連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
監査人室はただいま朝の打合せ中である。
「はい、事前に報告のあった連絡事項は以上だけど、何か連絡のある人はいる?」
モリア・マイヤー秘書官が周りを見回した。
監査人、秘書官、補佐官、それに局長と次長が集まり、互いに共有が必要な事項を簡潔に伝える場だ。
進行役は秘書官の持ち回りであり、今日はモリアの当番だった。
一人が手を上げた。
「では、ベルデーン捜査局長」
濃色の男ドワーフ、オーリン・ベルデーンが立ち上がった。
「実は孟都港湾警察署から問い合わせ状がわし宛に届いている。『シン・ポップ調査員は現場で何をしていたのか』とな。それで内務局に尋ねたら、シン・ポップというのはジロー閣下の特捜団の団員だそうじゃないか。だからジロー閣下の方で回答してくれるとありがたいんだが」
ジローは軽く左手を上げる。
「わかった。わたしが預かるよ」
文書が空中を浮遊して来たので、ジローは受け取る。
件名を確認して頷く。
「ああ。これはこちらで対応する」
「よろしく頼む」
モリアが締めに入る。
「他にいる? いないならこれで朝の打合せは終了。今日の業務時間は半日よ。監察局の会議があるから大変だけど、監査人の皆さんは部下になるべく残業させないように、頑張りましょう」
モリアの皮肉混じりの終了宣言に、場が少し沸いた。
皆が立ち上がり、局長たちが退出すると、入れ替わりに秘書官補助員達が入ってきた。
皆、それぞれの席に戻り、今日の仕事が始まるのだ。
ジローももちろん、立ち上がった。
「問い合わせ文書か」
ジローは自分の机に戻ると、椅子に腰を下ろしてから時計を見る。
これから監察局の会議があり、新年度の行政監査方針が話し合われる。
(あと20分以上ある)
時間があることを確認して文書に目を落とす。
孟港署発第 29 号
291年4月18日
連邦監査府捜査局長 殿
モルドー共和国警察庁
孟都市警察 孟都港湾警察署
署長 ローガン・バリソーン 印
当署管轄内における傷害事件に
昨日4月17日、孟都港湾倉庫街33番倉庫にてシン・ポップ氏が負傷した状態で発見され、救急輪車で病院に搬送されました。当署は緊急車両待機所からの通報を受け、署員を現場に派遣いたしましたが、現場はすでにモルドー監査庁が押さえており、後になって状況説明を受けることで、当署にとりましてはここにようやく傷害事件と判明したところです。
さて監査府令及び共和国設置法によれば、連邦刑法に定める一般刑法犯罪は共和国警察の所管であります。そして共和国警察は孟都を孟都市警察の所管とし、その孟都市警察本部は、被害者の発見現場である港湾地区を当署の管轄と定めています。
当然ながら当署では本日18日に、被害者であるシン・ポップ氏に事情聴取いたしましたところ、驚くことに「自分は監査府の調査員であるため、業務については他言できない。監査府に問い合わせてくれ」と言い、こちらの公務の遂行に必要な答えをいただけませんでしたので、ここに問い合わせるところであります。
質問
一、シン・ポップ氏は事件現場と思われる40番倉庫の屋根で何をしていたのか。
二、調査であれば、何を調査していたのか。
三、当該事件は広域犯罪なのか。
四、当該事件は当署の所管ではないのか。
五、当該事件が監査府または監査庁の所管であるとのお考えであれば、その根拠は何なのか。
以上の質問につきまして、監査府のお考えを教えていただきたく思います。当方の公務の遂行に必要でありますので、お忙しいとは存じますがなるべく早く回答していただければ幸いであります。
以上
担当 捜査一係長 ホロック・聡厳
電話 ○○-××-○○○-××××
所在地 港湾地区
監捜局291・4・20受
「はあ」
ジローは読み終えると小さく息を吐いた。
(なんだか警察の不満がにじみ出てるなあ)
特に三~五の質問にそれを感じた。
(うわぁ…この三つは実質的に同じ質問じゃないか…)
だが、文面には一言も不満を書いていない。
そこが逆に“本心”を感じさせる。
(事件の捜査を自分達で進められないことに、相当不満があるな)
日付を見てもそれを感じる。
この文書を作成したのは事情聴取した当日だ。そして二日後には届いている。おそらく昨日の午後だろう。
輪空速達郵便で送りつけてきたに違いない。
公務員にあるまじき仕事の速さだ。
普段からそういう人物なのか…
(そうでなければ、よほど腹に据えかねたか、だな…)
ジローは担当者の名前を見つめる。
(さて、どうしたものかな)
と、考えていると声が掛かる。
「閣下、先ほどの文書、見せてもらえるかしら?」
「ああ、どうぞ」
「それと、はい紅茶。時間はあまりないけど、どうぞ」
ジローのささやかな希望が打ち砕かれた瞬間だった。
「…………ああ……ありがとう」
(紅茶が…”自分で入れる”という数少ないわたしの“主権”が…)
ジローは紅茶をじっと見つめた。
(おっと、気落ちしてる場合じゃない)
