暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和三年(一六一七年)、旧正月。
この年、俺こと徳川国松は数えで十二歳、竹千代兄上は数えで十四歳を迎えていた。
江戸城の大広間は、新春の華やかで明るい祝賀の空気に包まれていた。
前年の秋、一部の国で水害による打撃があったものの、日ノ本全体を通してみれば、結果はまたしても文句なしの大豊作であった。
三年、四年と豊作が重なれば、当然ながら諸大名の懐は潤う。米札と蔵札の信用も各領内で少しずつ定着し始め、街道の整備、水害で落ちた橋の普請、そして江戸の町方での消費へと、米と銭が活発に回り始めていた。
諸大名の晴れやかな顔ぶれが並ぶ大広間には、祝いの膳が所狭しと並べられている。
艶やかな白米。
柔らかく搗かれた餅。
川魚や海の幸。
保存の利く干し大根や干し芋、南瓜を使った汁物。
そして、あちこちで控えめながらも上機嫌な笑い声が上がっていた。
(めでたい。これは、本当にめでたいことだ)
俺は、表向きは穏やかな笑みを浮かべながら、祝いの空気を壊さぬよう静かに座っていた。
だが、内心では別の意味で震えていた。
(……今年も、蔵がギリギリだ)
米がある。
これは素晴らしい。
民が飢えない。公儀の蔵にも米が入る。大名たちも年貢を取り、領内を回せる。
だが、米が増えれば増えるほど、当然ながらそれを保管する場所が必要になる。
一国一城令の用途分類で残した旧城、陣屋、水防番所、港湾番所、街道番所。そうした建物を仮米蔵や救荒蔵へ改装することで、今年もどうにか物理的には凌いでいる。
戦のために築かれた城が、米を守る蔵へ変わっていく。
それ自体は、間違いなく泰平の象徴だ。
だが。
(蔵番、帳面役、鼠対策、湿気対策、火災対策、古米新米の入れ替え、蔵札と現物の照合……! 旧城を蔵に変えたら終わりじゃないんだよ! むしろ、そこから管理地獄が始まるんだよ!)
俺は祝いの膳の白米を見ながら、ひたすら遠い目になっていた。
*
そんな俺の胃痛など知る由もなく、祝いの場では、近場の大名たちが実に楽しげに語り合っていた。
話題は、相撲である。
「昨冬の奉納相撲は、まこと見事でございましたな」
「我が家の抱え力士も、次はもっと番付の上へ載せたいものです」
「江戸の町人どもも、あれほど熱狂するとは思いませなんだ」
「番付表を見て、力士の名を覚え、次の勝負を楽しみにする。……あれは、実に上手い仕組みでございます」
冬の奉納相撲は、大成功だった。
竹千代兄上が取り仕切った試行番付、力士登録、賭博禁止、医師の配置、木戸銭の一部を橋普請や救荒米へ回す仕組み。
それらは、江戸の民草だけでなく、大名や商人たちにも強烈な印象を与えた。
そして、その話題の中心に、竹千代兄上が自然と立っていた。
「そなたの家の力士は、実に見事な取り口であった」
竹千代兄上は、まだ数え十四歳とは思えぬ落ち着いた様子で、大名の一人へ声をかけていた。
「ただし、終盤に膝を痛めた者がいたな。医師の記録を見るに、少々無理な稽古が続いていたようだ。強く鍛えることはよい。だが、身体を壊しては元も子もない」
「は、ははっ。以後、気をつけさせまする」
大名は恐縮しつつ、どこか嬉しそうでもあった。
徳川の嫡男が、自家の力士の名と取り組みを覚えている。
それだけで名誉なのだ。
(兄上、政治が上手いなぁ……)
俺は、その様子を横目で見ながら内心で唸った。
力士を褒める。
家の名誉を立てる。
その上で、医師の記録を見ていると匂わせ、無理な稽古に釘を刺す。
一見すると楽しげな相撲談義だが、その実、かなり高度な大名統制である。
(しかも兄上、たぶん半分くらいは素で相撲の話を楽しんでるんだよな。好きなものが絡むと、為政者としての吸収が異常に早い……)
竹千代兄上は、相撲を通じて、大名たちの顔と家の癖を覚え始めている。
これは、ただの娯楽ではない。
将軍になる者の、人付き合いの稽古にもなっていた。
*
その祝いの場には、豊臣秀頼も参じていた。
かつて天下人の家を継いだ者。
今は徳川の天下を認め、豊臣家として存続する者。
