連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
モルドー共和国議会の議事堂は孟都にある。
議員宿舎はその近所にあった。
その一室では、濃色の男ニンゲンが受話器を手にしていた。
「もしもし。マリクだ。例の資金の件だがいつ入る? 民議院選挙に立候補するために必要なんだ」
連邦議会である両院の一つ、民議院。その候補者になれるかもしれないのだ。
(ようやく手にした代議士になる好機。逃すわけにはいかない!)
“資金? 今、それどころじゃない。船が捕まった。新聞読んでないのか?”
だが返事は期待とは全く違うものだった。
「なに? どういうことだ」
わたしの船が? トーモル輪号が?
なぜだ?
“今朝の新聞の社会面に出ている。ここも引き払う”
「わかった。また連絡する」
“当面は無理だ。我々は手を引く”
「なに? どうするつもりだ! 選挙資金はどうなる!」
電話は切れた。
(ゴジマのヤツめ。まさか持ち逃げする気じゃないだろうな。いや、まずは新聞だ)
マリクは慌てて新聞を広げて、めくり始める。
(社会面は…ここか)
見ると大きな見出しで『港湾警察署、重傷害犯を逮捕』とある。犯人の男ニンゲンと並んで、警部補だという男パント顔写真が載っている。
全体の論調としては、警察の手柄話を讃えるものだ。
下に目を移すと『地元の小料理屋店主、警部補に感謝』という記事まである。
女エルフの店主曰く、“警部補のおかげで安心して商売ができます”と。
(これは違うな。ん?)
さらのその下の隅に、その記事はあった。
「これは!」
小さくて目立たない記事だが、そこには確かに『密輸組織摘発』との見出しがあった。
“さる28日、監査庁と警察の合同捜査本部はモルヌーレ島を本拠地とする密輸組織を摘発、106名を逮捕した。密輸組織は天然の硫黄を無許可で採掘し、大陸に密輸していた模様。硫黄は火薬の原料ともなるため、輸出規制の対象となっており――”
(しまった。政治面しか読んでなかった)
これはどう考えてもマズい。
(わたしの所に来るのか?)
不意に甲高い電話の呼び鈴が静けさを打ち砕いたため、マリクは思わず新聞を手放した。
落ちた新聞にかまわずに、受話器を拾い上げる。
「マリクだ」
“新聞は読んだわ”
「恵子……」
党支部の重鎮の女ニンゲンだった。
小さな記事を
「…読んでしまったか…」
“やっぱり。捕まったのはあなたの船なのね。それであなたはどうなの? 捕まりそう?”
「まだ何も…だが金とカネの流れをたどられると…」
――マズい。
“……そう”
「ど、どうすればいい?」
“……党はあくまで献金を受けただけ。良いわね”
「まさか…わ、わたしだけ捕まれというのか? さんざんカネを受け取っておいて、見捨てるというのか?」
“そもそも党は何も知らない。あなたが勝手に始めたのよ。代議士になるために”
「そ、それはそうだが、わたしを逮捕すると思うか」
“それは聞かないと判らないけれど、我が党のルンゴ議員が、民議院選挙候補者として党の公認を得る目的で、党や共和国に多額の献金をしてくれているんですけど、もしかして捕まえるおつもりですか? なんて尋ねるわけにはいかないわ”
「では、どうしろと?」
“ご自分で考えなさい。仮にも代議士に立候補するつもりならね”
「そ、それは」
“とにかく、党はあずかり知らぬ事よ。あなたの件で党支部が火の粉をかぶるわけにはいかない。それくらい分かるわよね”
「わたしが捕まればそれでは済まないぞ」
“もちろん、次の選挙には痛手でしょうね。でも刑事責任はない。あなた以外はね”
「く…」
“それから、もう連絡してこないで”
「そんな…」
ブチ。
電話は一方的に切られたことがわかり、受話器を戻す。
(おのれ! さんざん献金を受け取っておいて……くそっ! とにかく、一刻も早く手を打たなくては)
カネはあくまで政治団体に寄付されたもので、そこから党に献金しただけだ。
金塊の一部は国軍にそのまま渡したが、それもあくまで民間業者から国軍へ寄付した形だ。しかも軍とも国司府ともいっさい取引のない業者だ。
わたしとの関連は直接にはないはずだが…
――いや、あるか!
(くそっ! 故郷で土地を買いすぎたな)
頼みはゾランたちだ。あいつらが余計なことを口走らなければ良いんだが…
コンコンコン
突然のノックの音に、身体がビクッと反応する。
マリクがゆっくりとドアに近づき、そっと開けると、宿舎の掃除夫が立っていた。
マリクは安堵のため息と供に、ドアをさらに開いた。
「ああ、入ってくれ」
「失礼します」
掃除夫がすたすたと窓に近づき、バケツにぞうきんを絞り、テキパキと窓を拭き始めた。
(これでは電話もできん。ここにはいない方がいいか…)
「ん? なんだ? なんだか人が集まっています」
「何かあるのか?」
「さあ、なんだか宿舎を取り囲んでいるようです」
「なんだとっ!」
マリクは慌てて窓に駆け寄り、外の様子を窺う。
「わかりませんが庭にも空にも大勢がいます」
人があちこちに点在している。それにあの服装。
あれは直轄軍の軍服だ!
