EP7-1
翌日
校舎3階。
椎名は、廊下を歩きながら周囲を見回していた。
昨日、岩沢と話したあと、二人は音無に相談することを決めた。
直井の催眠術によって、巧が見た記憶。
血の付いた手と、倒れていた人々。そして、白い化け物のような姿。
あの光景が何だったのか。
それだけではない。あの光景の前後に何があったのか。巧が記憶を失う前に、何をしていたのか。
断片的に残された記憶をたどれば、今まで分からなかったことが見えてくるかもしれない。
もちろん、必ず記憶が戻るとは限らない。
それでも、何も分からないまま巧が自分を責め続けるのを、これ以上見ていたくなかった。
「……いた」
廊下の先に、音無の姿が見えた。
椎名は足を速め、彼の前で立ち止まる。
「……音無」
「ん? 椎名か。どうした?」
「……頼みがある」
「頼み?」
椎名は小さく頷いた。
「……直井に、話を通してほしい」
音無は少しだけ眉を上げた。
「直井に?」
「ああ。乾の記憶についてだ」
その言葉を聞き、音無の表情が変わった。
「……分かった。詳しく聞かせてくれ」
椎名は、昨日、巧と岩沢と話し合ったことを説明した。
以前、直井の催眠術によって巧が見た記憶。
血の付いた手と、倒れている人々の光景。
二人は、まず自分たちの目でそれを確かめたいと考えていた。そして、可能ならば、その前後の記憶もたどってみたい。
巧自身が覚えていない出来事でも、何か手掛かりが見つかるかもしれないからだ。
音無は最後まで黙って聞いていた。
「……なるほどな」
「……頼めるか?」
「ああ。俺から話してみる」
音無は頷いた。
「ただ、記憶が戻るかどうかは分からないぞ。見たものを共有するのと、失われた記憶を取り戻すのは別の話だろうしな」
「……ああ。それは分かっている」
「それでも、確かめたいんだな」
「そうだ」
椎名は迷わず答えた。
「何があったのか分からないまま、乾が自分を責め続けるのは……もう見ていられない」
音無は椎名の顔を見つめた。
彼女が何を心配しているのか、察しはついた。
「……そうだな。俺も、できることがあるなら協力したい」
音無は歩き出した。
「じゃあ、行こう。直井を探さないとな」
「……ああ」
二人は、直井を探しに向かった。
しばらくして。
「……直井、少しいいか?」
音無が声を掛けると、直井は振り返った。
「あっ、音無さん!」
直井の表情が、ぱっと明るくなる。
先ほどまでの気取った態度はどこへやら、音無を見つけた途端、足早に近づいてきた。
「どうされました? 音無さん!」
「ちょっと頼みたいことがあるんだ」
「頼み、ですか? もちろんです! 僕にできることなら、何でもお申し付けください!」
「いや、そこまで大げさな話じゃないんだけどな……」
音無が苦笑すると、直井は満足げに頷いた。
「いえいえ、音無さんのお役に立てるのであれば、それだけで十分です!」
そして、ふと隣にいる椎名へ視線を向けた。
「……ところで、そちらは?」
「椎名だ」
音無が答えると、直井は軽く頷いた。
「それで、僕に何か用でも?」
「……乾の記憶についてだ」
椎名の言葉に、直井の表情がわずかに変わった。
「乾の記憶?」
「ああ。以前、お前の催眠術で乾が見た記憶の件だ」
音無が説明を補う。
「椎名と岩沢が、あのとき乾が見たものを自分たちの目でも確かめたいらしい。それに、できることなら、その前後の記憶もたどりたいそうだ」
「前後の記憶、ですか?」
「ああ。乾自身、覚えていないことが多いだろ。あの光景だけを見ても、何が起きていたのかまでは分からないからな」
直井は腕を組み、考え込むような仕草をした。
「なるほど。以前見た記憶を手掛かりに、その前後を探るわけですね」
「そういうことだ」
直井は椎名を見た。
「それで、あなたもその記憶を見るおつもりなのですね?」
「ああ。岩沢も一緒だ」
「自分の目で確かめたうえで、何があったのかを考えたいということですか」
「……そうだ」
椎名は短く答えた。
直井は小さく笑った。
「まあ、気持ちは分からなくもありません。もっとも、どこまで記憶をたどれるかは、実際に試してみなければ分かりませんが」
