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山の空気は、妙に静かだった。
静か──というより【死んでいる】
青年は足を止め耳を澄ます。
風の音、木々の葉が擦れる音もある。
だが、それだけ──鳥の囀りが虫の羽音、獣の気配もない。
生き物の気配だけが、綺麗さっぱり消えている。
「……気味悪ぃな」
ぽつりと吐き出した声が妙に大きく聞こえた。
人間界──平安京近郊
古くから妖や物の怪が跋扈する土地。
そんな中でも、この山は最近になって急激に噂が広がっていた。
妖怪が消え退魔師が戻らない。
そして山へ入った者が二度と出てこない。
──原因不明
──正体不明。
『だから調査してほしいんだよ』
それが少し前にサーゼクスに依頼したことへの見返りだった。
「絶対それだけじゃねぇだろ……」
青年──イッセーは頭を掻く。
経験上こういう依頼は碌なことにならない。
原因不明というのは、大抵の場合『調べた連中が全員死んだから分からない』という意味だ。
そして今、この山の空気はその予感を全力で肯定していた。
ふと視線を巡らせる。
すると木の根元に何か白いものが転がっている。
「骨……?」
それは獣の骨だった。
だが違和感を感じた。
【噛み砕かれた痕跡がない】
【肉を食われた様子もない】
まるで──【その場で突然死んだような】
さらに歩けば似たような骨がいくつも見つかった。
──狐
──鹿
──猪
どれも逃げる途中で倒れたような姿勢だった。
「……なんだこれ」
思わず眉を顰める。
殺されたのではない。捕食されたのでもない。
ただ恐怖から逃げ続け、そのまま死んだようなそんな痕跡。
ぞくり、と背筋が冷えた。
嫌な想像が脳裏をよぎる。
もしこれが本当に恐怖だけで死んだ結果なら。
この山には、それほどの存在がいることになる。
「ミッテルトとマシュは何してるんだろな──帰りたいな……」
小さく呟く。
だがもちろん帰らない。帰れるなら最初から来ていない。
だけど愚痴くらい言わせてほしい。
そう思いながら足を進める。
進むほどに空気が重くなる。
濃いが感じられる気配の種類は妖気──いや、妖気という表現ですら正しいのか怪しかった。
──もっと古い
──もっと根源的な何か
──理解できる枠組みの外側にあるような異質さ
本能が警鐘を鳴らしている。
──危険だ
──近づくな
──逃げろ
だが同時に、奇妙な感覚もあった。
──何かに呼ばれているような。
──導かれているような
──そんな感覚を
「……気のせいだよな?」
誰にともなく問いかける。
返事はない──当然だ。
だが──その時だった。
ふわり
風が吹いた──花の香り。春の夜を思わせる甘い香り。
山の中には不釣り合いなほど優しい匂い。
イッセーは顔を上げた──そして見つける。
木々の向こう──ひっそりと佇む古い社
人の手入れなど何百年もされていないはずなのに、不思議と崩れていない。
そしてその縁側に一人の女が座っていた。
──夕陽に染まる横顔
──漆黒の髪
──薄紅の着物
──白磁のような肌
それはまるで絵巻物から抜け出した姫君。
──現実感がない
──あまりにも美しい
──あまりにも完成されている
だからこそその瞬間──イッセーの全身を悪寒が貫いた。
理解してしまったからだ。
──あれは人ではない
──人の形をしているだけだ
──もっと古い
──もっと深い
──もっと恐ろしい
視線を向けられたわけでもない。敵意を感じたわけでもない。
それなのに──『逃げろ‼︎』と本能が絶叫していた。
──近づいてはいけない
──触れてはいけない
──知ってはいけない
それは人が触れていい領域の外にある。
──災厄
──神秘
──深淵
そんな言葉が頭をよぎる。
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