連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
監査人執務室がもし一階にあるとすれば、ジローの机はかつての玉座とは反対側の一番下座にある。
もっとも、ここは三階だ。
右の窓側には監査人の机が二つ、ぽつん、ぽつんと間隔を開けて並んでいる。
正面にも一つ。かつての玉座の真上にあたる位置だ。
四名の監査人は縦に長い“コ”の字を描くように配置されている。
その内側を埋めるように、秘書官・補佐官・補助員の机がびっしりと並ぶ。
ペンの走る音、紙をめくる音、電話の呼び鈴。
書類を見ながら話し合う者。
立ち上がり、文書を抱えて別室に向かう者。
受話器を取る者。
常に動きがあり、音が満ちている。
そんな慌ただしい部屋の片隅で、ジローは紅茶を置き、背もたれに体を預けた。
「いやあ、若いって良いね」
傍らに立つ秘書官モリア・マイヤーに話しかけた。
彼女は濃色の肌をした女ニンゲン。
立ち姿はほっそりとして、まるで流行模範者のようだ。肩に掛かる黒髪はゆったりと波打っている。
年齢を感じさせる顔の中で、その目は力強い意思と知性を放っており、非常に頼もしい。
「閣下は自分の顔をご覧になったことはないのかしら?」
力強い目が不満げに光った。
黄金の耳飾りも光を反射している。
耳飾りと言うより耳輪だ。彼女の濃色の肌に黄金がよく映える。
(声に少しトゲがあるなあ)
微妙に敬語を混ぜてくるところにもトゲを感じる。
「毎日見てるよ。500年近くこのまんまだ。まさに『永遠の二十五歳』って顔だな。髪もこれ以上伸びないし髭も生えないんだ。剃り方も忘れてしまったよ」
ジローは両手を広げ、上に向けた。
ジローの肉体は年を取らない。
それがすっかり当たり前になってしまったが…
(普通はそうじゃないんだよな)
「“不老の加護”持ちが羨ましいわね。わたしはもうお婆さんだから」
そういえばそうだった。
「お孫さんは元気かい?」
強い目力が優しさに変わった。
「写真で見ただけだけど、元気そうな赤ちゃんだわ」
「そうか。うらやましいよ」
(わたしには孫がいないからね)
ジローは軽く肩をすくめた。
「閣下のご子息はご結婚なさらないの?」
長男も次男も連邦軍に入った。三男はまだ小学生である。
「どうだろうなあ。長命種だから相手が限られるらしいんだよね」
妻は『エルデン族』と呼ばれる長命の種族である。
エルデンの寿命は万年とも言われ、エルフよりも長い。
「ニンゲンとエルデンの混血だとすると、相手にはエルデン族をということかしら?」
以前、公用語審議会はエルデンに“ハイエルフ”という訳語を当てたことがあった。だがこの呼称はエルフの団体から「われわれが“ローエルフ”だと言いたいのか!」「エルフをバカにしているのか!」と反発があったため、あっさり取り消された。
今ではそのまま『エルデン族』と呼ばれている。
「エルフでもいいんじゃないかと思うんだけどね。ニムディスは『駄目じゃ!』って言うんだよ」
ジローが妻の口調を真似してみせると、モリアの口元がヒクヒクと震えた。すぐに窓側の席の方に振り返り、安堵の表情を見せている。
(いや、笑ってくれても良いんだけど…)
ニムディスは出かけているようだ。
「難しい問題なのね」
「ま、なるようになるさ」
ジローは肩をすくめた。
「ジロー閣下にお電話が入っております。顧問銀行からです」
低めの声が響く。ヨアナだった。
(お、さっそく補助員として働いているな)
「ああ、繋いでくれ」
監査人席の大きな机の上で、茶色に金縁の電話が「ジリリ」と鳴る。
ジローは身を乗り出して受話器を取り上げ、そのまま本体ごと引き寄せると、椅子に深く腰を下ろした。
「ジローだ」
“ジロー閣下。ファエルベル・ミル=ロハンナです”
昔なじみの声だ。
顧問銀行の立ち上げの頃から関わっている女エルフで、今も幹部の一人だ。少し前は別の銀行にいたが、また舞い戻ったようだ。
「ああ、しばらくだね。どうした?」
“はい。実は頭取のことで、ご報告が”
(何かやらかしたんだろうか)
「どうかしたのかい?」
“それが、頭取が財務省とやりあいまして”
「おや、それはどうして?」
頭取は財務省が送り込んだ男ニンゲンだ。
(それが財務省とやり合ったとは)
声に愉快な気分が混じってしまうじゃないか。
“はい。頭取はどうやら『顧問銀行は政府から独立して運営されるべし』との結論に至ったようでございます”
「それはよくやったね! ご苦労様」
“いえ、わたくしは閣下からの
(それが功を奏したのか? それとも顧問銀行で働くうちに、意義を理解したのか? いや、実は最初から分かっていた、ということもあるぞ?)
