暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第103話 水鏡、ローマに眠る奇物蒐集を告げる

 元和三年、春。

 

 竹千代兄上の元服と鷹司孝子(たかこ)殿との婚約内定という、日ノ本の公武を結ぶ巨大な政略が、内々に動き始めた頃。

 

 江戸城の奥深く、限られた者しか入ることのできない厳重な座敷において、今月もまた、ローマ教皇庁との『月例の水鏡会談』が執り行われていた。

 

 参加者は、江戸側が家康、秀忠、竹千代、俺、そして天海と崇伝、本多正純。

 

 水鏡の向こう、地球の裏側の石室には、ローマ教皇パウロ五世と、ごく少数の高位聖職者、および書記官たちが顔を揃えている。

 

 初期の会談にあったような、「異教の怪しい島国が、奇跡の道具を使って接触してきた」というヒリヒリとした緊張感は、今はもうだいぶ薄れていた。

 

 南蛮書物御改の灰色本判定や、欧州の干ばつ・穀物価格の情報共有といった実務的なやり取りを重ねる中で。

 

 ……互いに相手を強烈に警戒しつつも、「国家を背負う者同士」として、定期的に情報交換をするという空気が定着しつつあったのだ。

 

「……我が孫、竹千代も。来年には元服を迎える」

 

 家康が、水鏡の向こうのパウロ五世へ向けて、静かに、だが重々しく切り出した。

 

「あわせて。京の公家の最高の家柄の一つ、鷹司家の姫と、縁を結ぶ手筈を進めておる」

 

 家康の言い方は、決してただの「孫のめでたい結婚話」という軽いものではなかった。

 

 あくまで、国家の枠組みを固めるための『政略婚』であることを、隠すことなく伝えたのだ。

 

 パウロ五世は、少しだけ目を見張り、そして素直な祝意を言葉にした。

 

「それは。……まことに、めでたいことにございます」

 

 教皇は、柔らかな、しかし政治の重みを理解した声で言う。

 

「次代の君主が、古き権威ある家と強固な縁を結ぶ。……それは、ただ一つの家の慶事にとどまらず、国の安定にとって、極めて大きな意味を持つことになりましょう」

 

 竹千代は、少しだけ緊張した面持ちで、水鏡へ向かって深く礼を述べた。

 

 まだ数えで十四の少年ではある。

 

 だが、相撲の興行、銀台帳の監査、星見の記録、そして自身の婚姻の重さを受け止める過程を通じて、彼の顔つきは確実に『次代の将軍』としての自覚を帯び始めていた。

 

「ぜひ。我らローマからも、何か祝意を示す品を贈らせていただきたい」

 

 パウロ五世が、友好的な笑みを浮かべて申し出た。

 

 だが、家康は即座に、しかし極めて丁重にそれを断った。

 

「ありがたき御心、確かに受け取り申した。……ただ」

 

 家康は、少しだけ声を落とした。

 

「この水鏡を用いた会談は、未だ日ノ本の天下へ大っぴらに明かせるものではござらぬ。……貴国からの祝品が『形』として残れば、かえって貴国にも、我らにも、国内にて要らぬ疑いや軋轢を招きましょう」

 

「今は。……その御言葉の祝意だけで、十分にござる」

 

 パウロ五世も、その政治的な配慮の深さを即座に理解し、深く頷いた。

 

「……なるほど。見える贈り物が、時に、見えぬ争いを呼ぶ。分かりました。では、この祝意は、純粋な祈りの『言葉』としてのみ、お受け取りください」

 

(……大御所様。祝いの品すらも、国内の『外交火種』として見る警戒心、徹底してるなぁ)

 

 俺は内心で感心した。

 

(でも確かに。ローマ法王から直接、謎の豪華な祝品が次期将軍の竹千代兄上に届いたなんて知れたら……禁教令下でピリピリしている国内の宗門関係者も、長崎の南蛮商人も、そして京の朝廷や公家たちも、絶対に『幕府とローマが裏で手を組んだのか!?』って、最悪の邪推を始めるもんな)

 

 *

 

「……日ノ本でも、十五歳前後で『成人』として見なされるのですか」

 

 パウロ五世が、竹千代の元服の年齢に少し関心を示して尋ねた。

 

 家康は頷き、武家の元服の仕組みを説明した。

 

