冴えない五男坊(愛人の子)が隣のクラスの貧弱美少女サイコパス(怪異)と出会って神々のゲーム(これはあまり物語に関係ないかも~)に巻き込まれる話   作:匿名希望爺さん

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#1.青い空、白い雲(3)

「な、何? あの、おれはそういうつもりで触ったんじゃないんだ、ごめん、ごめんってば」

 

 軍手越しに紅子の手を感じる。

 繋がった部分から生温いものが流れ込んでくる。

 それは心地よい体液の熱。彼女に流れる血潮の温度だった。

 慌ててほどこうとしたが紅子の力は意外すぎるほど強い。これは少々やばい、と星野が勢いをつけて逃げだそうとしたら、紅子がその顔を見上げた。

 灰色の瞳は真冬の渦潮のように底知れない。

 

「星野、野球部には復帰せんの?」

 

 いきなりだった。

 どうしていきなり部活の話がでてくるのか。しかも、星野は野球部だと自己紹介した覚えもない。脳味噌の中身を透視されたとしか思えない、いや隣の乙組にも何人か野球部の奴がいたから、噂を小耳に挟んだのか。

 

「誰に聞いた? 乙組の小田? 松前?」

「誰にも聞いてない。私は星野の意識の中身が視えるんよ――うん、素質はある」

「素質? 何?」

「健康やしIQも悪くない。五人兄弟の末っ子なんやね。で、長男次男はすでに結婚してる。三男と四男は一卵性双生児で大学院生、すごかねえ、末っ子を東京から離れた私立校の寮に入れるとかセレブやん。ん? ああそうか、お父さんが大きな会社の社長さんか。なるほどなるほど。なんで私は今まできみの存在に気づかんかったんやろ!」

 

 勝手に話が進んでゆく。

 しかも次々に星野の家庭環境を暴いていくのだ。親のことや兄弟のことなんて、野球部の仲間に話した記憶もない。

 誰にも語ったことがないというのは、誰にも知られたくなかったという意味だ。星野は唇を噛んだ。

 目の前にいる紅子の不気味さよりも、面倒な家庭事情について知られた悔しさが大きい。

 

「どうやっておれを調べたんだ」

「きみの脳味噌と記憶を覗いたんよ」

「……」

「なんでそんな怖い顔するん? よかろうもん、愛人の子だから居場所がないなんて気にすることなかよ、ちゃんと家族に迎えられとるんやし。それに」

 

 と、紅子が言い終わらないうちに星野は彼女の腕をふりほどいて勢いよく突き飛ばした。

 紅子の軽い躰は華麗に吹っ飛んだ。

 あまりの豪快な飛びっぷりに星野のほうが慌てふためき、思わず盛大に謝って助け起こす。

 

「ごめん! ほんとにごめん、痛かった? 怪我ないか? 一瞬あんたが女子だったこと忘れてた、申し訳ない……」

 

 バンダナのリボンもほどけ落ちてしまったので、片手で彼女を抱いたまま拾って手渡した。

 

「ん、へいき」

 

 紅子はまったく動じていない。

 体操服の背中が泥で汚れていたが、さほど痛みを感じていないようだ。

 

「星野はそんな卑屈になることないっちゃ。家族の一員として愛されとるでしょ、自分でもわかっとるくせに」

 

 低いところから見上げているくせに、なんという見下し目線。

 不思議が不思議を通り越して、もう星野は頷くしかない。頷く理由なんてないのに、ここは頷いておくべきだと彼の本能が告げている。

 

「おい、見学者! そこで何しよるんかっちゃ!」

 

 やばい。

 体育教官の怒声がふたりを突き刺した。星野と紅子は同時に振り返る。穏便に済ませたかったが、すでに教官は疾風の速度で駆けつけていた。細身の中年男で声が甲高く、戦争映画に出てくる鬼軍曹のような厳めしい顔つきをしている。

 星野が紅子を抱き起こし、紅子の背中は泥で汚れている。これでは男子が女子を押し倒して乱暴を働いているようにしか見えない。

 星野の背中に冷たいものが流れた。

 

「二年甲組星野朗、二年乙組瓔珞紅子に何をしている! 報告しろ!」

「あの、あ、あの」

 

 どもりながらも正直に打ち明けようとした星野を紅子が片手で制した。

 

「私が目眩を起こして倒れたけん、星野君が助け起こしてくれたんです」

 

 怒濤の大嘘だ。庇ってくれた恩義はともかく、こんな言葉がすらすらと出てくるなんてろくな女ではない。星野は呆れながらも少々引いた。

 うまく騙せればいいのだが。

 

「きさん嘘ばついとるんか。背中が汚れちょるぞ」

 