モリアが文書に目を通し始めるのを見て、ジローはささやかな諦めの境地で紅茶を啜り、時計を見る。
あと15分か。
(警察の言いたいことは、つまるところ『傷害事件なのだから捜査はこちらの仕事じゃないのか!』ということだ)
『違うというなら根拠を示せ! 示せないなら警察の捜査に協力しろ!』と。
(まったくもってそのとおりだから困る)
ジローは右肘をついて拳にあごを乗せ、左手でカップを口に運ぶ。
(シン・ポップは金の出所を調べていたが、それを話すのは賢明なのだろうか…)
銀行によると、金はあちこちから持ち込まれており、そのなかには「もっと大きな所」もあるという話だった。
(これが警察である可能性を考慮して、シン・ポップの捜索は警察への協力を依頼せずに行うことにしたんだが…)
結果、シンは瀕死の状態で発見され、しかも傷害事件であることは明白だ。
間違いなく地元警察の所管である。
調査目的は秘密だ、と告げても、警察は「それでは容疑者を絞れない」と不満だろう。
「つまり警察は、犯行の動機を知るためにも、シン・ポップの調査目的を知りたいのね」
読み終わったらしいモリアが口を開いた。
「そういうことだな。ズズ…」
ジローはこれ見よがしに紅茶を啜ってみせる。
「シン・ポップに指示した調査は、まだ“捜査”というわけではないのよね」
捜査であれば回答を先延ばしにできる。
だが、これはそうではない。
「そうなんだよ。そもそも金の出所調査はまだ犯罪捜査の段階ではない。傷害事件と関係があるのかも不明だ」
(”ない”と断定も出来ない)
ジローは左手で後頭部を押さえ、背もたれに寄りかかった。
「それでどうするの? 閣下の考えは?」
モリアが鋭い視線を向けてくる。
ちゃんと“線引き”しなさいよ。
それがあなたの仕事でしょ!
そんな目だ。
上司に圧力を掛ける部下の目…
「そうだなあ」
ジローは敢えて、余裕を見せるようにそう言い、少し考えた。
「まずはメネルを呼んでくれないか」
「わかったわ」
モリアがついたてを颯爽とすり抜けいく。
ジローは再び紅茶を啜り、文書に目を落とすのだった。
その頃――――
と言っても、孟都は園都のかなり東に位置しており、時差の関係で始業からすでに2時間を過ぎている。
孟都港湾警察署――通称『港湾署』は、いつものようにざわついた空気には珈琲の香りが漂っていた。
殺風景な
港湾署はもともと、孟都南警察署の分署だった。
捜査一係の役割は、喧嘩っ早い船乗りどもが住民に害を及ぼさないようにすること。
分署という区分が廃止され、三級警察署となった今でも、その役割は基本的には変わらない。
三十年前に一度だけ殺人事件が起きたが、そんな事件はめったに起こるものではない。
(あの時のオイラは下っ端だった。今や係長になって、またここに戻ることになるとは…)
捜査一係の部屋では、ホロック・聡厳警部補が係長席に――つまり自分の席に座り、珈琲を飲んでいた。
モルドー中部は珈琲豆の栽培が盛んである。
部屋の電話が鳴っている。
誰かが捜査一係に直通で掛けてきているようだ。
ホロックは、監査府に先日送りつけた問い合わせの文書のことを考えていた。
(輪空便で送ったが、果たして回答は来るんだろうか…)
とっくに届いているはずだが、監査府は大きな組織だと聞く。
(返事には時間が掛かるだろうな…)
「はい、捜査一係」
係員の一人が電話を取った。
(文書は捜査局長宛に出した。電話番号も書いておいたが、電話が来るとしたら平の係員あたりから…いや監査庁は班だから中央府も班員かな…)
「係長に電話です」
部下の声で思考が中断する。
「誰からだ?」
「交換手です」
「交換手?」
交換手から掛かってくることはたまにある。
利用者が厄介事をどこに相談したら良いのか分からずに交換手に相談した結果、電話が警察に回されることがあるのだ。
(だが、交換手が自分を名指しで呼び出すなど初めてだ…)
「わかった」
電話主が自分に直接用があっても、係員が出れば交換手はさっさとつないでしまうのが普通だ。
なのに――
「なぜ直接オイラを呼び出すのか」
そうつぶやいて、外線の接続の音がジリリと鳴るのを待ってから、受話器を取る。
「はい、捜査一係長です」
“ホロック・聡厳様ですか?”
交換手の女だ。
「ええ、そうですよ」
“ではお繋ぎいたしますので、お話しくださいませ”
すぐにプチっと音。
次の瞬間――
“ホロック・聡厳係長かな”
高くも低くもない男の声が聞こえてきた。
(若い声だ)
「ええ、さきほども言いましたけどね。そうですよ」
(いったいどこのお坊ちゃんだ?)
ホロックは珈琲を啜る。
“わたしは最高監査人のコウ・ジローという者だが”
「え? なんて?」
電話からありえない言葉が聞こえてきたので思わず聞き返し、また啜る。
“監査人のコウ・ジローだ”
ブホッ!
珈琲が机に飛び散り、部下達が一斉に振り向いた。
ホロックはさらにカップと受話器をどちらも手放しそうになり、何とか耐えたのだった。
「公務員にあるまじき…」という発言は、あくまでトルキナ連邦の公務員に対するジロー個人の感想です。
次回の投稿は明日の予定です。