音無が尋ねた。
「できそうなのか?」
「記憶を呼び起こすこと自体は、僕の能力の範囲内です。ただし、本人が思い出せない記憶を、都合よくすべて取り戻せるとは限りません」
直井は一度言葉を切った。
「記憶が曖昧になっているのか、何らかの理由で思い出せないのか。それによっても結果は変わるでしょう」
「……なるほどな」
音無は頷いた。
「それでも、やってみる価値はあると思う。何も分からないままよりはいい」
「ええ。僕もそう思います」
直井は胸を張った。
「ただし、複数人で記憶を共有するのは僕にとっても初めての試みです。どのような結果になるかまでは分かりません」
「……大丈夫なのか?」
音無が尋ねる。
直井は即座に胸を張った。
「問題ありません。僕の催眠術を疑う必要はありませんよ」
「いや、初めてなんだろ?」
「初めてだからといって、できないと決まったわけではありません」
「……まあ、そうだけどさ」
直井は自信満々に続けた。
「人の意識に働きかけ、記憶をたどることはできます。ならば、その記憶を複数人で共有することも不可能ではないでしょう」
「……ずいぶん自信があるんだな」
「当然です。僕は自分の力を理解していますから」
音無は、少しだけ不安そうな顔をした。
「……嫌な予感するな。本当に、無理はするなよ?」
「もちろんです、音無さん! あなたにご心配をお掛けするようなことはいたしません!」
直井は勢いよく返事をした。
「……それで、いつやる?」
音無が尋ねると、直井は少し考えた。
「準備ができ次第、行いましょう。乾にも、その旨を伝えておいてください」
「分かった。ありがとうな、直井」
「いえ! 音無さんのお頼みですから!」
直井は丁寧に一礼した。
二人が立ち去ると、直井は小さく呟いた。
「……記憶の共有、ですか」
腕を組み、考え込む。
「失われた記憶のすべてを取り戻すことは難しいかもしれませんが……断片をたどることなら、できる可能性はある」
直井は自分の手を見つめた。
「僕の催眠術なら、何か手掛かりを見つけられるはずです」
そう言い切ると、直井は満足げに笑った。
……とはいえ、彼にはもう一つ、気になっていることがあった。
以前、巧がベルトを使って変身した、赤い戦士。
そして、その直後に自分の胸倉を掴んできた、あの男のことだ。
突然姿を変えたかと思えば、普通の人間とは思えない力を見せつけてきた。
あのベルトは何なのか。
あの戦士は、いったい何者なのか。
「……記憶の中に、何か手掛かりがあるといいのですが」
直井はそう呟き、その場を後にした。
その日の午後。
直井の準備が整い、巧たちは指定された場所へ集まっていた。
巧、岩沢、椎名、音無。
そして、直井。
「……本当に、今回の記憶を確かめるんだな?」
巧が念を押す。
「ええ。以前あなたが見た記憶を手掛かりに、その前後も可能な範囲でたどってみます」
直井は腕を組み、さも当然のように答えた。
「……そもそも、できるのか?」
「それはやってみなければ分かりませんね」
「……おい」
巧は眉をひそめた。
「まさか、何も分かってねぇのに始める気か?」
「複数人で共有するのは初めてだと言ったでしょう」
「当然みたいに言うな!」
岩沢が小さく笑った。
「まあまあ。直井だって、やってみなきゃ分からないんだろ?」
「そういうことです」
直井は偉そうに頷いた。
「あなたたちは黙って見ていればいいのです。僕が何とかしてみせますから」
「……お前なぁ」
巧は呆れたように息を吐いた。
「……ったく。まあいい」
そう言いながら、巧は直井の方へ歩いていった。
「……そういえば、直井」
「……何ですか?」
「前はよくもやってくれたな?」
巧は直井の襟元を掴んだ。
「なっ……! ちょ、ちょっと待ちなさい、乾! 何をするのですか!」
「こっちはお前のせいで色々あったんだよ。覚悟はできてるか? あん?」
巧が顔を近づける。
「チンピラかお前は!」
音無が即座に突っ込んだ。
「僕は自分の身を守るために――」
「だから、そのせいで色々あったんだよ」
