連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために――   作:mogatoku

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012 第10話 39番倉庫

 

某日某所

 

 濃色の男ニンゲンが一人、薄暗い部屋に座っていた。

 男の名はマリク。

 マリクは、目の前に座る幹部の表情を見極めようと、薄闇の中で目を細めた。

 そこにいるのは中色の女ニンゲン。

 壮年にさしかかった顔を、いつも厚い化粧と赤い口紅で飾り、“有能さ”と“老いてなお清廉”であるかのような印象を演出している女だ。

 だが今は、薄暗い中で二つの目だけが黒く、あやしく光っていた。

 二人の間にある古い会議机は、黒々とした木目が浮かび上がり、この部屋が長い年月を経てきた重みを静かに語っている。

 机上には白いカップが二つ。

 古い木の匂いを覆い隠すには足りない紅茶の香りが、力なく漂っている。

 

「ふふふ。あなたのおかげで国軍(こくぐん)は装備を新しくできたわ」

 

 女はそう言ってカップをすする。

 影のかかったその顔は、白いカップだけを不気味に浮かび上がらせていた。

 

(共和国軍の装備はひどかったからな)

 

「我が党の評判も上々ね。特に兵役中の若者達には印象づけられたわ。彼らはきっと、初めての投票の時に思い出すでしょう。誰のおかげで装備が良くなったのかを」

 

 カップが机に置かれる。コツンという小さな音が、薄暗い部屋に不穏な響きを落とした。

 

(だといいんだが)

 

 連邦市民の子女は義務教育を終えると、未成年回期で三回期の間、兵役に付く。

 その間、レブやレオルクなどの害獣駆除に駆り出されるというのに、モルドー共和国軍の装備はひどいものだった。

 装備の不備は成果どころか、若者の命を奪いかねない。

 皆、C級を目指し、奮闘しているというのに…

 

(共和国議会が予算を渋るからだ。現場のことなど何も分かっていない)

 

 だが、そんな思いを表情に出すことなく、マリクは笑みを浮かべた。

 

「それはそれは」

 

 愛想良く応じる。

 

「党支部の資金も潤沢になった。これもあなたの寄付のおかげよ」

 

 党支部は、いつでも個人からの寄付を受け付けている。

 

「我々は負けるわけにはいかないからな…」

 

(共和国議会選挙でも、連邦民議院選挙でも)

 

「その通りね」

 

 女が満足げにうなずいた。

 

「だが最近は価格が下がってしまい…」

 

(いままでのようには寄付はできない)

 

 マリクはそう切り出そうとした瞬間――

 

「ねえ、マリク」

 

 女は、まるで“話を聞く気など最初からない”というように遮った。

 

「次の民議院選挙の候補者の一人として、あなたを公認するよう党支部に推薦しておいたわよ」

 

(なっ…)

 

 思わぬ言葉に、マリクの心は大きく揺れた。

 

(随分急だな。いつか話は来ると思ってはいたが…)

 

 いくら彼女でも、党への寄付だけで公認に推薦することはない。そんな程度では当選などできないからだ。

 

「そ、それは本当か」

 

 だからこそ、これには別の理由があるはずだ。

 

(落ち着け)

 

 マリクは、躍り出そうとする自分の心を必死に抑え込んだ。

 

『民議院』――三頭の一角たる『両院』の一つである。

 その選挙に当選すれば“代議士”と呼ばれる特別公職となり、任期中は連邦政府から『不老の加護』が与えられるのだ。

 つまり代議士となれば、五年の任期の間、老いることがない。

 再選すればさらに五年。

 その次もまた五年。

 寿命が延び続けることになる。

 

(そうなれば、いろんなことができる。例の問題の解決もできるはずだ)

 

 落ち着こうとしても、マリクの心は勝手に弾んでいた。

 

「党本部は防衛委員を増やしたがっているみたいなの。元軍人のあなたならきっと務まると思う。党本部がそう判断すれば、応援にも力が入る。有力者が応援に来るわよ」

 

(防衛委員か…)

 

『民議院防衛委員会』――連邦軍に関する審議に中心を担う委員会であり、軍に詳しい代議士によって構成されている。

 

(党は、ここで力を発揮できる候補者を求めているのか…それなら、自分を候補者に推す理由も理解できる)

 

 マリクは得心した。

 

(自分は退役軍人。防衛委員会でも充分働けるはずだ)

 

