暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第105話 水神様、大御所様の死期と婚姻前倒しに茶を吹く

 元和三年、夏。

 

 日ノ本の各地では、青々とした稲が田を覆い、風に揺れながら力強く育ち始めていた。

 

 ここ最近、御異物改方の俺の机に届く報告書は、珍しく、本当に珍しく、比較的明るい内容のものが多かった。

 

『各村・代官所における、公儀蔵規格に沿った床上げ改築、概ね完了』

 

『長期の籾保存用の蔵と、短期の白米移送用の蔵の分離、定着しつつあり』

 

『蔵番と蔵目付による複数人での鍵管理、軌道に乗り始める』

 

『蔵札と現物米の照合、なお重労働なれど、昨年ほどの混乱は少なし』

 

『水番・水札の運用、村方にも慣れが見え始め候』

 

 俺は、その報告書の束を読みながら、ふぅ、と長く息を吐いた。

 

 ……これは、もしかして。

 

 今年は少しだけ、楽なのでは? 

 

 いや、いかん。油断してはいけない。

 

 この世界は、俺が「少し楽になるかも」と気を抜いた瞬間、必ずどこからともなく新しい地獄の火種を全力で投げつけてくる仕様になっている。

 

 それでも、少なくとも田んぼと蔵という、この国の絶対的な生命線については、去年の絶望的な混乱よりは、はるかにマシになっている。

 

 マシ。

 

 たったそれだけの言葉が、これほど尊く、ありがたいものだったとは。

 

 前世のブラック企業で、毎日死んだ目をしてサーバーの保守をしていた時代ですら、思いもしなかった。

 

 今年は、少しだけ。

 

 本当に少しだけ、この底なしの蔵地獄から抜け出せるかもしれない。

 

 そんな、平和で心穏やかな夏の日の午後。

 

 家康から、俺のところへ内々の呼び出しがかかった。

 

 場所は、江戸城内の奥まった茶室。

 

 呼ばれていたのは、俺、家康、そして八百比丘尼ことお里の三人だけだった。

 

 秀忠はいない。

 

 竹千代もいない。

 

 正純すらいない。

 

 つまり、これは公の評定ではない。

 

 家康が、俺個人に対して確かめたいことがある、という場だ。

 

 茶室に足を踏み入れた瞬間、俺の胃がきゅっと縮み上がった。

 

 この顔ぶれ。

 

 絶対に、ろくでもない話になる。

 

 家康と、千年を生きる八百比丘尼。

 

 この二人だけの茶会など、政治の裏話か、寿命の話か、神仏の話か、不老不死の話か。

 

 とにかく、俺の胃に悪い話題しか出てこないに決まっている。

 

「さあさあ、今日は変な薬とか入ってないから、安心して食べていいよー」

 

 お里は、いつものようにどこからともなく取り出した茶菓子を、盆に並べていた。

 

 上品な甘さの干し柿。

 

 小さな餅菓子。

 

 そして、見たこともない謎の保存菓子。

 

「……あなたのその『入ってないよ』という言い方が、すでに一ミリも信用できないんですが」

 

「ひどいなー。今日は本当に普通のお菓子だよ」

 

 俺が疑いの目を向けていると、家康はからからと笑い、何のためらいもなく干し柿を口に運んだ。

 

 茶会は、最初、ごく穏やかに始まった。

 

「国松。最近の田の様子はどうじゃ」

 

「はい、大御所様。今年は天候も今のところ大きく崩れず、稲も順調に育っております。蔵の改築も進み、去年のように、野積みの米が腐るような混乱は避けられそうです」

 

「竹千代は、相撲にかまけすぎて政を疎かにはしておらぬか」

 

「ご案じには及びませぬ。兄上は、相撲の興行を通じて諸大名と自然に顔を合わせ、言葉を交わし……むしろ、見事な大名外交をなさっております」

 

「吉原の件で、町方は騒いでおらぬか」

 

「騒ぎはございます。ですが、町中に散らばっていた危うい火種を、見える場所へ集め、帳面と法で縛る作業は進んでおります」

 

 俺は、無難に、淡々と答えた。

 

 ここまでは、ただの孫と祖父の、穏やかな夏の茶会に見えた。

 

 だが、家康が茶碗を静かに畳へ置いた瞬間。

 

 茶室の空気が、ぴたりと変わった。

 

 家康の目が、天下人の深い光を帯びて、真っ直ぐに俺を捉えた。

 

「……国松」

 

「はい」

 

「儂は、本来ならば……もう、死んでおったのではないか?」

 

「ぶほっ!?」

 

 俺は、飲んでいた茶を盛大に吹き出した。

 

「げほっ、ごほっ……! お、大御所様!? きゅ、急に何を仰るのですか……!」

 

 必死に誤魔化そうとした俺の横で、お里が餅菓子をもぐもぐと噛みながら、あっさり言った。

 

