連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
本編開始です。
003 第1話 連邦監査府
「……今回の事件はあまりにも悲惨でしたが、お二人の目にはどのように始まったのでしょうか? まずは閣下、いかがでしょうか?」
「そうだな。大きな事件でも、始まりは案外、些細な出来事だったりする」
「些細な出来事?」
「そうだ。この事件も遡っていくと…やはり些細な事だったと思う」
「人が殺されたことが些細なのですか!?」
「いや、そのもっと前だ」
「前とは?」
「あれは……連邦暦二九一年四月。ニムディスは覚えているかな? ほら、お義母さんがやって来た日だよ」
「母上が? なるほど、確かにあの訪問が始まりと言えば始まりじゃな」
「女帝カイエナの……失礼、陛下のご訪問が始まりだったのですか?」
「それもだが、電話があったんだ」
「ほう、電話とな? わらわの知らぬ話か?」
「詳しく話してくださいますか?」
「あの日は確か――」
(「秘書官補助員のホセ・ヘルナンデスです!」)
「――新人が着任した日だった」
広大な監査人執務室のざわついた空気の片隅にハツラツとした声が響き、ジローは思わず微笑んだ。
執務机の前には三人の若者が立っている。
ニンゲンとドワーフとパントだ。
「本日から配属になりました。よろしくお願いします」
最初に挨拶したのは男ニンゲンのホセ。
紺の背広姿が初々しくてまぶしい。褐色の肌も光沢を放っている。
「ヨアナ・ガーデンです」
次に名乗ったのは女ドワーフ。声は落ち着きを放っている。
淡色の肌から少なくとも先祖は“山のドワーフ”だと分かる。濃茶色の髪を後ろに束ねていて、印象爽やかだ。エンジ色のスーツを着ている。
「ヒルダ・端麗です」
三人目は女パントだ。
パント族とは、かつて『ハーフリング』と呼ばれていた短身族である。“ハーフ”という呼び名が「差別的だ!」という話になり、それ以来『パント』と呼ばれることになった種族だ。
実際、紺色のスーツ姿も入学式に臨むニンゲンの小学1回期生のようだ。
(実に可愛らしい)
もちろん仕事場ではそんなことは言わない。
肌の色が多様なニンゲンやドワーフと違い、パントは淡色の肌と決まっている。
「ホセ・ヘルナンデス。君は何年に入ったのかな?」
ジローは男ニンゲンの若者に尋ねた。
自分の名はよく知られているため、自己紹介は省略しても問題ない。
「昨年です!」
ジローは目を細める。
「なるほど。優秀なんだね」
ニンゲンの新採職員は九月に入府する。
一年経たずにここに回されたということは、そういうことなんだろう。
「ありがとうございます!」
(さて、そんな優秀な彼に聞くのは野暮かもしれないが…)
ジローは本題に入ることにした。
「ところでホセ、君は“監査府の役割”とは何だと思う?」
新人は果たして監査府をどう見ているのか?
ジローはその答えに興味があった。
「は! 監査府は保守府です。その本質は連邦の保守です」
「そのとおりだ」
連邦政府は執政府・両院・監査府の三つからなっている。
執政府は“行政”、両院は“立法”、そして監査府は“保守”を担う。
「ではその“保守”の仕事とは具体的には何かな?」
「は! 広域犯罪捜査です」
ホセはハツラツと答えた。
(うん、平凡な答えだ)
地域犯罪は警察の領分。
広域犯罪は監査府の領分。
(まあこれが、連邦監査府に対する世間一般の印象なんだろうな)
「確かにそうだな」
ジローは特に表情を変えずに頷き、言葉を繋げる。
「ほかには?」
「それは…」
ホセが言葉に窮したようだ。
(ここまでか…)
ジローは隣の若者に視線を移す。
「じゃあヨアナ・ガーデン。君は何年に入った?」
若い女ドワーフがやや低い背筋を伸ばした。
「二八六年です。五年前です」
「つまり、まだ1回期目だね?」
1回期の長さは種族によって異なる。
どの種族も、18回期で成人し、だいたい60回期までには引退するように、法で調整されている。
(しかも制度上運用しやすいように“切りの良い数字”になっている)
「はい。そうです」
従ってニンゲンの法定回期は未成年・成年を問わず「一年」だが、ドワーフは未成年と成年とで回期が異なり、成人の法定回期は「六年」もある。
つまり成人したドワーフは、六年で“ニンゲンの一歳分、歳を取る”と法律上見なされる。
(ニンゲン換算なら、一年目が終わっていないわけだ)
ヨアナの落ち着いた返事にジローは軽く頷いた。
(彼女はどんな答えをするかな?)
「君は、何だと思う?」
「監査府は犯罪捜査だけでなく、行政監査や会計検査、それに民間の財務監査もしています」
低い声でヨアナが即答した。
静かな、それでいてしっかりとした口調だ。
(なんだかドワーフらしくないな)
ジローは表情を変えずにヨアナの広い顔をじっと見る。
(最近のドワーフが落ち着いているのか、ヨアナが特に落ち着いているのか)
そう思うと、自然と口元が緩んだ。
時代の変化、個人差。
変化の遅いドワーフとて、例外ではないのだ。
彼女の目がわずかに不安を覗かせた。
「なるほど。悪くない意見だ。だが足りないな」
彼女はジローの言葉を予期していたのか「やっぱり…」と納得するような表情を見せた。
ジローはヨアナよりさらに小さな若者に視線を移す。
「ええと君は…」
(名前は何だったっけ?)