財務省に指名されるために猫をかぶっていた。そんな可能性に思い至る。
(だがここはファエルベルに感謝しておこう)
「これで次の頭取が送られてくるまで、しばらくは安心できそうだ。君のおかげだ。ありがとう。顧問銀行は中央銀行だ。財務省も分かっているはずなんだが、時々勘違いしているやつがいるから困る。それで、何があったのかな」
“はい。このところ
「なるほど…まさか財務省は自分が買うつもりなのか?」
“どうやら、もっと下がるのを待って買うつもりのようです”
(はあ? なんだそれは)
ジローは眉をひそめた。
「財務省が金融取引をはじめてどうするつもりなのかと、問い
“ですので、閣下が興味をお持ちになるのではと”
(ははあ。つまり財務省への行政監査なり会計検査なりを、監査人として監察局に指示しろと言いたいのか)
ジローは電話の意味を理解し、見えない相手に向かって頷いた。
「なるほどね。でもそれは財務省が実際に買い始めてからの話になるな」
“はい。それとちょっと気になることがありまして”
自信がしぼんだように、彼女は声を落とした。
「何かな」
“それで顧問銀行は購入を継続しておりまして、金保有量も増えつつあるのですが……なぜか金の価格が下がり続けていまして…”
「ふうん」
ジローは思わず鼻から声にして出してしまう。
(どういうことだ? 中央銀行が購入しているのに価格が下がっているだ?)
だが相手はジローの声を誤解したようだ。
“あ、これは閣下がお気になさることではありませんね。失礼致しました。では、わたくしはこれで”
ファエルベルが慌てるように言ったので、ジローは内心で小さく恥じる。
(ちょっとマズったか)
「あ、またよろしく頼むよ」
思わず早口になってしまったジローの言葉が終わると同時に、電話が切れた。
ツー・ツーという音が耳に刺さる。
(やれやれ。鼻息一つにも気を配らないといけないとは)
小さくため息をつきながら受話器を置き、電話本体を机の奥へと押し戻した。
「理屈に合わない値動きか」
(これは何かありそうだな。さてどうするか)
紅茶に手を伸ばし、静かに思考を巡らせようとした。
が、そこに邪魔が入った。
「ジロー! 母上が来たのじゃ!」
よく知る声が響いてきたため、視線を向ける。
ついたての隙間から女エルデンが二人、
一人は見慣れた顔、もう一人は久しぶりに見る顔だった。
(なっ! 何しに来たんだ?)
「これはお義母さんではないですか!」
ジローはすぐに立ち上がり、にこやかに歩み寄る。
「お久しぶりですね。連絡もなしにどうしたんですか?」
(いくらニムディスの母親だからって、連絡くらいは寄越してほしいなあ)
しばらく挨拶を交わすと、二人は満足したように立ち去った。
ジローは腰を下ろし、ため息をつく。
(まさかいきなり女帝が現れるとは…ケディルに連絡しておかないと…)
ジローはすぐに自宅にいる
「…だそうだ。え? 全部で? いや、人数は聞いてないな。できたら確認しておくよ。それじゃあ、よろしく」
受話器を下ろし、一息つく。
(ふう。これでよし。それでええと、何をするんだったかな…?)
「そう。金の値下がりだ!」
ジローはすぐに思い出し、立ち上がって声を張った。
「モリア! ちょっと来てくれ!」
次回の更新は明日の予定です。