完全な勝者ではなく、しかし滅ぼされた敗者でもない。
彼は、徳川に連なる重き客将として、落ち着いた品格をもって座していた。
その秀頼に、竹千代兄上が穏やかに声をかけた。
「豊臣殿」
場の空気が、わずかに引き締まる。
「昨冬の、豊臣抱え力士組の働き。まこと見事でありました」
その瞬間、大広間にいた大名たちの視線が、一斉に秀頼と竹千代兄上へ集まった。
豊臣抱え力士組。
町人たちが勝手に『豊臣部屋』と呼び始めた、江戸最大級の相撲御用稽古場である。
豊臣の名は、やはり強い。
旧家臣筋、大坂に縁ある浪人、腕力自慢の若者、大坂商人の資金援助。
それらが吸い寄せられるように集まり、豊臣の力士たちは、初年度から番付の上位に食い込む大活躍を見せていた。
竹千代兄上は、続けた。
「力士たちは強く、礼も乱れず、勝って驕らず、負けても土俵を汚さぬ。あれは、泰平の世にふさわしい名誉の示し方にございます」
(兄上、そこで豊臣を褒めるのか)
俺は、内心で背筋を伸ばした。
(これは大きいぞ。徳川の嫡男が、豊臣の相撲活動を公に褒めた。つまり、豊臣が相撲へ金と名誉を使うことは、公儀の意向と矛盾しない。むしろ、泰平に適応する美しい姿として認められたことになる)
秀頼は、静かに頭を下げた。
「竹千代殿にそのように仰せいただけるとは、豊臣家としても面目にございます」
その声は、卑屈でもなく、驕りもない。
穏やかで、品があった。
「血で血を洗う戦場ではなく、清められた土俵の砂の上で名を上げる。……それが今の世に許された武の道であるならば、豊臣もまた、その道を汚さぬよう精進いたしましょう」
家康は、わずかに目を細めた。
「うむ。悪くない」
短い一言だったが、そこには確かな満足があった。
(大御所様、絶対に喜んでる)
豊臣の名を消さず、戦えない形で残す。
恨みを燃え上がらせず、民の娯楽と文化の中に組み込む。
武力で城を攻め落として根絶やしにするより、ずっと高度で、ずっと怖い統治だ。
そして、たぶん、元の歴史よりはずっとマシな世界でもある。
*
「豊臣殿は、相撲のみならず、文の道にも通じた者を支えられると聞く」
家康が、ふと思い出したように言った。
秀頼は、静かに頷く。
「はい。相撲が民の目に分かりやすい武の勝負ならば、囲碁や将棋、学問は文の勝負にございます。豊臣家としても、力士のみならず、棋士や学問の才ある者を支えることは、泰平の世にふさわしい名誉となりましょう」
(豊臣が、文化のパトロンになる……)
俺は、その言葉に少しだけ感心した。
豊臣が武力ではなく、相撲、囲碁、将棋、学問へ名誉を移していく。
それは、かつて天下人の家だった豊臣が、泰平の世で生き残るための、かなり自然な道だ。
ただし、人気が集まりすぎれば、それはそれで危うい。
その危うさを、家康が見逃すはずもなかった。
「豊臣が文と武の遊芸を支えるならば、民も喜ぼう。……ただし、あくまで公儀の法の内でな」
「心得ております」
秀頼は、深く頭を下げた。
(釘も刺した。顔も立てた。豊臣は名誉を得るが、徳川の秩序の枠内に置く。……大御所様、やっぱり怖いな)
*
相撲の話で宴がひとしきり盛り上がったところで、家康が上機嫌に茶を啜りながら言った。
「相撲は、思うた以上に民にも大名にも効いた」
大名たちが静かに耳を傾ける。
「ならば。……囲碁と将棋も、同じように盛り上げてみるのも悪くないのではないか」
囲碁と将棋。
家康はもともとこれらを好んでおり、大橋宗桂や本因坊算砂らを保護している。
だが、ここで出てきた話は、単なる趣味ではなかった。
「相撲は身体を使う勝負じゃ。ならば囲碁と将棋は、頭を使う勝負よ」
家康は、楽しげに、しかし為政者の目で語った。
「戦が減る世にあっても、武士が戦術と読みを忘れてはならぬ。盤上で何度も負け、何度も学べるならば、それは血を流さぬ軍略の稽古にもなろう」
秀忠父上が、深く頷いた。
「泰平の世において、勝負事は、何度も戦える形がよろしゅうございますな」
「ほう」