「武家においては、元服をもって『大人』の扱いとなる。家格や役目によって早い遅いの差はあるが……概ね、十代の半ばで、家を背負い、大人の責任を負い始めることになっておる」

 

「竹千代も、来年には名を改め、より明確に『次代を担う者』としての重き立場を持つことになろう」

 

『ちなみにね』

 

 視界の端で、KAMI様が俺にだけ聞こえる声で補足を入れた。

 

『この時代の欧州でも、教会法や各地の慣習法では、だいたい十四歳から十五歳前後で「責任ある年齢」と見なされることが多かったわ。結婚の同意、労働の開始、誓約、相続、奉公。……もちろん、身分や地域で差は大きいけどね』

 

『王族や大貴族の、実際の「婚姻生活の開始」はもう少し後になることもあるけど。婚約や政略結婚の調整自体は、十代前半から普通に行われるわ。だから、竹千代の年齢を聞いても、ローマ側はそこまで驚かないのよ』

 

(……現代日本なら、十八歳でようやく成人だけど。この時代だと、十四、十五で普通に国家レベルの家と婚姻を背負うのか)

 

 俺は、前世の記憶と目の前の現実のギャップに、改めて胃を痛めた。

 

(分かってはいる。分かってはいるけど……兄上、背負わされるものが重すぎるって)

 

 だが、俺はそんな現代の倫理観を口に出して、この時代の常識に泥を塗るような真似はしない。

 

 俺の頭の中で、政治的な『翻訳』が機能する。

 

「……兄上は、すでに江戸での相撲興行の差配や、諸大名との応対も立派にこなされております」

 

 俺は、外向きの丁寧な言葉で言った。

 

「御年は若くとも。……背負うべき天下の務めを、着実に、そして重く学ばれております」

 

 パウロ五世は、静かに頷いた。

 

「……若き身で、国家の責任を負うことは、誠に重い。しかし。国の重みというものは、若者が育つのを『待って』はくれませんからな」

 

 *

 

 互いの次代の話で少し空気が和らいだところで、パウロ五世が、ふと、本音のようなものを漏らした。

 

 最近の欧州は、あまりにも不穏だ。

 

 先日の会談でも出た、大干ばつと穀物価格の高騰。

 

 そして、三十年戦争の前夜とも言える、諸侯同士の抜き差しならない宗教的・政治的な緊張。

 

 誰もが互いを疑い、密使の報告に怯え、刃を研いでいる。

 

 そんな中、パウロ五世は、この『水鏡会談』の経験を踏まえて、こんなことを語り始めた。

 

「……私は最近、ふと思うのです」

 

 教皇の声には、深い祈りのような響きがあった。

 

「この水鏡のように。遠く隔たった王や君主たちが、直接顔を合わせ、偽りのない言葉を直接交わすことができるならば。……世界の血みどろの争いは、少しは減るのではないか、と」

 

 海を越え、険しい山を越え、何ヶ月もかかる使者の歪んだ報告や、悪意のある噂を挟むことなく。

 

 ただ、相手の顔を見て、目を見て、直接話せる。

 

 それは、この時代のパウロ五世にとって、まさに神がもたらした『平和への奇跡』に思えたのだろう。

 

「書簡は届くのが遅く、使者は時に己の都合で言葉を歪め、市井の噂は毒を含みます」

 

「けれど。……こうして顔を合わせて言葉を交わせば、誤解の幾つかは確実に消える。もし、欧州の王たちが、このように互いの目を見て直接話せたならば……」

 

 家康も、凄惨な戦国の世を生き抜いてきた経験から、その言葉に深く、深く頷いた。

 

「……儂も、裏切りの絶えぬ戦国の世を見てきた。使者の言葉一つ、敵方の噂一つ、書状の文言のわずかな違い一つで。……互いが疑心暗鬼に陥り、抜き差しならなくなって刃を交えることなど、幾度もあった」

 

「もし、あの時。……その場で敵方の将と顔を見て、真意を話せる術があったなら。……避けられた無用な戦も、確かにあったかもしれぬ」

 

 秀忠も、無言で頷く。

 

 どれほど敵対していても、直接顔を合わせる場があれば、最低限の「ここは越えない」という線引きの交渉はできる。

 

 竹千代も、先日の相撲興行の経験から、「顔を合わせること」の絶大な意味を理解し始めていた。

 