「共和国議員としてのマリクの働きは素晴らしいものだわ。あなたのような人が代議士になってくれれば、ここモルドー支部の発言力もきっと大きくなる」

「それは間違いなく」

 

 マリクは同調した。

 

「そうなれば、マリクはわたしよりも上に立つことになるわね」

 

 薄暗い空気に包まれた女の顔が、さらに暗く沈んだ。

 目が不気味に浮かび上がってこちらを見透かすように細くなった。

 

「そ、それは……党全体から見ればそうかもしれないが、この支部では恵子(けいこ)に敵う者はいない。そうだろ?」

 

 恵子は赤い唇を指でなぞりながらその言葉を聞いていた。

 そして、終わったと見るや、指先に付いた何かを軽く弾いた。

 

「それを忘れないことね」

 

 ――“わたしはいつでもこんな風にあなたも簡単に弾き飛ばせるのよ”

 

 そう言われたような錯覚がマリクを襲い、戦慄が走る。

 

(自分の方が等級が高いはずなのに…)

 

 なぜか恵子が大きく見える。

 

「も、もちろんだ」

「寄付は期待して良いのかしら」

 

 否定を許さない声色。

 得体の知れない何かが背筋を這い上がり、額から冷たい汗が流れた。

 

「も、もちろんだ」

 

 その“何か”が恐怖であることに、マリクはまだ気付いていなかった。

 

 

 シン・ポップは、夕方まで対面の倉庫の屋根にいた。

 

(収穫なしか……。一旦引き上げよう)

 

 見られないように飛び降り、前日と同じように営業輪車で監査庁に戻る。

 その足で情報課に向かった。

 

「港の倉庫街の39番倉庫を地図で確認したいのですが、最新の詳細地図はありますか?」

 

 定時連絡で、倉庫の所在地を正確に伝えておきたい。

 

「倉庫街の地図ですね。いま持ってきます」

 

 年配の女ノウブが応対してくれた。

 

「お願いします。ところで、近くにアルテ缶を買えるところありますか?」

「それなら地下の売店に売ってるけど、もう閉まる頃ですよ。明日はお休みだし」

「では先に買いに行ってきても良いですか?」

「いいですよ。地図なら出しておくから」

「ありがとうございます」

 

 シンは礼を言い、足早に情報課を後にした。

 

「アルテ缶三つください。それと丸パン三つ」

「はいよ。見かけない顔だね。新入りかい?」

 

 店員は中色の中年女ニンゲンだった。

 

「先日から出張で来てるんです」

「なのにまだこれからアルテ缶かい。大変だねえ」

 

 同情とも感心ともつかない表情だ。

 

(残業時にアルテ缶で済ませるのは、ここも同じみたいだ)

 

「仕事ですから」

「はいよ、アルテ缶三つと丸パン三つ。串はどうする?」

「持ってるので結構です」

 

 代金を支払い、品物を背袋にしまう。

 情報課に戻ると、先ほどの職員が待っていた。

 

「ごめんなさいね。ウチの課員が戻さないまま帰ったみたいで、棚にないの。明日は休日だし、明後日以降になりますねえ。代わりにこれならありますけど…」

 

(街路地図か…)

 

「ありがとうございます」

 

 受け取って早速に該当の頁を開いたが、倉庫街はただ『港湾倉庫』としか書いてなかったので、その場で返却する。

 

「これありがとうございました。電話を借りても良いですか?」

「どうぞ」

 

 仕方なく電話を借りて定期連絡を済ませ、そのまますぐに営業輪車の番号にかけて、配車を頼んだ。

 

「おや、この前のお客さんかい」

 

 やってきたのは、見覚えのあるパントの運転士だった。

 

「またお会いしましたね。倉庫街までお願いします」

「了解だぜ」

 

 倉庫街の入り口付近で降りた時には、秋の日はすでに沈み、空にはうっすらと青の痕跡を残すだけだった。

 飛行魔法には制限がある。

 日没後は飛行禁止なのだ。

 

(歩いていくしかないな)

 

 倉庫街を歩いてゆく。

 時間はかかったが、道順はシンの頭にしっかりと入っていたため、問題なく例の倉庫の手前までたどりついた。

 するとその時――

 倉庫の前に座っていた男ニンゲンが、ゆっくりと立ち上がった。

 

(こっちに来る)

 

 雰囲気は船員のようだが、手には酒瓶を持っている。

 

