連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
ロバートの身体は地面スレスレで止まった。
(浮いている…いや、浮かされた)
――誰だ? この浮遊魔法は?
「立ち入り禁止区域への無断侵入の現行犯で逮捕ね」
男パントが姿を現した。
「誰だ!」
「オイラは港湾警察署捜査一係のホロック・
パントが軽く挨拶するように小さく右手を挙げた。
「警察…!」
「おや?」
もがくロバートの顔をのぞき込んでくる。
「あなた、ロバート・ピーターズさんではありませんか?」
まるで散歩中に遠い知り合いを見かけたみたいな顔で問いかけてくるが、ロバートにはもちろん見覚えはない。
「な…! なぜオレの名前を…」
「あなたに逮捕状が出てますよ。ええと…逮捕状はどこだったかな…」
小さな警部がごそごそと自分の小さな身体を小さな腕でまさぐり始めた。
(逮捕状だと! くそっ! なぜだ?)
ロバートはそんなことには一切かまわず、縄を振り解こうともがくが、空中では力が上手く入らない。
縄はますますきつく締め付けてきた。
(くそ! なんだこれは!)
「このチビ野郎。縄をほどけ!」
そこに別の声が響いた。
「拘束!」
「うぐ!」
全身を締め付ける拘束が増え、足も身体もさらに動きが取れなくなる。
いつの間にかこのパントの後ろに、やや淡い濃色の肌の男ニンゲンが姿を見せていた。
「縄ではない! 拘束魔法だ! おとなしくしないと痛いだけだぞ! ……警部補、逮捕状はこちらに」
(拘束魔法かよ……)
もがけばもがくほどきつく締め付ける魔法。
警察が使う魔法だ。
「ああヘルマン、キミが持ってたか。ありがとう。それじゃあ、逮捕状はこれね。では、ロバート・ピーターズ! シン・ポップ特捜調査員に対する重傷害罪の主犯又は従犯の容疑であなたを逮捕する!」
男パントの警部補が高らかにそう宣告し、文書を目の前に突き出してきた
だがそんなモノを見る気は起きなかった。
どのみち終わりなのだ。
(シン・ポップ…ノウブの名前だな…くそっ…これまでか…)
ロバートはもがくのをやめた。
これ以上きつく締め付けられたくなかった。
「いやあ、まさかこちらに逃げてくるとは、オイラたちも運が良いね、ヘルマン・ナンゴン巡査部長」
「ええ、警部補。これで犯人逮捕の手柄は我々警察のものです。身柄もですよ」
「初等裁判所の逮捕状による正式な逮捕だしね。ウチの管轄の事件で脳専どもに大きな顔されずに済む」
「監査府もおいそれとは横取りできないでしょう」
「判事に逮捕状を頼んでおいて良かったよ」
なにやら勝ち誇っている様子の男二人の横から、女ノウブが目の前に進み出てきた。
「あなたには真実以外の証言を強要されない権利があります。以後、あなたの発言は証拠として――」
周囲を見渡すと、すでに取り囲まれていた。
ノーク、ニンゲン、ノウブ。
私服、紺の制服、水色の制服。
警察と海上警察が、完全に包囲している。
制服組は手のひらをこちらに向け、いつでも拘束魔法を追加できる態勢を取っている。
さらにその回りでは、他にも仲間がいないか周囲を警戒している。
これでは逃げようがない。
――詰んだ…終わった…
周囲が暗くなったように感じた。
ロバートはうなだれるしかなかった。
翌日――
監査府は休業日である。
なのに監査人ジローはメネルからの報告を自宅の電話で受ける羽目になっていた。
(何事だ? 犯人逮捕の報告なら、明日でも良いはずだが…)
だが報告があるところまで来たところで、ジローは笑い出した。
「アーハッハッハッハッ……ハハ……!」
すると受話器の向こうからは半分怒ったような、半分呆れたような声が響く。
“…きっと大笑いすると思ったわ。でも笑い事じゃないのよ、閣下! あの警部補はあたしたちを出し抜いてロバート・ピーターズの身柄を警察で押さえちゃったのよ!”