「あちゃー。気付いたかー」

 

 言った。

 

 言いやがった。

 

 日本史上最大級のタブーを、茶菓子の味の感想みたいな軽さで肯定しやがった。

 

 だが、家康は怒らなかった。

 

 むしろ、どこか穏やかに、深く納得したように頷いた。

 

「……やはり、か」

 

「い、いや、その、大御所様……!」

 

「お前はな、国松」

 

 家康は、逃がさない声で続けた。

 

「儂の食う物、休む時刻、医師の診立て、冬の湯治、体を冷やさぬこと、塩気、酒の量に至るまで……あまりにも、やけに細かく気を配りすぎておった」

 

 俺は言葉に詰まった。

 

「最初は、孫が老いた祖父の体を案じてくれておるだけかと思うた。だが、時折、儂を見るお前の顔は、ただの孫の顔ではなかった」

 

 家康は、自分の手を見下ろしながら、静かに言った。

 

「それは、いずれ確実に崩れ落ち、失えば天下が激震する巨大な柱を、一日でも長く持たせようと、必死で支柱を当てている者の顔じゃった」

 

 見抜かれていた。

 

 家康には、俺の焦りが。

 

 未来を知る者としての、どうしてもこの人を失いたくないという必死さが。

 

 すべて、見抜かれていたのだ。

 

「加えて、八百比丘尼殿のような、人の理から外れた者が現れた。そして儂の体は、老いた身でありながら、妙に保たれておる」

 

 家康は、淡く笑った。

 

「人はな。いかに天下を治めようとも、己の身体のこととなれば、案外、直感で分かるものよ」

 

 そして、もう一度問うた。

 

「儂は、本来の天命ならば、もうこの世にはおらぬはずだったのではないか」

 

「うん」

 

 お里が、茶をすすりながら頷いた。

 

「本来の歴史の流れなら、家康ちゃんは、もうとっくに亡くなってるね」

 

「家康ちゃんはやめい」

 

 家康は苦笑した。

 

 俺は、もう誤魔化すことを諦めた。

 

 家康は、俺を責めるでもなく、ただ静かに見つめた。

 

「国松。お前は、儂が本来いつ死ぬはずだったのか……その正確な日を、あえて聞いてはおらぬのだな?」

 

 その問いに、俺は正直に答えるしかなかった。

 

「はい。聞いておりません」

 

「なぜじゃ」

 

「聞けば、その焦りは、必ず私の日々の態度に出ます」

 

 俺は、膝の上で両手を固く握った。

 

「それに……他人の死期を、正確な日付で知ってしまった者は、たぶん、人間を見る目が決定的に歪んでしまいます」

 

 家康は、何も言わずに聞いていた。

 

「大御所様が、今後いつ亡くなる運命だったかを、私は知りません。正直、知りたいと思ったこともあります。教えてくれと願いそうになったこともあります」

 

 だが。

 

 聞いてはいけないと思った。

 

「聞いてしまえば、私はその日付に縛られます。大御所様の顔を見るたびに、残り何年、残り何ヶ月、残り何日と、冷たい砂時計のように数えてしまう」

 

 それは嫌だった。

 

 家康という人間を、予定表の文字のように扱いたくなかった。

 

「私は、大御所様を『残り時間』として見たくありませんでした。だから、聞いていませんし……これからも、聞きません」

 

 お里が、珍しく茶化さず、少しだけ優しい声で言った。

 

「そこは、国松ちゃんらしいよね。未来の歴史を知っていても、今、目の前で生きている人を、冷たい寿命の数字だけで見たくないんでしょ」

 

 家康は、俺の言葉を聞き終えると、心底満足したように笑った。

 

「そうか」

 

 その一言だけで、十分だった。

 

「ならば。儂は、なおさら急がねばならぬな」

 

 そこから家康は、竹千代の元服と、鷹司孝子との婚約をなぜ急いでいるのか、その本音を語り始めた。

 

 もちろん、公武協調、朝廷との関係強化、竹千代を次代の将軍として盤石にするという政治的な意味はある。

 

 だが、それだけではなかった。

 

「儂が、この目で、竹千代の晴れ姿を見届けたいのだ」

 

 家康の声は静かだったが、鋼のように強かった。

 

「元服とは、童が一人前の武家として立つ、重き節目じゃ。婚約とは、次代の徳川と天下を背負う者として、最初に結ぶ大きな縁じゃ」

 

 家康は、ゆっくりと言葉を重ねた。

 

「それを、儂がまだ生きておるうちに見届けられるならば。無理をしてでも、見届けぬ手はない」

 

 胸が、ぎゅっと締め付けられた。

 

「本来ならば、もう死んでおったというのならば、今の儂は、天から余分に与えられた時を生きておるようなもの」

 

 家康は、茶室の外へ視線を向けた。

 