 星野は絶望に震えて息を殺した。

 どんな理由であれ、授業中にか弱い女子を突き飛ばしたのだから厳罰は免れない。体育実技の減点だけで済めば御の字だが、職員会議にかけられ正式に処分されることにでもなったら終わりだ。たとえ反省文一枚の処分であっても親に連絡されてしまう。父親の顔に泥を塗るようなことになったら星野はこの先この学校で暮らしていけない。

 

「そうですか? 私と星野君はなんともないんですけど」

 

 紅子は淡々と言ってのけ、噴火の兆候を見せていた教官に微笑みかける。

 

「おい、何を……」

「先生、脳味噌を失礼しますね」

「ちょっと待、」

 

 言い掛けた教官の額を、紅子は左の人差し指でちょこんと突いた。そして、灰色の瞳でもう一度、力強く体育教官を睨み上げた。

 

「もう一度よくご覧になってください。私は星野君に押し倒されていません。それから疲れたので保健室で休みます。よかですね?」

「……瓔珞紅子は星野朗に押し倒されとらん……」

 

 うつろな声で体育教官が復唱する。

 

「……瓔珞が疲れたけん……星野は瓔珞を保健室に連れて行け……」

 

 いきなり話を振られたので星野は小さく飛び上がった。催眠術にかかっているかのような口調だが、命令されたことには変わりない。

 

「先生、皆が待ってるからもう行ってもよかですよ」

 

 紅子がグラウンドを指さすと、教官は機敏な動きで回れ右をして駆け出していった。

 ――超能力だ。

 いや、魔法だ。

 

「それって超能力か何か? って、うわ、だ、大丈夫?」

 

 紅子は蒼ざめていた。

 肩で荒い呼吸を繰り返し、額には冷たい汗を浮かべている。疲れたと訴えていたのは本心だったのか。

 

「大丈夫? って保健室まで歩けそうにないか。おんぶしてやるから乗れ」

 

 星野がしゃがんで差し出した肩に紅子がつかまる。

 

「私はもうすぐ死ぬっちゃ」

 

 星野の背中で紅子は重い声をかけてきた。

 

「は?」

「初めて聞いたような声を出さんで。二度目やろうが、これ言うの」

「でも、冗談にしか聞こえないし」

 

 気の利かない返事だった。余命を打ち明けられた人間が返すべき言葉ではなかった。思ったことがそのまま声になってしまったのは、まったく現実感がないからだ。

 しかしそんな無茶な話を、なぜ、ここで始めたのか。

 困る。まじで困る。星野は唇を尖らせた。こんな人生相談は苦手だ。

 

「それで死にゆく私は妹の将来が心配でたまらんとちゃ」

「あのさあ瓔珞、おれたちべつに友達ってわけでもないし」

「ねえ星野、私の妹と婚約してくれん? ていうか、しろ。妹はまだ十二歳やけど、妹と結婚してうちに婿入りして欲しいんよ。ていうか、しろ」

 

 何が何だか意味がわからない。

 顎の力が抜けて、口が開いた。

 

「いや、待って、いやぁ、いやいやいやいや、ちょっと、」

 

 などと接続句とも否定語とも取れない呻きを繰り返すばかりだ。紅子はそれを片手で制して続けた。

 

「星野は中等部の頃テスト前に胃痛で穴を開けたことがあるやろ。自覚がないまま穴は勝手に塞がってしまったようだけど、生まれつき胃腸が弱い。何につけ常に最悪の状況を妄想しておかんと安心して前に進めんタイプやね。最初から自分が傷つかないことを第一に考えて、思い通りにならんと拗ねて、そういう自分に自己嫌悪しよる」

「ひどいプロファイリングだな」

「だって、レギュラーに戻れそうもないけん野球部に復帰したくないんやろ? 故障しちゃったけど仲間に土下座されてイヤイヤながら復帰したい、そいで復帰直後の試合で逆転満塁ホームランというのが理想なのに、部員は誰も引き留めてくれんでガン無視されとるからプライドがずたずたなんやろ? でも『なんでおれを呼び戻しに来ないんだよ』って口にしたら自分が傷つくのがわかっちょるけん、自分から退部届を出したんやね」

 

 そのとおりだった。

 

「今日の放課後、私の家に来て。妹と家族に星野を紹介するけん。うちの父さんも婿養子なんよ、きっと星野とは気が合う」

「待て、何が何だか事情が」

「私には時間が無いっちゃ。とにかく放課後に校門で待っときいよ。ね、約束したけんね」

 

 その後は星野が何を言っても紅子は「だるい」「眠い」「きつい」の三語をひたすら繰り返し、辿り着いた保健室で勝手に羽毛布団のベッドに潜り込んでしまった。

 星野は思わず両手で頭を押さえる。

 昆虫の触角のような瓔珞紅子の手から、軍手越しに伝わってきた熱の温度。流れ込んだ温度が血管を伝って脳味噌に届き、その中身を覗き見されたあの感覚。

 でも――めちゃめちゃ可愛い……。

 いやいやそういう問題ではない。頭を振ると胃が痛んだ。

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