乾巧は死後の世界で目を覚ます。   作:小虎555

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EP7-1

 

 

EP7-1

 

 

 

翌日

 

 

校舎3階。

 

椎名は、廊下を歩きながら周囲を見回していた。

 

昨日、岩沢と話したあと、二人は音無に相談することを決めた。

 

直井の催眠術によって、巧が見た記憶。

 

血の付いた手と、倒れていた人々。そして、白い化け物のような姿。

 

あの光景が何だったのか。

 

それだけではない。あの光景の前後に何があったのか。巧が記憶を失う前に、何をしていたのか。

 

断片的に残された記憶をたどれば、今まで分からなかったことが見えてくるかもしれない。

 

もちろん、必ず記憶が戻るとは限らない。

 

それでも、何も分からないまま巧が自分を責め続けるのを、これ以上見ていたくなかった。

 

 

「……いた」

 

 

廊下の先に、音無の姿が見えた。

 

椎名は足を速め、彼の前で立ち止まる。

 

 

「……音無」

 

 

「ん? 椎名か。どうした?」

 

 

「……頼みがある」

 

 

「頼み?」

 

 

椎名は小さく頷いた。

 

 

「……直井に、話を通してほしい」

 

 

音無は少しだけ眉を上げた。

 

 

「直井に?」

 

 

「ああ。乾の記憶についてだ」

 

 

その言葉を聞き、音無の表情が変わった。

 

 

「……分かった。詳しく聞かせてくれ」

 

 

椎名は、昨日、巧と岩沢と話し合ったことを説明した。

 

以前、直井の催眠術によって巧が見た記憶。

 

血の付いた手と、倒れている人々の光景。

 

二人は、まず自分たちの目でそれを確かめたいと考えていた。そして、可能ならば、その前後の記憶もたどってみたい。

 

巧自身が覚えていない出来事でも、何か手掛かりが見つかるかもしれないからだ。

 

音無は最後まで黙って聞いていた。

 

 

「……なるほどな」

 

 

「……頼めるか?」

 

 

「ああ。俺から話してみる」

 

 

音無は頷いた。

 

 

「ただ、記憶が戻るかどうかは分からないぞ。見たものを共有するのと、失われた記憶を取り戻すのは別の話だろうしな」

 

 

「……ああ。それは分かっている」

 

 

「それでも、確かめたいんだな」

 

 

「そうだ」

 

 

椎名は迷わず答えた。

 

 

「何があったのか分からないまま、乾が自分を責め続けるのは……もう見ていられない」

 

 

音無は椎名の顔を見つめた。

 

彼女が何を心配しているのか、察しはついた。

 

 

「……そうだな。俺も、できることがあるなら協力したい」

 

 

音無は歩き出した。

 

 

「じゃあ、行こう。直井を探さないとな」

 

 

「……ああ」

 

 

二人は、直井を探しに向かった。

 

 

 

しばらくして。

 

 

「……直井、少しいいか?」

 

 

音無が声を掛けると、直井は振り返った。

 

 

「あっ、音無さん!」

 

 

直井の表情が、ぱっと明るくなる。

 

先ほどまでの気取った態度はどこへやら、音無を見つけた途端、足早に近づいてきた。

 

 

「どうされました? 音無さん!」

 

 

「ちょっと頼みたいことがあるんだ」

 

 

「頼み、ですか? もちろんです! 僕にできることなら、何でもお申し付けください!」

 

 

「いや、そこまで大げさな話じゃないんだけどな……」

 

 

音無が苦笑すると、直井は満足げに頷いた。

 

 

「いえいえ、音無さんのお役に立てるのであれば、それだけで十分です!」

 

 

そして、ふと隣にいる椎名へ視線を向けた。

 

 

「……ところで、そちらは?」

 

 

「椎名だ」

 

 

音無が答えると、直井は軽く頷いた。

 

 

「それで、僕に何か用でも?」

 

 

「……乾の記憶についてだ」

 

 

椎名の言葉に、直井の表情がわずかに変わった。

 

 

「乾の記憶?」

 

 

「ああ。以前、お前の催眠術で乾が見た記憶の件だ」

 

 

音無が説明を補う。

 

 

「椎名と岩沢が、あのとき乾が見たものを自分たちの目でも確かめたいらしい。それに、できることなら、その前後の記憶もたどりたいそうだ」

 

 

