TS暗黒騎士は凌辱はお断りです!   作:八島港

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第五話

 グレイルは、ゲーム上の分類で言えば雑魚にあたる男だった。

 これは単なる悪口ではなく、実際にそういう役割のキャラクターなのである。

 序盤の街イベントで横暴を働き、主人公ノアルに叩きのめされ、以後は名前も出なくなる。

 

 攻略wikiでも「負けイベントではないので普通に殴れば勝てる」「ドロップ品もしょっぱい」と書かれる程度の男だった。

 要するに、物語上では主人公に倒されるための踏み台として配置されている。

 だが、現実で見る雑魚は思っていた以上に怖い。

 

 なぜなら、雑魚にも感情があるからだ。

 ゲームなら倒せば終わる。

 しかし現実では、恨み、根に持ち、陰で動く。

 

 しかも中途半端に権力があるため、余計に面倒くさい。

 これが本当に最悪だった。

 俺はグランベルクの宿舎で、机の上に置かれた報告書を眺めていた。

 

 そこに記されているのは、グレイルの不正疑惑についてだった。

 先月の臨時徴税と、今回の徴税額には不整合がある。

 帳簿上では、徴収済みのはずの税が未徴収扱いになっていた。

 

 その差額がどこへ消えたのか、俺は答えを知っている。

 グレイルの懐に入ったのだ。

 ゲームでは後からわかる小悪党ムーブである。

 

 それを、俺が先に暴いてしまった。

 結果として、グレイルは上層部に呼び出されることになったらしい。

 ざまあ、と言って終わればよかった。

 

 だが、ここは悪の帝国である。

 正義が勝つ場所ではなく、権力と根回しと派閥が勝つ場所だった。

 

「リリス様」

 

 ミアが部屋に入ってきた。

 金髪をきっちり結び、背筋を伸ばした真面目な副官である。

 そして、なぜか俺を聖人だと思い込んでいる危険人物でもあった。

 

「グレイル卿が、今夜、私的な会談を望んでおります」

 

「……私的な会談だと」

 

 嫌な響きだった。

 私的という言葉と、会談という言葉と、夜という状況。

 この三つが並ぶだけで、俺の中の危険アラートが全力で鳴る。

 

「内容は何だ」

 

「本日の件について、誤解を解きたい、と」

 

 それは絶対に嘘だった。

 あいつが誤解を解くわけがない。

 解くなら俺の首か、俺の立場である。

 

 俺は腕を組んで考えた。

 普通なら断るべきだろう。

 だが断れば、向こうは裏で動く。

 

 それはそれで面倒だった。

 ここでグレイルの動機を探り、できれば上層部に提出できる追加の証拠を引き出す。

 それができれば、グレイルを原作より早く排除できる。

 

 問題は、俺にそんな交渉力がないことだ。

 前世の俺は、スマホ料金プランの説明ですら「あ、はい、大丈夫です」と言って不要なオプションをつけられた男である。

 悪徳上級騎士を相手に交渉するなど、考えただけで胃に穴が開く。

 

 だが、方法が一つだけあった。

 それは、リリスの見た目を利用することだった。

 原作リリスは、冷たい顔と細い腰と黒い軍服が妙に絵になる美少女である。

 

 男の劣情と支配欲を刺激するタイプの、非常に危険な美貌をしている。

 つまり、色仕掛けという選択肢が一応は存在する。

 俺はその言葉を脳内に浮かべ、即座に自分でダメージを受けた。

 

 元三十歳童貞ニートにできるわけがない。

 色仕掛けどころか、前世では女性店員にポイントカードの有無を聞かれただけで声が裏返っていた。

 それが今、女の身体で男に揺さぶりをかけようとしている。

 

 あまりにも無謀だった。

 しかし、リリスの顔なら可能性だけはある。

 というか、こっちは黙って目を細めているだけで相手が勝手に深読みする。

 

 何も高度なことをしなくても、「少し近づいて低い声で囁く」くらいなら成立するのではないか。

 いや、想像しただけで鳥肌が立つので、やはり成立しない気もする。

 それでも、生き残るためにはやるしかなかった。

 

 俺はミアに言った。

 

「……受ける」

 

 ミアの表情が強張った。

 

「リリス様、お一人では危険です」

 

「……危険だから行く」

 

 また適当なことを言ってしまった。

 ミアが目を潤ませる。

 

「ご自身を囮にして、グレイル卿の不正を暴くおつもりなのですね……!」

 