「大名たちも。同じ土俵を見て、同じ勝負に声を上げれば、互いの顔が見えるようになります。……ただ遠くから文だけで冷たく命じるより、同じ場に立つことは、はるかに大きいのだと感じました」

 

 水鏡の向こうとこちらで、一見、とても美しく希望に満ちた空気が流れた。

 

 しかし。

 

 俺の内心は、その美しい言葉を聞いて、ひどく重く沈み込んでいた。

 

(……未来では。遠くの人間と、いつでも顔を見ながら話せる便利な道具なんて、普通に、当たり前にあるんですよ)

 

(世界中の人が、一瞬で文字を送れて。映像もリアルタイムで見られて。言葉の壁すら、自動の翻訳でどんどん便利になっていって……)

 

(……それでも。戦争は、なくならなかった)

 

『そうね。……通信の技術は、人間同士の物理的な距離を確実に近づける。けれど。……近づいたからといって、互いの心を「分かり合える」とは限らないわ』

 

 KAMI様が、静かに、冷酷な真理を補足する。

 

『宗教、肌の色、言葉、国境、金、食べ物、歴史の深い恨み、民族、階級、思想。……遠くにいて、相手のことが全く見えなくて「知らない」から、恐れて憎むこともある。……でも、通信が発達して、相手のことが近くで「見えすぎる」からこそ、自分たちとの違いが許せなくて、激しく憎悪することもあるのよ』

 

『顔が見えれば、平和になる。……そうだったら、本当に良かったわね。でも、人間の現実は、そんなに単純じゃない。もっともっと、救いようがないほど面倒よ』

 

 俺は、何も言えなかった。

 

 ここで、未来の知識を披露して、「いやいや、後の世でも通信が発達したのに普通に戦争してますよ」なんて絶望の事実をぶちまけても、誰も救われない。

 

 だから、俺は奥歯を噛み締め、口を噤(つぐ)んだ。

 

 パウロ五世は、自分自身の祈りとして、静かに言った。

 

「……未来では。無用な争いが少しでも減り、人々が顔と言葉を直接交わせることで、平和に近づくことを祈りましょう」

 

 家康も、静かに頷く。

 

「うむ。……未来の世がどうなるかは、我らには分からぬ。……ならば、今を生きる我らは、今目の前で『できること』を、ただ泥臭くやっていくしかありますまい」

 

(そうだ。未来でも争いは消えないなんて、今ここで彼らに言う必要はない)

 

(今、この水鏡の通信を使って、無用な流血の誤解を少しでも減らし、できる限りの実務の交渉をする。……それしかないんだ)

 

 *

 

 少しだけ重くなった空気を切り裂くように、パウロ五世が、今回の会談の『本題』を切り出した。

 

「……実は。我々も近頃、貴国が『奇物』と呼ぶ不思議な品について。……教皇庁の内部において、極秘の調査と探索を始めました」

 

 その言葉に、江戸側の全員にピクリと緊張が走った。

 

 家康は、興味深そうに目を細めた。

 

「ほほう。……それで、何か見つかりましたかな」

 

 パウロ五世は、小さく頷いた。

 

「欧州の全土においては、まだ目立った成果はございません。……ただ、我々ローマ教皇庁が古くから管理している、地下の古い収蔵物の中に。……明らかに、通常の鉱物や自然の理では説明のつかない『石』が見つかりました」

 

 その石は。

 

 かつて「異教の穢れた物」、あるいは「悪しき迷信に関わる呪物」として、長らく人目に触れぬよう、教会の地下深くで破壊されずに封印保管されていたものらしい。

 

 だが、最近になって、日本の『永冷石箱』の驚くべき冷気の報告を知った一部の聖職者が、「この古い石は、日本側が『永冷石』と呼んでいるものに、性質が似ているのではないか」と気づき、報告を上げたのだという。

 

「その石は、教会の『聖遺物』として崇敬されてきたものではありません。むしろ、異教の穢れた物として、忌むべきものとして扱われておりました」

 

 パウロ五世の目が、俺を真っ直ぐに捉えた。

 

「しかし。……貴殿らとの水鏡の会談を経て、貴国の『分からぬものは、灰色として封印する』というやり方を聞き。……我らはこの石を安易に破壊せず、教皇庁の厳重な管理下に移し、調査すべきだと判断したのです」

 

(……マジか!! ローマ側、もう欧州の奇物探索を始めてる!?)

