芳賀ココノの献身 作:レバニラ炒め
一歩
事件から一か月が経った。
トリニティとゲヘナの関係は、まだ完全には落ち着いていない。
エデン条約調印式の襲撃。
アリウス分校の関与。
ベアトリーチェの暗躍。
ゲマトリアの介入。
そして、アリウス自治区で起きた一連の戦闘。
それらは、簡単に片付けられる話ではなかった。
けれど、キヴォトスは動き続けている。
止まったままではいられない。
トリニティ総合学園は、アリウス分校の生徒たちに対して、情状酌量をもって処遇する方針を示した。
もちろん、全員が無罪になるわけではない。
したことが消えるわけでもない。
傷つけた相手がいる。
壊したものがある。
償わなければならないものがある。
それでも、アリウスの生徒たちが最初から自由に選べる環境にあったとは言い難い。
そういう判断だった。
多くのアリウス生徒は、ヴァルキューレ付属の学校へ移ることになった。
一部はトリニティや他学園で保護観察。
すでに別の学園に籍を持っていた者は、その所属先と本人の意思を確認した上で処遇が決まる。
私は、シャーレに残ることになった。
形式上は保護観察。
実際は、先生とカヤ先輩の願いによるものだと聞いている。
カヤ先輩は、私が防衛室にいた頃の勤務実績を持ち出し、「彼女の事務処理能力を遊ばせるのは連邦生徒会の損失です」と主張したらしい。
先生は先生で、「ココノはシャーレに必要」と言ったらしい。
必要。
その言葉は、以前ならすぐに役目と結びついていた。
必要とされるなら、応えなければいけない。
必要とされるなら、そのために動かなければいけない。
必要とされるなら、私には価値がある。
そう考えていた。
今は、少し違う。
まだ、うまく言葉にはできない。
けれど少なくとも、先生が言った「必要」は、マダムの言った「必要」と同じではない気がしている。
昼下がり。
聖ウィストリア学園のカフェテラスで、私は先生と向かい合って座っていた。
もう一人、待ち合わせ相手がいる。
皆岸メメ。
彼女は事件後、しばらく行方が分からなかった。
アリウス自治区の捜索でも見つからず、ヴァルキューレの保護リストにも名前がなく、トリニティ側の資料にも引っかからない。
先生は心配していた。
私も、少しだけ心配していた。
少しだけ、ということにしている。
店内のラジオから、静かにニュースが流れている。
『トリニティ総合学園は、アリウス分校の生徒たちに対して、情状酌量をもって処遇する方針を示しました。今回の事件は、過去の断絶と管理不全が招いた結果でもあり、生徒たちに選択の余地が十分にあったとは言い難い、と発表しています』
私はカップに視線を落とした。
温かい紅茶。
手を伸ばしても、すぐには飲めなかった。
少しして、先生が顔を上げた。
「来たね」
私もそちらを見る。
メメが歩いてきていた。
聖ウィストリアの制服。
いつもの軽い足取り。
いつものように、何か深刻なことなど何もなかったみたいな顔。
彼女は私たちの前に立つと、開口一番こう言った。
「ココノから連絡が来たと思ったら……しょっぴきに来たの?」
「違う」
「じゃあ任意同行?」
「違う」
「じゃあアップルパイ食べに?」
「それは半分くらい合ってる」
メメは笑いながら席に座った。
先生は苦笑する。
「逮捕しに来たわけじゃないよ」
「ニュースの通り?」
「うん。私たちも、君たちを一方的に裁くつもりはない」
先生はコーヒーに手を伸ばす。
「アリウスの生徒たちには、基本的にヴァルキューレ付属の学校に転入してもらう方針になっている。ただ、メメみたいにすでに別の学校に所属している生徒については、本人の意思も確認することになってる」
「裏口入学だけどね」
メメは軽い口調で言った。
「軽く言いすぎじゃない?」
「重く言えば変わる?」
「変わらないけど」
「じゃあいいじゃん」
メメは、運ばれてきたアップルパイを見て少しだけ目を輝かせた。
本当に、この子はいつもこれを食べる。
先生は続ける。
「成績や人間関係に問題がある場合は、別の環境を用意することもある。でも、メメは成績も悪くないし、聖ウィストリアで問題なく過ごせているなら、ここに残る選択もできる」
「なるほどね」
メメはアップルパイを一口食べた。
「で、ココノは?」
私は紅茶の表面を見る。
「私は、保護観察という名目でシャーレに所属し続けることになった」
「ふーん」
「何」
「いや、先生らしいなって」
先生は少し困ったように笑った。
メメは幸せそうにパイを頬張っている。
「メメ」
「何?」
「心配したよ」
そう言ってから、少しだけ自分で驚いた。
メメも一瞬だけ目を丸くする。
すぐに、いつもの顔に戻った。
「へえ」
「……なに」
「いや、ココノがそういうこと言うの珍しいなって」
「忘れて」
「無理」
「メメ」
「無理なものは無理」
メメは紅茶を飲む。
「まあ、心配かけたのはごめんね」
「本当に思ってる?」
「半分くらい」
「残り半分は」
「このアップルパイ食べ損ねなくてよかったなって」
私はため息をついた。
先生が少し笑っている。
メメは、何でもないように言う。
「あの計画が失敗しても成功しても、もう二度とここにいた時みたいな暮らしはできないだろうなって思ったんだよね」
私はメメを見る。
彼女はパイを見つめていた。
「そう考えたら、このアップルパイ、食べなきゃいけないじゃんって」