巧は直井の襟を掴んだまま睨みつけた。
「……あん?」
「だからチンピラかお前は!」
音無がもう一度突っ込む。
岩沢も巧の肩に手を置き、宥めるように声を掛けた。
「まあまあ、乾。落ち着けって。これからやることあるんだから」
巧はしばらく直井を睨んでいたが、やがて舌打ちして手を引いた。
「チッ……」
「最後までチンピラだな」
岩沢が呆れたように言う。
直井は乱れた襟を整えながら、恨めしそうに巧を見た。
「……まったく。これだから低脳は……」
「……あ?」
巧の目つきが変わる。
「おい、今なんつった?」
「乾、やめとけって」
岩沢が再び肩を押さえる。
直井は音無の方をちらりと見た。
「……音無さん。僕は何もしていませんよ? 突然、この男が掴みかかってきたのです」
「いや、お前も一言多いんだよ……」
音無は呆れたようにため息をついた。
「……まったく、乾も直井も。もう少し落ち着けないのか?」
「俺は約束を守りに来ただけだ」
巧は不満そうに顔を背けた。
「それとチンピラになるのは別問題だろ」
「……チッ、もういい」
巧は空いている席へ向かった。
岩沢も、その隣に腰を下ろす。
「……ほんと、アンタらしいな」
「どこがだよ」
「文句を言いながらも、結局ちゃんと来るところ」
「……自分の記憶を確かめるんだから、来るしかねえだろ」
「はいはい」
岩沢は小さく笑った。
直井は咳払いをして、改めて巧たちの前に立った。
「……皆さん、そろそろ始めますよ。いつまでも無駄話をしていても仕方ありませんからね」
「お前が言うな」
巧がぼそりと呟いた。
「……何か?」
「なんだよ?」
直井は鼻を鳴らした。
音無は二人を見比べ、深いため息をついた。
「……本当に大丈夫なのか、これ」
「大丈夫だろ。たぶん」
岩沢が答える。
「たぶんって……」
音無の不安は、ますます深まるばかりだった。
「……よし。じゃあ、始めるぞ」
直井が巧に向き直った。
そのときだった。
「……待て」
巧の声が響いた。
直井の手が止まる。
「……何ですか? やはり、気が変わりましたか?」
「嫌だけど、そうじゃない」
巧は音無へ顔を向けた。
「……音無、ゆりを呼べ」
「……ゆり?」
音無は不思議そうに巧を見た。
「なんでだ?」
「いいから、呼んでくれ」
音無は納得のいかない顔をしたものの、やがて頷いた。
「あ、ああ……分かった」
音無は部屋を出ていった。
岩沢は、巧の顔を覗き込む。
「……ゆりっぺを呼ぶ理由って何だ?」
「……別にいいだろ」
巧は顔を背けた。
「……ふーん」
岩沢は何か言いたげだったが、それ以上は追及しなかった。
椎名も、黙って二人のやり取りを見ていた。
数分後。
扉が開き、音無とゆりが入ってきた。
「何かしら?」
ゆりは部屋の中を見回した。
「珍しいメンツね。昨日、椎名さんが直井くんを探していた理由と関係あるのかしら?」
「……そうだ」
椎名が静かに答える。
音無が苦笑した。
「悪いな、ゆり。ちょっと事情があってさ」
「事情?」
ゆりは巧へ視線を向けた。
「……それで、何があったの?」
巧は岩沢を見た。
「……岩沢。これからすることを説明してくれ」
「……いいのか?」
「ああ……しょうがないだろ」
岩沢は一度頷き、ゆりに事情を説明し始めた。
以前、直井の催眠術によって巧が見た記憶。
血の付いた手と、倒れている人々。そして、白い化け物のような姿。
巧はその光景を見て、自分が大勢の人間を傷つけたのではないかと考えた。
その不安から、自分を化け物だと思い込み、岩沢や椎名を遠ざけようとしていたこと。
今回、直井の催眠術を使い、あの記憶と、その前後に何があったのかを確かめようとしていること。
ゆりは黙って聞いていた。
「……血の付いた手と、倒れていた人たち。それを見て、自分が大勢の人間を傷つけたんじゃないかって考えたわけね」
「ああ」
巧は短く答えた。
ゆりは腕を組んだ。
「でも、人が倒れていたことと、あなたがその人たちを襲ったことは別でしょう。白い化け物のような姿だって、私たちには何なのか分からないわ」