 そこまで格好よくはない。

 ただ、だいたい合っている気もする。

 俺は無言で頷いた。

 

 するとミアは、拳を握った。

 

「承知しました。私は離れた場所で待機します。何かあれば、すぐに踏み込みます」

 

 それは非常に助かる。

 女の子に守られる元男という構図は情けなさで死にそうになるが、背に腹は代えられない。

 そして夜になった。

 

 俺は指定された応接室へ向かった。

 そこは宿舎の奥にある、貴族用の小部屋だった。

 暖炉が燃え、机には酒瓶とグラスが置かれている。

 

 窓は厚いカーテンで閉ざされていた。

 どう考えても最悪の雰囲気だった。

 俺の脳内危険アラートは、もはやサイレンのように鳴り響いている。

 

 部屋にはグレイルがいた。

 昼間の焦りを隠すように、薄い笑みを浮かべている。

 

「お越しいただき光栄です、リリス卿」

 

「……用件を言え」

 

「まあ、そう急がず。酒でもいかがです?」

 

「不要だ」

 

 即答だった。

 酒など飲めるはずがない。

 この身体の酒耐性がわからないうえ、相手は信用度マイナスの男である。

 

 飲んだ瞬間、バッドエンドの入口が開く気しかしなかった。

 グレイルは肩をすくめた。

 

「つれないですね。私はただ、あなたと腹を割って話したいだけですよ」

 

 腹を割るのは嫌だ。

 原作にはマッドという、腹どころか全身を割ってきそうな男がいるので、比喩でも怖い。

 俺は椅子に座らず、立ったままグレイルを見た。

 

「……話せ」

 

 グレイルの目が細まる。

 

「本日の件、少々やりすぎではありませんか」

 

「…………」

 

「帳簿の不整合など、どこの部隊にもある。あなたも帝国軍の人間なら、ご存じでしょう」

 

 悪党がよく使う「みんなやっている」理論である。

 前世でもネットでよく見たし、だいたい言っている奴が一番やっている。

 

「それを、あのように民衆の前で。私の面目は丸潰れだ」

 

「……自業自得だろう」

 

 言った瞬間、グレイルの頬がひくついた。

 まずい。

 俺の中の煽りカスが出てしまった。

 

 本来なら地の文だけに留めておくべき性質が、口から漏れたのである。

 だがリリスの声で言うと、ただの冷徹な断罪に聞こえるらしい。

 グレイルは怒りを押し殺した笑みを浮かべた。

 

「あなたは、少し勘違いしている」

 

 グレイルが近づいてくる。

 俺は反射的に一歩下がりそうになり、必死に堪えた。

 怖いと感じた。

 

 男の身体が近い。

 背が高く、肩幅があり、手も大きい。

 前世の俺も男だったはずなのに、今はそれが圧力として迫ってくる。

 

 本当に情けない。

 だが、足は動かなかった。

 リリスの身体が、剣士としての姿勢を保っている。

 

「帝国で生きるには、清廉さだけでは足りない。時には、泥を被る者も必要なのですよ」

 

「……それは泥ではない」

 

 俺はグレイルを見上げた。

 

「ただの腐敗だ」

 

 言ってしまった。

 口が勝手にレスバを始めている。

 やめろ俺、と内心で叫ぶ。

 

 相手は匿名掲示板の荒らしではない。

 剣を持った権力者だ。

 グレイルの顔から笑みが消えた。

 

「随分と綺麗事を言う。あなたのような女が、いつまでもその顔でいられると思うなよ」

 

 ぞっとした。

 言葉の意味が、身体に刺さる。

 女という言葉も、その顔という言葉も、今の俺が持っている逃げ場のない身体へ向けられている。

 

 手が震えた。

 泣きそうになった。

 だが、ここで泣いたら負けだ。

 

 ここで泣いたら、自分が本当に弱いと認めてしまう気がした。

 いや、弱いこと自体はわかっている。

 前世から一貫して弱い。

 

 それでも、認めたくない時もある。

 俺は深く息を吸った。

 そして、当初の作戦を思い出した。

 

 それは、色仕掛けというあまりにも無謀な作戦である。

 だが、やるしかない。

 俺はゆっくり一歩、グレイルに近づいた。

 

 グレイルがわずかに目を見開く。

 俺は顔を上げ、できるだけ冷たく、できるだけ艶っぽく見えるように意識した。

 艶っぽく見せるとは何なのか。

 

 俺にはそういう経験がない。

 動画で見た知識しかない。

 とにかく、声を落とした。

 

