現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話 作: トウコ
桃弓木との生活を終えることになり、旅の支度をしている時。
ふと、思い出した。
岩子とその伴侶は、今どうしている
のだろう。
何度か化け烏が手紙を運んで来たが、その時は定住はしていないようだった。最後に受け取ったのは、桃弓木の出征を見送った後。
気付けばその便りから、もうじき十年は経つ。落ち着ける場所は見つかったのだろうか。
秘境や異界にいるのかもしれない。
抽斗通りもそうだが、異界に引っ込むと、時間の流れが曖昧になるから。
今度の旅は国内を巡りながら二人を探し、訪ねてみよう。お土産は何にしようか。
――そんなのんきなことを、考えていた。
きっと妖怪の集まりで会える。あの二人は目立つので、足跡を辿れるはず。
そう思っていた当ては外れ、どこへ行っても二人の姿は見えない。
その場にいる者たちに聞いても、幽霊族の夫婦はここ何年も、どこの集まりにも顔を出していないと言う。
ざわつく胸中をなだめるように、二人と顔を合わせた場所を全て探した。
それでも、見つからない。
あの二人を知る者に会えば、言伝を頼んだ。
そうして各地を巡る内――二人は戦後の混乱の最中ではぐれ、残された岩子の伴侶は妻を探し回っていることを知った。
「何があったというの……」
岩子が自分の意思で伴侶の前から姿を消すはずがない。
ならどうして――
かつて聞いた昔話が脳裏によぎる。
――幽霊族は、人に狩られて数を減らした。
まさか。
岩子がただの人間相手に後れを取るとは思えない。だとすると術師――その中で妖怪専門となると、数は絞られる。
探すには、界隈の事情に明るい人間の協力者が必要だ。桃弓木に相談し、猫附家と鵺神社に渡りをつけてもらう。そう考え、東京へと引き返すことにした。
この時、旅立ってから既に三度、季節が巡っていた。
東京に着くと、桃弓木を訪ねる前に、私は便りを受け取った。
しわの寄ったわら半紙に、よれた文字。
かつての、香水を振りかけたレターセットに書かれたものとは全く違う――岩子の字。
手紙を開くより先に、それを運んできた化け烏を捕まえる。
「これを書いた者のもとに案内して、今すぐに」
先行する化け烏を追いかけながら手紙を開いた。
震える手でやっと書いたような文字に、眉根を寄せる。
それは別れの手紙だった。
長らく便りを送れず、再会の約束を果たせない不義理への詫び。
人に捕らえられ、薬の材料にされていたこと。そこから夫とその友人に助け出されたものの、夫婦共に満身創痍で、余命いくばくかもないこと。
共に過ごした日々への礼で締めくくられた手紙を、強く握りしめる。
――このようなものが欲しくて、約束をしたのではない。
化け烏が案内したのは、寂れた廃寺だった。
長く人の手が入った様子のない佇まいだが、薄く灯りがついている。
化け烏が壁の穴から中へ入って行くと、奥から話し声が聞こえた。
やがて戸の向こう側でガタンガタンと音がして、戸が勢いよく開いた。
「額月……」
くぐもった声で私の名を呼ぶ、全身を包帯で覆った大男。その赤い瞳を見つめ返す。
「こんばんは。約束通り、岩子とあなたに会いに来たわ」
通された室内は、外観と変わらぬ荒れようだった。
軋んだ柱に、畳のないむき出しの床板は湿っていてカビ臭い。壁にも屋根にも穴が空き、雨風もろくにしのげないことが見て取れた。
二人のあの温かな家とは、何もかも違う。
それでも――
そこに、岩子がいた。
床に申し訳程度の古布を敷き、座ってこちらを見る彼女を見つめ返す。
「額月さん……」
痩せ細り、容貌も変わっている。でも、その声と瞳は確かに彼女のものだ。
身を支えるように床についた手の薬指には、あの白い指輪があった。
正面にゆっくりと座り、向かい合う。
「久しぶりね、岩子。手紙を読んだわ。あなたが詫びることはない。こうして会えたもの」
