゃなくって、嘲笑うかのような笑み。

 

「お前がいてくれてよかった、なんて思っている。」

 

思わず目を見開いてしまった。タルラの瞳が、声が、姿がいつもより暗くって、小さかった。

 

「アナトリー、私はなんでもする。お前がそれを話すなら、私も一緒に謝りに行く。お前がそれを隠したいなら、私も一緒に隠し通す。アリーナに言えないようなことがあれば、私が全部受け止める。」

 

タルラはハッと息をのんでから言った。

 

「だから、だから、私と・・・」

 

ふと。彼女の声が途切れた。

 

タルラは、凄いやつだ。きっと俺が逆立ちしたって何したって、彼女のように大勢の人の前で声を張って、みんなをまとめ上げるなんて無理だ。

 

ここが本の世界ならきっと俺は脇役で、主人公はタルラなんだろう。ただ、それでも

 

「私と、一緒にいてくれないか。」

 

タルラがどれだけ凄いやつでも、俺の家族だ。

 

『私と一緒に子供達に教えてくれない?アナトリー?』

 

「・・・むかし。」

 

「?」

 

「昔さ、アリーナが先生になりたいって言ってたんだ。」

 

「・・・あぁ、知ってるさ。」

 

「だから、アリーナにちゃんとした食事とかさ、授業するための本とか、色んなものあげてやってくれ。」

 

「あぁ、分かった。わたしはアリーナに出来る限りのことをしよう。」

 

雰囲気や言葉の張りはいつものタルラに戻っていて、安心した。

 

「そっか、じゃあ、俺、頑張るよ。」

 

 

 

 

 

 

 

「違うんだ。違うんだよ、アリーナ。」

 

暗い、暗い夜だった。

 

『敵襲!敵襲だ!敵が・・・ぐあっ!』

 

その声と共に、俺の意識は醒めた。

 

『探せ!まだ近くに仲間がいるはずだ!』

 

辺りを見ると、火を携えた監視隊がいた。

 

周りの温度を保っていた焚火は仲間の死体で塞がれ、完全に手元が見えない。

 

俺は急いで寝袋から出て、自分の剣を探す。だけど、どこにもない。心臓がバクバク言っているのが聞こえる、

 

『むっ!おい!あそこから物音がしたぞ!』

 

足音が近づいてくる。必死に探すけど、武器はどこにもない。このまま死ぬのか?何も見えない暗闇の中で。

 

『!!いた!いたぞ、お前ら、こいつを』

 

その時、コツンと手に何かが当たった。

 

「やめろ!!そんなことするな!」

 

やらなきゃ、やられる。気づいた時にはそれを相手に目掛けて振りかぶっていた。

 

『ぐっ!?いったい何が』

 

顎に目掛けてそれを当てて、倒れ込んだところに後頭部目掛けて何度も叩きつけた。

 

もう二度と立ち上がれないように。反撃できないように。もしこの距離で銃が発射されたら致命傷だ。

 

だから、叩きつけた。肉が抉れる感触があっても、骨を砕ける音が響いても、叩いた。

 

『ひっ・・・な、なにが』

 

だから、暗闇に乗じて、他の奴らにも襲いかかって。

 

目を潰して、立ち上がれなくなったところを、ひたすらにそれで殴った。

 

『アナトリー!大丈夫か!?』

 

しばらくしたらタルラが来て、ようやく一息つけた。

 

彼女の炎で周囲が改めて照らされる。

 

「見るな。」

 

俺は石に似た何かだと思っていたそれを改めて見つめた。

 

拭っても拭っても、染み込んで取れないそれを。

 

「ごめん、ごめん。アリーナ、ごめん」

 

「アナトリー?」

 

ふと、声がかかった。そちらへ視線を向けると、白いウサギの耳が見えた。

 

「・・・フロストノヴァか。」

 

「今、誰かと会話している声が聞こえたのだが、一人か?」

 

「・・・あぁ。声が聞こえたのは、気のせいだろ。」

 

「そうか。」

 

フロストノヴァは俺の向かい側に座り、火を挟んで向き合う形となった。

 

「この度、私たちスノーデビル小隊と父さん、パトリオットの遊撃隊は正式にレユニオンに加入することになった。なら、お前と少し話しておくべきだと思ってな。」

 

「なんで、それで俺と話すそうと思うんだよ。」

 

「タルラの日頃の態度を見れば、最も信をおいてる相手なんてすぐに分かる。」

 

「・・・そうか。」

 

そこで、しばらくの沈黙が訪れた。

 

思い返せば、フロストノヴァとこうやって腰を据えて話すのは初めてかもしれない。彼女と会う時はいつも戦いの前で、俺たちはお互いのことを何も知らない。

 

それなのに、彼女と一緒にいて何処か安心感を覚えるというのはなんとも奇妙な話だ。

 

「それで、お前が読んでいた赤と黒の模様の本はなんだ?見たところ、随分と使い古されている。」

 

「あぁ、まぁ、趣味みたいなもんだ。」

 

「それは、驚いた。お前が学問に興味を持っているとは。随分と勤勉だな。」

 

その言葉に一瞬動きが止まった。勤勉?俺が?