「……俺だって、何が何だか分かってねぇよ」
「なら、今の段階で自分が何かをしたと決めつける必要はないわね」
ゆりは巧を見た。
「……それで、私も一緒に見ればいいの?」
「お前も見とけ。それで何かあった時の対策を考えろ。それにお前や岩沢の過去は聞いたしな」
巧はゆりをまっすぐ見た。
ゆりは少しだけ目を瞬かせた。
「…アレは自分で話しただけよ。本当にいいのね?」
「ああ」
巧は短く答えた。
「お前がリーダーだろ」
それだけ言うと、巧は視線を逸らした。
ゆりは一瞬、彼の顔を見つめた。
自分に判断を任せるつもりなのだろう。
余計な説明はない。だが、何かあったときにどう動くべきか、それを考える役目を自分に託している。
「……分かったわ。何かあったら、私たちで対応する。それでいい?」
「ああ」
「ただし、記憶が戻らなかったからといって、自分に都合の悪い結論を勝手に出すのはなしよ」
「……分かってる」
ゆりは頷いた。
そして、ふと思い出したように直井へ視線を向けた。
「ところで、直井くん。記憶を見れば、あのベルトのことも何か分かるのかしら?」
「ベルト、ですか?」
直井はわずかに反応した。
「ええ。以前、乾くんが変身したときに使っていたものよ。あれが何なのか、どういう力を持っているのか。私たちはまだ何も知らないでしょう?」
ゆりは巧に視線を戻した。
「あなたが使っていたものなんだから、記憶の中に何か手掛かりがあるかもしれないと思って」
「……ああ。まあ、俺が使ってたもんだしな」
巧はそう答えたものの、どこか釈然としない顔をしていた。
自分のものだという感覚はある。
だが、それが何なのか、どうして使えるのか。肝心なことは、今の巧には分からなかった。
「……ま、俺としても興味はあるな」
直井が口を挟んだ。
「突然、正体不明の戦士に変身したかと思えば、いきなり僕の胸倉を掴んできたのですよ? あれが何なのか、僕も気になります」
「アレはお前が悪いんだろが」
巧は即座に言い返した。
「なっ……! 僕は自分の身を守ろうとしただけです!」
「その結果、こっちは色々あったんだよ」
「それはあなたが勝手に――」
「……まあ、乾くんの言うことも一理あるわね」
ゆりが口を挟んだ。
岩沢も、うんうんと頷く。
椎名も静かに頷き、音無まで困ったように頷いていた。
「なっ……!?」
直井は周囲を見回した。
「皆さんまで、何を納得しているのですか!?」
「いや……お前にも、思い当たる節があるだろ?」
音無が苦笑する。
「それは……!」
直井は言葉に詰まった。
巧は腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「……分かってんなら、余計なこと言ってんじゃねえよ」
「ぐっ……!」
直井は悔しそうに唇を引き結んだ。
岩沢は、そんな二人を見て小さく笑った。
「……ま、これでお互い様ってことにしとけよ」
「俺は別に、こいつとお互い様になった覚えはねえけどな」
「あなたという人は……!」
直井が反論しかける。
「はいはい、そこまで」
音無が間に入った。
「今は記憶を確かめるのが先だろ?」
「……チッ」
巧は不満そうに顔を背けた。
直井も、まだ言い足りない様子ではあったが、渋々口を閉じた。
ゆりは改めて直井に向き直った。
「記憶の中に答えがあるとは限らない。それは分かっているわ。それでも、見られるものは確かめたいの」
「……分かりました。では、始めましょう」
直井は一度咳払いをして、気を取り直した。
岩沢は、隣に座る巧をちらりと見た。
「……ま、何かあったらアタシたちがいるんだ。少しは頼れよ」
「……余計なお世話だ」
「はいはい」
岩沢は小さく笑った。
椎名は、そのやり取りを静かに聞いていた。
巧はまだ、自分の記憶を見られることを恐れている。
それでも、何があったのかを確かめるために、仲間と一緒に向き合おうとしていた。
「……分かった」
巧は小さく息を吐いた。
「……直井。始めてくれ」
「ふん。ようやく本題に戻れますね」
直井は腕を組み、巧を見た。
「まったく、あなたたちに付き合っていると、いつまで経っても先へ進みません」
