連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
署長室では二人が向かい合っていた。
動揺する署長に、ホロックは好機を見た。
(たたみ掛けるなら今だ!)
「交通違反を見逃したことは一度もないと? 証言を不当に強要したことは一度もないと? 証拠をでっち上げたこと…」
監査府が本気になれば、警察官の
(署長がこんなことをしたかどうかは知らんけど…)
「む、昔の話だっ! 警察がまだまだ目新しかった頃の話だっ! も、もう時効だっ!」
ドワーフが訴えるように叫んだ。
(やっていたのか、署長!)
なら時効かどうかもあやしいものである。
「船乗りの喧嘩は今でも見逃して…」
港湾署は船乗りの喧嘩をいちいち捕まえたりしない。
だが、これを問題にされると世間がどう判断するのかは分からない。
(ひょっとすると、騒ぎになるかもしれない)
「わかったわかった。みなまで言うな」
署長が降参というように両手を挙げた。
(あとひと押しだな)
「監査府が本部のどこを疑っているのか、まだわかりませんがね」
ホロックは補足するように口を開いた。
「もし署長から本部に話が漏れたとなれば、監査府は署長も関係者だと考えるんじゃないですかね」
あなたも監査府に目を付けられますよ――と言外で、半ば脅してみる。
「わ、わしは何も知らないぞ」
動揺の表情がさらに大きくなった。
「ええ、わかっていますよ。でも監査人閣下はどう思いますかねえ」
監査人に目を付けられて辞職に追い込まれた公務員は少なくないと聞いている。
過去には自殺した元老もいたという。
不老の加護を持つ元老ですら自殺するのだ。
一介の警察署長が耐えられるはずもない。
「な、なら…そもそもこの話を受けないというのは…」
ホロックは内心呆れた。
(署長は何を言ってるんだ?)
「いまさらそんなこと言ったら、返ってあやしまれますよ」
そんなことしたら、こっちまで目を付けられる。
それに――
(オイラは受けたいんだ!)
「い、いつまでに返事すれば良いんだ」
署長の表情は相変わらず動揺したままだ。
「すぐに返事すると言ってしまいました」
監査人を待たせるような真似はすべきではない。
署長もそれは分かっているだろう。
「考える時間もないのかっ!」
署長の表情には余裕などというものは欠片も残っていない。
ホロックはそれに答えずに黙って頷く。
署長の表情が恨めしげのものに変わる。
しばしの沈黙――
ホロックは口を開き、声に力を込める。
犯人を追い込む時の手法の一つだ。
「オイラの仕事は、管轄内で起きた事件の犯人を捕まえることです。この話、受けたいと思いますが、よろしいですね?」
ローガン・バリソーン港湾警察署長が太い肩を落とした。
(落ちた)
「わ、わかった。君に任せる」
(よし。了承が取れたぞ)
ホロックはホッと息をついた。
「では朗報を監査人閣下にお伝えしてまいります。それと言い忘れてましたが――」
「なんだ…?」
署長の声にはすっかり力が無くなっている。
「これで問題なく自分らも監査庁の捜査に加われます。おそらく捜査本部に加わることになるでしょう」
「なっ……まさか…報告を遅らせろという条件は……捜査への参加の…!」
「この件も併せて監査人閣下にお伝えしてまいります。では失礼します」
沈んだように座ったまま力なく目を見開き、口をパクパクさせている署長に対して、ホロックは普段は決してしない
足取りも軽く席に戻ると、すぐに受話器を拾い上げ、番号を回した。
“はい。監査人室です”
(若い女…パントの声だな)
同族だ。
「えー、あたくしはモルドー共和国警察の孟都市警の孟都港湾…」
“あ、ホロック・聡厳係長ですか?”
「はい」
“ジロー閣下から聞いております。少々お待ちください”
どうやら相手は待ち構えていたようだ、と思った。
だがそうではなかった。
しばらく…いや、かなり待たされた。
(席を外していたのか…)
“ジローだ”
ようやく先ほどの声が出たので、ホロックは話を切り出した。
「署長の了解が取れました。本部への報告は遅らせることができます。捜査にも参加いたします」
“それは良かった。では監査庁の捜査本部に参加してくれ。詳細もそこで聞いてくれ”
「了解であります!」
声が少し弾んでしまった。
“これからモルドー庁に連絡して、君たちに参加してもらうことになったと告げるから、少ししてからそちらからも電話して欲しい”
「モルドー監査庁でありますね? わかりました」
“ではそういうことで頼む”
ジロー閣下はそう告げると、こちらの返事を待たずに電話を切った。
「ふうーっ」
ホロックは肩の力を抜こうと、息を吹いた。
(では、しばらく待ってから電話を掛けるとするか)
珈琲はすっかり冷めていたが、ホロックの胸は熱を帯びていた。
(捜査に加われば必要な情報も手に入るはずだ。ようやくまともな捜査が始められる)
背もたれにグイと寄りかかり、満足げに目を細める。
(それにしても”問い合わせ文書”は思った以上に効果があったな。これで捜査も進展するのは間違いない)
それには監査府や監査庁の
ホロックは珈琲を啜りながら、シン・ポップの顔を思い出す。
(あの準監査員殿は警察の階級に無頓着だった…)
ホロックは、署長が「警部は本監査員と同じなんだぞ」と自慢していると話したが、そんな自慢などするはずがない。監査府職員の階級は
シン・ポップがそこを突っ込まなかったのは、そもそも警察の階級など気にも止めていない証拠だ。
(オイラたちは所詮は下っ端にすぎないか……だがこちらにも警察官の意地がある)
カップを下ろした。
(脳専どもがいくら大きな顔をしようと、警察には警察の強みがある。うちの管轄の傷害犯は必ずあげてみせる。それがオイラの仕事だ!)
