連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
連邦監査府の監査人室の一角にて――
早朝、ジローは出勤して机に座ったところであった。
(今日は予定が詰まっているからな。まずは紅茶を入れよう)
なにしろ紅茶を自分で入れる自由は、ここにしかない。
そのためにわざわざ早朝に一人で出てきたのだ。
そのために即席紅茶を用意してあるのだ。
家では入れられないのかって?
当然だ。
(“旧”とはいえ、宮殿だもんなあ)
ジローは立ち上がろうとしたその瞬間――
目の前に二人が立っていることに気づいた。
(いつの間に…)
「おはようございます。こちらはフェルディナンド・ロシャ准将です。本日はわたしとともに主じょ…いえ、監査人閣下の護衛を務めます」
監査府直轄軍のゲルダエール・ローハン大将が部下を連れて挨拶に来ていた。
(今、“主上”って言おうとしたな)
この男エルフとは古い付き合いだ。
なにしろ帝国時代より古い。
そのせいで、いまだにジローを主君として見ている節がある。
(相変わらず昔の癖が抜けないか)
「フェルディナンド・ロシャ准将であります。この度は最高監査人閣下の護衛任務という栄誉を賜り、誠に光栄であります」
男ニンゲンが直立不動の姿勢で挨拶した。
濃色の肌だが、顔立ちは淡色のニンゲンを思わせる。
そこには傷跡がいくつも走っており、いかにも歴戦の猛者という雰囲気を漂わせている。
「初めて見る顔だが、准将ということはやはり新入りなのかな?」
「はい。この四月に入隊しました。本日一日、ほか一名と交代で護衛を務めます」
(なるほど。新人研修か)
「ロシャ准将、よろしく頼む」
監査府直轄軍に入隊すると、その時点で将官になる。
将官とはつまり、大将・中将・少将・准将のことだ。
「はっ、全力で任務を全ういたします」
ロシャは右向け右をしてそのまま壁まで行進し、そこで振り返って動かなくなった。
(あの動きは連邦軍上がりだ)
冒険者上がりの動きはもっとぎこちない。
「では、自分も任務に入ります」
ゲルダエール大将も、静かに反対の窓際へ進み、姿勢を取った。
(入隊するのは脳筋ばかりだなあ…)
ロシャ准将をちらりと横目で一瞥してから、ジローは苦笑した。
連邦軍では、ああいう硬派一直線は将校には成れても、将官にはまず届かない。
だから直轄軍に来る。
ここでは判断力よりも、命令を疑わずに遂行できる腕っ節と忠誠心が重宝される。
(というか、ゲルの方針がそうなんだよな)
ゲルダエールは、考えるより先に動くタイプを好む。命令を出す側としては扱いやすいのだろう。
(そのおかげで、脳筋にはもってこい出世先ってわけだ)
そんなことを考え、ふと思い出す。
(そうだ。紅茶を入れるんだった…)
「ジロー閣下、おはようございます! メネル特捜団長がお見えです」
秘書官補助員のヒルダ・端麗の声が響いた。
(補助員も出勤してきたよ。メネルと話す前に、まず紅茶を入れて…)
視線を向けると、ついたての上で女エルフの顔が険しい表情で睨んでいた。
(…いや、紅茶は後にしよう)
「ああ、入ってもらってくれ」
ジローはメネルに手招きしながら、ついたての向こうにいるであろう女パントの補助員に返事をした。
「一応報告があるの。時間あるかしら。今日は予定が詰まっていそうだから、朝に来たんだけど」
大股でジローの机の前に迫り来るメネルの声には、有無を言わせぬ響きがある。
その左足元には小さな女ノウブが早足で付いてきた。
「ああ、かまわないよ」
まだ始業時間前だし…
紅茶も入れてないし…
「シン・ポップ事件のことよ」
(ああ、彼女はそれか)
ジローは女ノウブを一瞥した。
シン・ポップ臨時捜索隊として孟都に派遣した彼女が戻って来たのだ。
ジローも「手術も治癒術も成功した」と聞いている。
治癒術師フィン・ゲントナーへの礼状に添える贈り物を、家宰ケディルに手配するよう頼んだ。
(もう安心だと思っていたのだが、一体何だろうか)
「ではミン、始めてちょうだい」
「わかりました」
ミンが手持ちの文書を軽く放ると、浮遊魔法でスーッとジローの前に滑ってきた。