メネルはきっと口をとがらせているに違いない。
(そう思うと余計に笑える!)
「ハッハッハ…ハハ…」
“…(コツコツコツ)…”
「ハアハア…傷害事件は…」
だが受話器越しに机を指で叩く音がかすかに聞こえた気がして、息を整え始める。
「……地元警察が地元の初等裁判所で逮捕状を取るのが一般的だ。警部補にしてみれば、別に責められることじゃないんじゃないかなあ。フワッハッハッ」
堪えきれずにまた笑い出す。
ジローの内心はなぜか弾んでいた。
(なかなかやるじゃないか!)
三頭の一角である監査府に対して「警察の捜査に協力しろ」と文書を送りつけてくる。
合同捜査に参加させてやったのに、捜査本部に断りも入れずに通常の手続きで逮捕状を取る。
監査人直属の特捜団にすら遠慮せずに、どさくさに紛れて容疑者をチャッカリ逮捕する。
権力に遠慮することなく、空気を読むことなく、着々と公務を遂行する。
周囲に惑わされずに自分の道を進むところは、パント族らしいと言えば、らしいとも言える。
ただ、パント族の警察官はこれまでも大勢いたはずだが、今の今までこういうことがあった
(なのに、ホロック警部補はやった。やってくれた!)
それがジローには愉快だった。
(公務員はこうじゃなくちゃ! むしろなぜ今まで違ったのかと言いたいくらいだ!)
監査府は帝国時代の宮廷ではない。
我々は公務員なのであって、皇帝や皇族や貴族ではない。
皆、いつまでも遠慮すべきではないのだ。
ジローは時代の着実な変化を感じながら、しばらく笑い続けたかった。
だが、受話器の向こうから不穏な空気が漂ってくるのを感じ取り、さすがに止めざるを得なかった。
“もう! ジンゴだって連邦地裁の逮捕状を取ってたのよ! なのにもう使えないじゃないっ!”
メネルは不満たらたらだ。
受話器越しでも、メネルの不機嫌がびんびんと伝わってくる。
(相当怒ってるな…)
まあ気持ちは分かる。
「そりゃあ、同類の容疑ではもう逮捕は出来ないからね」
釈放されて、その釈放に明らかな疑義があればできるが、今回はそうはならないだろう。
「でも他はこっちが逮捕したんだから良いじゃないか」
無断侵入で現行犯逮捕したと、今聞いたばかりだ。
公務執行妨害も多数出たらしい。
「そうはいかないわよ! あの男パントはね、合同捜査本部に対して不義を働いたのよ!」
(それはそうかもしれないが、その点をちゃんと合意していなかったのはこちらの落ち度だぞ)
だがジローは今それを指摘する気にはならなかった。誰だって望んで火に油を注ぐ気にはなれない。
「ミン・グイだって可哀想よ! “傷害犯を逮捕する”って張り切ってたのよ。なのにすっかり気落ちしちゃって。いまシン・ポップに慰めてもらってるわ」
(確かに、彼女は随分と張り切って見えたな)
ジローは現場に向かうよう指示した時のミン・グイの表情を思い出す。
「まあまあ、こちらも大勢逮捕したんだよね? お互い様じゃないのか」
“違うわよ! このままでは示しが付かないわ。これまで何度も警察と合同捜査をしてきたけど、こんなコトされたのは初めてよ!”
「確かにね。監査府を出し抜こうなんて考えるヤツはいなかった。でも制度上は特に問題はない」
今まで誰もそんなことしなかった。だからこそ、やられるとは考えてもいなかった。
考えていなかったから、こちらは完全に無防備だったわけだ。
“このままにしたら、真似するところも出てくるかもしれないわ。お仕置きが必要よ!”
