連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
まだ公開手配が決まる前のある日――
一隻の貨物
帆柱の見張り台に、森エルフの男が腰掛けている。
彼の名はエルベン。
褐色に日焼けした肌のせいで平原エルフに見えるが、れっきとした森エルフである。
視力に優れた彼は、見張り役として重宝されていた。
(ん? あれは?)
左前方、遠くに島影が見える。
「おーい。左前方に島が見えるぞお! 東に流されてるぞお!」
声を聞きつけ、男ドワーフのタッキンが丸金具を掴み、縄をつたって浮遊してきた。
丸金具を掛け具に引っかけて、ドスっと見張り台に降り立った。
タッキンが双眼鏡を覗く。
「ありゃモルヌーレ島だな」
エルベンも同じく双眼鏡を覗いた。
島影のふもとから、一隻の貨物輪船の小さな姿がぼんやりと浮かび上がる
「船がある」
船尾に書かれた文字がエルベンの目にはハッキリと読めた。
「トーモル輪号…」
「よく見えるな。ワシには無理だ」
「モルヌーレには船が入れないはずだが…」
「たぶん入ることになったんだろ。じゃ、船長に伝えてくる。西風に流されてるとな」
タッキンが、丸金具を握ってすべり降りていく。
エルベンは小さな見張り室に入り、日誌に静かに書き込むと、再び外に出て、海を見渡した。
公開手配が始まった頃――
園都では、その知らせを受けたメネル・カイ=楼藩がある決意を固めていた。
ジロー閣下が
金を売ることは犯罪ではない。
仮に、詐欺や金融犯罪だったとしても、知能犯が暴力に訴えることはまずない。
――そう思った。
(まさか部下が死にかけるほどの目に遭うなんて…)
特捜団長として、今回の件には強い責任を感じていた。
そんなメネルは今、部下の高橋ユリとともに、監査人室に来ていた。
ユリは、孟都の合同捜査本部からつい先ほど受けたばかりの報告を元に、ジロー閣下に説明していた。
説明が終わるやいなや、メネルは口を開いた。
「というわけで、トーモル輪号を追うことになったわ」
「それで、公開捜査なのかい?」
「ええ。少なくとも貨物輪船は手配する。届け出に虚偽があったとして各港には手配済。ジンゴはまもなく新聞社と放送局を呼んで会見するそうよ」
ジンゴは、合同捜査本部長である。
少なくとも沿岸の住民には届くように報道してもらうらしい。
「ロバートは指名手配しないのかい?」
ジロー閣下の無邪気すぎる質問に、メネルは思わず眉をひそめた。
「思ったよりも大きな集団なのよ。そんなことしたら始末されるかもしれないじゃない。そうなったら元も子もないわよ」
ロバートは重要な容疑者なのだ。
「新たに名前が浮上したゾラン・デンケンという男ドワーフについても、防衛省に照会を出します」
ユリの言葉に、ジロー閣下が眉をひそめる。
「ゾラン?」
「はい。トーモル輪号が港を使用する際の申請者の名前です」
「それもそのホロック・
「そう聞いてます」
「なるほど…」
ジロー閣下が考え込むような仕草を見せている。
(警察に先手を取られていることを気にしているのかしら…)
「それで見つけ次第、船を押さえることになるけど、孟都には直轄軍部隊は20人しかいないのよ。ここから20人くらい出した方が良いんじゃない?」
監査府直轄軍とは、監査府が備える軍であり、A級以上の隊員で構成されている。
よく「同じ種族の場合、A級1人はC級100人に相当する」と言われている。だが、そこまで到達する者は極めて稀だ。
ゆえに直轄軍の人数は少なく、そして必然的に、長寿の種族の割合が多くなる。
「ん? そんなに必要なのか?」
首をかしげる閣下に、メネルは小さくため息をついた。
「届け出ではトーモル輪号は100人
「それくらい直轄軍なら10人でも制圧できると思うけど?」
直轄軍にはS級の隊員もいる。C級どころかB級が束になっても敵わない圧倒的な力を持つ者たちだ。
おそらく閣下はその“戦闘力”だけを見ているのだろう。
だがメネルは別の事態が頭にあった。
「船の上ならね。でも船の中ではそうは行かないわよ。それに、乗ってる連中が自害したり、船を自沈させたりしたらどうするの?」
当然、船ごと確保したい。
海洋上で船に突入することになった場合でもだ。
そのためには、大勢で速やかに制圧した方が良い。
「自沈か……確かにそれは困るな」