 

「生憎と、私もスノーデビル小隊も戦う術、戦闘に関することしか学んでこなかった。だから、それを娯楽としているお前が珍しくてな。」

 

「そりゃ、そうだ。」

 

酒、煙草、ギャンブル、楽しむだけなら他にいくらでもある。それなのに俺は同じ本を何回も読み直して、何故こんなことをしているのだろうか。

 

「なんでフロストノヴァは、レユニオンに入ろうと思ったんだ?」

 

「深い理由はない。ただ、あの馬鹿に、期待してしまった。」

 

「タルラ、か。」

 

「今のウルサスにおいて、感染者の立場は絶望的だ。それでも一丁前に希望を語って、本気で変えられると信じている。あんな馬鹿は、初めてだ。」

 

「でも、お前だってレユニオンに合流する前から戦っていたじゃんか。」

 

スノーデビル小隊。フロストノヴァが率いてある部隊で、その名前はレユニオン初期の頃からその名前は聞いていた。

 

曰く、俺たち以外にもウルサスと戦って奴らがいると。

 

「私は、自分たちの身だけを守ればいいと思っていた。生きるだけなら十分な場所も力もあった。」

 

「・・・」

 

「ただ、それでも思ってしまった。もしあいつらがなんの負い目もなく、ただの人として生きれる世界があるなら、私はそれを見てみたい。」

 

その瞳を見て、分かった。何度も何度も間近で見てきたから。

 

「それで、戦えるのか?もしかしたら、死ぬかもしれないのに。」

 

「それが戦士だ。無駄死にだろうが、私は戦場で命を賭す覚悟はある。」

 

「・・・なんで」

 

こいつも、タルラも、アリーナも。みんなみんな努力して、何かになろうとしている。

 

俺だけだ。何かになろうとしていないのは。

 

「お前は、今のままで十分だ。きっとタルラもそれを望んでいる。」

 

「それじゃ、ダメなんだよ。」

 

俺は、何になれたんだろう。

 

戦えるようにはなったがタルラには敵わないし、アリーナみたいに誰かに教えることもできない。色んなことを知ったって、それが誰かの役に立ったことが一度でもあったか。

 

アリーナは子供達に囲まれて、タルラは大勢の前で声を張って、みんなをまとめ上げている。

 

俺はどうだ。最近はいくら訓練しても剣の腕も上がらなくなったし、物覚えも悪くなった。

 

俺は、どうすればいい。

 

「なぁ、教えてくれよ。フロストノヴァ。」

 

「一回、落ち着け。様子が変だぞ。」

 

フロストノヴァが立ち上がって、距離を取る。

 

どうすれば、どうすればいい。

 

「フロストノヴァ、お前なら、何か分かるんじゃないか?」

 

タルラと同じように成れたお前なら、何かが。

 

「教えてくれよ!」

 

「っっ」

 

逃げようとする彼女の手を、必死に握った。

 

「早く、私から離れろ」

 

「なぁ、なんで!なんで!」

 

「私に、触れるな!」

 

彼女が白く光って、氷で身体が吹き飛ばされた。

 

ゴロゴロと雪の上を転がって、フロストノヴァを改めて見つめる。

 

彼女は手を庇うように抱え込んでいて、それで自分のしてしまったことに気づいた。

 

「あっ・・・ご、ごめん。そんなっ、つもりじゃ。怪我、怪我は」

 

「そんな事はどうでもいい!早く手を見せろ!」

 

それがあまりにも必死で、俺はフロストノヴァに言われるままに手を差し出した。

 

「くそっ、凍傷している。今すぐに治療を」

 

「フロストノヴァ、ごめん、ごめん。」

 

「・・・いや、待て。もしかして、お前は痛みを感じていないのか?っっ、おいっ!私の質問に答えろ!」

 

「え、あ。痛みは、ない。」

 

それを告げると、彼女の顔は歪んだ。

 

