オーベルシュタインの演算   作:シロン茶

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始まりの物語

パウル・フォン・オーベルシュタインは、自分の言葉が他者に正確に届くとは、最初から考えていない。

 

幼い頃から、義眼の光を向けた瞬間に周囲の反応が変質するのを何度も見てきた。忌避、侮蔑、あるいは大仰な憐憫によって、自分の言葉は無視されていく。内容よりも外見が先に判断され、言葉は偏見のフィルターを通過した時点で意味の大半を失う。残るのは感情を削ぎ落とされた数字と論理だけだ。

 

オーベルシュタインにとって、ラインハルト・フォン・ローエングラムという主君は、文字通りの僥倖だった。

黄金獅子は、外見を評価軸に含めない。義眼の光にも、先天的な欠損にも、憐憫も侮蔑も示さず、ただ発言の内容のみに好悪を示した。オーベルシュタインの言葉を全て耳に入れた。まず受け取った上で、決めた。それがどれだけ稀有か、皆わかっていないだろう。

 

外見という偏見を持たない主君を得て初めて、オーベルシュタインという装置は最大効率で稼働することができたのだ。

 

だが、人生は計算通りにはいかない。

 

若き天才は、オーベルシュタインが想定した以上にその進言を採用し、覇道を突き進んだが、同時に想定よりも早くその寿命を燃やし尽くそうとしていた。

 

黄金獅子が、この宇宙から消え失せる。

 

それは同時に、この世界で唯一、パウル・フォン・オーベルシュタインの言葉を正確に受信できる装置が失われることを意味していた。

 

また、自分の言葉は誰にも届かなくなる。

その事実を冷徹に受け止めていた。皇帝崩御後の帝国をどのように設計しても、そこに自分の居場所はない。

 

唯一無二の主君が消え失せるという未来が見えてきた時、オーベルシュタインはまず国葬の手配を下準備した。そして起こりうる全てのことをリスト化した。

傍らでその膨大な項目を眺めていたフェルナーが、深い溜息と共に肩をすくめる。

 

「……閣下はこれでまた嫌われますねえ。主君の息があるうちに棺桶の寸法を測るなど」

 

軽口を叩いたフェルナーはともかく、実務を打診された宮内尚書ベルンハイム男爵は、蒼白を通り越して絶命しそうな形相を浮かべていた。主君への忠誠を「嘆き」で表そうとする者たちにとって、オーベルシュタインの合理性は冒涜に等しかったのだろう。

 

葬儀の列にテロが発生する予測を、顔色ひとつ変えずに聞き入れたのは、ケスラーと、それからマリーンドルフ伯くらいなものだった。

 

ヒルダ皇后が、あるいはミッターマイヤー元帥が、皇帝崩御後に文官たちから差し出された国葬の手配書を、どのような表情で受け取ったかなど知らぬ。ただ、為すべきことを為したまでだ。

 

テロの危機は、確実に、皇帝一家のすぐ近くまで迫っていた。

 

このままでは黄金獅子がこの世から消えたとたんに、帝国は瓦解する。アレクサンデルの名を持った英雄の歴史を引き合いに出すまでもないほどに。

死にゆく主君を囮にするという策は、芸術家提督までも激高させたが、オーベルシュタインにとっては演算の最適解であった。

 

それでも人生は、計算通りにはいかない。

 

考え得る最も良いタイミングで死ぬ幸運を、逸した。

延命とは、非合理な介入だ。

 

ハイネセンでロイエンタールを手に入れたのは、ほとんど偶然だった。医療ポッドに眠る実験体。 まずは黄金獅子の延命のために活かすことを考えた。だが、ロイエンタールが目覚める前にラインハルトの寿命が尽き、計画は無に帰した。そもそも治療法が確立するまで医療ポッドで眠れと言っても、黄金獅子は従わなかっただろう。戦い足りない皇帝に、静止は不可能だった。

 

隠れる。

未だ目覚めぬロイエンタールを連れて行く。

そう決めたのは、ラインハルトが妻子すら顧みずシヴァ星域へ行ってしまった瞬間だった。

 

喪失感が、オーベルシュタインの冷徹を機能不全に陥らせた面は確かにあったのかもしれない。あるいは、先の草刈りでフェルナーが負傷して入院し、ルビンスキーの火祭りでハイネセン地上は焦土と化し、ラインハルトは病臥にあるという状況が、ドライアイスの剣でさえも血迷わせていたか。

静かな熱意で、オーベルシュタインは対テロと遁走という二つの計画を練り上げていた。

 

ハイネセンの臨時執務室に、オーベルシュタインの心を揺らすものが二つあった。

一つは、四百億人の医療データと、生命を繋ぐ巨大なネットワークの設計図。

これを帝国の機構に組み込めば、自分の言葉が消えても「思考」だけは血肉となって永遠に巡り続ける。

もう一つは、未だ目覚めぬロイエンタール。

彼を生かし続けているのは、合理的判断による「実験」であるはずだった。しかし、ネットワークの構想が固まるにつれ、ポッドの中で眠る叛逆者は、いつしか「実験」という枠から外れていた。