その言葉に、岩子は眉を下げて目を細めた。
「……ええ、そうね。また会えて、嬉しいわ」
こうして、私たちは再会を果たした。
屋根の穴から月明かりがさし、薄明るい室内。
三人で床に座り、手紙に書かれていた出来事の詳細を聞いた。
――哭倉村のことは新聞で報道されて知っていたが、まさかそのような真相だったとは。
何と業の深い。
聞くだけで胸が悪くなりそうな所業に、膝の上で握った手が震える。
固く目を瞑り、小さく、長く息を吐く。感情を押し込めるように、呼吸を整える。
顔を上げ、岩子とその伴侶を見た。
「……事情はわかったわ。私が力になれることがあるなら、何でもさせて」
本当に何でも叶えるつもりだった。二人が願うことは、何でも。
そんな私を見て、岩子と伴侶は顔を見合わせる。そして静かに笑った。
口を開いたのは岩子の伴侶だった。
「わしらはもう長くない。それでも……叶うことなら、妻と、生まれてくる我が子と、静かに暮らしたい」
ささやかで、切実な願い。
「……うん、わかった。なら、私は私にできることをするわ」
二人に背を向け、旅の荷物を急いで解く。
着替え、寝床に使える敷布、調理器具、保存食を全て取り出す。
こんなものでは到底足りないが、ないよりはましだ。
「これを使って。岩子はもっと着込んで。夏でも夜は冷えるでしょう。夕飯はまだよね。台所を借りるわ。二人とも横になって待っていて」
一息でそう言い切ると、返事を待たずに台所へ駆け込んだ。手持ちの材料で、可能な限り食べやすく滋養のある雑炊を作る。
それと並行し、すぐに用意できる物・すぐに用意できないが必要な物・それらを用立てる方法や手順について思考を巡らせた。
そうやって手と頭を動かしていないと、何かが壊れそうだと思った。
再会する前から胸に抱えていた焦燥は、今や全く別のものになっている。
それでも、会えた。
二人は今ここにいる。
二人に食事を出すと、私は物資の調達に向かった。この時間なら、急げば間に合うだろう。
自身に目くらましの幻術をかけ、屋根から屋根へ跳ぶように夜の街を走る。
抽斗通りへ飛び込み、もぐら湯の暖簾を下ろす桃弓木の背中に勢い余ってぶつかった。
「桃弓木!」
「だ!? 何だ、え、額月?」
桃弓木は背中をさすりながら振り向き、目を見開いた。
「ぶつかってごめんなさい。突然だけど、預けてた布団ってまだあるかしら」
「え、あるけど。え、何で? うちに泊まるのか? 旅はどうした」
「泊まらないわ。旅は止めた。布団が入用なの。あと一緒に暮らしてた時の――」
「ちょっと待て、落ち着いてくれ。どうしたんだ」
困惑した桃弓木になだめられ、自覚しているよりも冷静さを欠いていることに気が付いた。
「……ごめん」
「いや、いいけどよ。まあ、入れよ」
桃弓木は頭をわしわしと掻きながら、戸を引いた。
促されて中の縁台に座ると、桃弓木は正面に屈みこちらを見上げる。
「で、何があった? 最初から話してくれ。ちゃんと聞くから」
「……うん」
張りつめていたものが、桃弓木の姿を見た瞬間に、緩んでしまった。
きっと、ここで二人のことを伏せても、鋭い彼はいつか真相にたどり着いてしまう。
深くため息をつく。
「実は――」
私は桃弓木に、旅に出てから今までの出来事を話した。
桃弓木の顔が次第に暗くなっていく。
それでも話した。岩子とその伴侶の身に降りかかったことも、全て。
聞き終えると、桃弓木は顔を上げた。
「……わかった! それなら、俺たちが暮らしてた家のものは全部持って行ってくれていい。足りない物があれば作るから言ってくれ」
「それは……桃弓木が今使っているものだってあるでしょう」
「どうとでもなる。元はお前のものでもあるし、気にするな。俺は大丈夫だ」
桃弓木はきっぱりと言い、立ち上がる。
「当面必要な物だけでも、けっこうな量だよな。大八車でも使うか?」
