連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために――   作:mogatoku

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007 第5話 口に出せぬ危機

 

「こんなことは初めてで、自分達も困っている…とのことだったわ。以上よ」

 

 モリアの説明を聞き、ジローの内心は大騒ぎとなっていた。

 

(モルドーで3割下落だって? 事実ならほとんど暴落じゃないか!)

 

「次はヒルダから」

「分かりました」

 

 モリアの指示を受け、ヒルダが前に出た。

 その手から1枚の紙が空中に浮かび上がる。

 ホセやヨアナと違い、ヒルダは大きな机越しに書類を手渡そうにも、手が届かない。

 だが手は届かなくとも、魔法は届くため、浮遊魔法で紙を浮かせているのだ。

 

「ありがとう」

 

 ジローは空中の紙を手に取り、目を通し始める。

 そこには連邦内の各共和国の主要取引所ごとに、下落幅と下落の開始時期がまとめられていた。

 ジローは真っ先にモルドー取引所を見た。

 

(…2割4分…3割まではいってないか…モルドーは経済規模も大きくないとはいえ…)

 

 安堵しようとするが、全然安堵できないジロー。

 ヒルダが少し緊張した面持ちで説明を始めた。

 

「まずドレナ取引所に電話を掛けたところ……」

 

 説明はしっかりしており、調査の手順も明確だった。

 説明が終わったのを見て取ると、ジローは紙を軽く持ち上げ、口を開いた。

 

「どうやら連邦全土で(きん)の値崩れが起きているようだね」

 

 何かが起きている。

 放置すれば危険だ。

 

(だが原因は何だ?)

 

 原因が不明のままでは、対処は限定的になる。

 有効な対策を行うためには――

 

(――調べなくてはいけない)

 

 トルキナ連邦は広大だ。

 六つの共和国に合わせて2億を超える人々が暮らしている。

 当然、地域的な価格変動というのはあるものだ。

 

(連邦全土でこれほど下がるというのは記憶にないぞ)

 

 ジローが考え込んでいると、声がかかった。

 

「あの、ジロー閣下」

「ん?」

 

 声の主を見ると、ヒルダが手を上げていた。

 

「金の値が下がると…何か問題があるのでしょうか?」

 

(大問題だよ!)

 

 と声を張り上げたくなるが、新人相手にそんなことはすべきではない。

 監査人は鼻息一つにも気をつけなければならないのだ。

 

「そうだね。何が問題なのか、誰か分かる者はいるかい?」

 

 ジローの問いかけに、女ドワーフがスッと手を上げた。

 

「ヨアナ」

 

 ヨアナは落ち着いた様子で口を開いた。

 

「誰かが、価格を操作して、不正に利益を得ようとしているのではないでしょうか?」

 

(誰かとは?)

 

 ジローは思わず問いかけたくなるが、やめておいた。

 

(可能性があるとしたら財務省か)

 

 だが安易に口にして良い可能性ではない。

 それにファエルベルの話では、財務省はまだ取引を始めていない。

 

(うん。そういう発想になるのは「キミたちの仕事は治安維持」と話したからかもしれないな)

 

 価格操作という可能性もないとは言えない。

 だが、ジローにはピンとこなかった。

 

(価格操作しているなら、むしろ金の価格が上昇するんじゃないか?)

 

 もちろん下落相場でも儲けられる。

 だが、それが出来るくらいの頭があるなら、金本位制自体を危険にさらすほどの相場にしようとは思わないはずだ。

 

(稼いだ通貨の価値を下げてどうする? 負の螺旋が始まるぞ)

 

「連邦全土の金鉱はほぼ把握している。仮に一つくらい過剰に産出したところで、ここまで下がるはずがない。もちろん全土の主要な金融機関が一斉に金を放出すれば、こうなるのかもしれないが…そんなことをしたら顧問銀行が黙ってない」

 

 ジローはその可能性を否定する。

 大手銀行といえども中央銀行たる顧問銀行に逆らえるはずはないのだ。

 