「戦場では、一度の敗北で人が死に、家が滅びます。ですが、盤上ならば、何度負けても次がある。負けから学び、また戦える。それは、武士にとっても悪くない稽古にございましょう」
竹千代兄上も、すぐに飲み込んだ。
「相撲が、荒ぶる力を礼の土俵で囲い込むものならば。囲碁将棋は、戦の知恵を盤の上に安全に閉じ込めるものですね」
(兄上、本当に吸収が早い)
相撲は身体のガス抜き。
囲碁将棋は戦術脳のガス抜き。
どちらも、戦争の代替物として機能する。
そして、どちらも放っておけば、賭博や派閥争いの温床になる。
(……つまり、また帳面だ)
俺は、早くも嫌な予感で胃が痛くなってきた。
*
「来年の正月にでも、御前にて囲碁と将棋の強き者を集め、勝負させてはどうじゃ」
家康がさらりと言った。
「相撲の番付ほど民草に分かりやすくはあるまいが、武士や公家、学者、僧には大いに効くであろう」
「御前試合となれば、勝敗の記録も残せます」
秀忠父上が、すぐに実務の顔になる。
「棋譜を公儀御書物蔵へ納めれば、後の学びにもなりましょう」
「うむ。では、来年には囲碁と将棋の最も強き者を決めようではないか」
場が、おお、と明るく湧いた。
相撲ほど民草に直接分かりやすいものではない。
だが、武家、公家、僧侶、学者にとって、囲碁将棋は格式ある知的勝負だ。
これを御前試合として整えれば、泰平の世にふさわしい「文の勝負」として機能する。
だが、俺はすぐに口を開いた。
「大御所様。面白い試みですが、相撲とは違った注意が必要にございます」
「また帳面か」
家康が笑う。
「はい。盤上でも帳面です」
俺は、真顔で言い切った。
「囲碁将棋は民草全員が熱狂するものではありませんが、その分、武家や公家、僧侶、商人の知的な面子が絡みます。賭け碁、賭け将棋、八百長、弟子筋の派閥争い、棋譜の改竄、勝敗への不服申し立て。……必ず出ます」
「将棋や碁でも、人は揉めるか」
「人と名誉と金が動けば、盤上でも揉めます」
秀忠父上が、真面目な顔で頷いた。
「ならば、最初から定めておくべきだな」
「はい。参加者は、公儀推薦、家元推薦、寺社推薦、公家推薦など、枠を分けるべきです。勝敗は複数の記録役が書き留め、棋譜を保存し、公儀御書物蔵へ納める。対局中の助言は禁止。不正があれば重罰。賭博は当然ながら厳禁です」
「棋士への扶持と弟子取りの届出も必要であろうな」
正純が、当然のように横から追加してきた。
(出た。実務の鬼が、さらに帳面を増やしに来た)
俺は内心で頭を抱えた。
「……はい。必要です。棋士への扶持、弟子取り届出、御前対局の勝敗記録、棋譜保存、賭け碁賭け将棋禁制。全部、帳面が必要になります」
家康は、本当に楽しそうに笑った。
「よいではないか。泰平の世の勝負は、殺し合いではなく、土俵と盤の上でやればよい」
*
豊臣秀頼も、この話に穏やかに加わった。
「相撲が武の勝負なら、囲碁将棋は文の勝負。……豊臣家としても、そうした者たちを支えることは、泰平における名誉となりましょう」
大名たちの間に、小さなざわめきが走った。
豊臣が相撲だけでなく、囲碁将棋や学問の支援にも乗り出す。
それは、豊臣が武力ではなく文化の場で存在感を示すという意味でもある。
(これは、良い)
俺は内心で頷いた。
(豊臣が、文化の名家として残る。力士や棋士や学者を支えることで名誉を得る。……戦場に戻るより、ずっといい)
もちろん、人気を集めすぎれば公儀内の警戒は出る。
だが、それでも。
怨念を武力で爆発させるより、文化への情熱に変えてしまった方が、ずっと人が死なない。
「豊臣が文と武の遊芸を支えるならば、それもまた一つの役目よ」
家康は、静かに告げた。
「ただし、全ては公儀の法の内である」
「心得ております」
秀頼は、もう一度深く頭を下げた。
その姿を見ながら、俺はしみじみと思った。
(この人、本来の歴史ではもう死んでるんだよな……)
なのに今、ここにいる。
戦場ではなく、土俵と盤上の話をしている。
それがどれほど大きな歴史の歪みなのか、俺には分かっている。
だが、その歪みが、人を殺す方向ではなく、人を生かす方向へ向かっているのなら。
たぶん、それは悪いことではない。
*