「……あれ、今時はリヤカーって言うのよ」
「あー、そうだったか。言葉の移り変わりが激しくて、俺はもうついて行けねぇよ……」
「あなた、ここ百年ずっとそれ言ってるわ」
そんな何でもない話をしながら、二人で荷物を手早くまとめて荷車に乗せる。
深夜までかかりながら、何とか家財一式を積み込めた。夜逃げの様相である。
「……本当に一人で平気か?」
「ええ、大丈夫。荷車に乗せてしまえば楽だわ」
「お、リヤカーな」
「ふふ、そうね」
大きいリヤカーを引いて歩く足取りは、何も持たずに来た時よりもずっと軽かった。
廃寺に戻ると、まだ中で薄明りがついていた。戸を開けて入ると、岩子は敷布の上に座って縫物をしている。その隣には、岩子の伴侶が壁にもたれていた。
「ただいま、岩子。ひとまず当面必要そうなものだけ持って来たわ」
「おかえりなさい」
岩子が顔を上げる。
その声に反応して、伴侶も立ち上がろうとした。
「休んでいて良かったのに」
「この時間が動きやすいんじゃよ。人目を気にせんでいいからの」
そう言って外へ出た彼が、リヤカーの前で立ち止まる。
山と積まれた荷物を眺め、それから私を見る。
「額月よ……おぬし、夜逃げでもしてきたのか」
「違うけど、そう見えるわよね」
荷解きを始めると、岩子が一つ一つ手に取って、置き場所を考えていく。
私は荷物を運び込み、岩子の伴侶が重いものを持とうとするたび、岩子に止められた。
「あなたは座っていて」
「これくらいならできる」
「駄目よ」
「……あいわかった」
そして荷物の底から食器を取り出したとき、岩子の手が止まった。
「ねえ、あなた。この急須と湯飲み、うちにあったのに似てるわ」
「おお、本当じゃ。懐かしいの」
二人が顔を寄せて、しばらくそれを眺めている。
「……あれは、あなたが割ったんじゃなかったかしら」
「わしではない」
「あなたよ」
「いや違う、あれは猫が――」
仲睦まじく食器類を分ける二人。
月が傾き廃寺の中は暗い。なのに二人の様子はまるで明かりが灯ったよう。
気づけば、私も笑っていた。
ふと顔を上げると、微笑む岩子と目が合う。
「……“古馴染み”さんに会ってきたのね」
その言葉に目を瞬かせた。
「ええ。どうして分かったの?」
「あなたが、とっても良い顔をして帰ってきたから」
岩子はころころと声を上げて笑った。
私にできることは何でもする。
そう宣言したものの、実際にしていることは本当にささやかなことだ。
数日かけて家財や物資を運び、廃寺で暮らすための最低限の環境を整えた。
岩子たちは、それだけで十分に暮らしを切り盛りすることができた。
ならばそれ以上の手出しは野暮というもの。二人の生活を邪魔するつもりはない。
その後は定期的な食材や生活用品などの差し入れをするに留めていた。
それでも――もし二人が、何としてでも生きたいと望んだのなら。私は持てるものを全て使い、手を尽くしただろう。
質の良い綿布を手に入れたので、差し入れに来た日のこと。
私と岩子は、並んで針仕事をしていた。生まれてくる子のための産着を縫っている。
肌触りが良いように縫い目は外側に。脱ぎ着させやすいよう紐を縫い付ける。
岩子は針子の仕事をしたことがあり、作り方をよく心得ている。私もそれに習いながら針を動かした。
「ここの縁にレースをつけてみようかしら」
「華やかね。……前に、お腹の子は男の子な予感がすると言っていたけど」
「ええ!とっても可愛いでしょう」
「そうね、可愛いわ」
お喋りをしながらの針仕事は、小さな笑いが絶えない。
張り切って布地を雑巾にもできぬありさまにした岩子の伴侶は、妻に針を取り上げられた。
今は肩を落として、糸くずや切れ端を片付ける仕事に従事している。
「それだけあれば十分じゃろう」
「そうかしら。子供というのは、あっという間に大きくなると聞くわ。大きさを変えてさらに量産した方がいいのでは」