「……私の顔が、どうした」

 

 距離が近すぎる。

 自分から近づいておいて何だが、本当に近い。

 吐きそうだった。

 

 グレイルの視線が揺れた。

 たぶん効いている。

 効いていると思いたい。

 

「貴様が欲しいのは、金か。地位か。それとも……」

 

 俺はそこで一拍置いた。

 心臓が死ぬほど鳴っている。

 やはり無理だった。

 

 色仕掛けなんてするんじゃなかった。

 早く帰りたい。

 布団に入りたい。

 

 前世の汚い部屋でもいいから帰りたい。

 しかし、口は動いた。

 

「私自身か」

 

 言ってしまった。

 脳内で俺が転げ回る。

 何を言っているんだこいつ。

 

 どこの悪女だ。

 中身は三十歳童貞だぞ。

 ギャップで宇宙が裂けるわ。

 

 だが、外から見れば、冷たい美貌の暗黒騎士が悪徳貴族を試すように囁いた場面である。

 グレイルは明らかに動揺した。

 

「な、何を……」

 

「答えろ」

 

 俺はさらに一歩近づく。

 もう逃げたい。

 けれど、ここで退いたらただの変な女で終わる。

 

 いや、もうだいぶ変な女だが、最後まで通すしかない。

 

「お前は何のために、税を横流しした」

 

 グレイルの瞳が揺れた。

 俺はそのまま畳みかける。

 

「金だけではないはずだ。誰に渡している」

 

 これは賭けだった。

 原作のグレイルはただの小悪党として処理される。

 だが、帝国軍で長く不正を続けるには後ろ盾がいるはずだ。

 

 そして、帝国軍で金と人体実験の臭いがするところには、だいたい一人の名前が絡む。

 それが四翼将マッドであり、俺の未来を破壊する男だった。

 グレイルの喉が鳴った。

 

「……あなたには関係ない」

 

 それで当たりだとわかった。

 俺は背筋が冷えるのを感じた。

 マッドが絡んでいる。

 

 最悪の展開だった。

 原作では、リリスがマッドに本格的に目をつけられるのはもっと後のはずだ。

 だが、俺がグレイルの不正を暴いたせいで、その線が早まる可能性がある。

 

 非常にまずい。

 俺は内心パニックになりながら、表情だけは変えない。

 

「……名を言え」

 

「黙れ」

 

 グレイルの手が俺の腕を掴んだ。

 強く、そして痛かった。

 その瞬間、全身が凍った。

 

 男の手に掴まれているという事実が、逃げられないかもしれない感覚を連れてくる。

 頭が真っ白になる。

 心の中が恐怖で埋まっていく。

 

「調子に乗るなよ、リリス」

 

 グレイルの顔が近づく。

 

「お前のその澄ました顔を、いつか――」

 

 最後まで聞けなかった。

 俺は反射で、膝を蹴り上げていた。

 どこに当たったかは言わない。

 

 ただ、グレイルは潰れた蛙みたいな声を出して崩れた。

 部屋の空気が止まる。

 俺も動けなくなった。

 

 やってしまった。

 男として、その痛みは想像できる。

 ものすごく申し訳ない気持ちになる。

 

 いや、申し訳なくはない。

 これは正当防衛だ。

 でも、想像でこっちまで痛い。

 

 俺は腕を押さえ、震える息を吐いた。

 涙が出ていた。

 悔しくて、怖くて、情けなかった。

 

 こんな雑魚相手に、俺は本気で怖がって泣いた。

 だが同時に、グレイルは床で悶絶している。

 たぶん勝ったのだろう。

 

 俺は震える声で言った。

 

「……二度と、私に触るな」

 

 声がかすれていた。

 しかし部屋の外から扉が開き、ミアが飛び込んできた。

 

「リリス様!」

 

 ミアは俺を見た。

 床のグレイルを見た。

 そして、俺の頬の涙を見た。

 

 ミアの顔から血の気が引いた。

 

「グレイル卿……貴様、リリス様に何をした!」

 

「ち、違……これは……!」

 

 グレイルは床で呻く。

 ミアの剣が抜かれた。

 まずいことに、このままだと殺す。

 

 俺は慌てて言った。

 

「……ミア、止まれ」

 

 ミアの剣先が止まる。

 

「ですが!」

 

「証言を取る」

 

 俺はグレイルを見下ろした。

 涙はまだ止まっていない。

 だが、逆にそのせいか、グレイルは完全に青ざめていた。

 