宴は、ますます盛り上がっていった。
かつてなら、旧正月の大名たちの話題は、合戦の武功、領地の広さ、婚姻、同盟、軍備だったのかもしれない。
だが今、彼らは相撲の番付を語り、囲碁将棋の御前試合を語り、米蔵の増築を語っている。
「来年は、我が家からも棋士を推挙してみたいものですな」
「いやいや、まずは家元筋の者が中心でございましょう」
「相撲の番付は民にも分かるが、棋譜となると、読み解ける者が限られるな」
「そこがよいのではないか。武家の子弟の学びにもなる」
「豊臣部屋の力士に続き、豊臣が棋士まで抱えたら、また人気が出ましょうな」
そのどれもが、平和な悩みだった。
もちろん、放置すれば面倒になる。
賭博、買収、派閥争い、名誉の暴走。
だが、それでも、刀や鉄砲で殺し合うよりは遥かにいい。
家康は、上座から大広間を見渡しながら、ゆっくりと言った。
「泰平の世の勝負は、何度でも戦える形がよい」
その声に、場が静まる。
「土俵で負けても、次の場所がある。盤上で負けても、次の一局がある」
家康の目は、老いた天下人のものだった。
数えきれない戦と死を見てきた者の目だった。
「戦場では、そうはいかぬ。負ければ死ぬ。家は滅び、村は焼ける。……ゆえに、これからの世は、人の勝負の熱を、殺し合いから引き離してゆかねばならぬ」
その言葉は、静かに大広間へ染み込んでいった。
竹千代兄上は、真剣な顔で頷いている。
秀忠父上も、深く息を吐いていた。
秀頼は、目を伏せ、何かを噛み締めるように静かに座っていた。
(何度でも負けられる世界か)
俺は、胸の奥でその言葉を繰り返した。
戦の世では、一度の負けが死に直結する。
でも、相撲なら負けても次の場所がある。
将棋なら負けても次の一局がある。
失敗しても、次に挑める。
負けても、生きていられる。
それを作ることも、たぶん、政なのだ。
*
旧正月の宴が終わり、自室へ戻った俺の机には、予想通り、新しい帳面の山が積まれていた。
『元和三年旧正月・諸大名献上米并蔵増築控』
『旧城蔵転用・進捗改帳』
『抱え力士支援届出控』
『豊臣相撲御用稽古場・活動記録控』
『相撲番付・大名支援者名寄せ帳』
『御城碁御城将棋・試行準備控』
『棋士扶持并弟子届出控』
『御前対局・勝敗記録并棋譜保存控』
『賭け碁賭け将棋禁制控』
『泰平遊芸御用・相撲囲碁将棋連絡控』
「……旧正月の祝いだったはずなんだけどな」
俺は、深々とため息をついた。
米。
蔵。
相撲。
豊臣。
囲碁。
将棋。
豊作の祝いは、いつの間にか、次の制度の山になっている。
だが、今回ばかりは、少しだけ悪くないと思った。
戦で勝てば、人が死ぬ。
相撲で負けても、怪我はするかもしれないが、次の場所がある。
将棋で負けても、国は滅びず、次の一局がある。
何度でも負けられる勝負。
何度でもやり直せる世界。
それを作ることもまた、民を生かし、国を平和に保つための政なのだろう。
ただし。
そのためには、また大量の帳面が必要になる。
「結局、泰平の世は俺の机の上で増殖するんだよな……」
俺は、新しく積まれた『御城碁御城将棋・試行準備控』の表紙に、諦め半分で筆を入れた。
元和三年、旧正月。
江戸城の宴では、かつてなら戦の話になっていたはずの武士たちが、相撲の番付を語り、囲碁将棋の御前試合を語り、米蔵の増築を語っていた。
豊臣の名は、戦場ではなく土俵の歓声の中にあった。
竹千代兄上は、相撲を通じて大名の心を掴み始めていた。
家康は、盤上の勝負にまで、泰平の世の次の器を見出していた。
戦の世では、敗北は死と滅亡に直結した。
だが、泰平の世の勝負は違う。
土俵で負けても、次の場所がある。
盤上で負けても、次の一局がある。
何度でも負けられる世界。
何度でもやり直せる勝負。
それを作ることもまた、たぶん、民を生かすための政なのだ。
俺は筆先に墨を含ませ、真新しい帳面の一行目へ、ゆっくりと文字を書きつけた。
泰平の世は、今日もまた、俺の机の上で静かに増殖していた。
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