ジローはそれ受け取り、目を通す。
「ではミン・グイが報告いたします。我々は夕方に到着したため、捜索は翌朝から…」
ミンの報告は簡潔にして明瞭だった。
・到着翌日にシンを発見したこと。
・シンは頭部を負傷し、両腕と片足が骨折していたこと。・
・硬膜下血腫の除去手術後、治癒術師ゲントナーの尽力で回復したこと。
・シンの証言を元に男ニンゲンの人相書きを作成し、聞き込みを始めたこと。
・酒場で「ボブ」と呼ばれていたらしいが、それ以上の足取りは掴めなかったこと。
・冒険者の可能性があるため、冒険者組合に照会中であること。
「これがボブの人相書きです」
ミンが再び紙を浮遊魔法で送ってきた。
(髪と髭が伸び放題だな。たしかに冒険者っぽい)
「つまり、この男が”何者なのか”ということか」
「そうよ」
メネルが頷く。
ジローは人相書きをもう一度見つめた。
髪、髭、酒瓶、港、冒険者――
つながりそうでつながらない。
ジローは顔を上げた。
「ミン・グイはどう思うんだ?」
「冒険者組合の照会を待つ。共和国軍に照会する。全邦に人相書きを公開する。新聞に尋ね人広告を出す。そのあたりでしょうか」
(”何者なのか”について“どう思う”のかを尋ねたのに、“どうすべきか”を答えてきたよ)
ノウブは話を急ぎたがる者が多い。
話がどんどんと進んでいくのは、早く結論を出したいからだろう。
ノウブにありがちな先走りだ。
「共和国軍に照会?」
ジローは苦笑しそうになるも
「はい、シン・ポップが見張っていた39番倉庫はモルドー国軍が借りていたものです。襲われた40番倉庫もです。その近くにボブがいたのなら、照会を掛けても良いのではないでしょうか」
(そうかなあ)
「メネルはどう思う?」
ノウブよりは確実に結論を急がないであろうエルフに尋ねる。
「もし国軍が犯行に関わっていたら、照会を掛けてもすぐには回答が来ないわね。回答が来る頃には、ボブはどこかに雲隠れしてるんじゃないかしら」
(そうだな)
「ならば強制捜査と行きたいところだが…」
するとミンが口を開いた。
「捜査本部でも『捜査を入れるべきだ』との意見も出ています。ジンゴ主任は却下しましたが…」
(それはそうだろうな)
ジローは報告書に目を落とす。
「この報告書には国軍に強制捜査するだけの材料は見当たらない。39番倉庫は犯行現場ではなく、言わばご近所に過ぎない。国軍が関わっていない可能性の方が高い」
報告書には“33番倉庫にてシンを発見”とある。
ならこの”ボブ”なる男は、その33番倉庫の見張りであり、“そこに人を近づけたくなかった”と考えるのが自然だ。
39番倉庫との関連は、シン・ポップが探っていたということしかなく、しかもシンはボブが出入りするところを目撃してもいない。
シンが尾行したという二人は”空き倉庫の無断使用”に思える。何に使っていたのか調べる必要はあるが、こちらはおそらく傷害事件とは別件だ。
(これで国軍に強制捜査を入れたいとは思わないな)
発見現場の33番倉庫の使用者は『ガントン貨物』とある。四年前に廃業したことになっているとある。
何者かがその名前を使っている。
(むしろこちらを探すべきだろう…)
ジローはただ静かに人相書きを見つめた。
ふと疑問が湧き起こる。
(シンはなぜ易々と殴られたのか――)
そのまま立ち上がり、ゆっくりと歩き始める。
(シンは若くて未熟だった――。だからボブが近寄っても気付かなかった)
廊下側の壁に立つ新人護衛の前で止まる。
(だが未熟とは言え“情報部”だ。その調査員に気付かれることなく、接近できそうな人物像は限られる。例えば――)
何事かとこちらを見つめているロシャ准将。
(――連邦軍の熟練兵士とか)
ジローはその眼前に人相書きをかざした。
ロシャの目がわずかに見開かれる。
「この顔を知らないか?」
(まあ知らないだろうが、念のためね)
ロシャがじっと紙を見つめている。
記憶を探る目の動きも軍人らしい。
やがて、思い出したように口を開いた。
「これによく似た男に見覚えがあります」
(ん? あるのか?)