「いったい何が…始まるんでしょうかね?」
「連邦監査府特捜団よ! マリク・ルンゴ容疑者に逮捕状が出ているの。案内してちょうだい」
窓の外、左下から声が聞こえてきた。玄関のある方だ。
(なっ! もうわたしにたどり着いたのか!)
「すでに会期の二十日前を過ぎて……共和国議員には…ふ、不逮捕特権が…」
職員が応対している声が聞こえる。
だがそれを打ち消すように女の声が響いた。
「あら、これは監査人の直筆署名と職印入りの逮捕状よ。たとえ会期中であっても関係ないわよ」
「そ、そんな…いったい何の容疑ですか?」
「それは本人に告げるわ」
まずい。どうすれば良い。
とりあえずこいつを人質に逃亡するぞ。
「悪いが貴様を人質に逃亡するぞ」
マリクは壁に掛かっていた剣をベルトに差込んだ。
「な、何をする」
「おとなしくしろ。さもないと腕をへし折るぞ」
「な…」
マリクは古典装備群上がり。連邦等級はB級。剣術は得意中の得意だ。
B級はC級10人に相当すると言われている。
その力でC級の掃除夫の弱々しい腕を掴む。
(思ったより軽い! 兵士とは違うか)
「浮遊!」
思った以上に弱々しい掃除夫の腕に、逆に焦りが増したまま、マリクは窓から飛び出して浮遊する。
「窓から出てきたぞ!」
すぐに取り囲まれる。
「近づくな。離れろ! こいつがどうなってもいいのか!」
周囲の軍服たちが動きを止め、少し距離を取り始めた。
窓から声が響いた。
「マリク・ルンゴ! 違法採掘及び密輸を共謀した容疑であなたを逮捕するわ。ムダな抵抗はやめなさい」
「うるさい! このまま見逃せ! そしたら人質を解放してやる!」
「監査府から逃げられると思うの?」
「これでも元軍人だ! 逃げてみせるさ!」
周囲を見渡すと徐々に人が集まってくる。
直轄軍の制服だ。
(くそ!)
直轄軍はA級でないと入隊できない。実際、見ただけでも彼らの強さが感じ取れる。
肌にヒリヒリと感じるのだ。
これでは逃げる目はない。
(終わった――いや、まだだ! まだ逃げ道はある! あるはずだ……!)
マリクは必死に考える。
敵に打撃を加え、その隙に撤退するしか――
(ん? あそこにいるのはっ!)
自分の足下に広がる敷地。左を見ると、正門前にいるのは――
――最高監査人閣下ではないか!
式典で何度も見たことがあったため、すぐに判った。
(あの手足の一本でも切り落として隙を作れば、逃げられる!)
監査人は執政人と並び、襲撃すれば国家反逆罪となるとは聞いたことがある。
だが、だからこそ襲おうとするヤツはいない。
そう思っているはずだ。
――きっと油断しているはず!
(なに。別に殺すわけじゃない!)
どうせ治癒術で元に戻る。監査人なら優先して治癒してもらえるはずだ。
直轄軍人を傷つけるのは難しいが、監査人は非戦闘員。
もと古典装備群の自分なら、この剣で手足の一本や二本、切り落とすくらいは余裕のはずだ。
「よし、わたしから離れろ! そうすれば人質を解放してやる」
周囲の直轄軍の隊員達が顔を見合わせている。
「わかった。離れてやるから人質を解放しろ」
(離れた!)
「人質にとって悪かったな。これでお別れだ」
「…はい…」
掃除夫の男ニンゲンは震えて返事をした。
マリクは浮遊魔法で上空に飛び上がってから人質の腕から手を離すと同時に、腰の剣に手を掛けて急降下した。
空気が耳を切るように通り過ぎる。
「なっ!」
遠巻きにいた軍人達が慌てて追いかける。
だが飛行魔法に重力を利用した加速は隊員達の目算よりもやや速く、間に合わない。
マリクは監査人に迫った。
監査人は周囲を制するように片手を上げている。まるで“大丈夫だから、下がって”とでも言うように。
それを見て近くの隊員達の動きが止まるのを感じる。
――バカめ。大丈夫なものか!
マリクは少し手前に着地して剣に手を掛けた。
そのまま低姿勢で突進する。
――その両脚、いただく!