「……胆力がすごいね」
「胆力っていうか、諦めてるって方が正しいのかな。どうでもいいけど」
どうでもいい、その言葉が少し引っ掛かるが、踏み込んでは欲しくなさそうだ。
「ねえ、メメ」
「何?」
私は少し迷ってから、聞いた。
「あなたは、何で生きていようって思えるの?」
メメが瞬きをした。
「何それ。死んでしまえってこと?」
「ああ、ごめん違うの」
「じゃあ哲学的な?」
「そんな感じ、かな」
言ってから、自分らしくないと思った。
でも、聞いてみたかった。
私はまだ、どう生きればいいのか分からない。
先生は「生きて」と言った。
「自分の足で立って」と言った。
「君だけの道を歩いて」と言った。
けれど、その道がどこにあるのかは、まだ分からない。
メメは周囲を眺めた。
カフェテラス。
木漏れ日。
穏やかに話す生徒たち。
運ばれていく焼き菓子。
窓際に置かれた花。
しばらくして、メメは言った。
「……初めてこのカフェに来て、このパイを食べた時、衝撃が走ったんだよね」
「この世には、こんなにも美味いものがあるのかって」
私は何も言えなかった。
「きっと、そう思えるものがこの世界にはたくさんあるのだろうって思ったから」
メメはフォークを置く。
「それで十分」
十分。
本当にそれだけでいいのか。
そう思う一方で、少しだけ羨ましかった。
メメは世界に期待している。
大きな希望ではない。
正義でもない。
役目でもない。
ただ、まだ知らない美味しいものがあるかもしれない。
まだ見ていない景色があるかもしれない。
それだけで生きている。
私には、その軽さがまだ分からない。
でも、分からないままでも、覚えておこうと思った。
先生が静かに言う。
「いい理由だね」
「でしょ」
メメは笑う。
私は小さく息を吐いた。
カフェの時間は、ゆっくりと過ぎていった。
必要な確認は終わった。
メメは聖ウィストリアに残ることを選んだ。
私はシャーレに戻る。
先生は、それを見届けた。
別れ際、メメは軽く手を振った。
「じゃあね、ココノ。また来週にでも」
「帰ろうか」
「……はい」
先生の運転で、シャーレへ戻る。
車内は静かだった。
外の景色が流れていく。
夕方の光が、建物の窓に反射している。
通りには生徒たちがいて、誰かが笑い、誰かが急ぎ足で角を曲がっていく。
何でもない日常。
私は、窓の外を見ていた。
しばらくして、先生が言う。
「シャーレに戻る頃には夜だね」
「そうですね」
「晩ご飯、どうしようか」
何でもない会話だった。
事件のことでもない。
マダムのことでもない。
裏切りのことでもない。
先生を撃ったことでもない。
晩ご飯の話。
それが、少しだけ不思議だった。
私は窓の外を見たまま、少し考える。
そして、言った。
「……チャーハン」
先生が、こちらを見る。
「チャーハン?」
「前に、アビドスで作ってくれたでしょう」
「ああ」
「また、食べたいです」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
以前なら、こんな頼み方はしなかったと思う。
仕方ないのよ、とか。
先生が作るなら確認してあげるのよ、とか。
そういう言い方をしたはずだ。
先生は、少しだけ笑った。
「分かった。作るよ」
私は少しだけ先生を見る。
「……ありがとう、ございます」
それだけ言って、また窓の外に視線を戻した。
机の上に、二人分のチャーハンが並んでいる。
特別に上等な料理ではない。
すごく凝ったものでもない。
少しだけ味が濃くて、卵の焼き加減も完璧ではない。
湯気が立っている。
温かかった。
先生が向かいに座る。
「いただきます」
私も、スプーンを手に取る。
「……いただきます」
これで完結です。
以下は後書きです。たらたら能書きを述べて居りますゆえ、興味のない方は読み飛ばして頂いて結構です。
先生を裏切る。
過去にマダムに救われた。
この二つを軸に書き始めたのが本作でした。
先生を裏切る生徒、ならばシャーレの補佐の役割を当てると良いな、それならば先生が来る前から連邦生徒会に所属させとくべきだな……等々、自分のなかで理屈付けて設定を練り、処女作としてはそれなりの出来に仕上がったのではと考えています。
一方で、芳賀ココノというキャラクターに焦点を当てたストーリーを構成した為、別で生やしたオリキャラ意外の原作キャラとの絡みが非常に弱くなってしまったというのは反省点の一つと考えています。
せっかくならばもっとカヤだったりヒフミだったり色々なキャラと……、また別の機会に後日談でも書こうと思います。
皆岸メメというキャラクターは、アリウスという土地、人、全てに対して『どうでもいい』と捉えてるキャラクターが一人でもいたら面白いなと考えたことから生まれました。元々は只の連絡役のモブの扱いだったのですが、書き進めていくなかでいつの間にかかなりセリフ量の多いキャラになってました。個人的にライブ感の塊みたいなキャラなので微妙に論理が通ってない部分があるなと思いましたが、そのまま突き進むことも時には肝要と言い聞かせてます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
語彙が拙いですが、感想、評価、お気に入り、大変励みになりました。
また、どこかで。