 俺は低く告げる。

 

「……マッドの名を出せ」

 

 グレイルが震えた。

 ミアが息を呑む。

 

「四翼将マッド様……?」

 

 俺は内心で頭を抱えた。

 ついに名前が出てしまった。

 そいつは原作におけるリリスの最悪ルート製造機である。

 

 人体改造と洗脳と尊厳破壊の権化。

 制作陣の悪趣味が人の形をして歩いているような男だった。

 そいつの影が、もう近くにある。

 

 グレイルは観念したように、歯を食いしばった。

 

「……税の一部は、研究費として流していた。私は命令に従っただけだ」

 

「誰の命令だ」

 

「マッド様の側近だ。直接ではない」

 

 証言としては弱いが、手がかりにはなる。

 ミアが顔を歪めた。

 

「民から搾り取った金を、あのような実験に……」

 

 あのような実験、という言い方が気にかかった。

 ミアは何かを知っているのだろうか。

 いや、帝国内部でも噂はあるのだろう。

 

 マッドの研究施設では、魔物化実験や兵士の強化改造が行われている。

 そして、原作リリスの末路が頭をよぎる。

 吐き気がした。

 

 俺はグレイルから視線を外した。

 

「……拘束しろ」

 

 ミアが頷き、外で待機していた兵を呼ぶ。

 グレイルは引きずられるように連れていかれた。

 その間も、俺は動けなかった。

 

 腕に残る感触。

 掴まれた痛み。

 男の顔が近づいた恐怖。

 

 じわじわと震えが戻ってくる。

 

「リリス様」

 

 ミアが近づいた。

 俺は反射的に身を固くする。

 ミアはそれを見て、苦しげに表情を歪めた。

 

「申し訳ありません。私が、もっと早く踏み込んでいれば」

 

「……お前のせいではない」

 

 俺は首を振った。

 悪いのはミアではない。

 そもそも色仕掛けなんて馬鹿なことを考えた俺が悪い。

 

 元ニートが急に悪女ムーブをやろうとするからこうなる。

 だが、ミアは膝をついた。

 

「それでも、貴女は身を挺して証拠を掴まれた。帝国の闇に、たった一人で刃を向けた」

 

 まったく違う。

 俺は自分の未来が怖かっただけだ。

 

「リリス様。私は、貴女を必ずお守りします」

 

 やめてほしい。

 その言葉が、今は少し効いてしまう。

 俺は聖人ではない。

 

 守られる資格があるような立派な人間でもない。

 それでも、腕の震えが少しだけ収まった。

 

「……勝手にしろ」

 

 俺はそう言った。

 もちろん、本音はありがとうだった。

 そんな言葉を素直に言えるコミュ力は、前世に置いてきている。

 

 翌朝、グレイルは帝国軍の監査部隊に引き渡された。

 表向きは徴税不正で、裏ではマッド派への資金流用疑惑である。

 これで、グランベルクの胸糞イベントは完全に原作から外れた。

 

 ノアルはグレイルと戦っていない。

 リリスとも戦っていない。

 代わりに、俺はノアルに少し好感を持たれ、ミアには信仰され、マッドの影に一歩近づいた。

 

 最悪ではないか。

 宿舎の窓から外を見ると、広場にノアルの姿があった。

 彼は住民たちと話している。

 

 そして、ふとこちらを見上げたところで目が合った。

 ノアルは小さく頭を下げた。

 俺は反射的にカーテンを閉めた。

 

 心臓が跳ねていた。

 これは昨日怖い目に遭ったせいで情緒が不安定なだけだ。

 男に優しくされて安心したとか、そういう話ではない。

 

 俺は元男で、中身も男のままだ。

 つまりセーフということにしておきたい。

 何がセーフなのかは、自分でもわからない。

 

 その時、ミアが扉を叩いた。

 

「リリス様。帝都より急使です」

 

「……内容を言え」

 

 ミアの顔が硬い。

 

「四翼将マッド様が、此度の件について、リリス様から直接事情を聞きたいと」

 

 血の気が引いた。

 最悪の男が、俺を見つけた。

 俺は椅子に座ったまま、静かに拳を握った。

 

 外から見れば、きっと冷静な暗黒騎士に見えただろう。

 だが内心は、いつも通り終わっていた。

 会いたくないし、今すぐ逃げたい。

 

 それでも、逃げたら終わる。

 帝国軍からの離脱計画における最大の障害が、予定よりずっと早く俺の前に現れようとしていた。

 

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