 

 俺は内心で驚愕した。

 

(しかも、「異教の物だからすぐに叩き割って燃やす」っていう今までのやり方から、「一旦壊さずに、保管して記録する」っていう方向に、行政的な判断を切り替えてるぞ!)

 

「……これは、聖なる『聖遺物』ではないのでしょうか。神の奇跡として扱うべきものではないのか。あるいは、異教の汚れた呪物として、やはり退けるべきなのか」

 

 パウロ五世は、探るように尋ねてきた。

 

「……我々には、まだその判断がつきません」

 

 *

 

 江戸側も、この問いの重大さに緊張した。

 

 崇伝は、宗門問題への強い警戒から「異教の妖術の類であれば、軽く扱うべきではない」と目を細め、天海は「壊さずに残し、調査する判断は評価すべき」と数珠を鳴らす。

 

 そして家康は、ローマが奇物管理に乗り出したことの『圧倒的な情報的価値』を即座に理解していた。

 

(……ローマが、欧州全土の古い修道院や教会、地下の封印庫の調査を本格的に始めたら。……とんでもない数の、眠っている危険な奇物が出てくる可能性があるぞ)

 

 ここで、俺は極めて慎重に答えを返す必要があった。

 

 絶対にやってはいけない地雷の踏み抜き方が、二つある。

 

 一つ目は、「それはキリスト教の神の奇跡なんかじゃありません、ただの異星の道具です」と断言しすぎて、ローマ側の神学的な権威を真っ向から否定すること。

 

 二つ目は、「それは神の聖なるものです」と安易に認めてしまい、その危険な奇物を、彼らの狂信的な『聖遺物』や『信仰の対象』へと昇格させてしまうこと。

 

 だから、俺は前回の地動説の時と同じく。

 

 ……断定を完全に避けつつ、徹底的な『実務と帳面のルール』へと落とし込む手法を取った。

 

「……それが何であるか。私が、遠く離れたこの地から断じられることではございませぬ」

 

 俺は、外向きの丁寧な言葉で言った。

 

「ただ。我らが日ノ本で扱っている永冷石や奇物というものは……少なくとも、『信仰の対象として祭壇に祀るため』のものではございません。あくまで、現象を冷静に観察し、危険を避け、用途を厳格に限って、帳面で縛って扱うべき『道具』だと考えております」

 

 さらに、言葉を続ける。

 

「……それが、キリスト教の奇跡であるとも。異教の恐ろしい呪物であるとも。……今ここで、急いで決めつけぬ方がよろしいかと存じます」

 

「分からぬものは、まず『分からぬもの』として。……壊さず、使わず、ただ記録する。それが、最も安全で肝要な道にございます」

 

 パウロ五世は、口を挟まずに静かに聞いている。

 

「それが何であるかを、急いで『信仰の言葉』で包んでしまえば。……人は必ずそれに熱狂し、拝み、他国から奪い合い、自らの欲望のために利用しようとします」

 

「逆に、異教の忌むべき物だと急いで決めつけて叩き壊してしまえば。……後の世の人間が、その石から読み解き、理解できたかもしれない『世界の理』を、永遠に失うことになります」

 

『まあ、正確に言えばね』

 

 KAMI様が、俺の耳元で恐ろしい補足を囁いた。

 

『この地球には、本当にいろんな由来の「アーティファクト(奇物)」が転がってるのよ。神仏ノードが干渉した系、人間の強い祈りや恐れが何百年も蓄積して固まった呪物系、大昔の異星文明の置き土産、はるか別の次元の文明の観測具、ただの封印された事故物件……。分類なんて、そう簡単じゃないわよ』

 

『中にはね。起動した瞬間、本当に「地球の環境を物理的に壊せる」レベルのヤバい代物も普通に転がってるから。……無知な人間に、気軽に祈りを込めて起動されたら、本気で困るのよねぇ』

 

『もし、地球破壊爆弾みたいなのを誰かがうっかり押しちゃったら。……時間を無理やり巻き戻して、それを没収して、世界の運用を元に戻すの、私がクソ大変なんだから!』

 

(……地球破壊爆弾!? 今、さらっと最悪の単語出ませんでした!?)

 

 俺は内心で叫んだ。

 

(ドラえもんのひみつ道具みたいなノリで、とんでもない物騒なこと言わないでくださいよ!)

