「また止めたな」
ある日の訓練後開口一番、イッセーはそう言った。
ミッテルトは眉をひそめる。
「何がッスか」
「最後の加速」
「……」
「お前、途中で止めただろ」
「気のせいッス」
「気のせいじゃない」
最近はもう慣れてきた。
イッセーは妙なところで鋭い。
普段は大雑把なのに肝心なところだけ見逃さない。
「記録見てたけどさ」
イッセーは訓練場を指差した。
「お前、毎回同じ辺りで加速を切る」
「……」
「限界じゃないだろ」
ミッテルトは答えなかった。
否、答えられなかった。
限界ではない。
そんなことは自分が一番知っている。
もっと速く飛びもっと加速できる。
そしてもっと前へ行ける。
だが──そこから先が怖かった。
◇
昔のことだった。
まだ訓練生になったばかりの今より幼かった頃。
周囲の言葉に反発していた時期。
『欠陥』
『失敗作』
『飛べない片翼』
悔しかった──だから飛べると証明したかった。
誰よりも速く飛べると。
そんなある日──無理やり限界まで加速した。
初めて全力を出した──その結果、制御を失った。
景色が消え風が消えた。
上下の感覚が消え──気付けば森へ墜落していた。
翼は裂け、骨も折れた。
死んでもおかしくなかった。
そしてあの日──周囲が向けた目を今でも覚えている。
心配ではなかった。
尊敬でもなかった。
それは恐怖だった。
化け物を見る目だった。
あの時からだ。
ミッテルトが無意識に限界を封じるようになったのは。
◇
「……別に」
ミッテルトは視線を逸らした。
「そんなことないッス」
「ある」
「ないッスよ」
「ある」
「………ないッス」
「ある」
「……子供ッスか」
「お前もやってるだろ」
それを言われると弱い。
ミッテルトは小さく舌打ちした。
イッセーはそれを見て少しだけ笑う。
そして不意に真面目な顔になった。
「怖いのか」
静かな声──だからこそ胸に刺さった。
「……」
「全力を出すのは」
答えない。
否、答えたくない。
認めたくない──けれど沈黙は肯定だった。
イッセーは追及しなかった。
しばらく風の音だけが続く。
やがて──
「まあ当然か」
──ぽつりと呟いた。
ミッテルトは少し驚く。
否定されると思ったから。
臆病だとか情けないとか………そう言われると思ったから。
だがイッセーは違った。
「怖くない方がおかしい」
「……」
「墜落したことあるんだろ」
ミッテルトが顔を上げる。
「なんで」
「なんとなく」
『なんとなくで当てるなッス‼︎』──そう言いたかった。
でも当たりすぎていたから言えなかった。
◇
それから数日、イッセーは何も言わなくなった。
飛べとも言わない。
全力を出せとも言わない。
いつも通り訓練を見て、感想を言って馬鹿みたいな話をして笑うだけ………
それが逆に気になった。
「……何か言わないんスか」
ある日、とうとうミッテルトの方から聞いてしまった。
「何を」
「その………」
言葉に詰まる。
聞きたいのに聞きたくない。
そんな妙な感覚。
「全力出せとか」
イッセーは少し考えた。
「今はいい」
そう言った。
「……は?」
「無理やりやっても意味ないだろ」
当たり前みたいに言う。
「お前が飛びたくなったら飛べばいい」
「……」
「別に急がない」
その言葉にミッテルトはなぜか胸が苦しくなった。
責められなかったからだ。
期待されているのに失望されない。
焦らされない──待ってくれている。
その事実が妙に温かかった。
◇
その日の帰り空は珍しく晴れていた。
雲一つない夜空に月が浮かんでいる。
ミッテルトは一人で屋上へ上がった。
いつもの習慣。
いつもの時間。
だが今日は違う──何となく空を見上げる。
──高い
──遠い
──そして広い
昔は飛ぶことが好きだった。
誰よりも速く駆けることが──でも、怖くなったのはいつからだろう………
「……」
片翼を広げる。
月明かりが羽根を照らす。
昔の墜落でできた傷跡が見えた。
今も残っており完全には消えない。
まるで自分みたい──そんなことを思った時だった。
「いた」
聞き慣れた声。
振り向かなくても分かる。
「またッスか」
「まただ」
当然みたいな顔で隣へ来る。
もう驚かない。
慣れてしまった。
「何してる」
「翼の手入れッスよ」
「知ってる」
「じゃあ聞かないでほしいッス」
「それもそうだな」
少し笑う。
それを包むかの様な優しい風が吹く。
不思議と気まずくない。
最初の頃なら考えられなかった。
誰かと何も話さず同じ時間を過ごすなんて。
だが今は違う。
ただ隣にいるだけで落ち着く──そんな相手になっていた。
しばらくしてイッセーが空を見上げた。
「なあ」
「何スか」
「本気で飛んだら、どこまで速いんだろうな」
ミッテルトの手が止まった。
またその話か──そう思った。
だが、不思議と嫌ではなかった。
「知らないッスよ」
「知りたい」
「自分で飛べばいいじゃないッスか」
「無茶言うな」
イッセーは笑った。
そして──少しだけ真剣な声で言う。
「俺は見てみたい」
その言葉にミッテルトは何も返せなかった。
ただ空を見上げる。
夜空は静かだった。
月が浮かんでいる。
遠く──とても遠く。
けれど、今なら少しだけあそこまで飛べる気がした。
その言葉が妙に残った。
『俺は見てみたい』
ただそれだけの言葉だった。
命令でもない。
期待を押し付けるものでもない。
ましてや激励ですらない──ただの願望
ただの興味──なのに………
ミッテルトの胸の奥へ深く沈んでいった。
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