マルバス家当主   作:紫道麻璃也

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片翼の堕天使は、最速の騎士となる(終)

戦いが終わったのは夜明け前だった。

 最後の魔物が討たれ残敵の掃討が完了し、ようやく戦場に静寂が戻る。

 疲労の色は誰の顔にも浮かんでいた。

 負傷者もいる。軽傷では済まなかった者もいる。

 だが少なくとも──誰も全滅を想像しなくて済む結果になった。

 

 

 帰還の途──ミッテルトは隊列から少し離れて飛んでいた。

 いつものことだ。今さら誰かの輪へ入る気もない。

 けれど──今日は少し違った。

 何人かの視線を感じる。横を通り過ぎる時こちらを見る者がいる。

 

 目が合う──そして逸らされない

 

 

「……」

 

 不思議な感覚だった。今までとは違う。完全に壁が消えたわけではない。急に友人ができるわけでもない。そんな都合のいい話ではない。

 

 けれど少なくとも以前みたいな視線ではなかった。

 

──欠陥を見る目ではない

──化け物を見る目でもない

 

 それは──初めて向けられる種類の視線だった。

 

 

 基地へ戻り事後処理など慌ただしい時間が続く。

 その中で──ミッテルトは何度か名前を呼ばれた。

 それは驚きだった。今まではほとんど無かったからだ。

 

「お疲れ」

「………助かった」

「速かったな」

 

 短い言葉ばかりだった。

 それでも──胸の奥が少しだけむず痒い。

 どう返せばいいのか分からない。だから曖昧に頷くだけだった。

 

 気付けば空が白み始めていた。

 長い夜だった──本当に長い一日だった。

 

 

 いつもの場所へ向かう。

 訓練施設の屋上──静かな場所──誰も来ない場所。

 ミッテルトのお気に入りの場所だった。

 腰を下ろしようやく翼へ目を向ける。

 

「うわ……」

 

 思わず声が漏れた。それもそのはず酷い有様だった。

 羽根は乱れ何枚も抜け落ち、ところどころ裂けている。

 無茶をした代償だった。

 

──だが嫌な気分ではない

──むしろ誇らしかった

──戦った証だった

──飛んだ証だった

──そして、自分自身で掴み取った結果だった。

 

 ミッテルトは羽根へ手を伸ばし一本ずつ整えていく。

──昔から続けている作業

──落ち着く時間

──何も考えなくていい時間

──羽根の向きを揃える

──傷んだ部分を確認する

──乱れた羽並みを直していく

 

 昔はこの時間だけが好きだった。

 飛ぶことは嫌いだった。空も嫌いだった。翼も嫌いだった。全部嫌いだった。

 だからせめて綺麗にしていた。せめて見苦しくないようにしていた。

 

 けれど今は少しだけ違う。翼へ触れる指先が優しい。まるで大事なものを扱うみたいに。

 実際そうだった。この翼があったから飛べた。この翼があったから戦えた。この翼があったから今日の自分がいた。

 

「やっぱりここにいたか」

 

 声がした。それは振り向かなくても分かる聞き慣れた声。

 

「……またッスか」

「まただ」

 

 イッセーだった。

 

 当たり前みたいな顔で歩いてくる。当たり前みたいに隣へ座る。当たり前みたいに笑う。

 もう何も言わない。言うだけ無駄だからだ。

 どうせ来るこの男は。

 

 

「怪我は」

「大丈夫ッス」

「嘘だな」

「なんで分かるんスか」

「顔」

「最悪ッス」

 

 イッセーが笑いミッテルトも少しだけ笑う。そんな時間だった。

 

 夜明けの風が吹く。少し冷たいが嫌ではない。

 

 

「なあ」

 

 イッセーが言った。

 

「ん?」

 

 ミッテルトが反応する。気付けば自然に返事をしていた。

 

「楽しかったか?」

 

 短い質問──けれど何を聞かれているのかは分かった。

 

 

──飛ぶこと

──戦うこと

──空を駆けたこと

 

 全部ひっくるめてどうだったか──

 

 ミッテルトは少しだけ考える。そして小さく笑った。

 

「……最高だったッス」

 

 今度は迷わなかった。心からそう思った。

 

 その答えにイッセーは満足そうに頷く。まるで自分のことみたいに。それがおかしくて。少しだけ笑ってしまう。

 

 

「貸せ」

 

 イッセーが言った。

 

「……は?」

 

 何のことか意味が分からない、だから聞き返す。

 するとイッセーはミッテルトの手からブラシを取った。

 

 思考が止まり数秒──本当に数秒、何が起きたのか理解できなかった。

 

「ちょっ」

「動くな」

「いや何してるんスか」

「見れば分かる」

 

 分からない──全然分からない。

 

──ブラシが羽根へ触れる

──優しく

──丁寧に

──乱れた羽並みを整えていく

 

 ミッテルトの身体が強張る。

 

 『翼へ触れられる』

 

 それは昔から苦手だった。

 

──嫌だった

──怖かった

──両親ですらあまり触らなかった

──医療班も最低限だった

──周囲は皆、気味悪そうに見た

 

 だから翼だけは自分で手入れしてきた。誰にも触らせなかった──なのに

 

「……」

 

 不思議なほど嫌じゃなかった。

 ブラシが羽根を整える。傷んだ部分を避け絡まった羽根を解く。

 

──丁寧だった

──慎重だった

──まるで壊れ物を扱うみたいに

 

 

「……変ッスよ」

 

 ぽつりと漏れる。

 

「何が?」

「アンタッスよ」

 

 イッセーは少しだけ考える。そして──笑った。

 

「今さら?」

 

 その返事が妙におかしくてミッテルトは顔を伏せた。

 笑われたくなかった。今の顔を見られたくなかった。

 

──翼が小さく震える

──風のせいではない

──イッセーは気付いたかもしれない

 

 でも何も言わなかった。ただ黙って羽根を整え続ける。それがありがたかった。

 

 

 夜明けの光が空を染める。長かった夜が終わり新しい朝が来る。

 

 ミッテルトは空を見る。

 

──高い空

──広い空

──かつて嫌いだった場所

──恐れていた場所

──逃げ続けた場所

 

 けれど今は違う。あの空を飛びたいと思う。

 

──もっと速く

──もっと遠くへ

──片翼だから飛べないんじゃない

──片翼だからこそ飛べる場所がある

 

 欠けていたのではない。最初から自分だけの形だったのだ。

 そしてそのことを最初に教えてくれた男が隣にいる。

 ミッテルトは小さく目を閉じた。

 

──風が心地良い

──翼が軽い

──胸の奥も少しだけ

 

 だから彼女はもう、この翼を「欠けた翼」とは呼ばなかった。

 それは自分を空へ連れていく翼だった。自分の居場所へ辿り着くための翼だった。

 そしてきっと──これから先も誰よりも速く空を駆けるための翼だった。

 

〜fin〜




〜次エピソード〜

“私”と“妾”の九尾様

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