「アーツは、使えば使うほどその主人の身体を蝕んでいく。私も氷のアーツで、身体は冷め切ってしまった。お前も、そうだ。」

 

彼女は冷酷に告げた。

 

「現にお前は感覚が鈍化していて、碌に思考が働いていない。それが代償だ。」

 

「ぁ、でも、おれ。」

 

確かに、フロストノヴァの言うとおりかもしれない。

 

最近ボーっとする時間も増えたし、本を読んでも全然頭に入ってこないことがある。

 

でも、それでも

 

「おれ、これがないと、戦えねぇよ。」

 

「━━そうか。その道を行くというのなら、私は止めやしない。」

 

ただ、と彼女が付け加えて

 

「よく見極めておけ。戦士の死に様は、戦場以外あり得ないのだから。」

 

そう言って彼女は去って行った。

 

おれは必死にその言葉を理解しようとしてけど、結局理解できなかった。

 

 

 

 

━━━

 

 

 

「・・よぉ。」

 

「ガッ、ウォぇ、お前、『狂犬』か!感染者風情がこの俺に」

 

「わりっ、死んでくれ。」

 

俺はそいつの頭に剣をぶっ刺した。

 

いつものように、肉を切り裂く感覚が手元に伝わってくる。

 

その顔は苦悶に満ちていって、剣から血がどんどんと溢れ出てくる。

 

「この、悪魔が。」

 

剣を引き抜いて、臓器を断ち切った。

 

そいつは雪の方へと伏せて、体が数回痙攣した後、動くことはなくなった。

 

「や・・・やった!」

 

「俺たちは、ついにあの悪魔は殺したんだ!」

 

次々とやってきた仲間は、その骸を確認して歓喜の声を上げる。

 

こいつは感染者に言葉にも出来ないような酷い仕打ちをしてきたらしい。曰く、感染者であることで家族が惨たらく殺された。曰く、面白いという理由で四肢を折って極寒の雪の中に放置した。どれをとっても最悪だ。

 

改めてその図体を確認すると、服装の材質もしっかりとした革で、所々についている脂ぎった脂肪はこの痩せた大地にとってはあまりにも似つかわしくない。

 

俺はこいつの事はよく知らない。度々耳にすることはあったが、別に俺はこいつに直接的な憎悪を抱いた事はなかった。

 

「本当に・・・本当にありがとう!!お前が、俺の家族の仇を取ってくれたんだ。」

 

「やめろ、感謝なんていらねぇ。」

 

絵本に出てきた悪役は、現実にはいなかった。

 

話し合いで仲直りすることなんてなくて。会話なんて交わす前に、殺し合っている。本物はもっと悪辣で、残虐だ。

 

「おい!アナトリーがついに討ち取ったぞ!宴会、宴会を開こう!」

 

「あぁ、ちょうどこいつらから奪い取った酒もたんまりあるし・・・」

 

「これは、やりすぎではないのか。」

 

「!タルラ」

 

タルラは顔を顰めながら、周囲に転がっている死体を見渡した。

 

「何故だ?俺たちは奪われたものを奪い返しているだけだ。」

 

「そこではない。あまりにも死体に欠損が多すぎる。お前たちは、敢えて相手を苦しめるように殺しただろう。」

 

「・・・それが、どうかしたのか?」

 

そいつは幽鬼のように立ち上がった。

 

「こいつらは、俺たちを苦しめてきた。なら、その報復を受けるのは当然のことだろう。タルラ、お前なら分かってくれるだろ?俺たち感染者が、尊厳を取り戻す時が来たんだ。」

 

「そうかも知れないが」

 

「どうでもいい。」

 

死体から剣を引き抜いて、剣にこびりついた肉を雪で拭う。

 

理念とか、尊厳とか。こんな肉塊が転がっている場所でする話じゃないだろうに。

 

昔だったら、もっと違う何かを感じていたのだろうか、

 

「どうでもいいから、そういうのは帰った後にやってくれ。タルラ、食糧はどこにあった?」

 

「あ、あぁ。それなら、あそこに倉庫があった。おそらく、しばらくは餓死者が出ることはないだろう。」

 

「なら、いい。」

 

俺はタルラが示した方向へと歩を進める。

 

「アナトリー、宴会はどうする。」

 

「・・・夜、夜にしてくれ。昼間から酒は飲みたくない。」

 

そう言って俺は倉庫の方へと足を進めていく。

 

「タルラ、後始末は頼んだ。」

 

「あぁ、問題ないが。アナトリー、お前は」

 

「今はやめてくれないか。話したくない。」

 