「お前が一番寄り道させてんだろうが」
巧がぼそりと呟く。
「何か言いましたか?」
「あ?」
「なんですか?」
直井は鼻を鳴らした。
音無が、間に入るように口を開く。
「……直井。頼むぞ」
「はい、音無さん! お任せください!」
直井は音無に向けて勢いよく頷いた。
その直後、巧たちへ向き直る。
「では、これから僕が催眠術をかけます。余計な口を挟まず、指示に従いなさい」
「……はいはい」
巧は面倒くさそうに返した。
「返事は一度で結構です。まったく……」
直井は呆れたように息を吐いた。
「……で、具体的にはどうするんだ?」
音無が尋ねると、直井は巧へ視線を戻した。
「まず乾、お前は僕の目を見ろ。僕が催眠をかけて意識を失わせる。その後、僕が君の額に触れる。君たちは乾の身体に触れていればいい」
「それで記憶を共有できるのか?」
「そうです。僕が以前見た記憶を手掛かりに、君の記憶をたどります。そこから前後の記憶を呼び起こせないか試し、僕が確認できたものを皆さんにも共有する。それが今回の試みです」
「……それで、俺が思い出せなかったら?」
巧が尋ねた。
直井は一瞬だけ口を閉じた。
「その場合は、そこで見られるものが終わりです。本人が忘れているだけの記憶なら、何かしらの手掛かりが見つかる可能性はありますが、必ず思い出せるとは限りません」
「……当然だな」
「それに、記憶をたどるのは僕です。君が思い出せない部分を、僕が都合よく作り出せるわけではありません」
「……初めてやるんじゃなかったか?」
巧が疑わしげに尋ねる。
「複数人で共有するのが初めてだと言ったのです。僕の能力を疑うのですか?」
「……別に。失敗したら面倒だと思っただけだ」
「ふん、余計な心配です」
直井は鼻を鳴らした。
「……ただ、僕が君の記憶をたどる以上、その中身を確認することになります。そこは承知しておいてください」
「……待て。つまり、お前も俺の記憶を見るんだな?」
巧は露骨に嫌そうな顔をした。
「当然でしょう。僕が記憶をたどらなければ、皆さんに共有することもできません」
「……そういうことは先に言え」
「説明したつもりですが?」
「どこがだよ……」
巧は顔をしかめた。
岩沢が小さく息を吐く。
「まあ、アタシたちも一緒に見るんだ。直井だけが見られるわけじゃないだろ」
「そういう問題じゃねえ」
「では、今からやめますか?」
直井が皮肉っぽく尋ねた。
巧は一瞬だけ黙り、岩沢と椎名に目を向けた。
二人とも、真剣な表情でこちらを見ていた。
「……いや、やる」
巧は短く答えた。
「……直井くん」
ゆりが口を挟んだ。
「何か異常があれば、すぐに中止しなさい。記憶を共有することと、失われた記憶を呼び起こすことを同時に試すんでしょう? 何が起きるか分からないわ」
「お前に言われるまでもない」
直井は平然と答えた。
「僕が異常に気づかないとでも思っているのですか?」
「そういう意味じゃないわ。初めての試みなんでしょう?」
「だから何だ? 何度も言わせないでください。僕の能力なら問題ありません」
直井は、ゆりから視線を外した。
「……まったく。これ以上、説明する必要もないでしょう」
巧は小さく息を吐く。
「……大した自信だな」
「当然です。僕にはそれだけの能力があるのですから」
直井は顎を上げた。
「では乾、こちらを見ろ。僕の目から視線を逸らすな」
巧は不満そうにしながらも、直井の目を見つめた。
やがて、瞼がゆっくりと閉じる。
巧の身体から力が抜け、後ろへと傾いた。
「お、おい!」
音無は慌てて巧を受け止めようとした。
だが、突然体重を預けられたことで勢いを殺しきれず、二人そろって床へ倒れ込んだ。
「ガンッ!」
「っ……いてぇ……!」
後頭部をぶつけた音無が、床に手をついて顔をしかめる。
「音無さん!?」
直井が声を上げた、その直後だった。
音無の意識が、急速に遠のいていく。
「……あれ?」
視界が暗くなる。
音無は、何が起きているのか理解できないまま、巧の身体を支えていた手に力を込めた。
