連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
「モルドー庁」こと『モルドー監査庁』は、モルドー共和国の首都・孟都に設置された連邦監査府の地方出先機関である。
その三階に捜査部はあった。
部屋には机が班ごとに整然と並んでいるが、人はまばらで、換気扇の音が目立って聞こえている。
そこに男ノウブが一人、部屋に入ってきた。
彼の名はゲウ・ダン。刑事一班の班長である。
(さて、仕事するか)
ゲウは穏やかな秋の日の昼食から気持ちを切り替え、飛び跳ねるように高い椅子に軽々と座ると、部屋の一角に漂う“異変”に気づく。
――ん? 部長は何を?
ガラスの壁の一室に、広くて綺麗な木製机がある。
そこで髪の薄い中色の男ニンゲンが受話器を肩に挟み、妙な手振りをしている。
――課長に何か伝えたいのか?
「課長」
声をかけると、刑事課長ダニエル・クロードが書類から顔を上げたので、ゲウは部長席を指差してみせた。
課長が振り返る。陳部長と目が合ったようだ。
部長の指が、手前にクイクイと動く。
――呼びつけている。
課長が立ち上がり、椅子がギギッと音を立てた。
部長席へ向かい、ガラス扉を開けた瞬間、部長の声がゲウにも聞こえてきた。
「それで宿は…はい、わかりました…はい…もちろんです…では後ほど…」
受話器を置くと同時に、陳部長が面倒そうに声を上げた。
「ジロー特捜団から三人来るそうだ。それに協力しろ、だとよ。頼んだぞ、ダニエル」
“自分はやりたくないから、キミに任せたぞ”と言わんばかりに、紙を課長へ押しつけ、陳部長は返事も待たずに歩きだす。
課長の開けたドアを通って部長室を出ると、そのまま背を向けて、捜査部の戸口へ向へと去って行った。
「わかりました」
クロード課長の遅すぎた返事は、ゲウには静かなあきらめの声に聞こえた。
顔に隠しきれない困惑を浮かべて、そのまま課長が席に戻ってくる。
(厄介事を押しつけられたか…。まさか…こっちに?)
「ゲウ、どうすべきだと思う?」
課長は席に座ると、やや汗ばんだ手で
――来たか…
ゲウは受け取るとノウブらしい素早さで目を通した。
シン・ポップ(特調・準監員)、消息不明
特捜団より臨時捜索班3名派遣。夕方に到着予定
男パント、男ニンゲン、女ノウブ
(シン・ポップ…?)
ゲウと同じ男ノウブの名前だ。
特別捜査団の調査員。階級は準監査員。
(特捜団では、役職と階級が一致しないのか…紛らわしいな)
普通「調査員」は、階級もまた「調査員」だ。あるいは「準調査員」か。
だが問題は次の言葉だった。
――消息不明…!
ゲウは即座に状況を把握した。
(特捜団が三名も来る……? これは普通じゃないな。警察にはもう問い合わせたのだろうか?)
事故で病院に担ぎ込まれているということもあり得る。
(まあ、それでも意識さえあれば連絡くらいはするだろうが)
三名が園都を出て、夕方に着くということは、遅くとも今朝には出発していたはずである。
(それで朝から情報課がしきりに聞き回っていたのか)
――シン・ポップという若い男ノウブの動向について知っている者はいないか。
ここ捜査部にも朝から何度も来て尋ね回っていた。
ゲウはここまでを瞬時に考えてから口を開いた。
「まずは情報課に話を聞きましょう。先ほどシン・ポップを見ていないか聞きに来たのは情報課でしたから」
ゲウが即座に答えると、課長が物問いたげな視線を向けてきた。
「話を聞いてどうする?」
「手がかりがあるなら、まずうちで先に調べておきましょう。特捜団員がうちの管轄で行方不明になったのに、何もしないのは得策ではありません」
ゲウの言葉に、課長はわずかに眉を上げ、軽く頷いた。
その表情には、責任の重さにいま気づいたというように、驚きと焦りが見えた。