「前後の記憶、ですか?」

 

 

「ああ。乾自身、覚えていないことが多いだろ。あの光景だけを見ても、何が起きていたのかまでは分からないからな」

 

 

直井は腕を組み、考え込むような仕草をした。

 

 

「なるほど。以前見た記憶を手掛かりに、その前後を探るわけですね」

 

 

「そういうことだ」

 

 

直井は椎名を見た。

 

 

「それで、あなたもその記憶を見るおつもりなのですね?」

 

 

「ああ。岩沢も一緒だ」

 

 

「自分の目で確かめたうえで、何があったのかを考えたいということですか」

 

 

「……そうだ」

 

 

椎名は短く答えた。

 

直井は小さく笑った。

 

 

「まあ、気持ちは分からなくもありません。もっとも、どこまで記憶をたどれるかは、実際に試してみなければ分かりませんが」

 

 

音無が尋ねた。

 

 

「できそうなのか?」

 

 

「記憶を呼び起こすこと自体は、僕の能力の範囲内です。ただし、本人が思い出せない記憶を、都合よくすべて取り戻せるとは限りません」

 

 

直井は一度言葉を切った。

 

 

「記憶が曖昧になっているのか、何らかの理由で思い出せないのか。それによっても結果は変わるでしょう」

 

 

「……なるほどな」

 

 

音無は頷いた。

 

 

「それでも、やってみる価値はあると思う。何も分からないままよりはいい」

 

 

「ええ。僕もそう思います」

 

 

直井は胸を張った。

 

 

「ただし、複数人で記憶を共有するのは僕にとっても初めての試みです。どのような結果になるかまでは分かりません」

 

 

「……大丈夫なのか?」

 

 

音無が尋ねる。

 

直井は即座に胸を張った。

 

 

「問題ありません。僕の催眠術を疑う必要はありませんよ」

 

 

「いや、初めてなんだろ?」

 

 

「初めてだからといって、できないと決まったわけではありません」

 

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 

直井は自信満々に続けた。

 

 

「人の意識に働きかけ、記憶をたどることはできます。ならば、その記憶を複数人で共有することも不可能ではないでしょう」

 

 

「……ずいぶん自信があるんだな」

 

 

「当然です。僕は自分の力を理解していますから」

 

 

音無は、少しだけ不安そうな顔をした。

 

 

「……嫌な予感するな。本当に、無理はするなよ?」

 

 

「もちろんです、音無さん! あなたにご心配をお掛けするようなことはいたしません!」

 

 

直井は勢いよく返事をした。

 

 

「……それで、いつやる?」

 

 

音無が尋ねると、直井は少し考えた。

 

 

「準備ができ次第、行いましょう。乾にも、その旨を伝えておいてください」

 

 

「分かった。ありがとうな、直井」

 

 

「いえ! 音無さんのお頼みですから!」

 

 

直井は丁寧に一礼した。

 

二人が立ち去ると、直井は小さく呟いた。

 

 

「……記憶の共有、ですか」

 

 

腕を組み、考え込む。

 

 

「失われた記憶のすべてを取り戻すことは難しいかもしれませんが……断片をたどることなら、できる可能性はある」

 

 

直井は自分の手を見つめた。

 

 

「僕の催眠術なら、何か手掛かりを見つけられるはずです」

 

 

そう言い切ると、直井は満足げに笑った。

 

……とはいえ、彼にはもう一つ、気になっていることがあった。

 

以前、巧がベルトを使って変身した、赤い戦士。

 

そして、その直後に自分の胸倉を掴んできた、あの男のことだ。

 

突然姿を変えたかと思えば、普通の人間とは思えない力を見せつけてきた。

 

あのベルトは何なのか。

 

あの戦士は、いったい何者なのか。

 

 

「……記憶の中に、何か手掛かりがあるといいのですが」

 

 

直井はそう呟き、その場を後にした。

 

 

 

 

 

その日の午後。

 

直井の準備が整い、巧たちは指定された場所へ集まっていた。

 

巧、岩沢、椎名、音無。

 

そして、直井。

 

 

「……本当に、今回の記憶を確かめるんだな?」

 

 

巧が念を押す。

 

 

「ええ。以前あなたが見た記憶を手掛かりに、その前後も可能な範囲でたどってみます」

 

 

直井は腕を組み、さも当然のように答えた。

 

 

「……そもそも、できるのか?」

 