ジローは思わず、身を乗り出しかけた。
「自分は第4軍にいました。その第4軍で見た覚えがあります」
連邦軍第4軍――モルドー共和国の防衛を担当する近代装備群の一個軍である。
「キミは古典装備群じゃなかったのか…」
ジローは意外に思うあまり、そう口に出す。
『古典装備群』とは、つまり剣・槍・弓等の軍である。周辺の前近代国家に”近代装備を見せずに相手をする”ための軍だ。その訓練は対人戦闘訓練も多く、等級上昇につながりやすい。
「自分は”近装”でした」
(近代装備群か…‥珍しいな。直轄軍は”古典装備群上がり”がほとんどなのに)
近代装備群は、その名のとおり近代的な装備の軍である。
「よく直轄軍に入れたね」
近代装備群の軍事訓練は等級上昇に結びつきにくいはずだ。
「訓練の賜であります」
直立したまま姿勢を正す准将の顔は誇らしげだ。
(直轄軍はA級以上でないと入隊できない。”対人近接戦闘”訓練を相当やり込んだか…)
「頑張ったんだね」
「訓練に付き合ってくれた仲間達のおかげであります」
(付き合わされた仲間は大変だっただろうなあ)
ジローは内心で苦笑しつつも、表情では感心してみせてから、本題に戻ることにした。
「それで、このボブは第4軍にいたのかい?」
「はっ。部隊が違いましたので、どの隊だったかは覚えていませんが、何度か見かけた覚えがあります。確かボブと呼ばれていたように思います」
「最後に見かけたのはいつかな?」
「数年前…4年か5年か6年か、それくらい前が最後であります」
「そうか。助かったよ! また後で話を聞くかもしれないけど」
ジローはロシャの肩を右手で軽く叩いた。
部下にしっかりと感謝を伝える――上司のたしなみだ。
「いえ、お役に立てたなら光栄であります!」
ロシャ准将は姿勢を正し、踵を鳴らした。
「聞いたかい?」
ジローは席に戻りつつ、机の前に立つ二人に視線を向けた。
「ええ、聞いたわ」
メネルの声がわずかに弾んでいる。
「はい、聞きました!」
ミン・グイは興奮気味に目を見開いている。瞳が爛々と輝いているように見える。
ジローはドカリと椅子に腰を下ろす。
「共和国軍とつながりがあるかもしれないとは思ったが、連邦軍は頭に無かったな」
両者はそもそも役割が違う。普通なら結びつかない。
「元連邦軍で、今は共和国軍――という可能性もあるわ」
(滅多にあることではないが、可能性はあるか)
「第4軍が関わっている可能性も、わずかに出てきました」
ミンの言葉に、ジローは短く考える。
(第4軍への捜査となると、共和国軍よりさらに厄介だぞ)
「だが連邦軍にいたのなら、第4軍に気付かれずに照会できる。防衛省はここ園都にあるからね」
防衛省は軍属の情報をすべて把握してるはずだ。
「すぐに照会掛けるわ」
「身元が判明すれば、足取りも追いやすくなります。あちらの軍人さんの名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「フェルディナンド・ロシャ准将だ」
(うん。ちゃんと覚えてるぞ)
「ありがとうございます」
「では失礼するわね」
二人が足早についたての隙間をすり抜けて行くのを見送り、ジローは再び立ち上がる。
(よし、では紅茶を入れ……)
「ジロー閣下あ! 朝の打合せ始めるわよお!」
秘書官モリアの声が監査人室の真ん中から響いた。
(もう始業時刻か!)
「今行く!」
(まったく。朝から紅茶を入れる暇もない)
ジローは肩をすくめて、席を立ち上がり、打合せ場所に急ぐのだった。
次回の投稿は明日の予定です。