 

『だから。ローマ教皇庁みたいに、巨大で、権威があって、何百年も長く続く組織が。「よく分からないものは、壊さず、使わず、集めて、帳面をつけて封印保管しててくれる」なら。……管理者である私としても、ものすごく楽なのよ。あんたたち人間が、勝手に壊したり起動して世界をバグらせたりしなければね』

 

 俺は、顔を引きつらせながらも、表向きは極めて冷静な行政官の顔を保ち、言葉をまとめた。

 

「法王猊下。まずは、徹底的な『保管と記録』に徹してください」

 

「見つけた場所、伝承、石の形、重さ、温度、色、触れた時の微細な変化、周囲の生物への影響、過去に起きた事故。……その全てを、できるだけ正確に、冷徹な『帳面』に書き残すのです」

 

 *

 

 パウロ五世は、実務的に尋ねてきた。

 

「……では。我らはこのような不可思議な品を、どのように扱えばよいのでしょうか」

 

「聖遺物として信徒に公開してはならない。異教の呪物として壊してもならない。では……何と呼び、どこへ置くべきか」

 

 俺は、ローマ側へ向けて、『暫定的な分類と運用のルール』を提案した。

 

 日本側の『御異物改方』と全く同じ発想だが、ローマの文脈に合わせて、「秘匿保管」「観察記録」「神学的な判断の保留」という形に翻訳して伝える。

 

【ローマ側における、奇物管理の暫定方針】

 

 一、聖遺物であると、早急に断じない。

 

 二、悪魔の物、異教の呪物であるとも断じない。

 

 三、絶対に破壊しない。

 

 四、民衆へは公開しない。

 

 五、聖職者が、祭壇に置いて信仰の対象として祀らない。

 

 六、現象、伝承、保管場所、管理者、事故歴を、詳細な帳面に記録する。

 

 七、用途不明の物は、決して『起動実験』をしない。

 

 八、必要であれば、水鏡会談で江戸へ情報を共有し、相談する。

 

 九、類似品が出た場合、すぐに比較検証できるよう『目録化』する。

 

 十、後の世の学者や聖職者が正しく判断できるよう、破壊よりも『保存』を優先する。

 

「今の我らに分からぬ物を。……今の我らの知識と、今の信仰の言葉だけで、無理に裁き切る必要はございませぬ」

 

 俺は、真剣に訴えかけた。

 

「……百年後、二百年後の後の世の人間が。我らよりも、その石の理をよく理解するかもしれない。そのために、我らは壊さず、隠しすぎず、しかし軽々に使わず。……ただ『記録』を残して、未来へ渡すべきです」

 

 パウロ五世は、その言葉に深く感じ入ったように目を閉じた。

 

「……後の世の者のために。分からぬものを、分からぬまま、壊さずに残す、ですか」

 

「はい。……これは、貴国の信仰を否定することではございませぬ。神の理であるか、人の理であるか、自然の理であるか。……今すぐ断じず、ただ慎重に扱う、ということにございます」

 

 これは、南蛮書物の『白黒灰色の分類』と全く同じ論理だ。

 

「白(安全)か、黒(危険)か、今すぐ断じられないもの」を、灰色として燃やさずに封印した。

 

 今回は、その『奇物版』である。

 

 つまり、奇物にもまた、白・黒・灰色の厳格な運用が必要になるということだ。

 

 *

 

「……不可思議な物を、信仰の対象にせぬという線引きは。必ず、厳格に守らねばなりませぬ」

 

 崇伝が、鋭い視線で忠告した。

 

「人は。分からぬ物を見れば、すぐにそれを拝み、己の都合の良い噂を広げ、己の俗物的な欲に結びつけるものにございます」

 

 それは、キリスト教だけの話ではない。

 

 日本の神仏の奇物でも全く同じだ。

 

 魔鏡、永冷石、暗箱写し、どこでもキューブ……。

 

 放っておけば、何でも信仰と権威と欲望の道具にされてしまう。

 

「されど」

 

 天海が、数珠を鳴らして応じる。

 

「分からぬものを恐れるあまり、ただ盲目に叩き壊してしまえば。……後の世の知恵も、全て永遠に失われまする。畏れつつ、記す。触れぬようにして、残す。……これは、なかなかに難しき『中道(ちゅうどう)』にございますな」

 

(まさに、その通りだ。聖遺物として祀っても危険。異教の呪物として焼き払っても危険。……今の俺たちには『分からない』からこそ、徹底的に記録して、安全に封印するしかないんだ)