 

「それはやってみなければ分かりませんね」

 

 

「……おい」

 

 

巧は眉をひそめた。

 

 

「まさか、何も分かってねぇのに始める気か?」

 

 

「複数人で共有するのは初めてだと言ったでしょう」

 

 

「当然みたいに言うな!」

 

 

岩沢が小さく笑った。

 

 

「まあまあ。直井だって、やってみなきゃ分からないんだろ?」

 

 

「そういうことです」

 

 

直井は偉そうに頷いた。

 

 

「あなたたちは黙って見ていればいいのです。僕が何とかしてみせますから」

 

 

「……お前なぁ」

 

 

巧は呆れたように息を吐いた。

 

 

「……ったく。まあいい」

 

 

そう言いながら、巧は直井の方へ歩いていった。

 

 

「……そういえば、直井」

 

 

「……何ですか?」

 

 

「前はよくもやってくれたな?」

 

 

巧は直井の襟元を掴んだ。

 

 

「なっ……! ちょ、ちょっと待ちなさい、乾! 何をするのですか!」

 

 

「こっちはお前のせいで色々あったんだよ。覚悟はできてるか? あん?」

 

 

巧が顔を近づける。

 

 

「チンピラかお前は!」

 

 

音無が即座に突っ込んだ。

 

 

「僕は自分の身を守るために――」

 

 

「だから、そのせいで色々あったんだよ」

 

 

巧は直井の襟を掴んだまま睨みつけた。

 

 

「……あん?」

 

 

「だからチンピラかお前は!」

 

 

音無がもう一度突っ込む。

 

岩沢も巧の肩に手を置き、宥めるように声を掛けた。

 

 

「まあまあ、乾。落ち着けって。これからやることあるんだから」

 

 

巧はしばらく直井を睨んでいたが、やがて舌打ちして手を引いた。

 

 

「チッ……」

 

 

「最後までチンピラだな」

 

 

岩沢が呆れたように言う。

 

直井は乱れた襟を整えながら、恨めしそうに巧を見た。

 

 

「……まったく。これだから低脳は……」

 

 

「……あ?」

 

 

巧の目つきが変わる。

 

 

「おい、今なんつった?」

 

 

「乾、やめとけって」

 

 

岩沢が再び肩を押さえる。

 

直井は音無の方をちらりと見た。

 

 

「……音無さん。僕は何もしていませんよ? 突然、この男が掴みかかってきたのです」

 

 

「いや、お前も一言多いんだよ……」

 

 

音無は呆れたようにため息をついた。

 

 

「……まったく、乾も直井も。もう少し落ち着けないのか?」

 

 

「俺は約束を守りに来ただけだ」

 

 

巧は不満そうに顔を背けた。

 

 

「それとチンピラになるのは別問題だろ」

 

 

「……チッ、もういい」

 

 

巧は空いている席へ向かった。

 

岩沢も、その隣に腰を下ろす。

 

 

「……ほんと、アンタらしいな」

 

 

「どこがだよ」

 

 

「文句を言いながらも、結局ちゃんと来るところ」

 

 

「……自分の記憶を確かめるんだから、来るしかねえだろ」

 

 

「はいはい」

 

 

岩沢は小さく笑った。

 

直井は咳払いをして、改めて巧たちの前に立った。

 

 

「……皆さん、そろそろ始めますよ。いつまでも無駄話をしていても仕方ありませんからね」

 

 

「お前が言うな」

 

 

巧がぼそりと呟いた。

 

 

「……何か?」

 

 

「なんだよ?」

 

 

直井は鼻を鳴らした。

 

音無は二人を見比べ、深いため息をついた。

 

 

「……本当に大丈夫なのか、これ」

 

 

「大丈夫だろ。たぶん」

 

 

岩沢が答える。

 

 

「たぶんって……」

 

 

音無の不安は、ますます深まるばかりだった。

 

 

 

 

 

「……よし。じゃあ、始めるぞ」

 

 

直井が巧に向き直った。

 

そのときだった。

 

 

「……待て」

 

 

巧の声が響いた。

 

直井の手が止まる。

 

 

「……何ですか? やはり、気が変わりましたか?」

 

 

「嫌だけど、そうじゃない」

 

 

巧は音無へ顔を向けた。

 

 

「……音無、ゆりを呼べ」

 

 

「……ゆり?」

 

 

音無は不思議そうに巧を見た。

 