「ヒルダ・端麗です!」
小さな体から大きな声が響いた。
(おっと)
苛立たせてしまったらしい。
(名前を覚えるのも大変なんだぞ)
「君は何年目?」
「もうすぐ二年目に入ります」
「君も1回期目だね」
「はい」
パントは成人回期が三年。未成年回期が一年半。
だから入府時期も年によって5月だったり、11月だったりする。
(去年五月の入府か。ニンゲン換算なら、まだ4ヶ月目だな)
「君はどう思う?」
ヒルダの顔は座っているジローの目より下にあるため、見下ろす形になる。
「保守府の役割の本質は”連邦制度の安定”です」
(ほう!)
いきなりの正解に、ジローは思わず微笑む。
「うん。そのとおりだ。それを踏まえて少し細かく見てみるとしよう。監査府の職務は、犯罪捜査、行政監査、会計検査、財務監査などだが、他は何がある?」
するとヒルダの唇が一文字に結ばれた。
どうやら、さらに問われるのは嬉しくなかったようだ。
(まだあるんだけどなあ)
ジローは答えを言いたくなるも、堪えた。
「監査府の組織図から考えようか。大枠はどうなっているかな? ヒルダ」
小さなヒルダが思い出すように首を小さく傾けた。
「ええと…監査人の下に監査総官、その下に監査正官、その下に主任監査官…」
さらには本監査官・監査官・準監査官・主任監査員…と続いていくはずだが、ジローはさっと右手を挙げて遮った。
「それは階級であって、役職じゃないぞ」
軍人に“大将・中佐・少尉”などがあるように、文官にも“階級”がある。これが意外と慣れを要する。
再び小さな唇が一文字に結ばれたのを見て、ジローは隣に視線を向けた。
「ヨアナは?」
座っているジローとほぼ同じ高さにある女ドワーフの顔を見据える。
彼女の表情はいたって平静である。
「監査府の本局は、捜査局・検事局・監察局・管理局・外務局・法務局・内務局です」
「そうだ」
(それくらいは覚えているという顔にも見えるな)
ジローは頷き、さらに尋ねる。
「それで? その内、他の職務を担う部署はどこかな?」
「管理局と外務局、法務局と内務局ですか?」
ヨアナはきちんと答えた。
ジローは質問の相手を変えた。
「そうだ。ではホセ、その職務は?」
「はっ。管理局は加護の配布。外務局は外交。法務局は…」
ホセが言葉に詰まり、考え始める。
だがジローは待つ気はなかった。
「法務局は、法律令の整合性を維持するための部署だ。内務局は人事・庶務・経理などだが、それはいい」
ここでジローは三人の表情を見渡した。
答えを待っている顔が三つこちらを向いていた。
「もともと監査府の役割は大きく分けて二つだった。そしてこれは今でも主要な二つだ」
ジローは二本の指を立てる。
「一つは治安維持。ほとんどの部署がこのためにある」
一本指にしてみせると、三人は頷いた。
「もう一つは外交だ」
ホセが意外そうな表情をしたが、ジローは話を続けた。
「先ほどのヒルダが答えた『連邦制度の安定』というのは、まさにこの二つを通じて行われる」
ヨアナが静かに頷いた。
彼女は納得しているようだ。
「だが監査府が守るものは連邦制度だけではない。まだ大切なモノがある。何だと思う?」
三人が顔を見合わせるが、答えは出ない。
「宣誓の言葉は覚えているかい」
ジローの問いに男ニンゲンが口を開く。
「はい。『われホセ・ヘルナンデスは、連邦のために、市民のために、誠意誠実の精神で、監査人の命に従い、その職務をあるいは扶け、あるいは代行し、自信の任務に邁進することを誓います』――です」
(よく覚えているな)
「ホセにとっては去年のことだったね」
「はい」
ジローは頷く。
「今の言葉の中に答えがあるぞ」
ホセが小さく首をかしげた。
「連邦のために、市民のために、ですか?」
あまりに簡単な答えに拍子抜けしたような表情を見せている。
「そう。市民だ。治安維持も外交も、市民を守るためにある」
「外交もですか?」
(意外そうだな)
「そうだ」
ジローはしっかりと受け止めてもらえるように、深く頷いてみせた。
「管理局は加護の配布をしていますが、これもですか?」
ヨアナの質問にも同じように頷く。
「そうだ。連邦成立当初は加護なんか無かったが、加護制度は連邦市民にとって、無くてはならないモノとなっている」
三人の表情は真剣だ。
(うん、ちゃんと聞いているな)
「外交を担うのは外務局だ。だが邦外国は自種族優先主義の前近代国家が多く、国交を結んでいる国は少ない。だから外務局の仕事も少ない。必然的に君たちの仕事は治安に関わるものになる」
三人が神妙に頷いている。
「幹部候補は必ず一度は監査人のところで秘書官補助員として働く。これは研修のようなものだ。監査人の業務に直に触れ、監査府の役目を学ぶ。その後は各部署に配属されるだろう。監査府は君たちに期待している。しっかりと励んで欲しい。いいね」
ジローは言葉に少しだけ力を込めた。
「「「はい!」」」
(うん。力強い声だ)
これからの監査府を担うにふさわしい。
「では行ってよし」
「失礼します」
「じゃあ、先ほどの机の前でね」
秘書官の言葉を最後に、三人がついたての向こうに消えて行った。
ジローは再び背もたれに寄りかかった。
(頑張ってくれよ)
心からそう思い、何気なく紅茶を口に運ぶ。
紅茶はほどよい熱さだった。
どこか“前途洋々”の香りに満ちている気がした。
次回の更新は明日の予定です。