五月。
ゴールデンウィークが明けて最初の平日。
昼休み。
昼食を食べ終えた龍の席に、エリカと幹比古がいつものように集まっていた。
その隣では、氷華が席を立つことなく話に加わっている。
誰かが約束したわけではない。
が、今では四人でいることが当たり前になりつつあった。
「そういえばさ」
「何だ?」
龍が少し遅れてエリカを見る。
「この前の理科の授業、百済くん結構すごかったよね」
「そうか?」
首を傾げる龍。
「そうよ。先生が黒板に書き間違えたところ、すぐ気づいていたじゃない」
氷華が当然のように言う。
「いや、あれは――」
「お兄ちゃんは昔からそういうの得意だったもの」
その瞬間だった。
沈黙。
龍が固まる。
幹比古が瞬きをする。
エリカの口が半開きになる。
そして。
「……あ」
氷華の顔がみるみる赤くなった。
自分で何を言ったのか理解したらしい。
「えっ」
エリカが龍と氷華を交互に見る。
「お兄ちゃん?」
「…………」
「お兄ちゃん?」
追撃。
氷華は視線を逸らした。
「き、聞き間違いよ」
「聞き間違う要素あった?」
「なかったね」
珍しく幹比古まで同意する。
氷華は耳まで赤く染まった。
「……忘れてちょうだい」
「無理でしょ」
エリカは即答した。
「だって気になるじゃない」
「気にしなくていいわ」
「いや気になるって」
龍は助け船を出そうか迷ったが、どう言えばいいのかわからず、結局黙ったままだった。
するとエリカは突然、何かを思いついたように手を打った。
「あ、決めた」
「何を?」
幹比古が嫌な予感を覚えたような顔をする。
「吉田くんは長いからミキ」
「は?」
今度は幹比古が固まる番だった。
「百済くんは龍」
「……まあ、呼びやすいならそれで」
「いや待て」
幹比古が即座に反論する。
「なぜ僕がミキなんだ」
「幹比古だから」
「説明になってない」
「可愛いじゃない」
「可愛くなくていい」
「じゃあ決定」
「決定するな」
しかしエリカは聞いていない。
「龍」
「……何だ」
「ほら、ちゃんと反応した」
「今のは呼ばれたからで……」
「つまり問題なし」
意味が分からない。
だがエリカは満足そうだった。
そして今度は氷華へ向き直る。
「南海さんもさ」
「何?」
「氷華って呼んでいい?」
今度は氷華が固まった。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように静かになる。
エリカは氷華の顔をじっと見つめている。
数秒。
その沈黙は、龍が思っていたよりも長かった。
龍も何か言おうとしたが、結局何も思いつかなかった。
「……嫌だった?」
エリカが少し不安そうに尋ねる。
その時、氷華はようやく口を開いた。
「……いいわよ」
「本当?」
「その代わり」
氷華はわずかに口元を緩めた。
「私はエリカさんと呼ばせてもらうわね」
「うん!」
エリカが満面の笑みを浮かべる。
その様子を見ながら、幹比古は肩をすくめた。
「結局、全部千葉さんの思い付きじゃないか」
「でも嫌じゃないでしょ?」
「……否定はしない」
幹比古は苦笑する。
そのやり取りを聞きながら、龍は小さく息を吐いた。
少し前の自分なら、こうして誰かと昼休みを過ごしていることなど想像もしていなかった。
どうしてこうなったのかは分からない。
ただ――少なくとも居心地が悪いとは思わなかった。
もっとも。
この日以降もしばらく、氷華は「吉田さん」と呼び続けた。
だが、エリカはあきらめなかった。
一学期の終わり頃。
「だからさ、もうミキでいいじゃない」
いい加減うんざりしてきた氷華はしばらく黙り込んだあと、視線を逸らした。
「……ミキさん」
氷華がそう呼んだ瞬間。
エリカは勝利を確信し、幹比古は敗北を悟ったのであった。