現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話 作: トウコ
リリリ……リリリ……と虫の鳴く夜。住宅地から外れた、廃寺へ向かう細い道を歩く。
今日は良い秋刀魚と栗が手に入ったので、差し入れに行くことにした。
旬のもので、二人の食欲が増してくれたら良いのだが。
少し冷えた夜風が吹き抜け、草木を揺らす。
秋も深まってきた。
そろそろ厚手の布団や羽織ものを調達しよう。火鉢と行火も必要だろう。
そんなことを考えていると、道の向こう側から人が走ってくるのが見えた。
茂みに姿を隠し、その人物を観察する。
中肉中背の男。齢の頃は三十前後。左目と左耳の傷痕。月に照らされた端正な顔立ちは、青ざめている。
その特徴は、ゲゲ郎の話で何度も聞いた人物のものと一致していた。
泡を食ったように走り去る男を見送ると、茂みから出る。足早に廃寺へ向かった。
草むらで膝と手をついて項垂れるゲゲ郎と、伴侶を労わる岩子を見つけた。
荷物を置いて外套を脱ぎ、岩子の肩に掛ける。
「ゲゲ郎」
声を掛けると、彼はのろのろと顔を上げた。
「額月か……」
「ええ、こんばんは。ここは風が冷えるわ。中に入りましょう」
ゲゲ郎は岩子の方を見て、岩子は眉を下げて頷く。
「……ああ、そうじゃな」
そう言ってゲゲ郎はよろよろと立ち上がり、岩子に手を差し伸べる。そうして二人が寄り添い、支え合いながら歩いていく後ろ姿を見つめた。
持ってきた食材を台所に置くと、以前置いて行った食材が、日持ちするものを中心に半分以上残っているのを見つけた。
目を伏せて、鮮度の落ちたものを回収し、新鮮なものと取り替える。
次は調理する手間の少ない、口にしやすいものを持って来よう。
居間に戻ると沸かした湯でお茶を入れ、畳の上に座る二人の前に置いた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう、額月さん」
岩子は礼を言って湯呑みを手に取り、掌を温めるように持った。
ゲゲ郎は肩を落とし、湯呑みに手もつけずに俯いている。
「先ほど、こちらから走ってくる男性とすれ違ったわ」
「そうだったの……水木さん、ちゃんと帰れたかしら」
岩子が心配げに呟く。
やはり、先ほどの男は水木だったようだ。
そもそも二人がこの廃寺に居を構えたのは、水木の家から近く、人が寄り付かない場所だったからなのだと言う。
日中は化け烏に様子を見守らせ、時折自ら夜の闇に紛れて様子をうかがっていたのだと、ゲゲ郎は重い口を開きポツポツと話した。
そうして、ゲゲ郎は水木が退院し、仕事に復帰した姿を見て、心を失わずに済んだことを知った。
それならば再会も叶うのではないかと、霊魂を操り水木をここへ誘導したのだと。
……生き別れになった友人が心配なのは理解できるが、行動が怪異のそれである。
「それで、今夜ここへ?」
「ああ……じゃが、あやつはわしの姿を見るや大声を出して走り去ってしもうた。やはり、記憶を失っておるのじゃろう……」
それを聞き、新聞の記事の内容を思い返す。水木は哭倉村での記憶が一切ないと証言していた。どうやら、それは真実だったらしい。
重い空気の中、ぽつりと岩子が呟いた。
「とっても大きな声だったわね……」
三人で顔を見合わせる。
「……そうじゃな、腹から声が出ておった」
「すれ違った時、林の中を少しも躓かずに走り抜けていったわ」
ゲゲ郎も思い返すように言い、私も見たことをそのまま伝えた。
「あなた。水木さん、元気そうでしたね」
「うむ、そうじゃな。ならば、よいか……まったく薄情な奴じゃ」
そう小さく呟きながら、ゲゲ郎の表情は穏やかだった。
その横顔を見つめる岩子と目が合い、そっと微笑みあった。
外では、秋の虫が鳴いている。
深まりゆく夜の冷気が、障子の隙間から静かに忍び込んでいた。
雪がちらつくようになる頃には、私は毎日顔を出すようになっていた。
寒くなるにつれ、二人は床についている時間が長くなった。
食は更に細くなり、無理に食べるともどしてしまう。
岩子は生まれてくる子のためと、それでも食べた。そして、体力を少しでも温存しようと眠った。
ゲゲ郎もそんな妻にならい、一日のほとんどを眠って過ごしている。
どちらも時々目を覚ましては、少し私と話して、また眠る。
そして、眠りにつく前には、横で眠る伴侶を愛おしげに眺めていた。
積もった雪が溶けだし、冬の終わりが見えはじめた日。
その日は、岩子が早朝から起きていた。
「岩子、起きていて大丈夫なの」
「ええ、何だか調子が良いみたい。だから、とってもお喋りがしたいわ。付き合ってくれる?」