タルラの声を遮って、歩をさらに早くした。

 

「アナトリー・・」

 

タルラの神妙な声だけが、後に残った。

 

 

 

 

 

 

「アリーナ、これ、スープ。熱いかもしれないから気をつけろよ?」

 

ほい、と俺はアリーナにその容器を手渡した。

 

「凄い量の具材ね。こんなに食糧があったの?」

 

「あぁ、ついさっき倉庫を見つけてさ、大盤振る舞いってやつだ。」

 

「そう。」

 

アリーナはぎこちなく笑った。

 

「うん、美味しいわ。」

 

「だろ?人参とか、ジャガイモとか、豚肉とか、たくさんあってさ。こんなの、前の生活じゃ考えられなかったよな。」

 

「・・・えぇ、そうね。」

 

アリーナの反応は俺の想像と違っていた。もっと喜んでくれると思っていたのに。

 

「アナトリーも一口どう?」

 

「いんや、俺は遠慮しておく。」

 

どうせ、食っても何も分からないし。という言葉を直前で飲み込んだ。

 

「アリーナ、最近の調子はどうなんだ?」

 

「そうね。教材とか環境が整い始めて、子供達の世話にも少し慣れ始めたわ。まぁ、大変なことには変わりないけど。」

 

「それなら、良かった。」

 

「絵本の読み聞かせも、子供達から評判がすこぶる良くなったのよ?何なら、子供達と一緒に読み聞かせしてあげましょうか。」

 

「・・・揶揄うのは、よしてくれ。」

 

会話が途切れた。アリーナと会話したいことなんて山ほどあったはずなのに、それがうまく出てこない。

 

そこで、グゥ〜という音がなった。

 

俺は急いで剣に手をかける。辺りを一瞥すると、二人の子供が目に入った。

 

「サーシャ、イーノ。何でこんなところにいるの。」

 

「ご、ごめんなさい、勝手に覗いて。」

 

子供達は申し訳なそうに顔を俯きつつも、視線がアリーナの持っているスープに釘付けになっている。

 

「あの、それ、ボク、飲みたい!」

 

「ば、バカ!何言ってんだよ、イーノ!ご、ごめんなさい、アリーナ先生。」

 

「えぇ、そうね・・・」

 

アリーナは申し訳なさそうにこちらを見上げて、俺は黙って頷いた。

 

「このスープ、飲んでいいわよ。」

 

「ほ、ほんと!」

 

「えぇ、でもしっかり二人で分け合うのよ。」

 

「うん、ありがと!アリーナ先生!」

 

彼らはスープをまるで宝物のように抱えて、外へ出ていった。

 

「アリーナは、ちゃんと食えてんのか?」

 

「えぇ、十分すぎるほどにね。昔よりも今の食事のほうが豪華じゃない。あんなにたくさんの具材があっても、私には食べきれないわよ。」

 

「そっか・・・そうだな。」

 

そうだ。具材のないスープを飲んでいたあの頃と違って、今アリーナはたくさん食べれているじゃないか。なら、それでいい。

 

「じゃ、俺タルラのとこ行ってくる。」

 

「その前に、少し待って。」

 

アリーナはその場を去ろうとする俺の服をぎゅっと掴んで引き留めた。

 

「貴方の足、血で汚れているわよ。少し、見せてくれない?」

 

「別に、服を洗濯し忘れただけだから、大丈夫だ。」

 

「それでもよ。お願い。ね?」

 

アリーナは俺に視線を向けたが、目が合う事はなかった。

 

「お願い、少しだけだから。」

 

「・・・なら、いいよ。」

 

俺は大人しく、アリーナに足を向けて。彼女はそれを隠している服を捲っていった。

 

「なに、これ」

 

「あー、そっちだったか。」

 

さっきの戦闘で出来たのだろう。そこにはデカい傷があった。

 

皮は完全に捲り上げられていて、肉の生々しいそれが剥き出しになり、血が辺りに張り付いている。

 

返り血がついた可能性も五分五分だったが、生憎と違ったらしい。

 

「アリーナ、俺は痛くないし、大丈夫だから・・・」

 

「何も、大丈夫なんかじゃない!」

 

悲鳴のように、彼女は声を震わせた。

 

「痛みを感じれないことが、どれだけ危険なことが分かる?源石もこんなに体表に出て、もうボロボロじゃない。」

 

「俺は、平気だ。」

 

「だから!今の貴方はそれを正常に判断できる状態じゃないの!」

 