「なので、ここの直轄軍から20人連れて行く許可をちょうだい」
メネルの言葉に、ジロー閣下が眉をひそめた。
「ん? 連れて行く?」
「仮に400人だとすると、特捜員の指揮では少ないわ。せめて特捜官を出さないと」
もし逮捕者が大勢出るとなれば、捜査員も増やさなければならない。
そうなるとジンゴ・ヘイワド特捜員では難しい。
特捜“員”ではなく“官”を出すべきだ。
「それは人数が判ってから決めても……」
ジロー閣下が渋ったが、メネルは一歩も引かずに、語気を強めた。
「だからあたしが行くわ!」
「はあ?」
ジロー閣下が意外そうな顔になった。
「例の収賄事件はどうする?」
「それならついさっき検察局に回して受理されたわよ。だからちょうど良いの」
「なるほど……聞いてなかったよ」
「今報告したわよ」
「…」
閣下の顔が曇ったが、そんなことを気にしている場合ではない。
「ロバート・ピーターズは元連邦軍兵士。すでにあたしの部下を半殺しにしたわ。おとなしく捕まるとは思えない。もし退役兵の集団だとすると、直轄軍に不測の事態が起こることもあり得るわ。その場合にも備える必要がある。なら、あたしが現場で指揮した方が良いはずよ」
メネルが厳しい視線を上司に向けると、ジロー閣下が苦笑した。
「そうか…確かにそうかもしれないな」
閣下はメネルの説明の意味を理解したようだ。
「そういうわけで、あたしが向かうので、直轄軍への指示はよろしく」
ジロー閣下が降参というように両手を小さく挙げた。
「ああ、わかったよ」
「それじゃ、失礼するわ」
「失礼いたします」
押し切るようにそう言うと、メネルは急ぐように監査人室を後にした。
(すぐにカラタルンに連絡しなくちゃね)
翌日――――
特捜団長メネル・カイ=楼藩主任監査官は、眠りから目を覚ました。
「起きたようですな」
メネルは今、団員達とともに、直轄軍の輪空機に乗り込み、
「ごめんなさいね。つい眠ってしまったわ」
「配下の皆様も眠っておられます」
「みんな疲れてるのね。直轄軍が運んでくれて助かるわ」
すると対面に座る軍服の男エルフが、わずかに眉をひそめて口を開いた。
「……我々は運び屋ではありませんぞ。お嬢」
彼はメネルと同じく、ローハンの森エルフであり、幼い頃からの知り合いでもある。
「あら、今でも“お嬢”なんて言ってくれるのは、あなただけね。カラタルン、あら失礼、シェル=リョハン中将」
彼が指揮する部隊はほとんどがエルフである。
そのおかげで、メネルにとっては指揮がしやすい。
「あなたが同行してくれて助かるわ。ほら、
もう一人のエルフの指揮官を引き合いに出すが、カラタルンは相変わらず眉をひそめたままだ。
「……ローハン大将はジロー閣下の
メネルは首をすくめた。
「でもジロー閣下が命じたら分からないわ。あの人、時々、とんでもないこと言い出すもの。そうなったら気まずいわよね。今のあたしの階級は”主任監査官”。”大将”よりも上なのよ。森エルフ社会では、今でも大伯父様――ゲルダエール・ローハン公が”首長”なのに、監査府では…連邦政府ではあたしが上」
カラタルンの目から表情が薄くなった。
「しかもあなたたち直轄軍と違って、あたしたちは
これが気まずい理由だ。
「ジロー閣下に対してもよ。以前は『はい、これ報告書よ』なんて渡すと、いつも窓際から大叔父様がスゴイ顔で睨んできたから、気が気じゃなかったわ」
「そういうことなら“近衛師団長”も同じだったのではありませんかな」
“近衛師団長”とは、ニムディス殿下の護衛を務めるグリオナ・スラトシャール中将が、帝国時代にほんの一時期だけ務めた役職であるが、森エルフの間ではスラトシャール中将を表すあだ名として秘かに使われているのである。
「そうなのよ! あの人、まだ帝国貴族のつもりでいるじゃない? 殿下にタメ口で話すたびにスゴイ顔してたわ。でも敬語を使うとジロー閣下の顔が曇るし、あの頃は板挟みだったわ」
メネルは当時を思いだし、両手で頬をはさむ。
「司令官も“近衛師団長”も、ようやく慣れたようです」
「職務中は大叔父様にもタメ口で話さないといけないのよ。ジロー閣下にタメ口なのに、大叔……ローハン大将には敬語なんて、おかしいでしょ?」
カラタルンの目がすうっと細くなる。
「上のお方の事情は、なにやら複雑ですな」