 

「なんでだ?」

 

 

「いいから、呼んでくれ」

 

 

音無は納得のいかない顔をしたものの、やがて頷いた。

 

 

「あ、ああ……分かった」

 

 

音無は部屋を出ていった。

 

岩沢は、巧の顔を覗き込む。

 

 

「……ゆりっぺを呼ぶ理由って何だ?」

 

 

「……別にいいだろ」

 

 

巧は顔を背けた。

 

 

「……ふーん」

 

 

岩沢は何か言いたげだったが、それ以上は追及しなかった。

 

椎名も、黙って二人のやり取りを見ていた。

 

 

 

数分後。

 

扉が開き、音無とゆりが入ってきた。

 

 

「何かしら?」

 

 

ゆりは部屋の中を見回した。

 

 

「珍しいメンツね。昨日、椎名さんが直井くんを探していた理由と関係あるのかしら?」

 

 

「……そうだ」

 

 

椎名が静かに答える。

 

音無が苦笑した。

 

 

「悪いな、ゆり。ちょっと事情があってさ」

 

 

「事情?」

 

 

ゆりは巧へ視線を向けた。

 

 

「……それで、何があったの?」

 

 

巧は岩沢を見た。

 

 

「……岩沢。これからすることを説明してくれ」

 

 

「……いいのか?」

 

 

「ああ……しょうがないだろ」

 

 

岩沢は一度頷き、ゆりに事情を説明し始めた。

 

以前、直井の催眠術によって巧が見た記憶。

 

血の付いた手と、倒れている人々。そして、白い化け物のような姿。

 

巧はその光景を見て、自分が大勢の人間を傷つけたのではないかと考えた。

 

その不安から、自分を化け物だと思い込み、岩沢や椎名を遠ざけようとしていたこと。

 

今回、直井の催眠術を使い、あの記憶と、その前後に何があったのかを確かめようとしていること。

 

ゆりは黙って聞いていた。

 

 

「……血の付いた手と、倒れていた人たち。それを見て、自分が大勢の人間を傷つけたんじゃないかって考えたわけね」

 

 

「ああ」

 

 

巧は短く答えた。

 

ゆりは腕を組んだ。

 

 

「でも、人が倒れていたことと、あなたがその人たちを襲ったことは別でしょう。白い化け物のような姿だって、私たちには何なのか分からないわ」

 

 

「……俺だって、何が何だか分かってねぇよ」

 

 

「なら、今の段階で自分が何かをしたと決めつける必要はないわね」

 

 

ゆりは巧を見た。

 

 

「……それで、私も一緒に見ればいいの?」

 

 

「お前も見とけ。それで何かあった時の対策を考えろ。それにお前や岩沢の過去は聞いたしな」

 

 

巧はゆりをまっすぐ見た。

 

ゆりは少しだけ目を瞬かせた。

 

 

「…アレは自分で話しただけよ。本当にいいのね?」

 

 

「ああ」

 

 

巧は短く答えた。

 

 

「お前がリーダーだろ」

 

 

それだけ言うと、巧は視線を逸らした。

 

ゆりは一瞬、彼の顔を見つめた。

 

自分に判断を任せるつもりなのだろう。

 

余計な説明はない。だが、何かあったときにどう動くべきか、それを考える役目を自分に託している。

 

 

「……分かったわ。何かあったら、私たちで対応する。それでいい?」

 

 

「ああ」

 

 

「ただし、記憶が戻らなかったからといって、自分に都合の悪い結論を勝手に出すのはなしよ」

 

 

「……分かってる」

 

 

ゆりは頷いた。

 

そして、ふと思い出したように直井へ視線を向けた。

 

 

「ところで、直井くん。記憶を見れば、あのベルトのことも何か分かるのかしら?」

 

 

「ベルト、ですか?」

 

 

直井はわずかに反応した。

 

 

「ええ。以前、乾くんが変身したときに使っていたものよ。あれが何なのか、どういう力を持っているのか。私たちはまだ何も知らないでしょう?」

 

 

ゆりは巧に視線を戻した。

 

 

「あなたが使っていたものなんだから、記憶の中に何か手掛かりがあるかもしれないと思って」

 

 

「……ああ。まあ、俺が使ってたもんだしな」

 

 

巧はそう答えたものの、どこか釈然としない顔をしていた。

 

自分のものだという感覚はある。

 