それを別の言葉で置き換えようと試みたが、どの演算結果も納得のいくものにはならなかった。

 

機能を果たせぬまま終わることを許容できない自分を、オーベルシュタインは認めざるを得なかった。

 

人生は、計算通りにはいかないのだ。

 

まだミューゼルの名だった黄金獅子に、先んじて接触したのはロイエンタールだった。 もしロイエンタールがラインハルトの隣に完全に収まっていたら、オーベルシュタインの出番はなかっただろう。

だが、運命は別の配置を選んだ。

ロイエンタールには、隣にミッターマイヤーという光があった。光は影を消さない。むしろ、輪郭を際立たせる。

ミッターマイヤーの善意は、ロイエンタールの闇を癒やさない。それを「恥」として意識させる。優しい忠告はむしろ自罰を促し、破滅へ向かわせることがある。

叛逆劇の根底にあったのは、結局その構造だと、オーベルシュタインは理解している。

 

オーベルシュタインはよく「私心がないことを武器にしている」と非難された。だが、ミッターマイヤーは悪意がないことを武器にし、好悪を顕にして嫌悪を口にする。それを指摘するほど繊細ではないが、不快ではあった。

 

双璧を別つとどうなるか。想像しなかったと言えば嘘になる。だが、関心を寄せていたのは、全権を与えられたロイエンタールがノイエラントをどう統治し、どのような秩序を打ち立てるか。彼という機能がどれほどの『最適解』を導き出すのか。それを見ることだった。いくつもの未来があったその想定は、呆れるほど子どもじみた様相で潰えたが。

 

 

 

「……目覚めたか、ロイエンタール」

 

オーディンの地下室。

医療ポッドから引きずり出された男は、死すら許されなかった現実の中で喘いでいた。

ヘテロクロミアが、激しい自己嫌悪と絶望を湛えてこちらを睨みつける。

 

「……なぜ殺さなかった。なぜ終わらせてくれなかった……!」

 

傷付いた猛禽のような叫びを、オーベルシュタインは無機質な義眼で受け止めた。

 

「卿が死にたいなら、今ここで心臓を止めても構わん」

 

努めて感情の起伏を排した声で答えてから、オーベルシュタインは背後を振り向いた。

 

「フェルナー。どうする」

 

そういうところは極めて有能な副官は、一瞬だけ目を細めたが、すぐに理解した。

 

「そうですね。中途半端な死体を処理するのも手間です。……ミッターマイヤー元帥のご自宅に贈り物として送り付けましょうか」

 

あの食えない男は、薄ら寒いニンマリとした笑みを満面に貼り付けてそう言った。

 

「……貴様ら……!」

 

果たして、ロイエンタールの顔が死人のように白く凍りついた。喉がひゅうと笛のような音を立て、浅く速い息を繰り返し始めた。

あの光を、それほどまでに恐れるのか。高い機能を持ちながら。

 

「嫌なら生きろ。私の仕事を手伝え」

 

 

 

 

義眼の調子が悪い。

オーベルシュタインは書類から顔をあげて、無言でしばし停止した。

 

「……お前は、死ぬのが怖いのか」

 

背後から、低い声がした。なんの脈絡も見えぬその問いかけに眉を顰めた。

 

「それとも、忘れられるのが怖いのか」

 

ロイエンタールだった。また、ラーベナルトを言いくるめて新しい美酒を開けさせている。ひとしきり絶望に浸った後には、どうやら開き直り始めたらしい。

 

「どちらでもない。ただ、したかったことをするまでだ。私がやらずとも、いつか誰かがやるであろうが」

 

そう答えれば、ロイエンタールの視線が突き刺さる。激情はすでに底を尽き、代わりに冷静な戦略家の顔が戻りつつあった。

 

「……それが、お前なりの情熱であり、愛着なのか?」

 

オーベルシュタインはわずかに視線を動かしたが、すぐに外した。

 

「定義の曖昧な言葉だな」

 

「お前にしては、逃げるではないか」

 

ロイエンタールは小さく笑った。蠱惑的な不可思議な光が、色の異なる双眸に宿る。

 

「では質問を変えよう。俺は“不要”か?」

 

一瞬の間がある。

 

「……現時点では、そうは判断していない」

 

「ずいぶんと回りくどい肯定だな」

 

「事実を述べただけだ」

 

ロイエンタールはグラスを傾けながら、愉快そうに目を細めた。

 

「性格の悪い男だ」

 

 

 

パウル・フォン・オーベルシュタインという男が何を考え、何を望んだか。

そんなことを、後世の誰も知る必要はない。

ただ。

名もなき平民の子供が、新しい義眼で青い空を見上げたとき。その光の中に、かつて存在した一人の男の思考が、血肉となって流れているのなら。それで十分だ。

 




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