「そ、それもそうだな。では任せるよ、ゲウ班長。一人連れて情報課に行ってくれ」
(それでも課長は自分では動かないか……押しつけられてしまった)
部長から課長に、そして班長の自分に。
ゲウはこの押しつけの空気が好きではなかった。
「わかりました。最優先でやります」
(部長も課長ももっと俊敏に動くべきだ。寿命が長いせいかもしれないが)
ゲウは早速、自席に戻ると、部下の一人に声を掛ける。
「ピーター! 一緒に来てくれ。厄介ごとだ」
淡色の男ニンゲンが、気のない表情でゲウを二度見してから、慌てたように立ち上がる。
椅子がガタンと音を立て、周囲の視線を一瞬だけ集めていた。
(彼も反応がのんびりしているな…)
ニンゲンはノウブより昇進が遅い。先任者がすぐに部下になる。
ピーターもそんな一人だった。
情報課を訪れると、すでに課長席の横には会議用の黒板が立てられていた。
黒板には、「シン・ポップ。特調員。25回期」の文字があった。
(25回期…ホントに若いな…それで準監査員とは…)
顔と思われる不鮮明で雑な白黒写真が貼りつけられている。
(電送写真か…)
電送は、写真を電話回線で送れる画期的なものだとの触れ込みだが、送信に何時間も掛かる上に、黒か白かしか表示されない。
このため、顔写真はアゴの輪郭は分かるが、顔は黒い点の塊にしか見えない。ノウブの白い髪は背景の白と完全に同化している。
午前中に送られてきたのだろう。
(まったく役立ちそうにないな。手配写真に電送を使わないわけだ)
その右には足取りが時系列で書かれており、白墨の粉がまだ空気に薄く漂っていた。
ゲウは素早く目を通す。
4月11日 夕方、玄関受付に孟都銀行と宿の場所を尋ねた。
12日 当課にて電話。
13日 同上。
14日 「港39番倉庫の位置を詳細地図で確認したい」。地図は貸出中だった。
売店でアルテ缶三つ、丸パン三つ購入。
当課にて電話。
玄関で〈孟港第一営輪〉の営業輪車に乗り、倉庫街近くで下車。
15日 連絡無し
(そこで足取りが途絶えた、というわけか)
ゲウは黒板を見上げながら腕を組み、静かに息を吐いた。
16日 現在、消息不明
(16日…今日だな。事故か…事件か…目撃者がいると良いんだが…)
いずれにしても、もっと情報が必要だ。
「刑事一班のゲウ・ダンです。これについて話を伺いたいのです」
ゲウが黒板を指差し、周囲にも聞こえるように声を張ると、年配の女ノウブが椅子から軽やかに跳び降りた。そのままトコトコと小走りで近づき、書類を一枚差し出してきた。袖のインクのシミが多忙を物語っている。
「こちらに書いておいたから、持って行っていいですよ」
ノウブ同士は話が早い。
ゲウは素早く目を通し、黒板と同じ内容だと確認すると、そのままピーターへ手渡した。
ピーターは文書を両手で受け取り、赤毛の眉を寄せながら、ゆっくりと黙読を始める。
周囲の人たちは慌ただしく電話を掛けている。
「彼が何を調べていたのかわかりますか?」
ゲウが尋ねると、女ノウブは首を横に振った。
そして顔を近づけて、ひっそりとささやいた。
“それは聞いてません。必要なければ話さないのが情報の職員だから”
(ん? 情報?)
ゲウもつられてささやく。
“彼は“情報”なんですか?“
黒板にもこの文書にも、そして部長の書付(かきつけ)にも“特調”と書いてあるというのに。
“情報部からの出向なんですって”
(情報部から特捜団に出向?)
「彼がそう話したのですか?」
「いいえ。今朝、中央府の情報部に聞いたんですよ。ウチも情報だから」
ゲウは思わず声に出して尋ねたが、年配の女ノウブも普通に声に出して答えた。
ここは聞かれても良いらしい。
だがゲウは別のことが気になった。
「なぜ特捜じゃなく“情報”に聞いたので?」
(特調員については特捜団に尋ねるのが筋だ。なぜ情報部に尋ねようと思ったんだ?)