アリーナは普段じゃ考えられないほどに取り乱して、大声で身体を震わせて。外にいる子供たちのはしゃぎ声も止まった。

 

「何が、貴方をそんなに駆り立てるの。」

 

「それは」

 

「感染者のため?レユニオンのため?大義のため?そんなことより、貴方の身体の方が何よりも大切なの。こんな、無理をして、貴方の体を犠牲にして、頑張る必要はないの。」

 

「・・・なんで」

 

ふと、声が漏れた。

 

「なんで、そんなこと言うんだよ。」

 

頑張らなくていいなら、俺だって、ずっと・・・

 

「全部、俺が頑張ってるからだろ!学校が大きくなってるのも!本がたくさん増えてるも!子供が元気なのも!俺が戦って、食糧をとってきてるからじゃんか!」

 

言葉が、溢れてしまった。みるみるとアリーナの顔色が変わっていく。

 

「・・・もしかして、タルラが持ってきていたあの食糧も、貴方が全部。」

 

一度出してしまった言葉は引っ込まなくて。俺は、耐えられなかった。

 

「待って!どこへ行こうとするの!」

 

ぎゅっと、アリーナに強く握られた。彼女の手が、逃げることを許してくれなかった。

 

「いいだろ、もう!」

 

「逃げなくていいの!私たちの間には誤解があるだけ!ちゃんと話し合えば」

 

「うるさい!」

 

━━頼むから、俺に触らないでくれ。

 

俺の手はもう、汚れきってしまっているから。

 

少し、ほんの少しのつもりだった。それが鬱陶しくて、少しだけ力を込めてアリーナの手を振り解こうとした。

 

「きゃっ!」

 

「え?」

 

アリーナは、手を庇うように抱え込んでいた。

 

「ぅぅ、っ、大丈夫っ、だから。」

 

アリーナが、苦しんでいる。こんな辛そうな姿を見たのは初めてだ。誰が、こんなことをした。

 

『この、悪魔が。』

 

「ま、待って!アナトリー!」

 

俺は逃げ出した。

 

子供達の悲鳴を切り裂いて、遠くまで来て。そこで足から力が抜けて、座り込んでしまった。

 

「・・・酒。酒でも、飲もう。」

 

今はただ、頭を働かせたくなくって。

 

逃げるように、俺はどこかへと向かった。

 

 

 

 

 

━━━

 

 

 

「ふぅ、うっ。」

 

「・・・アナトリー。」

 

「んー?えへへ、たるら、か。」

 

「こんなになるまで酒を飲んで、何をしているんだ。」

 

よいしょ、っとタルラは俺の肩を持ってくれた。

 

「最近、アリーナと顔を合わせていないんだろう。そろそろ会いにいったらどうだ?」

 

「べつに、いいだろ。アリーナは、笑ってたんだから。」

 

「お前は、アリーナの様子を見たのか?」

 

一度、謝ろうと思って学校に行った。

 

でも、何て言えば良いのか分からなくて、木の後ろがそっと様子を見ていた。

 

そこで、アリーナは笑っていた。たくさんの子供達に囲まれていて、絵本を読み聞かせてあげていて、絵に描いたような幸せな光景だった。

 

アリーナの手首に巻かれていた包帯がなければ

 

「もう、いいだろぉ?俺がいない方が、いいんだよ。」

 

「そんなことはない。お前はもう一度、アリーナと言葉を交わすべきだ。」

 

ふわふわしている俺の言葉とは違って、タルラは心を貫くようにはっきりと告げる。

 

「お前は逃げているだけだ。しっかりアリーナと向き合え。」

 

「・・・そんなん、タルラだから言えるんだよ。」

 

俺は、ただの人殺しだ。

 

タルラやフロストノヴァのような信念を持ってるわけでもなく、ただ何をすればいいかわからなかったから、剣を握っていただけ。

 

人を傷つけることしか頭にない、ただのケダモノだ。

 

そんな奴がアリーナの横にいると考えただけで反吐がでる。

 

「確かに、お前は人を傷つけているかもしれない。」

 

「あぁ、それだけが、俺だ。」

 

「ただ、それで救われている人もいる。それだけは、本当だ。」

 

タルラは、じっとこちらを覗き込んだ。

 

「お前が剣を振るうたびに、助かる人がいる。お前がいてくれるだけで、救われる人もいる。だから、そう卑下しないでくれ。」

 

「・・・タルラぁ。」

 

ぼやけた視界で、彼女を捉える。

 

やっぱりタルラは、すごい。

 

俺がこうやって寄りかかっていても平然としていて、いつもハキハキと喋っていて

 