(ごろつきか)

 

 足音がゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。

 シンがすれ違おうと横に移動すると、男も同じように横に一歩動き、行く手を塞いだ。

 

「おい、キサマ、ここに何の用だ?」

 

 淡色の肌が、交差路にあるわずかな光に青白く浮かび上がる。

 中年の男ニンゲン。

 40回期過ぎだろうか。

 髪も髭も、手入れしている様子はない。

 

「人と会うことになっているんです。でもまだ来ないからこっちの倉庫に来てないかなと見に来たんです」

 

 シンはその場で話をでっち上げたが、信じてくれたようには見えない。

 冷たく光る目が不気味に見下ろしてくる。

 

「ここらはオレたちが借りてる倉庫がある。用もねえヤツにうろつかれたら迷惑だ。さっさと帰らねえと、痛い目を見るぞ」

 

 男ニンゲンが唸るような声で、凄んできた。

 足取りは少しふらついているが、その目は異様に冷たい。

 

(ここで争う意味はないな)

 

「わかりました」

 

 シンはおとなしく引き下がった。

 踵を返して歩きだし、四つ角で左に曲がる。

 さらに次の四つ角で左に曲がり、立ち止まった。

 

(ここが、今日上った倉庫の一つ裏あたりのはず)

 

「浮遊」

 

 小さくつぶやくと、体が静かに浮き上がる。

 するすると上昇し、屋根に降り立った。

 月明かりに照らされた倉庫の屋根は波形で、金属がゆるやかにうねって見える。

 

(歩きにくそう)

 

 シンは小さな足を慎重に踏み出した。

 屋根は鋼か何かの合金らしく、ノウブの軽い体重をもってしても、踏むたびにカーンカーンと足音が響く。

 

(周囲に聞かれそう)

 

 気が気でない。

 しかも波形の山と谷が滑りやすく、脚がズルッと谷へ落ちるたびにゴーンと鈍い音が響いた。

 

(……)

 

 シンはそのたびに動きを止め、息を潜めて聞き耳を立てる。

 

 ワオーン。

 

(犬の遠吠えか…)

 

 ガタンガタンガラガラガラ。

 

(鉄道の音…意外と近いな)

 

 浮遊魔法でゆっくり進むこともできるが、今は日没後、飛行は禁止されている。

 

(それに、魔力は残しておきたい。いざという時のためにも)

 

 静かな夜。

 シンはできるだけ音を立てないように注意しながら、ゆっくりと進み続けた。

 ようやく屋根の端までたどり着く。

 

「浮遊」

 

 再び浮遊魔法を使い、隣の倉庫の屋根に移る。

 そしてまた、音を立てないように、滑らないように注意しながら歩きはじめた。

 やがて反対の端に着く。

 

(あれだ)

 

 目的の倉庫が足下の正面にあった。

 シンは今、その対面の屋根から見下ろしている。

 扉の隙間からほんの微かに光が漏れていた。

 誰かがいるらしい。

 

(さっきの男ニンゲンは見当たらないな。中に入ったのか…?)

 

 座って張り込みを続けていると、腹が鳴った。

 

(アルテ缶を開けよう)

 

 空腹に耐えかねて、缶詰と缶切りを背袋から取り出し、一つ開ける。

 アラテ肉の欠片を二本の棒でつまみ上げて口に運ぶ。

 

(うん、味が濃いだけで、おいしいとは言えないなあ)

 

 だが空腹の腹は喜んでいた。

 食べながらも、時々下を覗き込んで確認する。

 暗いが、目が慣れれば、月明かりだけでも充分に見える。

 食べ終えると、煮汁の残った空き缶を屋根の上に置いた。

 

(あとで片付ければ良いか)

 

 すでに目は暗さに慣れている。

 倉庫の鎧扉の筋がハッキリと見えた。

 倉庫の中から人の声が聞こえる。

 

(何か作業してるのかな?)

 

 不満げな声と、それを宥めるような声。

 だが言葉までは聞き取れない。

 不意に背後から声がした。

 

「帰らねえと痛い目見るぞって言ったよな」

 

(マズい!)

 

 シンはとっさに振り向こうとした。

 だが、その前に、何かが側頭部を襲った。

 頭全体がはじき飛ばされるように揺れ、視界が一瞬で白く弾ける。

 激痛が頭を貫き、視界が暗転した。

 

 





次回の更新は明日の予定です。
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