冴えない五男坊(愛人の子)が隣のクラスの貧弱美少女サイコパス(怪異)と出会って神々のゲーム(これはあまり物語に関係ないかも~)に巻き込まれる話 作:匿名希望爺さん
#1.青い空、白い雲
新学期、四月のなかば、福岡県北九州市は春らんまん。
「先生、おれは追試の対象じゃないですよ。ちゃんと書いてるんですけど」
現国の授業後、星野は教壇に駆け寄って解答用紙をつきだした。
教卓を片付けていた吉田先生は顔を上げ、おう、といきなり笑う。野球部の部長兼監督で、気持ちよく日焼けした三十代のマッチョなナイスガイ。典型的な野球好きの顔だ。勤務中はネクタイぐらい締めたらいいのにと星野は思う。
「笑ってる場合じゃないでしょ、先生、これでマイナス5点は痛いから」
「いやいやいやいや、そうは言っても、星野君」
吉田先生は星野の解答用紙を取り上げて、目を細めながら蛍光灯にかざした。
「だってこれはぜったい読めんもん。字が汚すぎるっちゃんね、そういうのも考慮に入れてマイナスポイント。残念だけど次回は追試やけん頑張って」
「字が汚いのと漢字テスト、関係ないし」
「美しく丁寧な楷書というのは国語の基本なんよ。――ええっと、僕は星野君ではなくて
そういえば。
たしかに、吉田先生は授業の最後に「丘本君はちょっと来てください」と言った。星野は呼ばれもしないのに鼻息荒く駆けつけたが、先生に指名されたはずの丘本の姿がない。
星野は教室を見渡したが、クラス内では影よりも薄い存在の丘本はいなかった。
「丘本も追試ですか?」
「いや、ちょっと気になることがあるけんさ。丘本君と
吉田先生は躊躇いながら、星野に二枚を差し出した。
一枚は几帳面で細い文字の丘本、もう一枚は筆圧が強くて乱暴な立河の文字だ。名は体を表すというが、このふたりの同級生に関してはそのとおりだ。
「ふたりの書き間違いがまったく同じなんよ。ほら、横棒が多かったり送り仮名が抜けていたり……それでちょっと嫌な予感がしたけん、丘本君に事情を聞いてみようかと」
星野は肩で溜め息をついた。
「ああ、先生はまだ知らなかったんですか? 去年からずっと立河は丘本を虐めて奴隷にしてるんですよ。宿題を写すのはしょっちゅうだし、テストも全部カンニングしてる」
吉田先生は「やはりそうか」と呟き、軽く身を乗り出してきた。
「担任の大家先生は知らんと? 星野君、もうちょっと詳しく話を聞かせてくれる?」
「いやです。職員室で直接大家先生と話をすればいいじゃないですか」
細く開いた窓から黄砂混じりの乱暴な風が吹き込んだ。
丘本の虐め被害なんて関係ない。追試回避の交渉は決裂したのだから、星野にはもう吉田先生を引き留める理由はない。
「あ、そういえば星野君」
だが先生から呼びとめられ、星野は唇を尖らせた。
「今度は何ですか。おれは丘本の友達ではないので、面倒なことは……」
「君から預かった野球部の退部届、まだ僕は受理してないけんね」
口から変な息が漏れた。
次の授業が体育なので、同じクラスの生徒たちはすでに更衣室に移動している。教室の中は星野と先生のふたりきりだ。星野は視線をあげて腹に溜めた息をひとつ吐き、吉田先生を仰いだ。
「どうして受理してないんですか。おれは三学期の途中に退部届を出したんだから、もう一ヶ月くらい前の話でしょう。ひどいです。おれ、心機一転してから二年生になろうと思って、ケジメをつけたつもりでいたのに」
「でもほら、だって、故障したってそれは野球部をやめる理由にはならんやろうもん」
「それ以外にどんな理由があるのか思いつかないですよ」
「野球をするだけが野球部やないし」
「意味がわからないです。野球をやりたくて野球部に入ったんだから、野球ができなくなったら野球部はやめます。マネジなんてやりたくない」
女子生徒がひとりも入部してくれないから野球部は常にマネージャー不足で悩んでいる。なぜならこの学校には女子野球部があるのだ。しかも硬式の世界では男子部よりもはるかに有名で、野球好きの女子はみな女子野球部に入ってしまう。地元でも有名な選手が揃っておりマネージャーも大勢いる。
「向いてないんです。おれ、下働きとか、盲目的に尽くすとか、やりたくないです」
冬に腰を痛めてまともに動けなくなってからの一時期、部の雑用はほとんど星野がひとりで受け持っていた。そこで彼が思い知ったのは、おのれの不器用と醜い嫉妬心だけだ。
心から野球を愛していないからだと言い返されるかもしれない。本当に野球が好きならば、どんなポジションだって受け入れられる。徹夜でデータ取りもするしベンチで冷水を用意して火傷しながらおにぎりを握るのが野球愛だろう。だが星野はそんなことはやりたくない。野球がやりたいのだ。結局、野球がやりたいだけで野球を愛してはいないからこの状況に耐えられない。
このまま部に戻っても、もう居場所はないのだ。
「それに、おれが退部届を出しても誰ひとり止めてくれなかったし。どうやら部内で嫌われてたっぽいし、みんな清々したと思ってますよ」
「ああなるほど。つまり星野君は拗ねてるだけやね。君はいつも自分が世界の中心じゃないと不安になる人間だ。腰の故障は君の価値観を変えてくれる契機だと先生は思とったんやけど」
「いい加減にしてください。おれ本当にキレますよ」
星野は大袈裟に呻いてみせた。
「気分が落ち着いたら改めて先生とゆっくり話をせんね。待っとるばい」
吉田先生はそっと手を伸べて星野の肩に触れようとした。星野は肘をあげてそれを拒絶すると、思いきり愛想よくお辞儀をして自分の席に戻った。背中を向けたのと同時に先生が教室から出て行くのがわかる。
右手で握りしめていた国語の漢字テスト。
鬱屈という字が不自然に歪んでいるから、ボールペンの赤で大きく撥ねつけられている。頭の中では正解がわかっているのに、表現しようとしても伝わらない。字が汚いというのはコミュニケーション能力の欠如と同じ意味なのだ、と、唐突に気づいた。