「お前がどうであっても、私は傍にいるから。そう自暴自棄にならないでくれ。」

 

俺が欲しい言葉を、いつもくれる。

 

(・・・なら、いっか。)

 

むずかしいこと、考えなくても。

 

だから俺は、タルラに身を任せて、そのままレユニオンへ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

━━━

 

 

 

 

「アナトリー、少しいいか?」

 

「タルラか」

 

俺は本から視線をずらし、彼女を一瞥した。

 

「・・・アリーナとは、話さなくてもいいのか?」

 

「何だよ、今更。」

 

「私たちはこれから大規模な戦いに身を投じる。今からでも遅くはない、アリーナと話してくるべきだ。もしお前が帰ってこなくとも、誰も責めやしない。」

 

「だから、今更だろ。」

 

今まで避けてきて、どの面を下げて会えばいいのだ。

 

「こんな戦の前に読書か。随分と肝が据わっているようだな、アナトリー。」

 

「・・・フロストノヴァ。」

 

彼女は吐き捨てるように言った。

 

「戦場では一瞬、体のほんの傾きや意識の差が生死を分けることもある。なら、今のうちに体をほぐせ。そんな物を読んだとて、戦場では何の役にも立たないだろう。」

 

「・・・ははっ。」

 

茶化すつもりではなかったのに、思わず笑みがこぼれてしまった。

 

「あぁ。ほんとにそうだ。」

 

これ読んだって、何の意味もない。それなのに、なんで今更読んでいるのだろう。

 

『学んだって、意味なかったじゃん』『この、悪魔が。』

 

今まで散々、否定してきたくせに。もう話す相手なんか居ないのに。諦めたくせに。

 

なんで学んでいたかなんて、忘れてしまった。

 

「あはっ、ははっ、はっ」

 

「アナトリー・・」

 

そんな目で見るなよ、タルラ。

 

「大丈夫だって、俺、今回も頑張るからさ。」

 

「・・・そうか。」

 

そう言ってタルラは去っていった。

 

こんな戦いの前だというのに、日の光は相変わらず眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ。」

 

こんな辺りは寒いというのに、汗が止まらない。

 

白い息が何度も口から溢れて、少し気が滅入ってしまう。

 

「撤退だ!撤退!」

 

「待てよ・・・ぐっ」

 

逃げている敵の姿が見えて、追撃しようとしたけど脚が少し痛んだ。

 

だけどアーツで無理矢理動かして、何とか敵を切りつけた。

 

「ぐっ、ふっ、ふっ、ふぅ。」

 

「アナトリー、怪我はないか?」

 

「んっ、タルラか。あぁ、特に何もない。」

 

「なら良かった。本隊は壊滅させたとはいえ、どうやらまたこちらに援軍が向かっているらしい。迎え撃つ準備をしろ。」

 

「分かった。」

 

剣を手入れした後、体の調子を確認する。

 

確かに激しい戦いであり、こちらも中々消耗したとはいえ、それでも勝った。

 

援軍もくるらしいが、余程の規模でない限りタルラがいれば対処できるだろう。皆も予想より被害が少なそうだ。

 

ある程度余裕が生まれたため辺りを散策していると、やけにボロボロになった家が見えた。

 

敵がまだ潜伏してないか。慎重に中を覗いてみると、おそらく監視隊に占拠されていただろう拠点だと分かった。

 

ドアは半分外れかかっていて、机は完全にひっくり返り、食器や木の破片があちらこちらに散乱していた。襲撃を受けて、急いで外に出たのだろう。

 

ふと、一つの紙が置いてあるのが目に留まった。それはやけに小綺麗で、木の滓は一切それに覆い被さっていなかった。

 

それを持ち上げて一瞥すると、全く知らない文字が使われていた。これは軍の中での暗号だろうか。そんなの、俺が分かるはずがない。

 

それなのに、目が離せない。俺は、これをどこかで見たような気がする。

 

頭の中で、アリーナの声が聞こえた。

 

『ほら、ここを見て。これはガリア時代に使われていた昔の文字媒体なの。』

 

あの白い本のページだ。アリーナが読んでくれた、あの一文。

 

記憶を辿って、その文を凝視して。そしたら、自然と口が動いていた。

 

『「熊は東の方へ行きました。」』

 

その文と意味が重なった。

 

合う。

 

全部じゃない。でも、この部分だけは確かに合っている。

 

「・・・東?」

 

『アリーナは、東の村の方へ行ったそうだ。』

 

気づけば、俺はその家を飛び出していた。

 