マリクは剣を抜きつつ、両脚に向けて水平に払いつつ、戦技を発動する。
戦技とは魔法の一種だが、いわゆる“魔法”とは系統が異なるものだ。
「剛横斬!」
斬撃術の一つ“剛横斬”。
岩をも切り裂き、一つ上の等級の相手ですら、これで仕留めることができると自負しているほどの切り札だ。
防殻魔法を出されても、それごと斬って捨てることができる。
マリクは軍にいた頃、これで何度も訓練相手の脚を切り落としたものだ。
落とされた脚は治癒術で元に戻った。
部隊に治癒術士がいるからこそできる手洗い訓練だった。
(悪く思うなよ!)
マリクの剣が横一直線に斬撃を払う。
その動きに、標的の向こうずねが二つとも切断される映像が思い浮かんだ。
対象を確実に捕らえた時の感覚だ。
――――もらった!
ガキン!
手前で剣があっさりとはじかれた。
手首に痺れるような衝撃が走る。
「ば、バカな!」
C級の分際で、防殻魔法で、オレの斬撃を食い止めただと?
(まさか等級が高いのか? だが、この手応え、なにかがおかしい!)
魔力を感じない。
いつもは相手の強さを感じ取れるはずなのに、感じ取れないのだ。
(等級の見当が付かない! だが剛斬撃をはじいた)
――思ったよりずっと強い!
マリクは瞬時に状況を判断しなおす。
――撤退だ!
軍服が集まってくる周囲を視界に捕らえ、手薄な所を見つけて駆け出す。
だがすぐに周囲から声が響いた。
「拘束!」
瞬時にマリクの全身が何かにくるまれる。
(身体が動かん!)
マリクはそのまま地面に身体ごと打ち付けられた。
(これは――拘束魔法か!)
軍では教わらない魔法。
警察や監査府が使用する魔法だ。
「マリク・ルンゴ議員だね。監査人権限を行使し、公務執行妨害、人質強要、傷害未遂の現行犯でキミを緊急逮捕する」
最高監査人が静かな口調で宣告した。
まるでマリクの攻撃などなかったかのような調子だ。
「くそっ! 監査人閣下はC級じゃないのか?」
(強さを感じない! 古典装備群でも、こんなことは今まで無かった!)
「ん? 監査人と分かってて襲ったのか? 襲ってきたから分かってないのかと思ったのに。監査人だと知ってて襲うなら、わたしがS級なことくらい、余計に知っておくべきじゃないかな」
(S級だと! 馬鹿な!)
S級と言ったら、それこそ戦士の極み! 軍人の誉れではないか!
何故こんな、どこから見ても脳専の男ニンゲンが、S級なんだ?
「監査人の等級は公開情報だよ。監査府令に基づく容疑者の権利は特捜団長から説明があるだろう」
(公開情報…そんなのいちいち…)
監査人になんか興味なかったから、知ろうともしなかった。
だがマリクには、もう一つ引っかかることがあった。
「今のは! 防殻魔法の手応えじゃなかった…あれはいったい何だ?」
そう問うと、監査人が微笑んだ。どこか冷たく、静かな笑みだ。
「連邦軍じゃ戦闘魔法の歴史は教えてないのかな? 防殻術は本来魔法じゃなくて戦技なんだよ。君が使った斬撃術を防ぐためのね」
「防殻術…」
戦技は習得が難しい。学校でも軍でも、習うのはほとんど斬撃術だけだ。
「防殻魔法は、この防殻術を魔法で再現しようとして開発されたものだ。魔法の方が修得が簡単だから、皆そっちを使うようになったけど、わたしはこっちの方が得意でね」
(もともと戦技の才能があるのか…。それとも、不老の加護のおかげか…)
監査人は特別公職だ。そして特別公職には不老の加護が付与される。
任期が長ければ、訓練に励む時間はそれこそ無限にある。
S級にだって手が届いても不思議はない。
(不老の加護か……代議士になれば、わたしにも手が届いたものを…)
「くそっ」
「監査人と知って襲った以上、重罪に問われることは覚悟してくれ。では…」
「マリク・ルンゴ議員ね」
女エルフが割り込んできた。紙一枚を掲げている。
先ほど階下から聞こえてきた声の主だった。
「違法採掘及び密輸の容疑で逮捕する。これが逮捕状よ」
「いま、公務執行妨害と人質強要と傷害未遂でも現行犯逮捕したところだ。あとはメネルに任せる」
「わかったわ。被疑者を連行して」
「はっ」
マリクは拘束された状態で、軍服姿の男ニンゲンの隊員につまみ上げられ、そのまま護送輪車に押し込められるのだった。
(こいつはA級だ。ちゃんと強さを感じ取れる。だがヤツの強さは感じ取れなかった。なぜだ?)
輪車の扉が、乾いた音を立てて閉じた。
なぜジローの強さを感じ取れないのか、マリクが知ることはなかった。
こうして、共和国議会の有力議員マリク・ルンゴが監査府の手によって逮捕された。
本丸の逮捕により、事件は一応の解決を見るのだった。
次回の投稿は明日の予定です。