2095年1月。
百済家崩壊後、初となる師族会議緊急会合。
会場に集った十師族当主たちの表情は、一様に重かった。
議題はただ一つ。
――百済龍の処遇について。
巨大な楕円卓の中央に投影された資料には、簡潔な文字だけが並んでいる。
『百済家嫡流最後の生存者』
『魔法技能低下を確認』
『精神状態:不安定』
『監視継続中』
だが、その場の誰もが理解していた。
問題なのは、そこに書かれていない部分だ。
「……皮肉なものだな」
最初に口を開いたのは、
「百済家が潰えた途端、最後に残ったのが“あれ”とは」
「言葉を選べ、五輪」
静かに返したのは
「あれはまだ、百済の嫡流だ」
「嫡流、ねえ」
「でも現実問題、今の彼に家名を背負わせるのは無理でしょう? 精神面も含めて」
「再起できる保証がない以上、軍としても扱いに困る」
防衛軍代表の男が淡々と告げた。
「現段階では保護対象です。だが同時に、潜在的危険因子でもある」
「……危険、か」
一色継臣が低く呟く。
その声音には、微かに苦味が混じっていた。
百済家の切り捨て。
あの決断を最終的に下したのは、一色家だ。
もちろん、あの状況では避けられなかった。
放置すれば、十師族全体へ延焼しかねなかったからだ。
だが。
(もし、もう少し早く動けていれば)
継臣はその続きを胸中で切り捨てた。
今さら意味のない仮定だった。
「しかし、困ったものだ」
「才能だけなら惜しい。だが抱え込むには、危険すぎる」
「だからといって放置もできまい」
七草弘一が言う。
「百済龍が本当に“無能”なら、話は簡単だったんだがね」
その場に、小さな沈黙が落ちた。
誰も否定しない。
百済龍。
表舞台にはほとんど名を出していない。
だが一部では、“無名の天才”として知られていた少年。
事故以前の研究記録。
理論構築能力。
異常な発想速度。
そして何より――百済の血。
「……仮に」
「仮に、彼が立ち直ったとして。その責任を誰が負う?」
誰も答えない。
「軍は?」
「現状では預かれません」
即答だった。
「精神が不安定な未成年を軍の施設で管理するのはリスクが高すぎる。刺激次第で何が起きるかわからない」
「つまり、軍も嫌だと」
「言い方は任せます」
淡々と返され、空気がさらに重くなる。
押し付け合い。
そんな空気が、卓上にじわじわと広がっていた。
その時だった。
「――そういえば」
不意に、
それまでほとんど沈黙していた女当主に、自然と視線が集まる。
真夜は薄く笑ったまま、卓の端へ視線を向けた。
「南海殿はどうお考えかしら?」
その一言で。
場の空気がわずかに変わる。
オブザーバー席に座っていた南海雅臣は、数秒沈黙した。
そして静かに口を開く。
「……南海家で保護します」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
会議室から音が消えた。
「正気か?」
最初に反応したのは
「危険性は理解しているはずだ」
「理解しています」
雅臣は即答した。
「その上で申し上げています」
「南海家が背負うには重すぎるぞ」
「承知の上です」
継臣が険しい顔になる。
「雅臣。本気で言っているのか?」
「ええ」
「……氷華嬢はどうする」
その問いに。
雅臣はほんのわずかだけ目を伏せた。
だが次の瞬間には、いつもの冷静な顔へ戻っている。
「龍君と氷華の婚約は、この場で解消します」
空気が張り詰めた。
二木舞衣が目を細める。
「そこまでして抱えるの?」
「誤解なさらないでいただきたい」
雅臣は静かに言う。
「これは南海家の利益ではありません」
「では何だ?」
五輪勇海の問いに、雅臣は少しだけ間を置いた。
「……保護者としての責任です」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
建前としては理解できる。
だがそれだけではないことを、全員が察していた。
南海家は、百済家と近すぎた。
だからこそ。
切り捨てきれない。
「成年まで、か」
九島真言が静かに確認する。
「はい。龍君が自立可能になるまで、南海家が保護します」
「その後は?」
「本人の意思を尊重します」
再び沈黙。
そして最終的に、その場の誰も反対しなかった。
否。
できなかった。
他に背負える者が、誰もいなかったからだ。
「……異議なしと見做してよろしいかしら?」
真夜の声だけが、妙に穏やかに響いた。
誰も答えない。
それが答えだった。
こうして。
百済龍の処遇は決定した。
◇
会議終了後。
重い扉が閉じられ、当主たちは静かに席を立っていく。
最後まで残っていた雅臣へ、真夜が不意に声をかけた。
「南海殿」
「何でしょう」
「あなた、本当に損な役回りが好きね」
からかうような声音だった。
だが雅臣は笑わない。
「……そう見えますか」
「ええ」
真夜は微笑む。
「少なくとも、“政治”だけで動く人間には見えないわ」
雅臣は返答しなかった。
ただ一礼だけを残し、会議室を後にする。
脳裏に浮かぶのは、ある部屋の光景だった。
ベッドの上で虚ろな目をした少年。
その隣から、一歩も離れようとしない銀髪の少女。
そして。
『龍くんを、一人にしないで』
震える声でそう言った、娘の顔。
雅臣は静かに目を閉じる。
これは善意ではない。
正義でもない。
ただ。
あの二人を見捨てられなかった。
それだけだった。