「なっ、アナトリー!何処に行く!」

 

俺はそれを無視して、走り始めた。剣を投げ捨てると、少し身が軽くなった。

 

走って、皆の喧騒も静止の声が聞こえなくなっても、止まることはしない。

 

足がもつれて転んでしまう、でも雪は全然冷たくなかった。

 

長い平地を超えて、森に入った。

 

息が苦しくて、肺と横腹が痛い。でも、アーツを使って走った。

 

太ももがつって、足がうまく動かなくなる。でも、アーツを使って誤魔化した。

 

雪で足が滑って転び、太い木の枝が腕に深く刺さった。でも、アーツを使って引き抜いた。

 

走って、走って、走って、走った。視界はぐわんぐわん揺れていて、ぐるんといきなり目の前が回転して、木にぶつかったことに気づいた。

 

走ろうと思ったけどうまく立ち上がれなくて、見ると足が変な方向に曲がっていた。

 

一度止まってしまおうかとそう思った時

 

白い雪に横たわってるじっちゃんの死体が、瞳に浮かんだ。

 

「!っ走れ!」

 

今度、今度こそは、やるんだ。

 

俺は折れ曲がった足を思っきり雪に叩きつけた。

 

でも痛くない、辛くないから、前に進め。

 

そして、そして、ようやく見つけた。

 

「大人しく、その食料をよこせ!」

 

「ぁ、ぅ・・・」

 

アリーナと3人の黒いマスクが目に入った。

 

アリーナは力無く座り込み、その目の前には銀に光るものがあった。

 

「お前ら、死ね。」

 

「ガッ、ぁ」

 

俺は勢いのままそこに飛び込み、一人首を掴んだ。

 

そのまま俺は相手の首に力を込めて、ゴキッ、という音と共に首を捻じ曲げた。

 

相手の口から苦しそうな嗚咽が漏れて、俺の腕へナイフを突き立てたが、離すことなくさらに力を入れて地面に押し倒し、そのままそいつは動くことは無くなった。

 

「く、クソがっ!」

 

「馬鹿、距離を取れ!」

 

そいつは俺へ剣を胴元を目掛けて突き刺そうとし、間一髪で身を翻したが、それは左肩を貫いた。

 

プラン、と俺の左腕は力無く揺れて、それがもう動かないことを悟った。

 

「ひっ、やめ」

 

俺は残った右手で相手の体を逃げないように押し倒して、そのまま喉元へ噛み付いた。

 

「っっ〜〜!っっぁ!」

 

「ぅ、ぐ。」

 

血の味がする。

 

そいつは必死に足をバタバタと動かして雪を蹴り、俺の左肩に刺さっている剣をより奥へ突き刺そうとしている。

 

その衝撃に痛みが走るがアーツを使ってそれを無くし、さらに犬歯を突き立てて、血管を取るように噛みちぎった。

 

すると首から噴水のように血が吹き出して、そいつはそれを手で押さえつけて止めようとするが、次第に力が抜けていき、そのまま体が数回跳ねた後動かなくなった。

 

残り、一人。

 

「ヒッ!」

 

俺は口に残っている肉を吐き捨てて、そいつと向かい合った。

 

「う、うぁぁぁ!」

 

そいつは銃を持っていたが、手は震えていて狙いが定まっていない。

 

俺は壊れた足に力を込めて、距離を詰めた。

 

でも、そいつは明後日の方向へと銃口を向けていて、そのまま引き金を引こうとして・・・

 

そこに、アリーナがいることに気づいた。

 

(あぁ)

 

銀の閃光が視界を覆い尽くして、次の瞬間、世界が赤く染まった。

 

(目に、当たったのか)

 

最も脆い場所に、当たってしまった。

 

「アナトリー!」

 

音が、遠ざかっていく。意識が宙に浮いたように、目の前がどんどんと遠ざかっていく。

 

(まだ)

 

アーツを使って、俺はそいつを視界にとらえて、再び足に力を込めようとする。

 

だけど身体は全然言うことを聞かなくて、一歩すら踏み出せない。

 

駄目だ、だめだ。このままじゃ、また

 

「もう、大丈夫だから。」

 

「アリー、ナ?」

 

もがいている俺を嗜めるように、アリーナはそっと俺に手を添えた。

 

「もう敵は逃げたから、大丈夫よ。」

 

「・・・よか、ったぁ。」

 

そこが、限界だった。

 

どさっ、と雪へ倒れ込む。指一本すらもう動かせない。

 

血が際限なく白い雪を赤く犯していく。

 