メネルの声が鋭い。そしてどこか冷たい。
「お仕置きとは穏やかじゃないなあ」
ジローは頭を押さえて、さすった。
(そういうことはしたくない)
たとえ手柄の独占が目当てだったとしても、やったことは警察官としての正常な職務だ。
(だが再発防止は必要か…)
これを皆が繰り返すようになったら、合同捜査本部を設置する意味が無い。
「まあ何かしら手を打つ必要はあるかな……法務局長と相談してみるよ。監査府規則に『合同捜査本部設置要項』でも追加した方がいいかどうか。いや今度は“共同捜査本部”とでもしようか…」
“そんな悠長なことでダメよ! 困るのはあたし達なのよ!”
メネルの声が不満をあらわにしている。
もっと早く対処しろと言いたいようだ。
(だがどうすべきか…今は思いつかないな)
ジローは少し考える時間が欲しかった。
「なるほど。では、この件はわたしが預かろう。約束は出来ないけど、何かしら手を考えるよ。それでいいかな?」
(だから報復はしないでくれよ。監査府の権限はそんな事のためにあるんじゃないんだ)
“まあ、いいわ。それでこちらが逮捕したのは106名。立ち入り禁止の島で天然の硫黄を採掘していたわ。それを大陸西北部に密輸していた。そこで金と交換していたそうよ。採掘と輸送を請け負い、取引はゴジマを名乗る男がしていた。金の半分はゴジマに引き渡して、残りは自分たちで捌いていた。と言っても、実際はほとんどゴジマが捌いていたみたいよ。閣下が気にしてた金の出所はこれみたいね”
「硫黄の密輸だったのか……」
(天然硫黄とは考えたな)
天然の硫黄は流通管理の体制に組み込まれてない。
だから気付かれることがなかった。
“そうよ。ゴジマから話を持ちかけられたそうよ。モルヌーレ島で硫黄が採れる、とね。それで捌いて得たうちのかなりの額が共和国議員に流れているそうよ。名前はマリク・ルンゴ。保守党の議員。トーモル輪号の所有者で密輸の首謀者という証言もあるわよ”
(政治家…これは思ったより大きい事件かもしれないな)
「なるほど。それで政治資金を得ていたと」
“登録上は船の所有者じゃないけどね。それでこれまで集めた証言でルンゴ議員の逮捕状を請求しないといけないけど、あたしがやる? それとも閣下がやる?”
そう問われてジローは考える。
(もうすぐ決算か)
共和国議会では5月半ばに決算の承認が行われる。
今は4月終盤。
つまり議会はもうすぐだ。議員達も
(となると不逮捕特権が出てくるな。だから電話してきたのか)
共和国議員は不逮捕特権を持っている。議員を逮捕して議決権行使を妨げると、採決結果が歪む恐れがあるためだ。
ジローは決断した。
「わたしがやろう。どうせ孟都に行く予定があるから前倒しで先に乗り込んで片付けてしまおう。明日午前中の定例会議終了後にそちらに出発するよ」
“そう言うと思ったわ。それまでに証拠を固めておくから、逮捕状はお願いね。それじゃあ、よろしく”
「ああ。ごくろうさん」
ジローは受話器を戻すと、書斎机の冷めた紅茶を飲み干した。
「失礼いたします」
「ああ」
ジローは習慣で無意識に返事をしていた。
(それにしても、なかなか面白い刑事じゃないか。ついでに顔を一度見ておくか)
再び笑いがこぼれかけたが、そこでようやく家宰ケディルが訝しげな視線を向けていることに気付いた。
(いつの間に…)
ジローは笑いかけの表情を戻し、窓の外へ歩み寄り、広大な庭を見下ろした。
四角く整然と刈り込まれた庭木の一つに、小学生の息子が潜り込んで遊んでいるのが、遠目に見えた。
次回の投稿は、一部原稿の書き直しをするため、未定です。
今のところは、先週と同じく、週末辺りを目指しています。