だが、それが何なのか、どうして使えるのか。肝心なことは、今の巧には分からなかった。

 

 

「……ま、俺としても興味はあるな」

 

 

直井が口を挟んだ。

 

 

「突然、正体不明の戦士に変身したかと思えば、いきなり僕の胸倉を掴んできたのですよ? あれが何なのか、僕も気になります」

 

 

「アレはお前が悪いんだろが」

 

 

巧は即座に言い返した。

 

 

「なっ……! 僕は自分の身を守ろうとしただけです!」

 

 

「その結果、こっちは色々あったんだよ」

 

 

「それはあなたが勝手に――」

 

 

「……まあ、乾くんの言うことも一理あるわね」

 

 

ゆりが口を挟んだ。

 

岩沢も、うんうんと頷く。

 

椎名も静かに頷き、音無まで困ったように頷いていた。

 

 

「なっ……!?」

 

 

直井は周囲を見回した。

 

 

「皆さんまで、何を納得しているのですか!?」

 

 

「いや……お前にも、思い当たる節があるだろ?」

 

 

音無が苦笑する。

 

 

「それは……!」

 

 

直井は言葉に詰まった。

 

巧は腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。

 

 

「……分かってんなら、余計なこと言ってんじゃねえよ」

 

 

「ぐっ……!」

 

 

直井は悔しそうに唇を引き結んだ。

 

岩沢は、そんな二人を見て小さく笑った。

 

 

「……ま、これでお互い様ってことにしとけよ」

 

 

「俺は別に、こいつとお互い様になった覚えはねえけどな」

 

 

「あなたという人は……!」

 

 

直井が反論しかける。

 

 

「はいはい、そこまで」

 

 

音無が間に入った。

 

 

「今は記憶を確かめるのが先だろ?」

 

 

「……チッ」

 

 

巧は不満そうに顔を背けた。

 

直井も、まだ言い足りない様子ではあったが、渋々口を閉じた。

 

ゆりは改めて直井に向き直った。

 

 

「記憶の中に答えがあるとは限らない。それは分かっているわ。それでも、見られるものは確かめたいの」

 

 

「……分かりました。では、始めましょう」

 

 

直井は一度咳払いをして、気を取り直した。

 

岩沢は、隣に座る巧をちらりと見た。

 

 

「……ま、何かあったらアタシたちがいるんだ。少しは頼れよ」

 

 

「……余計なお世話だ」

 

 

「はいはい」

 

 

岩沢は小さく笑った。

 

椎名は、そのやり取りを静かに聞いていた。

 

巧はまだ、自分の記憶を見られることを恐れている。

 

それでも、何があったのかを確かめるために、仲間と一緒に向き合おうとしていた。

 

 

「……分かった」

 

 

巧は小さく息を吐いた。

 

 

「……直井。始めてくれ」

 

 

「ふん。ようやく本題に戻れますね」

 

 

直井は腕を組み、巧を見た。

 

 

「まったく、あなたたちに付き合っていると、いつまで経っても先へ進みません」

 

 

「お前が一番寄り道させてんだろうが」

 

 

巧がぼそりと呟く。

 

 

「何か言いましたか?」

 

 

「あ?」

 

 

「なんですか?」

 

 

直井は鼻を鳴らした。

 

音無が、間に入るように口を開く。

 

 

「……直井。頼むぞ」

 

 

「はい、音無さん! お任せください!」

 

 

直井は音無に向けて勢いよく頷いた。

 

その直後、巧たちへ向き直る。

 

 

「では、これから僕が催眠術をかけます。余計な口を挟まず、指示に従いなさい」

 

 

「……はいはい」

 

 

巧は面倒くさそうに返した。

 

 

「返事は一度で結構です。まったく……」

 

 

直井は呆れたように息を吐いた。

 

 

「……で、具体的にはどうするんだ?」

 

 

音無が尋ねると、直井は巧へ視線を戻した。

 

 

「まず乾、お前は僕の目を見ろ。僕が催眠をかけて意識を失わせる。その後、僕が君の額に触れる。君たちは乾の身体に触れていればいい」

 

 

「それで記憶を共有できるのか?」

 

 

「そうです。僕が以前見た記憶を手掛かりに、君の記憶をたどります。そこから前後の記憶を呼び起こせないか試し、僕が確認できたものを皆さんにも共有する。それが今回の試みです」

 