「もちろんよ。朝ごはんにしましょう。すぐに支度するわ」
久しぶりに一緒に食事をすることができた。
食事中は、初めて会社で会った日のこと、かつて共に見た映画、お揃いで仕立てた服の話など、会話はころころと変わりながら弾む。まるで会社の昼休みのようだった。
「――ああ、やっぱり額月さんって楽しい。こうして一緒にご飯が食べられて嬉しいわ」
「私も嬉しい。次は何が食べたい?何でも作るわ」
「本当?なら……今はお腹がいっぱいで考えられないわ」
可笑しそうにふき出して、ころころと笑う岩子につられて私も笑う。
窓から差し込んだ陽光が、岩子の笑顔と白い指輪を照らす。
気がつけば、随分日が高くなっていた。
「岩子、そろそろ休んだ方が良いわ」
「そうね、そうさせてもらうわ……」
岩子は布団に身を横たえ、隣の伴侶を見て微笑む。そして目を瞑った。
「額月さん、ありがとう」
「おやすみなさい、岩子」
――それが岩子と交わした最後の会話だった。
岩子がもう息をしていないと気付いた時、彼女は穏やかな顔で伴侶に寄り添うように眠っていた。
――そして、ゲゲ郎も。
彼は、再会した時から、どうして命を失わずにいるのか不思議なありさまだった。
国を滅ぼすほどの怨念をその身に引き受け、生きながら肉体が朽ちていく。その苦しみは、どれほどのものだったのだろう。
「おやすみなさい、ゲゲ郎……」
そう声を掛け、そっと白布をゲゲ郎の顔にかけた。
次に岩子の身を清め、髪を整えた。そして彼女が一番気に入っていた着物を着せて、再びゲゲ郎の隣に寝かせる。
膨らんだお腹の上で組ませた岩子の指で、指輪がきらりと光る。
ゲゲ郎からそれを贈られた翌日、彼女が輝くような笑顔で見せてくれたことを思い出す。
あの指輪は変わらずそこにある。
「ねえ、岩子……」
返事はない。
それだけだった。
薬指の白い指輪だけが、夕方の光を返していた。
日が陰り、辺りが薄暗くなるまで二人の前に座っていた。
何かが起きたという実感が、どこにもなかった。
それでも二人を弔ったらここも片付けねば。立ち上がり、凪いだ心で家の中を見回す。すると戸の前に人の気配を感じて、素早く身を隠した。
戸の隙間から中をうかがってくる、その顔に見覚えがあった。
水木。
「あの、ごめんください……」
彼はおそるおそるといった様子で中に踏み入り、声を掛けてくる。そして、眠っている二人に息がないことに気付き、ハッと息をのんだ。
水木は痛ましげに眉を寄せる。そして沈痛な面持ちで二人の前で膝をつき、黙祷した。
私はその様子を、幻術で姿をくらませながら見ていた。彼がどういうつもりで、今日ここを訪ねたのかはわからない。
しかし、水木が二人を覚えていなくとも、きっとゲゲ郎と岩子は水木に会いたいだろう。その邪魔をするつもりはない。
やがて水木は顔を上げ、意を決したように岩子を抱き上げた。そして、そのまま外へと出ていく。
私はその後を追った。
いざとなれば岩子を取り返すつもりだった。しかし、そうはならなかった。
水木は岩子を墓地まで連れて行き、そこで彼女を埋葬しはじめた。
「ああいう男なのじゃよ……」
背後からした声に振り向く。誰も居ない。
「額月、こっちじゃ。下じゃ」
そう言われて視線を少し落とす。墓石の上で、ぴょんぴょんと、手足のついた目玉が跳ねていた。
こちらの目玉が零れ落ちるかと思うほど目を剥いた。
ゆっくり手を差し出すと、それは身軽にぴょんと私の掌の上に乗る。そして、じっと赤い瞳でこちらを見つめてきた。
もしかして――
「……ゲゲ郎?」
「うむ、いかにも」
腕を組み、鷹揚に頷く仕草には見覚えがあった。あるのだが、何がどうしてそうなったのか。確か以前『友と我が子の未来をこの目で見てみとうなった』とは言っていたが。幽霊族は目玉だけで生きていられるのか。
目を白黒させる私をよそに、目玉は静かに岩子を埋葬する水木を眺めていた。
その姿を見て、知らず息をつく。
――ああ、ゲゲ郎だ。
やがて埋葬が終わり、空が泣き出したかのように雨が降ってきた。
暗い雲の向こうで雷光が走り、遅れて轟音が響く。その中に、赤子の産声が聞こえた。
「まさか……」
ついさきほど盛られた土の中から、赤ん坊が這い出てきた。水木は身を固くして、その子――鬼太郎を見ている。
鬼太郎は泣きながら水木に這い寄り、水木は引きつった表情で鬼太郎を持ち上げた。彼は何か、口の中でぶつぶつと呟いているようだ。動きが小さく唇が読めない。一体何を言って――
刹那、水木は鬼太郎を高く振り上げた。その視線の先は、墓石の角。
――させない!!
