連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
ジローは貴金属店に電話したが、それはあくまで”義母への贈り物の注文のついで”という
「陛下が
どちらも「既製品なんか贈るな! ちゃんと作らせろ!」と言わんばかりであり、金の相場など聞ける空気ではなかった。
「なら今回はあきらめるよ」
「またのご連絡をお待ち申し上げております」
帰宅後は義母の話し相手をしなければならず、じっくりと考える時間は取れなかった。
明くる日、ジローはいつものように、秘書官モリアと補佐官らに確認を取りながら、決裁文書に印を押していた。
「これは……公安部三課の報告書か。意外と分厚いな」
「一応目を通したけど、要するに問題は見当たらないという報告だったわ」
モリアが答えた。
(いや、これ面白そうだから読みたいなあ)
「これは監査人会議に報告させないのか?」
「必要があれば公安部に報告させるけど、特に問題はなかったわ。他の監査人にも回すから、仮に問題があれば他の秘書官が気づくんじゃないかしら。会議に呼び出すのはそれからでもいいんじゃない?」
(さっさと仕事を進めろか…)
「そうだな」
ジローは文字の列を視野に収め、ぱらぱらと報告書を最後までめくる。
(特に引っかかるような語は目に入らないか)
”読了”としてしまうのは惜しいと感じつつも、印を押した。
その時、ついたての向こうからヨアナの声が響いた。
「ジロー閣下にお電話です! キーン庁からです」
ジローは報告書を文書箱に戻した。
「繋いでくれ」
すぐに電話がジリリと鳴り、受話器を取りあげる。
「ジローだ」
「おはよう、閣下。ジェーンよ」
ジェーン・コナーズ。キーン監査庁の庁官である。
キーン共和国の首都・
「おはよう、ジェーン。それで何か分かったかい?」
モリアが「出て行こうか?」という仕草を見せたため、首を振る。
秘書官たちは立ったままジローを眺め始めた。
昨日電話で問い合わせた件だ。調べてから折り返してくれるという返事だった。
「このところ輸入が増えているわね。邦内の
「そうか」
キーン共和国は“両端の共和国”の一つで、大陸との貿易窓口でもある。
ただ、ジェーンの説明はジローの予想とは違っていた。
「反対に輸出中心の商社は困っているみたいね。金の支払いを受けて換金しても利益にならないから、銀で払わせてるらしいわ。でも不便みたい」
大陸沿岸にあるのは
連邦政府は技術流出を恐れて、先進技術製品の輸出を厳しく規制しているため、輸出品は布や食器、日用雑貨品程度に限られる。
「つまり輸出が増えて金が増えたわけじゃないんだな」
輸出商社は支払いを金で受ける。
(輸出が急増して、商社が受け取った
そもそも人口の少ない相手国との取引が、急激に増えるわけがない。
「ええ、金が安くなって輸入が増えているわ。と言っても輸入品も少ないから、そんなには増えてない。増えてるのは内陸の絨毯くらいね」
輸入品は穀物・獣毛・羽毛などが中心だが、生産量が大して多くない。
生産力が低いせいで増える見込みはない。
輸入量が爆発的に増える余地はほとんどないのである。
「わかった。助かったよ。ありがとう」
貿易の状況は、大きく変わっていない。
「お安いご用よ。閣下と殿下にはお世話になったもの。殿下はいらっしゃる?」
ジェーンは新人の頃、ニムディス付きの秘書官補助員だった。今でも気にかけているのだ。
「ああ、つなごうか」
「おねがいするわ」
ジローはモリアにニムディスへと回線をつなげるように言うと、モリアがついたて越しに補助員に指示する。
やがて「ニムディス殿下! キーン庁からお電話です」という声を確認して、受話器を置く。
(東の貿易は…関係ないな)
この後、連邦西端のシーナ庁からの報告も同様だった。
(つまり、輸出が増えて連邦内の金が増えたわけじゃないということだ)
むしろ金が安くなって輸入が増えている。
これは“原因”ではない。
