劣等生と落伍者(Re:)   作:百済 影炎

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第十六話 四人の時間

 一週間後。

 

 教室の空気はすっかり落ち着き、誰と誰がよく話すのかも自然と見えるようになっていた。

 

 休み時間。

 

 龍は席に座ったまま、教科書を開いていた。

 

 その隣には氷華がいる。

 

「百済くん、昨日の数学の宿題やった?」

 

 そして、いつものようにエリカがやって来た。

 

「やった」

 

「見せて」

 

「嫌だ」

 

「即答!?」

 

 エリカが大げさに肩を落とす。

 

「普通そこは少しくらい悩まない?」

 

「写す気だからだろ」

 

「うっ」

 

 図星だったらしい。

 

 龍の表情は相変わらず薄いままだ。

 

「じゃあ一問だけ」

 

「嫌だ」

 

「一問くらい!」

 

「一問見せたら全部見る」

 

「なんで分かるのよ」

 

「千葉さんだから」

 

「どういう意味よ!」

 

 周囲から小さな笑い声が漏れた。

 

 氷華は静かにそれを見ていた。

 

(……最初は、龍くんに近づきすぎているように見えた、けど)

 

 こうして二人のやり取りを見ているうちに、少しずつ分かってきた。

 

 エリカは、昔からこういう子なのだ。

 

 龍に対する態度が変わったわけではない。

 

 変わったのは、それを見る氷華の方だった。

 

 不思議な子だ、と氷華は思う。

 

「百済くん」

 

 今度は別の声。

 

 幹比古だった。

 

「昨日の理科だけど」

 

「ああ」

 

「やっぱりあの現象、教科書の説明だけだと少し無理がない?」

 

 龍は教科書を閉じた。

 

「ある」

 

「だよね」

 

 二人の会話はいつもこうだった。

 

 派手さはない。

 

 だが話が始まると意外なほど続く。

 

「実際には条件をかなり単純化してる」

 

「やっぱりそうか」

 

「現実だと誤差が出る」

 

「どのくらい?」

 

「状況次第」

 

「なるほど」

 

 幹比古は素直に頷く。

 

 分からないことを聞き、理解しようとする。

 

 知識をひけらかすこともなければ、競おうともしない。

 

 龍もまた、それには答える。

 

 少なくとも無視はしない。

 

「……へぇ」

 

 エリカが横から覗き込んだ。

 

「吉田くんってこういう話好きなんだ」

 

「嫌いじゃないかな」

 

「私は三十秒で飽きる」

 

「だろうね」

 

「なんか腹立つなあ」

 

 エリカが頬を膨らませる。

 

 幹比古は少し笑った。

 

「千葉さんは身体を動かす方が好きそうだけど」

 

「正解」

 

「百済くんは?」

 

「どっちでもない」

 

「即答だね」

 

「百済くんらしいわね」

 

 エリカも笑う。

 

 龍は困ったように目を逸らした。

 

 その様子を見て、氷華は小さく視線を伏せた。

 

(……龍くんは、変わった)

 

 昔のように笑うわけではない。

 

 が、他人の言葉にちゃんと返事をしている。

 

 そんな彼を見るのは、久しぶりだった。

 

(……嫌なら、こんなふうにはしない)

 

 氷華は、静かに二人を見る。

 

 騒がしいエリカ。

 真面目な幹比古。

 

 性格は全く違う。

 

(……けれど、この二人なら)

 

「南海さん?」

 

 不意に幹比古がこちらを見た。

 

「どうかした?」

 

「え?」

 

「今、何か考えてたように見えたから」

 

 氷華は一瞬だけ目を瞬かせた。

 

「別に」

 

 そう答える。

 

 するとエリカが割り込んできた。

 

「本当に?」

 

「本当」

 

「怪しい」

 

「怪しくない」

 

「絶対怪しい」

 

 しつこい。

 

 氷華は小さくため息をついた。

 

「千葉さん」

 

「なによ?」

 

「宿題は終わったの?」

 

「うっ」

 

 今度はエリカが固まる番だった。

 

 龍が視線を逸らす。

 

 幹比古も肩を震わせた。

 

「笑ったでしょ今!」

 

「いや」

 

「百済くん、今笑った!」

 

「気のせいだ」

 

「絶対笑った!」

 

 教室に小さな笑い声が広がる。

 

 騒がしい。

 

 本当に騒がしい。

 

 だというのに、氷華は以前ほどその光景を警戒していない自分に気づいた。

 

 龍の隣は、自分の場所だ。

 

 その考えは変わらない。

 

 でも、その隣に立つことを許してもいい人間はいるのかもしれない。

 

 少なくとも、この二人なら。

 

 氷華は何も言わず、ただ静かに四人の輪の中へ視線を戻した。

 

 教室の窓から差し込む春の日差しは、どこか穏やかだった。

 

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