一週間後。
教室の空気はすっかり落ち着き、誰と誰がよく話すのかも自然と見えるようになっていた。
休み時間。
龍は席に座ったまま、教科書を開いていた。
その隣には氷華がいる。
「百済くん、昨日の数学の宿題やった?」
そして、いつものようにエリカがやって来た。
「やった」
「見せて」
「嫌だ」
「即答!?」
エリカが大げさに肩を落とす。
「普通そこは少しくらい悩まない?」
「写す気だからだろ」
「うっ」
図星だったらしい。
龍の表情は相変わらず薄いままだ。
「じゃあ一問だけ」
「嫌だ」
「一問くらい!」
「一問見せたら全部見る」
「なんで分かるのよ」
「千葉さんだから」
「どういう意味よ!」
周囲から小さな笑い声が漏れた。
氷華は静かにそれを見ていた。
(……最初は、龍くんに近づきすぎているように見えた、けど)
こうして二人のやり取りを見ているうちに、少しずつ分かってきた。
エリカは、昔からこういう子なのだ。
龍に対する態度が変わったわけではない。
変わったのは、それを見る氷華の方だった。
不思議な子だ、と氷華は思う。
「百済くん」
今度は別の声。
幹比古だった。
「昨日の理科だけど」
「ああ」
「やっぱりあの現象、教科書の説明だけだと少し無理がない?」
龍は教科書を閉じた。
「ある」
「だよね」
二人の会話はいつもこうだった。
派手さはない。
だが話が始まると意外なほど続く。
「実際には条件をかなり単純化してる」
「やっぱりそうか」
「現実だと誤差が出る」
「どのくらい?」
「状況次第」
「なるほど」
幹比古は素直に頷く。
分からないことを聞き、理解しようとする。
知識をひけらかすこともなければ、競おうともしない。
龍もまた、それには答える。
少なくとも無視はしない。
「……へぇ」
エリカが横から覗き込んだ。
「吉田くんってこういう話好きなんだ」
「嫌いじゃないかな」
「私は三十秒で飽きる」
「だろうね」
「なんか腹立つなあ」
エリカが頬を膨らませる。
幹比古は少し笑った。
「千葉さんは身体を動かす方が好きそうだけど」
「正解」
「百済くんは?」
「どっちでもない」
「即答だね」
「百済くんらしいわね」
エリカも笑う。
龍は困ったように目を逸らした。
その様子を見て、氷華は小さく視線を伏せた。
(……龍くんは、変わった)
昔のように笑うわけではない。
が、他人の言葉にちゃんと返事をしている。
そんな彼を見るのは、久しぶりだった。
(……嫌なら、こんなふうにはしない)
氷華は、静かに二人を見る。
騒がしいエリカ。
真面目な幹比古。
性格は全く違う。
(……けれど、この二人なら)
「南海さん?」
不意に幹比古がこちらを見た。
「どうかした?」
「え?」
「今、何か考えてたように見えたから」
氷華は一瞬だけ目を瞬かせた。
「別に」
そう答える。
するとエリカが割り込んできた。
「本当に?」
「本当」
「怪しい」
「怪しくない」
「絶対怪しい」
しつこい。
氷華は小さくため息をついた。
「千葉さん」
「なによ?」
「宿題は終わったの?」
「うっ」
今度はエリカが固まる番だった。
龍が視線を逸らす。
幹比古も肩を震わせた。
「笑ったでしょ今!」
「いや」
「百済くん、今笑った!」
「気のせいだ」
「絶対笑った!」
教室に小さな笑い声が広がる。
騒がしい。
本当に騒がしい。
だというのに、氷華は以前ほどその光景を警戒していない自分に気づいた。
龍の隣は、自分の場所だ。
その考えは変わらない。
でも、その隣に立つことを許してもいい人間はいるのかもしれない。
少なくとも、この二人なら。
氷華は何も言わず、ただ静かに四人の輪の中へ視線を戻した。
教室の窓から差し込む春の日差しは、どこか穏やかだった。