(むしろ“結果”だ)
そもそも輸出入の総額はたかがしれている。
規模から考えても、ここまで金が下がるはずがない。
それでも念のため確認したが、やはり違った。
「モリア、アーサーを呼んでくれ」
「わかったわ」
モリアがついたて越しに補助員に指示を飛ばし、すぐに戻ってきたため、ジローは決裁の続きを始め、三つほど押印したところで――
中色の男ニンゲンが姿を現した。
背筋を伸ばし、無駄のない足取りでジローの机の前に立つ。
秘書官と補佐官らに囲まれたまま“最高監査人”の前に立っても、微塵もひるまない。
「閣下、お呼びで?」
情報部長・
壮年にさしかかったという風貌の、飄々として捉えどころがない男である。
「忙しいのに悪いね、アーサー」
白髪が交じり始めたこの男も以前、秘書官補助員をしていたことがある。
その時の自己紹介が印象的だった。
(「桐谷朝人です。アーサーと呼んでください」)
(ブホッ! 朝人だからアーサーって…)
ジローは思わず吹き出したものだ。ただし印象に残ったのはその時だけで、その後の印象は薄かったが、情報部職員としては極めて頼りになる男だ。
(もう部長だからあまり使うわけにはいかないけど…)
「ちょっと情報部でこれを調べて欲しい」
新聞の切り抜きとヒルダ表を見せると、しばらく目を通してから顔を上げた。
「何を調べればよろしいので?」
「金の
かすかに「なるほど」といった表情を見せ、秘書官らに一瞬だけ目をやった。
「了解です。それで、いつまでに?」
「なるべく早くだ」
原因を突き止め、有効な対策を考えなくてはならない。
「局長にはどうします?」
彼の上司の管理局長のことである。
管理局には情報部と民籍部があり、局長は民籍部上がりであるため、情報部の仕事には通じていない。
(だからこそ彼を飛ばしてアーサーを呼んだんだ…)
アーサーはその局長にこの件を話すのか、話さずに進めるのか、ジローに決めて欲しいようだ。
(秘密にするほどでもないけど、話すのは手間だな)
「君から話してくれ」
なのでアーサーに押しつけることにした。
「了解しました。では早速調べます」
アーサーは眉一つ動かさずに、小さく頭を下げてから、足音を立てずに、足早に立ち去っていった。
「相変わらず無表情な男ね」
モリアの呟きにジローは反応せずに、決裁を続けるのだった。
夕方、報告に来たのはアーサーではなかった。
「金を市場に出しているのは
情報二課長のマイ・ガン。女ノウブだ。
ノウブは短身族で、パントよりやや小さい種族だ。
鮮やかな緑色の肌にクリーム色の髪。せかせかと、ちょこまかと動き回るのが特徴だ。
だが最大の特徴は外見ではなく、高い知能と短い寿命である。
手慣れた様子で部屋の隅にある足台を抱えて、机の前に置き、その上に立った。
(モウト銀行? モルドーの都市銀行じゃないか! 金の出所は孟都か…)
孟都とは、モルドー共和国の首都である。
「どうしてわかった?」
足台は机に隠れて見えないので、こちらからは彼女の小さな体が少し浮かび上がっているように見える。
まるで真実が浮かび上がってくるかのような錯覚をジローは覚えた。
「部長から渡された表によると、金の値下がりが始まったのはモルドー取引所が最初でしたので、モルドー庁の管理部に電話を掛けまして、職員に直接出向いてもらいました。閣下が急げと話していたと言って」
(なるほど。ヒルダの表か!)
答えは既に手元にあったようだ。
(後でヒルダに礼を言っておこう)
“モルドー庁”とはモルドー監査庁の事である。孟都にある監査府の出先機関だ。
マイ・ガンはそこに指示を出したわけだ。
「
彼女の明るい緑色の肌と乳白色の髪をジローはまじまじと見つめる。
まるで観葉植物を見ているような、落ち着いた気分になってくる。
「そうか」
「そこで、職員が孟都銀行に確認したところ『金がいろんな所から持ち込まれてくる。こちらも換金しなくては業務にならない』と言われたそうです」
「いろんな所?」
(いったいどこだ?)