 

「……それで、俺が思い出せなかったら?」

 

 

巧が尋ねた。

 

直井は一瞬だけ口を閉じた。

 

 

「その場合は、そこで見られるものが終わりです。本人が忘れているだけの記憶なら、何かしらの手掛かりが見つかる可能性はありますが、必ず思い出せるとは限りません」

 

 

「……当然だな」

 

 

「それに、記憶をたどるのは僕です。君が思い出せない部分を、僕が都合よく作り出せるわけではありません」

 

 

「……初めてやるんじゃなかったか?」

 

 

巧が疑わしげに尋ねる。

 

 

「複数人で共有するのが初めてだと言ったのです。僕の能力を疑うのですか?」

 

 

「……別に。失敗したら面倒だと思っただけだ」

 

 

「ふん、余計な心配です」

 

 

直井は鼻を鳴らした。

 

 

「……ただ、僕が君の記憶をたどる以上、その中身を確認することになります。そこは承知しておいてください」

 

 

「……待て。つまり、お前も俺の記憶を見るんだな?」

 

 

巧は露骨に嫌そうな顔をした。

 

 

「当然でしょう。僕が記憶をたどらなければ、皆さんに共有することもできません」

 

 

「……そういうことは先に言え」

 

 

「説明したつもりですが?」

 

 

「どこがだよ……」

 

 

巧は顔をしかめた。

 

岩沢が小さく息を吐く。

 

 

「まあ、アタシたちも一緒に見るんだ。直井だけが見られるわけじゃないだろ」

 

 

「そういう問題じゃねえ」

 

 

「では、今からやめますか?」

 

 

直井が皮肉っぽく尋ねた。

 

巧は一瞬だけ黙り、岩沢と椎名に目を向けた。

 

二人とも、真剣な表情でこちらを見ていた。

 

 

「……いや、やる」

 

 

巧は短く答えた。

 

 

「……直井くん」

 

 

ゆりが口を挟んだ。

 

 

「何か異常があれば、すぐに中止しなさい。記憶を共有することと、失われた記憶を呼び起こすことを同時に試すんでしょう? 何が起きるか分からないわ」

 

 

「お前に言われるまでもない」

 

 

直井は平然と答えた。

 

 

「僕が異常に気づかないとでも思っているのですか?」

 

 

「そういう意味じゃないわ。初めての試みなんでしょう?」

 

 

「だから何だ? 何度も言わせないでください。僕の能力なら問題ありません」

 

 

直井は、ゆりから視線を外した。

 

 

「……まったく。これ以上、説明する必要もないでしょう」

 

 

巧は小さく息を吐く。

 

 

「……大した自信だな」

 

 

「当然です。僕にはそれだけの能力があるのですから」

 

 

直井は顎を上げた。

 

 

「では乾、こちらを見ろ。僕の目から視線を逸らすな」

 

 

巧は不満そうにしながらも、直井の目を見つめた。

 

やがて、瞼がゆっくりと閉じる。

 

巧の身体から力が抜け、後ろへと傾いた。

 

 

「お、おい!」

 

 

音無は慌てて巧を受け止めようとした。

 

 

だが、突然体重を預けられたことで勢いを殺しきれず、二人そろって床へ倒れ込んだ。

 

 

「ガンッ!」

 

 

「っ……いてぇ……!」

 

 

後頭部をぶつけた音無が、床に手をついて顔をしかめる。

 

 

「音無さん!?」

 

 

直井が声を上げた、その直後だった。

 

音無の意識が、急速に遠のいていく。

 

 

「……あれ?」

 

 

視界が暗くなる。

 

音無は、何が起きているのか理解できないまま、巧の身体を支えていた手に力を込めた。

 

だが、その手の感覚さえ、次第に遠ざかっていく。

 

直井は目を見開いた。

 

 

「な、何だ……? 僕はまだ、そこまで深く催眠を掛けていないぞ……!」

 

 

直井は慌てて周囲を見回した。

 

自分の想定とは明らかに違う反応だった。

 

音無はすでに意識を失っている。

 

岩沢と椎名が駆け寄ったのは、音無ではなく、床に倒れた巧のそばだった。

 

 

「乾!」

 

 

岩沢が巧の肩に手を伸ばす。

 

椎名も、巧の身体を支えようと膝をついた。

 

巧の頭が床にぶつかっていないか。呼吸に異常はないか。

 

