戦いが終わったのは夜明け前だった。
最後の魔物が討たれ残敵の掃討が完了し、ようやく戦場に静寂が戻る。
疲労の色は誰の顔にも浮かんでいた。
負傷者もいる。軽傷では済まなかった者もいる。
だが少なくとも──誰も全滅を想像しなくて済む結果になった。
◇
帰還の途──ミッテルトは隊列から少し離れて飛んでいた。
いつものことだ。今さら誰かの輪へ入る気もない。
けれど──今日は少し違った。
何人かの視線を感じる。横を通り過ぎる時こちらを見る者がいる。
目が合う──そして逸らされない
◇
「……」
不思議な感覚だった。今までとは違う。完全に壁が消えたわけではない。急に友人ができるわけでもない。そんな都合のいい話ではない。
けれど少なくとも以前みたいな視線ではなかった。
──欠陥を見る目ではない
──化け物を見る目でもない
それは──初めて向けられる種類の視線だった。
◇
基地へ戻り事後処理など慌ただしい時間が続く。
その中で──ミッテルトは何度か名前を呼ばれた。
それは驚きだった。今まではほとんど無かったからだ。
「お疲れ」
「………助かった」
「速かったな」
短い言葉ばかりだった。
それでも──胸の奥が少しだけむず痒い。
どう返せばいいのか分からない。だから曖昧に頷くだけだった。
気付けば空が白み始めていた。
長い夜だった──本当に長い一日だった。
◇
いつもの場所へ向かう。
訓練施設の屋上──静かな場所──誰も来ない場所。
ミッテルトのお気に入りの場所だった。
腰を下ろしようやく翼へ目を向ける。
「うわ……」
思わず声が漏れた。それもそのはず酷い有様だった。
羽根は乱れ何枚も抜け落ち、ところどころ裂けている。
無茶をした代償だった。
──だが嫌な気分ではない
──むしろ誇らしかった
──戦った証だった
──飛んだ証だった
──そして、自分自身で掴み取った結果だった。
ミッテルトは羽根へ手を伸ばし一本ずつ整えていく。
──昔から続けている作業
──落ち着く時間
──何も考えなくていい時間
──羽根の向きを揃える
──傷んだ部分を確認する
──乱れた羽並みを直していく
昔はこの時間だけが好きだった。
飛ぶことは嫌いだった。空も嫌いだった。翼も嫌いだった。全部嫌いだった。
だからせめて綺麗にしていた。せめて見苦しくないようにしていた。
けれど今は少しだけ違う。翼へ触れる指先が優しい。まるで大事なものを扱うみたいに。
実際そうだった。この翼があったから飛べた。この翼があったから戦えた。この翼があったから今日の自分がいた。
「やっぱりここにいたか」
声がした。それは振り向かなくても分かる聞き慣れた声。
「……またッスか」
「まただ」
イッセーだった。
当たり前みたいな顔で歩いてくる。当たり前みたいに隣へ座る。当たり前みたいに笑う。
もう何も言わない。言うだけ無駄だからだ。
どうせ来るこの男は。
◇
「怪我は」
「大丈夫ッス」
「嘘だな」
「なんで分かるんスか」
「顔」
「最悪ッス」
イッセーが笑いミッテルトも少しだけ笑う。そんな時間だった。
夜明けの風が吹く。少し冷たいが嫌ではない。
◇
「なあ」
イッセーが言った。
「ん?」
ミッテルトが反応する。気付けば自然に返事をしていた。
「楽しかったか?」
短い質問──けれど何を聞かれているのかは分かった。
──飛ぶこと
──戦うこと
──空を駆けたこと
全部ひっくるめてどうだったか──
ミッテルトは少しだけ考える。そして小さく笑った。
「……最高だったッス」
今度は迷わなかった。心からそう思った。
その答えにイッセーは満足そうに頷く。まるで自分のことみたいに。それがおかしくて。少しだけ笑ってしまう。
「貸せ」
イッセーが言った。
「……は?」
何のことか意味が分からない、だから聞き返す。
するとイッセーはミッテルトの手からブラシを取った。
思考が止まり数秒──本当に数秒、何が起きたのか理解できなかった。
「ちょっ」
「動くな」
「いや何してるんスか」
「見れば分かる」
分からない──全然分からない。
──ブラシが羽根へ触れる
──優しく
──丁寧に
──乱れた羽並みを整えていく
ミッテルトの身体が強張る。
『翼へ触れられる』
それは昔から苦手だった。
──嫌だった
──怖かった
──両親ですらあまり触らなかった
──医療班も最低限だった
──周囲は皆、気味悪そうに見た
だから翼だけは自分で手入れしてきた。誰にも触らせなかった──なのに
「……」
不思議なほど嫌じゃなかった。
ブラシが羽根を整える。傷んだ部分を避け絡まった羽根を解く。
──丁寧だった
──慎重だった
──まるで壊れ物を扱うみたいに
「……変ッスよ」
ぽつりと漏れる。
「何が?」
「アンタッスよ」
イッセーは少しだけ考える。そして──笑った。
「今さら?」
その返事が妙におかしくてミッテルトは顔を伏せた。
笑われたくなかった。今の顔を見られたくなかった。
──翼が小さく震える
──風のせいではない
──イッセーは気付いたかもしれない
でも何も言わなかった。ただ黙って羽根を整え続ける。それがありがたかった。
夜明けの光が空を染める。長かった夜が終わり新しい朝が来る。
ミッテルトは空を見る。
──高い空
──広い空
──かつて嫌いだった場所
──恐れていた場所
──逃げ続けた場所
けれど今は違う。あの空を飛びたいと思う。
──もっと速く
──もっと遠くへ
──片翼だから飛べないんじゃない
──片翼だからこそ飛べる場所がある
欠けていたのではない。最初から自分だけの形だったのだ。
そしてそのことを最初に教えてくれた男が隣にいる。
ミッテルトは小さく目を閉じた。
──風が心地良い
──翼が軽い
──胸の奥も少しだけ
だから彼女はもう、この翼を「欠けた翼」とは呼ばなかった。
それは自分を空へ連れていく翼だった。自分の居場所へ辿り着くための翼だった。
そしてきっと──これから先も誰よりも速く空を駆けるための翼だった。
〜fin〜
〜次エピソード〜
“私”と“妾”の九尾様
次の過去編 誰が見たい?
-
お狐様
-
盾
-
『僕』
-
夫婦
-
天災兎
-
因習村
-
スナイパー
-
重瞳
-
キャスター