「では問題はどこにあるのでしょうか? 市民が一斉に換金しているなら、値下がりは自然だと言えませんか?」

 

 ヨアナの問いに、ジローは軽く首を振った。

 

「理屈の上ではね。実はいま顧問銀行が買い支えている。でもいつまでも通貨を市場に流し続けると――」

 

 通貨が溢れる。その先に待っているのは物価の上昇である。

 

(ひょっとすると急騰するかもしれない)

 

 記事によると、すでに他の貴金属の価格は上昇し始めている。

 

(このまま金が下がり続けると金本位制が危うくなる)

 

 金価格が下がれば、金を抱えている者は損失の拡大を恐れて売りに走り、金が市場に溢れる。

 金が市場に溢れれば、顧問銀行は買い支えざるを得ず、通貨が市場に流れ出す。

 通貨が溢れれば物価が上がり、金価格はさらに下がり、通貨の信用も落ちていく。

 物価だけがひたすら上がっていく地獄絵図。

 

(待っているのは通貨危機だ)

 

 もともと金価格の上昇傾向は想定している。

 人口が増えれば金の需要も人数分増える。

 だが下落傾向はまったく想定していないものだ。

 電話を寄越したファエルベルも、ホセが見つけたこの記事も、驚くほど呑気なのはそのせいだろう。

 

(問題に気付いてもいない。まさか…本当にだれも気付いていないのか? 顧問銀行と呂都(ろと)大学に“監査人見解”を送りつけた方が良いのか? いや、それでは新聞の一面を飾ってしまう。かえって危機を(あお)りかねない…)

 

「…物価に影響がある。だから調べる必要がある」

 

 ジローはそれだけ口にした。

 そこから先は、安易に発言していい内容ではない。

 監査人が通貨危機の可能性を口にしたら、それだけでその危機は現実になってしまう。

 

(むしろ誰も気付いていないうちに、手を打つべきだ。…とりあえずミッドロバ金鉱の計画を一時凍結させれば、時間は稼げるはず)

 

 他に自分の差配で止められそうな所はと考え始め、後にしようと思い直す。

 

(まずは通常の業務で対応して、それでダメそうなら…)

 

「ああ、とりあえず君たちはここまでだ。ありがとう。助かったよ。各自仕事に戻ってくれ。モリア、後はよろしく」

 

(これ以上は関わらせない方が良い)

 

「わかったわ。それじゃあ、説明の続きを始めましょう」

 

 モリアが三人を引き連れて立ち去ると、ジローはしばらく考えに(ふけ)ってから席を立った。

 対面に並ぶ職員席の群れを通り過ぎ、遙か向こうにある反対側の席の近くまで歩き、秘書官補助員に声を掛ける。

 

「すまないが、オールズ閣下と話したい」

 

 用件を告げつつ、ついたての向こうに目をやった。

 監査人席には淡色の男ニンゲンが座り、文書を見ながら秘書官・補佐官ら三名と何やら話し合っている。

 パントよりもやや小さいノウブ族の女子補助員が立ち上がって、ついたての前に立つ。

 

「失礼します。オールズ閣下! ジロー閣下がお越しです」

 

 補助員の声が響いた瞬間、場の空気が一瞬で張り詰め、大きな机の向こうから男ニンゲンがギロっと睨み付けてきた。

 

 公選監査人レスター・オールズ。

 

 書類上に隠れている誤字すらも、縮み上がって即座にその姿を現しそうな視線だ。

 

「すぐに入るよう言え」

 

 ジローの顔を見ながら補助員に答えた。

 顔を見てもジローには話しかけずに、補助員に返事をする。そしてジローが内側に入るまで待つ。

 彼は決して、ついたて越しに話そうとしない。

 

(こういう所が仕事の緻密さに繋がってるんだろうな)

 

「わかりました。どうぞ。お入りください」

 

 女ノウブが身を引いて道を開けた。

“お入りください”と言っても、ついたての隙間を通り過ぎるだけだが、それでも儀礼は儀礼である。

 

「お仕事中に失礼するよ」

 

 ジローが一歩踏み込んだ瞬間、四角い赤ら顔が顔をしかめた。

 周囲の秘書官たちが立ち去ろうと動き始めたので、ジローは片手を上げた。

 

「あ、君たちはそのままで。すぐにすむからね」

 

 秘密などないという姿勢を示すのは、変に勘ぐられたくないため。

 

「だといいがな」

 

 レスターの声は、刃物のように冷たく、重い。

 

(なんだかピリピリしてる…?)