二人が確かめようとした、その瞬間。

 

岩沢の指先が巧の肩に触れた。

 

椎名の手も、巧の腕に触れる。

 

二人の身体から、同時に力が抜けていった。

 

岩沢は巧のそばへ崩れ落ち、椎名もその場に倒れ込んだ。

 

ゆりは目を見開いた。

 

岩沢も、椎名も、音無も。

 

誰もが意識を失っている。

 

 

「……いったい、何が……」

 

 

ゆりは巧の身体へ手を添えた。

 

その瞬間、ゆりの視界も暗くなっていく。

 

身体から力が抜け、彼女もまた、その場に倒れた。

 

直井は目の前の光景に言葉を失った。

 

 

「な、何なんだ、これは……!」

 

 

音無だけではない。

 

岩沢も、椎名も、ゆりまで。

 

誰一人として、自分の意思で動ける状態ではなくなっていた。

 

直井は慌てて巧の額に手を当てた。

 

 

「……くそっ。いったい何が起きているんだ……!」

 

 

予想していたものとは違う。

 

誰かが意図的に何かをしたわけでもない。

 

それなのに、巧に触れた者たちが次々と意識を失っていく。

 

直井自身も、すでに巧の記憶へ意識を向けていた。

 

今さら手を離しても、何が起きるか分からない。

 

 

「……いいだろう。原因は、記憶の中で確かめるしかないか」

 

 

直井は表情を引き締め、意識を集中させた。

 

次の瞬間、直井の意識もまた、巧の記憶の中へと引き込まれた。

 

 

 

最初に見えたのは、地面に倒れている人々だった。

 

何人もの人間が、あちこちに横たわっている。

 

その周囲には血が広がっていた。

 

視界がゆっくりと下へ向けられる。

 

そこに映ったのは、白い手だった。

 

人間のものとは明らかに違う。

 

白い皮膚に覆われた指先には鋭い爪が伸び、その先には赤い血が付着していた。

 

岩沢と椎名2人の視界に巧の言っていた例の記憶が現れた。

 

 

(コレが乾の言ってた例の記憶なのか?)

 

 

視界が動き、再び周囲の人々を映し出す。

 

血の付いた白い手。

 

倒れている人々。

 

まるで、その場にいた何かが人々を襲ったかのような光景だった。

 

ゆりは険しい表情で、映し出される光景を注意深く見ていた。

 

 

(乾くんの言ってた白い化け物の手…?まだ見ないと分からないわね)

 

 

視界が止まる。

 

白い手が、再び映し出される。

 

鋭い爪に付着した血。

 

その手と、周囲に倒れている人々。

 

岩沢は目を細め、椎名は視線を落とすことなく、その光景を見つめ続けていた。

 

ゆりもまた、何かを確かめるように目の前の映像を追っていた。

 

やがて視界が暗くなり、記憶が途切れた。

 

 

 

現実の部屋では、巧を囲むように岩沢、椎名、音無、ゆりが倒れていた。

 

誰も意識を取り戻さない。

 

直井だけが、記憶の中に留まっていた。

 

 

「……これが、僕が身を守るために乾に見せた、彼の忘れたい記憶だったのか……」

 

 

直井は、先ほどの光景を思い返す。

 

 

「しかし……あの異形は何なんだ?」

 

 

血の付いた白い手。

 

倒れていた人々。

 

確かに、あの光景だけを見れば、巧が人々を襲ったようにも思える。

 

だが、それだけで結論を出すことはできない。

 

そもそも、なぜ巧はあの場所にいたのか。

 

あの白い手は何なのか。

 

そして、あの血は何を意味しているのか。

 

 

「……もう少し、奥を見てみるか」

 

 

直井は、さらに深く記憶を探ろうとした。

 

意識を集中させる。

 

だが、次の瞬間。

 

直井の意識が大きく揺らいだ。

 

 

「なっ……!」

 

 

予想していたものとは違う。

 

記憶の奥へ進もうとした途端、まるで何かに引きずり込まれるように意識が深く沈んでいく。

 

 

「待て……! これは……!」

 

 

直井は制御しようとする。

 

だが、記憶の流れは止まらない。

 

自分の意思で進めているはずだった。

 

それなのに、もう戻ることすらできない。

 

 

「くっ……!」

 

 

直井の視界が歪む。

 

そして、意識が途切れた。

 

 

 

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