筋が通らないところが気になる。
刑事一班の班長なら当然だ。
すると女ノウブは声を落とし、いや、ほとんど息だけになった。
“ここに電話を借りに来たからよ。“情報”のやり方なの“
そしてまた声に出して話す。
「普通は玄関の公衆電話を使うか、庶務課で借りる。だからよ」
(確かに普通は情報課に電話を借りたりしない…か)
“それに“情報”だと思った理由はもう一つある“
またヒソヒソ声になった。
「それは?」
「キミたちは必ず二人以上で行動するでしょ?」
「ええ。捜査の基本ですから」
““情報”は一人で行動するんですよ“
急にまた、息だけで話す女ノウブ。
「なるほど…」
(そういうことか)
「…それは話しても良いことですか?」
「ダメよ。だから書いてないでしょ」
「なぜボクに?」
「ノウブだからよ。だから黙っててね」
(同族のよしみ……ボクだけ知っとけということか…)
つまりシン・ポップは単独行動だった。
何を調べていたのかは、銀行に尋ねれば分かるだろう。
だが、そんなことしなくても――これから来る三人は、知ってるはずだ。
(ならば、こちらが向かうべき場所は一つ。この39番倉庫だ)
黒板に書かれた“39番倉庫”の文字が妙に重く見えた。
ゲウはピーターの運転する輪車で、倉庫街に足を運んだ。
「39番倉庫? どの通りの39番です?」
そう尋ね返す港倉庫管理事務所員は、中色の男ニンゲンだった。
中色の肌は、淡色にも濃色にもなるが、髪は黒一色――若いうちは。
だが、この事務所員の前髪だけは、ノウブの髪のように白くなっていた。
やや濃色気味に日焼けした顔には、潮風にさらされてきた年月が刻まれていた。
(39番はひとつじゃないのか…)
事務所の窓の隙間から、秋風に乗って海のにおいが流れ込んでくる。
外では貨物輪車の音がひっきりなしに響いてくる。
「いくつあるのですか?」
「三つですね」
(ならひとつずつ当たるか)
「倉庫は誰の所有ですか?」
「倉庫は国司府運輸局の所有ですよ。うちはその出先なんです」
(所有者は共和国政府か)
「借主は分かりますか?」
事務員は「ちょっと待ってください」と言い、古びた台帳を引き出しから取り出して、パラパラとめくり始めた。
「一つは飲料会社です。一つは穀物運送です。もう一つは国軍ですね」
「そうですか。中を見ることはできますか?」
まず一つ目の倉庫に入ると、そこには大量の瓶箱が積まれていた。
木箱はスノコのように隙間があり、中のガラス瓶の姿が確認できた。
果実水の甘い香りが、かすかに漂っていた。
「果汁飲料ですね」
事務員が説明した。
二つ目の倉庫には、袋が大量に積まれていた。
「麦ですね。南部全域に運ばれるそうです」
袋は二種類、印字には小麦、大麦とある。ここモルドー南部向けのようだ。
最後の倉庫は――
「国軍が借りてる倉庫なので、ちょっと同意なしでは開けたくないですね」
(共和国軍…ならそれは後にしよう)
「そうですか。では後でこちらで頼むことにします。それまでは監査庁が来たことは国軍には話さないでください。頼むかどうか分かりませんので。いいですね?」
(余計な動きをされても困る。情報はまだ絞っておくべき。それに彼は”情報”だ。勝手に大っぴらにはできない)
「それは…もちろん…わかりました」
「ところで、一昨日ですが、いずれかの39番倉庫の辺りで、男ノウブを見かけませんでしたか?」
ゲウは本命の質問をした。
「わたしはそこら辺りにはあまり行きませんから」
事務員は首を振る。
白髪が左右に揺れ、潮風にそこだけふわりと持ち上がった。
(ダメか…)
「結局、手がかりは無かったわけか」
傾き始めた陽光を右背に受けながら、ダニエル課長が両手を薄茶色の髪の後ろで組んだ。
声には失望の混じり、表情も不満げだが――これはいつものことだ。
窓から差し込む秋の夕日は、書類の端を赤く染め始めている。
ゲウは淡々と報告を続けた。
「はい。少なくとも二つの倉庫では、中で争った形跡もありませんでしたし、特に疑わしいものは見かけませんでした。残りは国軍が借りてる倉庫ですが…国軍本部に問い合わせましょうか?」
課長は腕を組み直し、息を吐いた。
「ふう。それは中央府が来てからにしよう」
まずは中央府の捜索班の方針を確認してから、国軍本部に問い合わせるかどうかを決める。
課長の判断は慎重だが、別に間違ってはいない。彼が”情報”と知っているせいで、間違いなく正しいと思える。
ただ出迎えるときに渡す手土産はない。
(課長はそれが不満なのか不安なのか…いずれにしても嬉しくはないだろうな。さて課長はどんな顔で彼らを出迎えるのか)
ゲウは少し心配したが、そうはならなかった。
「では君、出迎えは頼んだぞ。夕方に着くという話だからな」
(え? 課長は行かない…? そうくるか…! まさか中央府の出迎えまで部下に押しつけるとは!)
と思ったのは一瞬だけで、即座にゲウは姿勢を正した。
「はっ。迎えに行ってきます」
近くの班の数名がちらりと視線を向けてきた。
“中央府”“出迎え”という言葉が聞こえたからだろう。
どことなく捜査部全体に緊張の空気が広がったような気がする。
(特捜団か…どんな人たちが来るやら)
ゲウは胸の内でつぶやくと、廊下へと歩き出した。
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