連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
ホロック・
係長にはなったが、自分としては一介の刑事のつもりだ。
出世欲もなければ、特別才能があるとも思っていない。
どこにでもいる地味な刑事だ。
それが今、とんでもない相手からの電話を受けていた。
「か、監査人閣下でありますか? こ、これはこれはどうもどうも、わざわざこんなしがない警察署に電話していただくなんて光栄であります」
ホロックはなんとか言葉をひねり出しつつ、カップを机に置いた。
“監査人閣下”という言葉を口にした瞬間、さらに数名の部下が加わり、こちらに
最高監査人――言わずと知れた、連邦政府の最上位権力者の一人。
そんな人物が、港湾署のような三級警察署の一係長に直電してくるなどありえないことなのだ。
部下たちの顔には「係長は何を寝ぼけているんだ?」と書いてある。
ホロックはそんな視線を一瞥し、電話の向こうの権力者に尋ねた。
「で、ご用件はなんでありましょう?」
(いったい何事だ?)
“その前に、周りに人はいるのかな? 話を聞かれたくないんだが”
どうやら内密の話らしい。
「お待ちを」
ホロックは受話器を顔から離し、部下たちに向き直る。
「おい、みんなちょっと席から離れて向こうに行ってくれ。内密の話をする」
そう手でシッシッと追い払うような仕草をした。
部下たちがダラダラと立ち上がり、部屋の反対側に移動していく。
「何事だ?」と口々に話している。
(よし、これなら聞こえないだろう)
ホロックは受話器を耳に戻した。
「お待たせしました」
少し声を落とす。
心臓が、さっきより早く打ち始めた。
“実はいま、わたしの手元に港湾警察署長名で出された問い合わせ文書が届いている”
(はあ? あの文書が? なぜ監査人に?)
「か、監査人閣下のお手元にでありますか? 確か捜査局長宛に出したはずですが…」
(監査人に届くとはいったいどういうことだ?)
ホロックは眉をひそめた。
監査府から連絡が来るにしても、普通はもっと下の者が対応するはずだ。
少なくとも共和国警察ではそうだ。
局長宛の文書も、署長宛の文書も、実際に対応するのは下っ端の係員である。
(なのに監査人からだと? 下っ端どころか、一番上じゃないか!)
ホロックの頭は困惑と動揺でいっぱいになった。
手の中の受話器が重く感じる。
“その捜査局長から渡されたんだよ。シン・ポップはわたしの直属だからね”
「そ、そうでありましたか」
準監査員殿は特捜団とは聞いていたが、ジロー閣下の直属だったのか。
(いや、それにしたって監査人が直々に電話してくるか? 秘書とか副官とか、いないのか?)
“そうだ。それで問い合わせの件だが、君に回答しようと思う。だがそれには条件がある”
(条件?)
回答してもらえるのは嬉しいが、条件とは穏やかではない。
(いったい何だ? まさか権力を濫用するのか?)
「条件…でありますか? ご存じのことと思いますが、いかに最高監査人閣下といいましても、警察の業務をぼう…制限するなどは…」
ホロックは失礼にならないよう注意しながら異議を述べる。
最高監査人が権力を濫用すれば、それこそ一大事件だ。
だが、ホロックが言い終える前に相手の言葉が割り込んでくる。
“なに。違法なことをしてくれと言うんじゃない。あくまで合法的に、日常業務をする際に気をつけてほしいことだ”
(合法的にねえ…)
「はあ、その条件とは?」
(呑める条件なら良いんだが…)
電話口の声は静かに条件を告げた。
“シン・ポップ特調員の調査目的について、さらには監査府と監査庁の捜査で知り得た事柄ついては、孟都市警察本部への報告はなるべく控えて欲しい”
(ん? 報告を控えろ? それはつまり…)
「秘密にしろってことですか?」
(それは合法的…と言えるのか?)
ホロックは低い声になる。
「いや、あたくしどもには報告の義務があるんですが…」
できないことはないが、報告を怠れば問題になる。処分を受けることもあり得る。
なるべくなら、そんなことは引き受けたくはない。
(いったい何を隠しているんだ?)
電話の声は言い聞かせるような口調で言った。
“いや、秘密にしろとは言わない。ただ、取り立てて目立つような報告はしないで欲しい。報告もあくまで定例の報告で『そう言えば先月こんなことがありました』という感じで、事後報告にして欲しい”
監査人の要求は、思ったより難易度の低いものだった。
(つまり、すぐには連絡するな、ということか…)
ホロックは右手の指先でアゴをつまんだ。
「はあ、なるほど…つまり…現時点では本部に知られたくないわけですな」
(もしや…本部に何か疑惑があるのか?)
それなら準監査員殿が警察に話そうとしなかったのも、うなずける。
“まあ、そういうことだ。その上で、君が必要だと思うならこちらの捜査に参加してくれてかまわない”
(え?)
「よ、よろしいのですか?」
警察への疑惑がらみの事件に、警官を立ち合わせて。
“ああ、確かに傷害事件は君たちの管轄だ”
その声はわずかに残念そうではあったが、納得しているようでもあった。
(そうだ。オイラの仕事は、管轄内の事件の犯人を捕まえて送検することだ)
「そのとおりであります!」
同意する声に思わず力が入った。
“シン・ポップが調査している内容はまだ事件性があると断定はできないが、関係者は多岐にわたる可能性がある。こちらの動きを広く知られるのはマズい”
(つまり…知る者は少ないほど良いのか…)
“どうかな? 条件を呑んでくれないか?”