 

 ひりつくような空気を肌に感じながら、ジローは新聞の切り抜きとヒルダの表を差し出した。

 

「じつは金の価格が下がっていてね。興味あるかと思って」

 

 レスターは面倒くさそうに二枚の紙をつまみ上げ、四角い肉厚の赤ら顔に浮かぶ小さな目で、記事と表を順に目を通した。

 ほんの数秒で読み終えると、視線が再びジローに突き刺さる。

 

「わたしの専門は企業会計だぞ。そもそも市場動向の監視は監査人の仕事なのかね?」

「いや、この値下がりには何かありそうだと思うんだ。興味がないならこちらで調べるけど」

 

 そう告げるとレスターが舌打ちしそうな顔で、忌々しげに言い放った。

 

「そうしてくれ。任期はあと3年半。それまでにやることが山ほどあるんだ。あんたみたいに無限に時間があるわけじゃないからな」

 

 公選監査人の任期は10年。

 終身の最高監査人とは違い、時間は限られている。

 それなのにやるべきことは多い。

 そんな苛立ちが、睨み付けるような視線にそのまま表れている。

 ジローはその視線を軽く受け流すように、手をひらりと上げた。

 

「では失礼するよ。時間を取らせて悪かったね」

 

 不機嫌な公選監査人の前から立ち去り、再び長い距離を歩いて自分の机に戻ると、ジローはどかりと腰を下ろした。

 

(オールズ閣下は関心を示さないか……示すと思ったんだがな)

 

 軽く肩をすくめたところで、不意に護衛の男と目が合った。

 左の壁際に控える男エルフ、今日は彼が当番らしい。

 

(なんだか訝しげな表情だな)

 

「聞こえたのかい?」

 

 ジローは尋ねる。

 エルフは目も耳も良い。

 遠く離れた反対側の声も聞こえるかもしれない。

 

「聞いておりません」

 

 エルフは微動だにせずに答えた。

 

(つまり聞こえたんだな)

 

「そうか」

 

 それ以上の追求はせず、ジローは自分の思考に戻った。

 

(さて……ならば、わたししかいない)

 

 公選監査人はもう一人いるが、ザベラは行政監査で出張中。

 最高監査人ももう一人いるが、ニムディスは経済や金融には疎い。

 動くのは自分しかいない。

 これはむしろ都合が良い。

 

(まずは……あそこからだな)

 

 ジローは電話の受話器を持ち上げ、受話器の重みから解放されたばかりのボタンを3回、カチャカチャカチャと押し込んだ。

 

“はい。どちらにお掛けになりますか?”

 

 交換手の女性の声は、いつも絹のようにたおやかだ。刃物のようなレスターの声とは正反対である。

 

「キーン監査庁の庁官まで頼む」

 

 ジローは連邦の東端、キーン共和国の首都にある出先機関の長の役職名を告げた。

 

“お待ちくださいませ”

 

 しばらくして、交換手の声が再び響く。

 

「ではお話しくださいませ」

 

“はい庁官秘書室です”

 

 すぐに切り替わり、別の声が響いた。

 

「監査人のコウ・ジローだ。ジェーンはいるかな?」

 

“少々お待ちください”

 

 数秒後、耳に馴染んだ声が広がった。

 

“まあ閣下、しばらくね”

 

 女ニンゲンの親しげな声が、受話器越しに柔らかく耳を包んだ。

 

 





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