「はい。『ただの問い合わせでは顧客の名前は明かせないが、換金屋とか金貸し屋とか、もっと大きな所も持ってくる』と話しているそうです」
(ただの問い合わせでは明かせない、か…)
これは「顧客名を知りたければ令状捜査なり財務監査なり、監査庁として正式な法的な手続きを踏んでくれ」という意味だ。
(まあ仕方ない)
「なるほど」
誰かが孟都周辺で金を売りさばいているようだ。
(どうやらすぐに糸口が掴めそうだぞ)
ジローは情報に満足して頷いた。
「助かったよ。ありがとう」
「もうよろしいのですか?」
「ああ、ここからはこちらでやるよ」
(その方が動きやすい)
「
「ああ」
「ウチからの出向者もですか?」
「おそらく頼むことになるだろう」
「わかりました」
マイは何かに納得したように頷いた。
「では失礼します」
そう言うやいなや、すたっと足台から跳び降り、素早く片付けると、まるで小鳥のように軽やかに、ついたての向こうに消えていった。
10分後、ジローの前には二人の人物が立っていた。
「それ、まだあたしたちの仕事じゃないわね」
そう眉をひそめた人物の名前はメネル・カイ=
監査府の創始期からいる古参の女エルフである。
ジロー監査人特別捜査団、通称『ジロー特捜団』の団長だ。
階級は“主任監査官”。補佐官と同じ階級だ。
肌は淡色。つまり“森エルフ”である。
「そうだぞ。そもそも何の容疑にもなってないじゃないか」
隣で腕を組んだ男ドワーフの名はナイン・
役職は“特捜団副団長”。階級は“本監査官”。
肌の色は中色。かつての“海のドワーフ”だ。
二人は“ジロー直属の特別捜査団”のまさに中核だ。
特別捜査団とは、監査府が巨大化しつつあった頃、「監査人の興味のある問題に自由に取り組めるように」と、とある公選監査人の提案によって作られた組織である。
「だろうな」
ジローは内心で肩を落とした。
まだ容疑はないし、犯罪ですらない可能性が高い。
(だが原因を見つけねばならない)
「こっちはみんな忙しいの。閣下はあれもこれもと手を出しすぎよ。こちらの身にもなってほしいわ」
メネルがあきれたように言う。
今も特捜団には複数の案件を調べてもらっているのだ。
「だからまず内偵から頼む。調査員を孟都に派遣して、金がどこから出たか探って欲しい」
こちらだって、いきなり捜査を始めるために呼んだわけではない。
「旧貴族の館の地下に金塊でもあったんじゃないの? 昔あったじゃない。そういうの」
メネルが思い出したように言う。連邦暦1世紀の“地下金塊事件”だ。
「ふん。出たな。エルフの昔話」
ナインが呆れたように鼻を鳴らす。
だがジローはメネルの言葉に首を振った。
「モルドー候領でそんなことはないと思うんだが」
「あら閣下、どうして?」
「モルドー候は連邦軍の初代元帥だぞ。連邦側の貴族だ」
(帝政復古の軍資金なんか貯めるはずがない)
「そうなの。でも当人じゃないかもしれないじゃない。親とか妻とか」
(それは……まあ、無いとは言えないが…)
ジローは納得しかねて、軽く息を吐いた。
「とにかく、出所を探って欲しい」
原因を突き止めなければ、対策も立てられない。
メネルが観念したように両手を軽く上げた。
「じゃあ後で調査員を一人寄越すわね。指示は閣下からよろしく」
“あたしはこれ以上仕事を増やしたくないのよ”
そんな声が聞こえた気がした。
(まあ、今はその方が都合が良い)
ジローは内心でそっと安堵するのだった。
しばらくすると彼はやって来た。
「特捜団のシン・ポップ準監査員です。メネル団長の指示で参りました」
垢抜けない感じの、若い男ノウブ。
緊張で耳が少し赤く、いや茶色くなっていた。
次回の投稿は明日を予定していますが、予定がちょっと不透明なので、場合によっては明後日以降になるかもしれません。