きっと産着やおむつは、どれだけあってもいい。
横からのぞいてくる岩子の伴侶と、二人して真剣に広げた布を眺める。
「ううむ、そうか。我が子に寒い思いをさせるわけにもいくまい。季節ごとに布地の厚さも変えてはどうじゃ」
「なら、好きな色もわからないし、色違いでたくさん……」
「よい考えじゃ」
「……あなたたち?」
岩子の朗らかな声に、私と岩子の伴侶は背筋を伸ばす。
「産着は少し大きめに作って、薄手のものを重ね着させたら十分暖かいの。その方が調整もしやすいわ」
「確かに、それもそうだわ」
「うむ、流石は我が妻。聡明じゃ」
「――でも」
岩子が手にした布を広げて笑う。
「これなら、少し余った布で共布の帽子を作れるわ」
「それは良いのう」
岩子の伴侶の顔がぱっと明るくなった。
「額月さん、どう思う?」
「素敵。とても良いと思うわ」
「そうでしょう」
三人で小さな布を覗き込む。
岩子たちは弾んだ声で生まれてくる我が子のために、あれこれと話す。
――その姿を、いつまででも眺めていたかった。
皆で夕餉の鮎の塩焼きを味わっている中、岩子の伴侶はしみじみと言った。
「……やはり、二口三口で食べるものではないのう」
「水木さんの話?」
岩子は微笑ましげに伴侶を見る。
「うむ、あやつはとんでもない早食いでのう……あれでは飯の味もわかるまいよ。それでいて良い酒は大事に飲むんじゃ。墓場で天狗の仕込んだ酒を飲んだ時は――」
水を向けられ、岩子の伴侶は饒舌になった。
哭倉村で出会い、岩子の救出に共に尽力した水木という人物の話は、これまでも何度か聞いた。
新聞に載っていた、哭倉村事変唯一の生存者――呪いや怨念の渦巻く窖の底に、一般人が入り、生きて出てきた。そして衰弱した岩子を抱えて、狂骨に追われながら村の外まで走ったのだと言う。
端的に聞けば、とんでもない人物である。
もっとも人間に対し隔意のある岩子の伴侶が、相棒、わが友と呼ぶほどの者だ。ただの人物ではあるまい――そう思っていた。
しかし、岩子の伴侶から楽しげに語られる水木という人物は、本当に、ごく普通の男性だった。
特別に良い人間というわけではない。それでも、根が善人なのだろう。傷を抱えて必死に生きながら、重要な場面で人の為に動いてしまう、そういう人。
水木の話を聞いている間に食事は終わり、私と岩子は片付けを済ませ、食後のお茶を入れた。
それでも話は終わらない。今日はいつになく興が乗っているようだ。
「――そしてな、わしは思ったのじゃよ。親しきものから呼びかけられる名があるのは、存外良いものじゃと。であるからして――」
“ゲゲ郎”という呼び名は、水木がつけたのだと言う。独創的な名付けだ。
岩子は『かわいらしいわ。蛙の鳴き声みたいで』と笑った。それに対し『うむ、蛙は好きじゃ。目玉が一等美味い』と嬉しげに話す岩子の伴侶。
……本人が喜んでいるのなら問題あるまい。
「――額月よ、聞いておるのか」
「ええ。もちろんよ、ゲゲ郎」
神妙な顔で頷くと、岩子の伴侶――ゲゲ郎は胡乱な目でこちらを見る。その横で、岩子はくすくすと笑った。
「……聞いておるならよい」
ゲゲ郎は小さくため息をついて、言葉を続けた。
「それで、生まれてくる我が子に名を付けようと思うたのじゃ」
彼はいつも一番最後に重要なことを話す。
「そうなの。もう決まっているの?」
岩子の方を見ると、お腹を撫でながら頷いた。
「ええ。聞いてもらえるかしら」
「是非、聞きたいわ」
私は湯呑みを置いて居住まいを正した。
ゲゲ郎は岩子を見て、岩子も目を細めて見つめ返す。二人の重ねた手が、岩子のお腹の上に置かれた。
そしてゲゲ郎は咳ばらいをし、こちらを見た。
「鬼太郎。それが、この子の名じゃ」
「そう。そうなの……その子は、鬼太郎と言うのね」
大切に、噛み締めるように、その名前を口にする。二人の子――鬼太郎に会える日が、もっと楽しみになった。
こうして夏は穏やかに過ぎていった。