 

 そして。

 

 家康は、このローマの動きの『政治的・情報的な圧倒的価値』を、即座に見抜いていた。

 

 ローマ教皇庁は、欧州中の無数の教会、修道院、聖遺物庫、そして古い異端審問関係の地下保管庫に、強固な繋がりと権威を持っている。

 

 彼らが、そこに眠る「よく分からない物」を、破壊せずに集める方針に変われば。

 

 ……欧州由来の未知の奇物情報が、全てローマという一点へ集まることになる。

 

 日本には、江戸の御異物改方がある。

 

 ローマには、教皇庁の秘匿保管網ができる。

 

 この二つが、月例の水鏡会談で情報を交換し合えば。

 

 ……人類史上初の、『世界規模の奇物目録(アーティファクト・データベース)』が生まれるのだ! 

 

「貴国は、欧州の古き教会や修道院に、広き『目』を持つ。……我らは日ノ本の神仏の伝承と、港の商いの『目』を持つ」

 

 家康が、静かに、だが力強く言った。

 

「互いに。……分からぬ物を壊さず、帳面に記録しておけば。……いつか後の世に、大いなる助けとなりましょうな」

 

「ええ。……それは、聖なる物をただ集めるためではなく。危うき物を人の手から遠ざけ、記録するための『目録』、ということですね」

 

 パウロ五世も、その意義を深く理解した。

 

「はい。信仰の目録ではなく、危険と現象の目録です」

 

 俺が頷くと、竹千代が非常に分かりやすい整理をしてくれた。

 

「……書物にも、白、黒、灰があった。……奇物にも、同じく白、黒、灰があるのだな」

 

「はい、兄上」

 

 俺は、力強く答えた。

 

「役立つと分かっている物。危険だと分かっている物。そして……『分からぬ物』。……この、分からぬ物を、無理に白や黒の枠へ押し込んで断定しないことが、何よりも大切なのです」

 

 *

 

 パウロ五世は、今回見つかった謎の石について、後日、詳細な観察記録を江戸側へ送ると約束してくれた。

 

 直接、実物を水鏡越しに見せることは、今回は避けた。

 

 水鏡越しの不鮮明な映像で物体を正確に観察できるか不明であり、誤った判定を下す危険性が高いためだ。

 

 まずは、ローマ側で厳密な『観察記録の帳面』を作らせる。

 

 発見場所。

 

 どういう伝承があるか。

 

 冷たいのか、熱いのか。

 

 水や火に近づけるとどうなるか。

 

 形、重さ、色。

 

 近くに置いた食料や水に変化はあるか。

 

 金属や木に触れた時の変化。

 

 過去に起きた事故の記録。

 

「ただし、実験は最小限に留めてください」

 

 俺は、最後に強く釘を刺した。

 

「分からぬものに、無闇に火を近づける、血を垂らす、祈りを捧げる、大人数で同時に触れる。……そうしたことは、絶対に避けてください」

 

 パウロ五世は、少しだけ苦笑した。

 

「……祈りを捧げるな、というのは。我ら聖職者にとっては、なかなか難しい言葉ですな」

 

「あ、失礼いたしました。神への祈りそのものを禁じるという意味ではございません」

 

 俺は慌てて補足した。

 

「ただ、その石そのものを『奇跡の源』として崇め、祈りの力で【起動】させようとするような儀式は、危険ですので絶対に避けていただきたい、という意味にございます」

 

「なるほど。……神へ祈ることと、その石を『神の代わり』として扱うことは全く違う。そこを決して混同してはならぬ、ということですね」

 

 パウロ五世は、穏やかに、しかし深く納得したように頷いた。

 

(この教皇、やっぱり理解が異常に早いな……。本当に、政治家としても宗教家としても、極めて優秀で強い人だ)

 

 *

 

 水鏡会談が終わり。

 

 通信が切れた後の自室で、俺は、またしても頭を抱えていた。

 

 俺の机の上には、さっそく『新しく作らねばならない帳面』の案が山のように積まれていた。

 

『水鏡月例会談・竹千代君元服婚約祝意・受領控』

 

『ローマ教皇庁・奇物探索開始報告控』

 

『欧州保管奇物・第一報聞書』

 

『聖遺物非該当・異教物非断定・取扱覚書』

 

『ローマ用・奇物観察記録様式案』

 