ホロックは小さく息をのんだ。
(これ…断ればどうなる…?)
一瞬だけ考えかけたが、すぐにやめて口を開く。
「あたくしとしては受けてもいいと思いますが、署長と相談しないとなんとも言えません」
課長は出張中だから、署長に相談しなければならない。
(だが、あの署長は何と言うか…?)
ホロックにはまったく読めなかった。
“では相談して折り返し電話してもらえるかな”
「ちょっとお待ちをっ!」
返事をする前にそう言って、ホロックは受話器を耳から離した。
部屋の反対側にいる部下に向かって、声を張り上げる。
「おい! 今日、署長はいるか?」
「はい! 今日一日、署長室にいる予定です!」
部下の一人が声を張り上げた。
ホロックは受話器を耳に戻した。
「ではいますぐに相談してきますので、一旦失礼します」
“それで電話番号だが…”
急いで番号を書き取り、読み上げると、
“電話口で少し待ってもらうかもれしれないが、必ずわたしが出る。では頼むよ”
電話が切れた。
「ふう…」
ホロックは大きく息を吐いた。
最高権力者の通話から解放されせいか、心臓の鼓動が落ち着きはじめる。
(さて署長には何と言えばいいかな)
受話器を置きながら考え始める。
そのまま立ち上がって歩き出すと、部下たちに声を掛けた。
「署長室に行ってくる。もう席に戻って良いぞ」
ホロックは部屋を出て行くのだった。
署長室の壁は白く塗られ、港湾署で一番上等な、ドワーフ製の机が置かれている。
そこにどっかりと座っていた濃色の男ドワーフが、立ち上がりながら声を上げた。
「はあ? 最高監査人から直接電話があったあ?」
署長のローガン・バリソーン警部が間の抜けた声を上げた。
「間違いないのか?」
黒い目が驚きで目一杯見開いている。
「はい。いやあ、オイラも驚きました。なにしろ最高監査人と言えば連邦の…」
「それで何と言ってきたんだ?」
署長はホロックの感想には興味が無い様子で、話をせかした。
「先日、署長に署名押印してもらった文書がありましたでしょ? あれの回答を聞きたければ条件を呑め、と言われましたよ」
署長が顔をしかめ、腰を下ろした。
「あの文書か!」
短く手入れされた黒
「だから言ったんだ! こんな失礼な文書を出して監査府が怒らないのかって!」
男ドワーフの太い声が、いまいましげに響き渡った。
ホロックは小さな肩を軽くすくめる。
「別に怒られたわけじゃありませんよ。ただ条件を呑めば回答すると言われただけです」
簡単な話ですよ、とさらりと説明してやると、署長がジロッと睨むように見つめてきる。
「それで、何と言ってきたんだ?」
「シン・ポップ特捜調査員の調査目的については、さらには監査府とモルドー監査庁の捜査で知り得た事柄については、孟都市警察本部への報告はなるべく控えろ、と」
ドワーフの太い眉が、困惑を示すように中心に寄る。
「ど、どういうことだ?」
声がわずかに裏返っている。
「さあ、知りません。ただ監査府は本部に知られずに調査したいようですなあ」
ホロックがとぼけてみせると、署長が疑わしげな目を向けてきた。
「いったい監査府は何を調査してるというんだ」
「さあ。それを知りたければ条件を呑めということでしょうな」
(わかりきったことですよ、署長)
ホロックは内心でそう思ったが、口には出さなかった。
「だ、だが捜査の経過を本部に報告しないのはおかしくならないか?」
確かに職務怠慢に見える。
署長もそこが気になるようだ。
「報告しないのではなく、遅らせてほしいようですね。定例の報告で『先月こんなことがありました』というように事後報告してくれとおっしゃっていましたよ」
ホロックは監査人閣下に言われたことを、そのまま伝える。
すると署長が腕を組み、視線を落とした。
「監査府が本部に内緒でなにやら調べている……と報告すれば、本部はわしに感謝するんじゃないか?」
「そうですね」
ホロックは頷いた。
「反対に報告しなければ……」
「感謝はしないでしょうね」
署長がさらに口を開く。
「本部には同期のドワーフ連や世話になった上司もいるし、自分を追い越して出世した元部下のニンゲンやらパントやらが何人もいる。ノウブやノークなら大勢だ」
つまり「本部を軽んじるようなことはしたくない」と言いたいようだ。
ホロックは頷く。
「ドワーフは寿命が長いですから、そういうこともあるでしょうな」
署長は特に古株である。本部にも知り合いは多いことだろう。
「ううむ……」
署長が視線を落として押し黙る。懸命に考えている様子だ。
しばしの沈黙の後、口を開いた。
「条件を呑んだことにして、こっそりと報告してしまうというのは?」
(なっ! 最高監査人を敵に回したいのか?)
とんでもないことを口走る男ドワーフの上司に、パントの部下は内心ひそかに焦る。
(おいおい。巻き添えはごめんだよ…)
「監査人に目を付けられますよ」
ホロックが
「わ、わしは何も不正など…」
男ドワーフの顔が、あからさまに、うろたえた表情になった。
タイトルはどちらにしようかさんざん迷ったあげく、併記することにしました(笑)。
次回の投稿は明日の予定です。