「待て!」
動こうとした瞬間、手にしがみつくゲゲ郎に制止された。
「何故!」
噛み付くように言うと、ゲゲ郎はじっと水木を見ている。
「頼む……」
切実な声に、私は口を噤んだ。そして、ゲゲ郎と同じ先を見る。
水木は、振り上げた鬼太郎を、ゆっくりと下ろした。そして雨の降りしきる中、大切なもののように鬼太郎を抱きしめた。
肩の力が抜ける。
――あの人は、本当にゲゲ郎の話していた水木だったのだ。
雨は降り続ける。
岩子はいなくなった。ゲゲ郎は身体を失った。
それでも――残ったものがあった。
二人が大切にしたものたちは、ここにいる。
水木が鬼太郎を抱いて去った後も、私たちはそこにいた。
「額月よ」
「何、ゲゲ郎」
ゲゲ郎は再び墓石の上に飛び乗り、こちらを見上げた。
「感謝する。妻との最後の時間は、まことに穏やかなものであった。水木のことも、よくこらえてくれた」
「うん……あなたは、これからどうするの」
「倅と友の行く末を見守るとしよう。……おぬしも、おぬしを待つものの元へ帰るがよい」
そう言って彼は化け烏を呼ぶ。
そしてその背に乗ると、雨煙の中へ飛び去って行った。
「帰る……」
ぽつりと呟き、墓場の暗く細い道を歩き出す。
雨に散々降られ、幻術はとっくに解けている。目くらましどころか、角も露わになっているだろう。
それでも、そのまま歩いた。
この時間に、この雨だ。街中を避ければ、人目などほとんどないに等しい。
人気のない道をのろのろと歩きつづけ、抽斗通りに入る。もぐら湯の暖簾は下ろされていたが、中で明かりがついている。
戸を少し叩いた。
「あー、悪いね。今日はもう終わりなん……」
がらりと戸を開けた桃弓木がそう言いかけて、言葉を止めた。そして私の手を引っ掴み、中へと引っ張り込む。
戸が軋むようにピシャリと閉じられ、私は縁台に座らせられた。桃弓木はバタバタと脱衣所へ行き、タオルを手に戻ってきた。そしてタオルを何枚も私にかけ、わしわしと拭く。
「ある程度拭いたら、中に入れ。今ボイラー焚いてくるから」
そう言って離れようとした桃弓木の浴衣の端を掴んだ。
「……額月?」
「終わったわ」
自分でも驚くほど、声が小さかった。それでも、口にした事実はすとんと胸に落ちた。
――私のできることは、すべて終わった。
桃弓木は何も言わなかった。
ただ、掴まれた浴衣の端を振りほどくこともせず、こちらを見ていた。
「……そうか」
それだけ言って、桃弓木はもう一度私の頭にタオルをかぶせた。
タオル越しに、桃弓木の手が頭をわしわしと動かす。私は浴衣の端を掴んだまま、その場に座っていた。
外では雨が降り続いている。冬の名残を洗い流すような、冷たい雨だった。
長い冬が、終わろうとしていた。
あの長い冬から、十年経った春。
私は、鬼太郎と並んで歩いていた。共に哭倉村へ行った帰り道である。
窟からわき出る怨念の大半はゲゲ郎が引き受けたものの、かつて哭倉村を滅ぼした狂骨の群れは、未だに存在する。
放置すれば数を増やし、村の外へと溢れる危険があると言う。そのため、定期的な退治が必要なのだ。
水木は『そんなものは放っておけ、人間の業だ。鬼太郎が背負うことはない』と、よい顔はしない。
私が同行し鬼太郎を守ると約束して、彼はしぶしぶ頷いた。
もっとも、鬼太郎は私に守られるほどか弱くはない。むしろとても強い。流石岩子とゲゲ郎の子である。もちろん本人のたゆまぬ努力と才能も素晴らしいのだが。それでいて、他者への思いやりの気持ちがある優しい子だ。水木の教育の賜物であろう。
そんなことを考えながら、少し前を歩く鬼太郎を眺めた。
風が吹き、河川敷に植えられた桜から、花弁が舞う。
淡い色のそれが雪のように降り、その向こうに、鬼太郎の両隣で微笑む岩子とゲゲ郎の姿を幻視した。
足を止めた私に、鬼太郎は振り返って首を傾げる。
「額月さん、どうしたの?」
「ううん、何でもないわ。行きましょう」
再び隣に並ぶと、鬼太郎の手を取る。
鬼太郎は少し口を尖らせ目を逸らすが、そのまま歩き出した。
「……お母さんってどんな人だった?」
桜を見上げながら、鬼太郎が小さく聞いた。
その問いに、少し考える。
「そうね……」
岩子は――
会社で笑っていた。
ライスカレーを嬉しそうに食べていた。
休日に喫したクリームソーダの話をした。
産着を縫いながら微笑んだ。
伴侶の隣で、いつも楽しそうにしていた。
そして――最後に見た、陽光に照らされた笑顔。
「――よく、笑う人だったわ」
そう答えて、少しだけ目を細めた。
風に、春の草の匂いがする。
ころころと笑う声が、ふいに耳の奥で蘇った気がした。
完
これにて完結。読んで下さってありがとうございました。
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