【理解】
──たったその二文字に対してそれはあまりにも遅く、あまりにも絶望的な形で妖怪達はようやく悟る。
──目の前にいる存在は獲物ではない
──餌でもない
──神秘の宝庫でもない
そんな生易しいものではなかった。
──災厄
──畏怖
──神話
「ひ……」
一体の妖怪が声を漏らす。それに触発されるように全ての妖怪の身体が震えている。
──逃げなければ
──逃げなければ死ぬ
本能が絶叫していた──だが身体が動かない。
──恐怖で
──威圧で
存在そのものが押し潰されている。
「ば、化け物……」
誰かが呟いたその瞬間女王の瞳が向く──ただそれだけ、本当にそれだけだった。
瞬きの間にその妖怪は潰れた。肉も骨も関係ない。存在そのものが握り潰されたように一瞬で跡形もなく消えた。
──静寂
誰も声を出せない──いや、出せないのではない。出そうと思えない。
絶対者を前にした本能が全てを諦めていた。
「……くだらぬ」
女王が呟くそれは冷たい声だった。千年の氷よりも、深海よりも冷たい。
「貴様ら如きが妾を喰らうなど」
──ゆっくりと歩く
──一歩
──また一歩
そのたびに妖怪達が悲鳴を上げた。空間そのものが重くなる。押し潰されるのに耐えられない。
「思い上がりも甚だしい」
──絶望
その言葉が最も近かった。戦いですらない。勝負にもなっていない。女王は最初から最後までただ立っているだけだった。
──それだけで終わる
──それだけで滅ぶ
あまりにも圧倒的だった。そして──妖怪達の心は崩れた。
──欲望が砕ける
──野心が砕ける
──勇気が砕ける
──残ったのは畏れだけ
「逃げろォォォォッ‼︎」
誰かが叫んだ──それを合図に妖怪達が一斉に背を向ける。
雪崩を打つように森へ飛び込む。我先に少しでも遠くへ、少しでも早く。
──生きたい
──死にたくない
ただそれだけだが女王は見ていた。そして興味なさそうに呟く。
「本来なら塵一つ残さず滅ぼすところじゃが────興が削がれた」
夜風が吹き月光が黒髪を照らす。そのまま視線が動きイッセーを見る。
ほんの一瞬──それだけだった。だが、女王自身も気づいていない。
その判断が普段ならあり得ないものだったことに。
次の瞬間袖が翻る──ただそれだけ、それだけで妖怪達は吹き飛んだ。
──絶叫
──悲鳴
──木々が砕ける音
──山の彼方へ消えていく影
そして訪れる静寂。再び夜が戻り風だけが吹いていた。
終わりは本当に一瞬だった。イッセーはようやく息を吐く。
──冷や汗が止まらない
今の光景をどう表現すればいいのか分からない。戦いではなかったあれは災害だった。
生物が嵐へ勝てないように妖怪達も勝てない。ただそれだけそして──
「……っ」
不意に女王の身体が揺れた。本当に僅かだが確かによろめいた。
「おい!」
イッセーは反射的に駆け出していた。考えるより早く身体が動いていた。
倒れてしまうそう思った──だから支える
そして抱き留めた。女王は驚くほど軽く、驚くほど細かった。
──世界を支配する怪物
──山を震わせる災厄
そんな存在とは思えないほど華奢だった。そして、イッセーに受け止められたことに女王の身体が僅かに強張る。
──時間が止まる
──風も音も
──全てが遠くなる
女王は何が起きたのか理解できなかった。
──妾へ触れた
──この男は、妾へ触れた
数千年そんな者はいなかった。触れようと思う前に膝をつく。触れようとする前に恐怖する。触れようとした者は死ぬ。
それが当然、それが世界だった。なのに何故──
「……何故、触れる」
ぽつりと低い声が漏れる。だがそこに怒気はなかった。
──純粋な疑問
本当に理解できないことに対してのそんな響き。
「何故って──倒れそうだったろ」
「妾にそのような心配は不要じゃ」
「いや必要そうだったけど⁉︎」
女王は沈黙しじっと見上げる。イッセーの瞳──そこに映る自分。
この男は本気で言っている。
──打算もない
──恐怖もある
だがそれでも手を伸ばした。女王には理解できなかった。理解できないからこそ気になる。
そんな感情がほんの微かに生まれ始めていた。
「……変な男じゃ」
女王は小さく呟く。そして、ふっと張り詰めていた空気が消えた。
夜を覆っていた威圧が薄れる。絶対者の気配が遠ざかる。
女王の瞳が閉じる。代わりに別の光が戻ってくる。
──柔らかな
──温かな
──少女のような光が
「……あれ?」
羽衣乙女が瞬きをした。きょろりと辺りを見回す。
そして──自分が抱き留められていることに気づいた。
──数秒
理解が追いつかない。
──停止
──沈黙
そして──
「…………え?」
顔が赤くなる──耳まで真っ赤になる。
「え?」
もう一度今度は震えた声で。
「えぇぇぇっ⁉︎」
山に悲鳴が響いた。
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