港湾署捜査一係長ホロック・
二日後――
病院の受付の前には男ノウブの姿があった。
入院していたシン・ポップが、退院手続きを終えたのだ。
(思ったより長かったけど、ようやく退院できた)
食堂で昼食を済ませてから病院を出る。外気に触れると、身体の奥に残るだるさが首をもたげた。
営業輪車の乗り場があったので、すぐに乗り込み、モルドー監査庁に入った。
「シン・ポップ特調員が病院から戻られましたあ!」
会議室に入ると、待ち構えていたように声が響き渡った。
パチパチと一斉に手を叩く音が広がり、会議室が拍手に包まれる。
空気が一気に明るくなった。
「退院おめでとう!」
「「おめでこうございます!」」
皆が口々に祝福してくれたが、知っている顔は特捜団の二人と、病院に事情聴取に来ていたモルドー庁刑事一班の二人、それと絵師だけだった。
(他はたぶん刑事課の人だね)
それでも皆の拍手にシンの目はなぜか潤みそうになった。
「体は大丈夫ですか?」
男ノウブ――ゲウ・ダウ班長が尋ねてきた。事情聴取ですでに対面は済んでいる。
「はい、頭に手術の跡が残りましたが、治癒術のおかげでこのようにピンピンしています」
言われるまでもなく、皆からも頭の傷跡が見えているだろう。
「それは良かった」
「倒れているのを見つけたときは血の気が引いたぞ。災難だったな」
ジンゴ・ヘイワド特捜員が和やかな笑顔を見せている。
こちらは特捜団員だ。
「ありがとうございます」
シンは両腕を下げて少し開く。
南方式の謝意――相手に対して無防備であることを示す古い習慣だ。
「おかげで命拾いしました。退院が伸びてしまいましたが」
「あれだけの重傷だったんだ。仕方ないさ」
「はい。三日で退院できると言われていたのに、倍も掛かりました」
結局六日間も入院した。
治癒術は術師からだけでなく、患者からも体力をも予想以上に奪っていたらしい。
(それだけ死に近かったのかもしれないけど…)
「ここは最初、君の行方不明事件の捜査本部だったんだが、現在は傷害事件の捜査本部になっている」
自分が事件にされるのは、複雑な気分だ。
「はい、聞いています」
「君は捜査本部には加われない。わかるね」
(やはりそうか…。まあ被害者だしね)
シンは頷いた。
「はい。ですが最初の仕事がありますので、それを継続します」
ジンゴ特捜員が意外そうな表情になった。
「最初の仕事とは、金の経路の調査か?」
「はい」
(まだ突き止めていないんだ)
「確かに同じヤマと決まったわけではないか……まあ、君への命令が取り消されていないなら、それでいいのだろうな」
(調査はまだ終わっていない)
「はい。それでミン・グイはどちらに?」
(彼女にもお礼を言いたい)
「彼女は園都に戻ってもらった。メネル団長に報告してもらいにね。三日前に出発した」
「そうですか…」
シンは自分が思っている以上にがっかりしていることに気付いた。
「彼女がどうかし……ああ、君の荷物か。宿から引き取って、わたしたちが泊まっている旅館に置いてあるぞ。支払いも済ませてあるから心配ない」
相手はシンの反応を勘違いしたようだった。
「ありがとうございます」
シンは礼を言い、また腕を小さく開いた。
「まもなく捜査会議を始めるんだが…」
ジンゴ特捜員が顔を寄せてきた。
「君の名前は議事録の出席者欄に残せない。聞きたければ廊下で、な」
小声だった。
「ありがとうございます」
シンも小声で感謝を述べた。
廊下に出るとなぜか見覚えのある男パントの顔がある。
シンを見つけると、にこやかに近づいてきた。
「どうもどうも、準監査員殿。退院おめでとうございます」
満面の笑顔だ。
シンは反対に顔が引きつりそうになる。
(この人、またボクに話を聞きに…?)
「聡厳警部補、ありがとうございます。こちらには何用で?」
(退院したばかりなのに、勘弁して欲しい…)
「いやあ、捜査本部はこちらとお伺いしましてね。それで参った次第でして」
(へ?)
「捜査…ですか?」
(なぜ警察が?)
「おや? お聞き及びでないのですか? あ、準監査員殿は被害者でありましたね。だからご存じないのでしょうね」
この警部補は相変わらず嫌みったらしい。
目つきがまとわりつく。
(声までネットリしてる…)
「いやあ、実は我々警察も捜査に協力することになりましてね。本日から捜査会議に参加することに…」
どうやら監査府は警察にも協力を依頼したようだ。
金の出所に警察は関わりがないと判断したのだろうか?
(まあ、上が決めたことなら文句はないけど)
それに、どうせ自分は捜査本部に直接関わらない。
この嫌味もこれ以上直接向けられることはないはず。
(いや、被害者だから改めて話さないといけないかも……はあ)
「係長、皆さんがお待ちです。早く!」
「おっとこれはいけない。では失礼します」
警部補は部下らしき男ニンゲンの声にシンとの話を打ち切り、いそいそと会議室に入っていった。
シンはため息をつく。
(ふう。どうもあの人、好きになれないな…)
扉が閉まった――と思ったら、すぐに少しだけ開いた。
(この隙間から話を聞けということだな)
シン・ポップは、静かに息を整え、隙間から聞こえてくる声に耳を澄ませるのだった。
次回の投稿は本日中の予定です。