『水鏡越し奇物相談・回答控』

 

『奇物白黒灰分類・国際照合台帳』

 

『破壊禁止・起動禁止・記録優先原則控』

 

『後世判断留保・封印保管覚書』

 

「……書物の白黒灰色判定だけでも死にそうだったのに。……今度は、奇物の白黒灰色分類まで『国際化』するのかよ!!」

 

 俺は、誰もいない部屋で絶叫した。

 

「しかも、ローマ教皇庁が本気を出して、欧州中の教会や修道院の地下倉庫を探し始めたら……。どれだけヤバい『意味不明な奇物』が大量に発掘されて報告上がってくるか、分かったもんじゃないぞ!」

 

『良かったじゃない』

 

 KAMI様が、ケラケラと軽く笑った。

 

『あんた一人の力で世界中のアーティファクトを探して歩くより。ローマが勝手に集めて、全部綺麗に帳面つけてリスト化してくれる方が、圧倒的に楽でしょ?』

 

「……楽? これが楽なのか……? 情報が増えるってことは、俺がそれに対応して裁くための『帳面』が無限に増えるってことでは……?」

 

『そうよ』

 

「やっぱり、全然楽じゃないじゃないですか!!」

 

 *

 

 俺は、重い溜息をつきながら、新しい帳面の束を整えた。

 

 水鏡会談は、始まった当初は、単なるローマとの『宗教問題と外交火種』の場だった。

 

 それが今では。

 

 欧州の飢饉と穀物価格の情報共有、三十年戦争前夜の不穏な兆候の監視、地動説という科学史の地雷回避、竹千代兄上の婚約に対する祝意のやり取り。

 

 ……そして、奇物管理の『国際的な協力ネットワーク』にまで、広がりを見せている。

 

(……遠くの者の顔を見て直接話せれば、平和になるかもしれない。パウロ五世は、祈るようにそう言った)

 

(でも。……未来の歴史を知る俺には、それだけでは絶対に足りないことも、分かっている)

 

 顔を見ても、人は些細なことで争う。

 

 言葉が直接届いても、誤解は完全に消えることはない。

 

 むしろ、言葉が瞬時に届くからこそ。

 

 憎しみも、怒りも、遠くまで一瞬で届いてしまうのだ。

 

(だからこそ。……せめて今は。言葉が届いた相手と、丁寧に『法』を作り。分からない物を壊さず、聖なる物とも呪われた物とも決めつけず、ただ静かに帳面へ載せていく)

 

 米は、食べるために蔵へ入れる。

 

 知識は、読むために蔵へ入れる。

 

 人材は、育てるために蔵へ入れる。

 

 縁は、腐らせないために帳面へ入れる。

 

 そして……『奇物』は、使うためではなく。

 

 壊さず、後世へそのまま渡すために、封じる。

 

「……分からないものを、分からないまま、残す」

 

 俺は、筆を置き、ぽつりと呟いた。

 

「……それも、未来へ無事にバトンを渡すための、一つの『保守』の形なのかもしれないな」

 

『そうよ。全部を、今の時代の未熟な人間が、無理に理解して白黒つける必要はないわ』

 

 KAMI様が、珍しく少しだけ真面目な声で言った。

 

『壊さず、暴走させず、安全な箱に入れて「次の世」へ渡せれば。……それだけで、あんたたち人間は、かなり偉いのよ』

 

 俺は、その言葉に少しだけ救われたような気がした。

 

 ……ただし、その直後に机の上の暴力的な帳面の束を見て、すぐに過酷な現実へと引き戻された。

 

(偉いかどうかはともかく。……俺の睡眠時間を削る仕事が、また爆発的に増えたことだけは、揺るぎない事実なんだよな……)

 

 元和三年、春。

 

 江戸とローマを結ぶ水鏡は、ただ言葉を映すだけの魔法の道具ではなくなりつつあった。

 

 それは、世界の各地に眠る、名も分からぬ危険な奇物を。

 

 ……壊さず、祀らず、ただ記録して次の世へ渡すための、細く、しかし極めて強靭な『帳面の糸』になり始めていた。

 

 そして俺は。

 

 その糸が、世界中のどんな恐ろしい爆弾に繋がっているのかを想像し、また胃を限界まで痛めながら……新しい『ローマ奇物記録様式案』の表紙に、震える手で墨を入れるのだった。

 

 




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