「うふふ。こんな話、大伯父様にはできないわ。でも直轄軍が20名出ることになって、それなら便乗させてもらおうと……」
「それで自分に連絡してきたわけですな。直轄軍がぞろぞろ……いや、バラバラと旅客輪空機に乗るわけにもいきませんからな」
等級が高い者が大勢集まると、周囲の空気が無駄に張り詰まることがある。それが事故や騒動につながることもあるため、直轄軍はある程度の人数になると、専用機で移動する決まりになっている。
「直轄軍なら隊員の等級が高いから、少人数でも交代しながら漕ぎ続けられるし、何より速いのがいい。あたし、前からずっとS級の踏輪士がいてもいいと思ってたのよね」
「……お嬢?」
「なのにA級はともかく、S級は必ず直轄軍が管理する決まりよね。軍人じゃなくて踏輪士にすれば、輪空だってもっと速く飛べるようになるし、みんな助かるって思うんだけどねえ」
不満げに口をとがらして、肩をすくめた。
「……ご期待に添えず申し訳ないが、輪空機というものは、ある速度以上になると、壊れるものですぞ」
カラタルンが窘めるように神妙な目を向けてくる。
「壊れないように頑丈に作ればいいでしょ」
するとカラタルンの表情がふっと和らぎ、優しく微笑んだ。
「お嬢は“音速”というのをご存じですかな?」
「音の速さでしょ? 雷光と雷鳴のズレはそれが原因だと教わったわよ。あたしの家庭教師はニンゲンだったんだから」
(それくらい知ってるわよ)
メネルはそう、表情でも示してやった。
「……音速を超えると壊れてしまうのです」
「あら、そんなに速く飛んでるようには見えないけど?」
音速はもっとずっと速いはず。
「…飛行ではなく、回扇の回転がです」
そう言われて、メネルは理解した。
「ああ、なるほど。確かにあれ、高速で回ってるわね」
左の窓から外を覗くと、左翼に取り付けられた空中回扇が、高速で回転して半透明の円になっている。
「そうです」
(あれが音速を超えると壊れる…)
「ん……? ということは、閣下が推進してる“航空機”もそうなの? あれも回扇が回ってたけど…」
前に見た時、銀色の機体の両翼で回扇が回っていた。
「そのはずです」
「なあんだ。そのうちローハンまでもっと速く飛べるようになると思ってたのに。期待して損した気分だわ」
「多少は速くなります。ですが、ものには限度というものがあるものです。お嬢」
エルフの高い視力が、右の窓のはるか遠方に路線旅客輪空機の姿を捉える。
(なんだか丸っこい……)
この直轄軍専用機は、乗り込むときに見たが、一枚翼のスラリとした姿だった。
対してあの路線機は、上下二枚の翼を持つ、やや太めの機体で、飛ぶ姿もどこかモタモタとしている。
後ろに流れていくように見えるのは、それだけこちらが速い証拠だ。
(軽々と引き離しているわ。さすが)
直轄軍専用機は「お先に」とばかりに、颯爽とモルドー共和国の首都へと向かってく。
「それで、今回の相手はどんな連中ですか?」
「中型の貨物船。100人踏輪型」
「まさか武器を?」
「それはまだ分からないわ。でもその船に乗り込んだ男はあたしの部下をあやうく殺すところだった。元連邦軍の下士官で、近代装備群出身。もしかすると銃火器を盗み出したりしてるかもしれない」
メネルが静かな怒りを見せると、カラタルンの表情が、スッと引き締まる。
「それは危険ですな」
「必ず捕まえるわよ」
「任せてください、お嬢」
「抵抗されて犠牲者が出ても、容疑者を皆殺しにしたりするのは無しよ。絶対に」
「……あのようなことは……我が部隊は決して……」
「もちろん信じてるわよ、カラタルン。でも忘れないでちょうだい。あたしが指揮するのはそういう“建前”もあるんだって」
「…お嬢にそのような決断はさせません。もしもの時は自分が処理します」
「そうならないのが一番なの。あたしには、連邦監査府の階級と、森エルフ社会の家柄の両方がある。森エルフの多い部隊であれば、どんな不測の事態でもあたしには逆らわない。そういう“建前”をちらつかせて指揮を申し出たのよ」
「そうですか……」
「もし直轄軍があのよう不祥事を再び起こしたら……」
メネルはそれ以上口には出さなかった。
ただ、窓の外に広がる海と、その向こうに広がる陸地を静かに見つめ続けた。
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