だが、その手の感覚さえ、次第に遠ざかっていく。
直井は目を見開いた。
「な、何だ……? 僕はまだ、そこまで深く催眠を掛けていないぞ……!」
直井は慌てて周囲を見回した。
自分の想定とは明らかに違う反応だった。
音無はすでに意識を失っている。
岩沢と椎名が駆け寄ったのは、音無ではなく、床に倒れた巧のそばだった。
「乾!」
岩沢が巧の肩に手を伸ばす。
椎名も、巧の身体を支えようと膝をついた。
巧の頭が床にぶつかっていないか。呼吸に異常はないか。
二人が確かめようとした、その瞬間。
岩沢の指先が巧の肩に触れた。
椎名の手も、巧の腕に触れる。
二人の身体から、同時に力が抜けていった。
岩沢は巧のそばへ崩れ落ち、椎名もその場に倒れ込んだ。
ゆりは目を見開いた。
岩沢も、椎名も、音無も。
誰もが意識を失っている。
「……いったい、何が……」
ゆりは巧の身体へ手を添えた。
その瞬間、ゆりの視界も暗くなっていく。
身体から力が抜け、彼女もまた、その場に倒れた。
直井は目の前の光景に言葉を失った。
「な、何なんだ、これは……!」
音無だけではない。
岩沢も、椎名も、ゆりまで。
誰一人として、自分の意思で動ける状態ではなくなっていた。
直井は慌てて巧の額に手を当てた。
「……くそっ。いったい何が起きているんだ……!」
予想していたものとは違う。
誰かが意図的に何かをしたわけでもない。
それなのに、巧に触れた者たちが次々と意識を失っていく。
直井自身も、すでに巧の記憶へ意識を向けていた。
今さら手を離しても、何が起きるか分からない。
「……いいだろう。原因は、記憶の中で確かめるしかないか」
直井は表情を引き締め、意識を集中させた。
次の瞬間、直井の意識もまた、巧の記憶の中へと引き込まれた。
最初に見えたのは、地面に倒れている人々だった。
何人もの人間が、あちこちに横たわっている。
その周囲には血が広がっていた。
視界がゆっくりと下へ向けられる。
そこに映ったのは、白い手だった。
人間のものとは明らかに違う。
白い皮膚に覆われた指先には鋭い爪が伸び、その先には赤い血が付着していた。
岩沢と椎名2人の視界に巧の言っていた例の記憶が現れた。
(コレが乾の言ってた例の記憶なのか?)
視界が動き、再び周囲の人々を映し出す。
血の付いた白い手。
倒れている人々。
まるで、その場にいた何かが人々を襲ったかのような光景だった。
ゆりは険しい表情で、映し出される光景を注意深く見ていた。
(乾くんの言ってた白い化け物の手…?まだ見ないと分からないわね)
視界が止まる。
白い手が、再び映し出される。
鋭い爪に付着した血。
その手と、周囲に倒れている人々。
岩沢は目を細め、椎名は視線を落とすことなく、その光景を見つめ続けていた。
ゆりもまた、何かを確かめるように目の前の映像を追っていた。
やがて視界が暗くなり、記憶が途切れた。
現実の部屋では、巧を囲むように岩沢、椎名、音無、ゆりが倒れていた。
誰も意識を取り戻さない。
直井だけが、記憶の中に留まっていた。
「……これが、僕が身を守るために乾に見せた、彼の忘れたい記憶だったのか……」
直井は、先ほどの光景を思い返す。
「しかし……あの異形は何なんだ?」
血の付いた白い手。
倒れていた人々。
確かに、あの光景だけを見れば、巧が人々を襲ったようにも思える。
だが、それだけで結論を出すことはできない。
そもそも、なぜ巧はあの場所にいたのか。
あの白い手は何なのか。
そして、あの血は何を意味しているのか。
「……もう少し、奥を見てみるか」
直井は、さらに深く記憶を探ろうとした。
意識を集中させる。
だが、次の瞬間。
直井の意識が大きく揺らいだ。
「なっ……!」
予想していたものとは違う。
記憶の奥へ進もうとした途端、まるで何かに引きずり込まれるように意識が深く沈んでいく。
「待て……! これは……!」
直井は制御しようとする。
だが、記憶の流れは止まらない。
自分の意思で進めているはずだった。
それなのに、もう戻ることすらできない。
「くっ……!」
直井の視界が歪む。
そして、意識が途切れた。