入学から二週間と半分ほどが過ぎた。
昼休み。
龍は相変わらず教室の喧騒から少し距離を置いていた。
とはいえ、完全に一人というわけではない。
「ねえ百済くん」
エリカが当然のように声をかけてきた。
「この前の数学の問題だけどさ」
「ん?」
「あれ、先生の解き方より簡単な方法あったよね?」
「ああ」
龍は少し考えた。
「たぶん、こっちの式を先に変形した方が早いと思う」
「あー!」
エリカが机を叩いた。
「それだ!」
「気づかなかったのか」
「悔しいけど気づかなかった」
「千葉さんらしい、かもな」
「なにそれ」
むっとした顔になる。
だが怒っているわけではない。
最近はこういうやり取りも少しずつ増えていた。
近くの席でその様子を見ていた幹比古が口を開く。
「確かに、その解き方の方が綺麗だね」
龍はそちらを見る。
幹比古は普段は穏やかなのに、授業の話になると時々妙に鋭い気がする。
龍には、その理由がよく分からなかった。
「途中式も少なくなるし」
「そうなのか」
「でも普通は気づきにくいと思う」
「そうかもしれない」
今度はエリカが頷いた。
「私は全然分からなかったし」
「千葉さん基準は参考にならない気がするけど」
「吉田くん?」
「ごめん」
即座に謝る幹比古に、エリカは吹き出した。
龍も少しだけ口元を緩める。
「吉田くんって昔から成績良かったの?」
エリカが尋ねる。
「あー……まあ、それなりに」
「神童なんでしょ?」
「誰から聞いたの?」
「えーっと、家族から、かな」
エリカは少しだけ視線を逸らした。
「やめてほしいな……」
幹比古が苦い顔をする。
龍は幹比古を見た。
「有名なのか?」
「家の関係でね」
幹比古は頭をかいた。
「小さい頃から結構期待されているんだ」
「へえ」
龍は短く返した。
(やっぱり、よく人を見ているような気がする……)
エリカとは違う。
相手に質問する時も、その反応を確かめるようなところがある。
龍には、それが少し印象に残った。
そんな龍を、幹比古は少し意外そうな顔で見ていた。
(もっと聞かれると思ったんだけどな……)
だが、興味がないわけでもなさそうだった。
幹比古には、それが少し不思議だった。
「百済くんは?」
「何が?」
「昔から勉強できたの?」
「……普通」
「絶対普通じゃないと思うけど」
エリカが即座に突っ込んだ。
龍は少しだけ困ったような顔をする。
「なんかさ」
「ん?」
「百済くんって、たまに変な顔するよね」
「変な顔とは失礼だな」
「だって今したもん」
「してない」
「した」
「してない」
珍しく言い返した龍に、エリカはけらけらと笑った。
幹比古もつられて笑う。
龍は小さくため息をついた。
それでも、席を立とうとはしなかった。
その様子を、氷華は静かに見ていた。
(……ちょっとだけ、楽しそう)
会話には入らない。
ただ、三人の様子を見ている。
幹比古は龍の言葉をよく聞いている。
エリカも、遠慮なく龍に話しかけている。
二人とも、龍に悪意があるわけではない。
むしろ、もっと近づこうとしている。
(……今は、大丈夫)
氷華の視線が、幹比古へ向く。
次に、エリカへ。
そして、龍へ戻った。
(でも……)
龍の過去。
龍の傷。
それだけは、まだ誰にも触れさせられない。
(踏み込みすぎたら、止めなきゃ)
氷華は何も言わなかった。
ただ、いつものように龍の隣にいる。
誰よりも近くで。
教室では、何気ない会話が続いていた。
まだ友人と呼ぶには早い。
それでも確かに、昨日よりは近い。
そんな昼休みだった。