「・・・まだ、まだ助かるわ。だから」

 

「俺だって、そこまでばかじゃねぇよ。」

 

「っっ」

 

しんしんと、雪が降っていた。

 

今までの戦いが嘘であったかのように、静かだ。

 

もうアリーナの顔は見えなくて、うっすらとしか聞こえなくて、どこか遠い場所にいるような感覚だ。

 

「・・・これで、終わりかぁ。」

 

一度言葉に出してみると、それはスッと心へ浸透していった。

 

今まで、本当に色んなことを知った。

 

『作るしかないんだ、私たちが。』

 

タルラは周りを率いる凄いやつで。

 

『人として生きれる世界があるなら、私はそれを見てみたい。』

 

フロストノヴァは、仲間のために戦って。

 

『私ね、先生になりたいの。』

 

アリーナは、ずっと未来を見据えていて。

 

「アリーナ、ごめん。」

 

「なんで、なんで、謝るの。」

 

結局、俺だけがずっと馬鹿だった。

 

「ごめん。」

 

本当はずっとずっと、嫌だった。

 

肉を断ち切るあの感触も、アリーナが他の子供に食事を与えていたことも、二人っきりで教えてもらえなかったことも。

 

だからさ、俺、色々やったんだよ。剣もたくさん振って、嫌なのを我慢して、人を殺して褒められてさ。そうやってすごくなっていけば、この気持ちもなくなると思って。

 

でも、アリーナと一緒にいる時間はやっぱり楽しくて、子供に教えてる姿とか、スープを飲んでいるところを、そばで見ていたくて。

 

「いっしょに、いたかったぁ。」

 

朧げな視線の中、彼女の方に目線を向けると・・・ぽたりと、頬に生暖かい感触が伝わった。

 

「私も、私も、そうだったの。」

 

アリーナの顔はぼやけていてよく見えなかったけど、その雫から伝わってくる熱で、分かってしまった。

 

「貴方の前で、見栄を張ってしまった。貴方が先生って呼んでくれたから、強がってしまった。本当はね、何でも良かったの。戦士でも、家族でも、生徒でも。だから、私から言うべきだったの」

 

「━━ただ貴方に、傍に居てほしいって。」

 

その言葉を聞いて、ふっと、身体が軽くなって。

 

体からじわじわと何かが這い上がってきた。

 

「っぅぁ、ぁぁぁ、いてぇ、いてぇよ。アリーナ。」

 

「っっ、私が、私がいるから。」

 

痛みと寒さが戻ってきた。こんなに、つらかったのか。

 

でも、それと同時に思い出した。

 

なんで、俺が学んでいたのか。

 

『アリーナせんせー、ここ、教えてくれよ。』

 

『ふふっ、どこを教えて欲しいのかしら?』

 

そんなのは、最初から分かりきっていた。

 

俺もアリーナも、一緒だったんだ。

 

唇を動かしてる感覚がどんどんなくなっていく。崩れるような痛みと凍てつく寒さが体を侵していく。

 

━━あぁ、おれが、ずっと、言いたかったこと。

 

「きれい、きれいだよ、アリーナ。」

 

雪が白く舞っている。いつもみているはずなのに、きれいだった。

 

もっと早く、気づいていたら。

 

「ありーな、また、いっしょに、ほん、よもう?はなしも、たくさんしよう?」

 

「━━えぇ、何回でも一緒に読みましょう?昔の話も、たくさんしたいの。」

 

もっとアリーナの顔が見たくて、声が聞きたくて、触れていたくて。でも、それはどんどんと遠ざかっていく。

 

寒い。まだ俺が言葉も、何も知らなかった頃に何度も味わってきた感覚。

 

当時は何も思わなかったが、今ではそれが何よりも恐ろしい。

 

だけど、それでも俺の心は穏やかなままだった。

 

そっと、俺の手が包まれた。

 

「━━おやすみ、アナトリー。」

 

「うん?あぁ、おや、すみ」

 

「また、明日。」

 

俺は彼女に何度も何度も教えてもらっていた。

 

その手の温もりが、どんなものよりも一番温かいものであると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
私個人としては、アークナイツという物語は天災、病気、差別など様々な困難を乗り越えてより良いものにするために()()へ進むものだと思っています。
ですがあの世界にだって一人くらい、前に進むことが()()ではない人もいるだろうと思って書きました。
感想評価をくださったら筆者の今後の励みとなりますので、何卒よろしくお願いします。
改めてここまで読んでいただきありがとうございました。

また、気が向いたら後日談でも書いてみようと思います。

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