「ならば、その時を、ただ長く無為に生きるためには使わぬ。己が死んだ後、天下が崩れぬように。残すべきものを、確実に残すために使う」

 

「まあ、私の見立てじゃ、まだまだ元気に長生きすると思うけどねー」

 

 お里が、少し呆れたように言った。

 

「寿命とか死期を悟って生き急ぐには、ちょっと早すぎると思うよ、家康ちゃん」

 

「家康ちゃんはやめいと言うに」

 

「でも、自分の残りの寿命を意識して動くのは、為政者としては悪くないよ。急ぎすぎではあるけどね」

 

 家康は、からからと笑った。

 

「急ぎすぎかもしれぬ。だがな、八百比丘尼殿。戦国を生き抜いた武将というものは、明日、陣中で己が死ぬという前提で、今日の備えを整えるものなのじゃ」

 

 その言葉に、俺は家康という天下人の死生観を見た。

 

 普通なら、自分が本来の寿命を過ぎていると知れば、もっと生きたいと執着してもおかしくない。

 

 不老不死を求め、恐怖に狂っても不思議ではない。

 

 だが、家康は違った。

 

 死を完全に否定するのではなく、いつか必ず来るものとして受け入れている。

 

 その上で、自分の死後に天下が二度と戦乱へ戻らぬよう、竹千代を盤石に立たせること。秀忠の政を安定させること。朝廷との縁を固めること。

 

 そして、俺という国松が、危険な独立勢力にならず、兄を支える形に安全に収まること。

 

 そこまで見据えている。

 

 家康は、自分の命、自分の残り時間すらも、天下を安定させるための政の材料として見ているのだ。

 

 怖い。

 

 だが、たぶんこれが、地獄の戦国を終わらせ、江戸に幕府を開いた天下人という生き物の覚悟なのだ。

 

 重く静かな話が一段落したところで、家康は実にさらっと、とんでもない地雷を投げ込んできた。

 

「それに、案ずるべきは竹千代のことだけではない。国松。お前の縁も、今のうちに考えておかねばならぬ」

 

 俺は、全身が石のように固まった。

 

「わ、私は……! 私はまだ数えで十二です! そういう縁談などは、全然大丈夫ですので!」

 

「大丈夫かどうかを決めるのは、お前ではない」

 

 出た。

 

 徳川将軍家の子供に、人生の自己決定権など一ミリも存在しないやつだ。

 

 俺が冷や汗を流していると、家康は真顔で続けた。

 

「お前は今や、水神様などと呼ばれ、民からの人気もある。実務で公儀を動かす力もある」

 

「それは、その……」

 

「お前を下手に力ある大名家へ婿に出すも、巨大な所領を与えて独立させるも、極めて危うい火種となる。だが、縁を結ばぬまま宙に浮かせておけば、周囲の大名どもが勝手にお前という利を巡って、水面下で取り合いを始める」

 

 家康の言葉は、恐ろしいほど冷静だった。

 

「ならば、火種が燃え広がる前に、こちらから先に安全な形を作り、縛ってしまう方がよい」

 

 KAMI様が以前言っていた分析と、まったく同じだった。

 

 家を分ければ、史実の忠長問題の再来になる。

 

 だが放置すれば、縁談市場で最強の物件として、各家に取り合われる。

 

 逃げ場がない。

 

「国松。お前は、前の世では……妻や許嫁などはおったのか?」

 

「こ、恋人がいたことは、まあ、少しはありました」

 

 俺は、前世の記憶を掘り起こしながら、少しだけ自嘲気味に答えた。

 

「ですが、結婚はしておりません。許嫁もおりません。私は……自分の人生の大事なことから逃げて、ただ仕事ばかりしていましたから」

 

「元ブラック企業勤めの、悲しき仕事人間だもんねー」

 

 お里が、横でくすくす笑う。

 

 家康は、満足げに頷いた。

 

「そうか。ならば、何の問題もないな」

 

「何がですか!?」

 

「前の世の妻に操を立てねばならぬ、などという面倒な話ではないのだろう。ならば、この世の徳川国松として、しがらみなく国のための縁を結べるということじゃ」

 

 逃げ道を、ひとつずつ丁寧に潰されていく。

 

 家康は、この場で具体的な相手の名を出すようなことはしなかった。

 

 あくまで、今後の方向性を探るに留めている。

 

 それが逆に怖い。

 

「お前の場合、ただの大名家の娘では難しい」

 

 家康は淡々と分析する。

 

「強すぎる大大名の家と結べば、お前を神輿に担ぎ上げようとする者が出る。かといって、軽すぎる小大名の家では、お前の持つ水神としての立場と釣り合わぬと、周囲が勝手に騒ぐ」

 

 公家筋の姫なら、朝廷との繋がりを深められる。

 

 だが竹千代の鷹司家との縁と重なりすぎれば、公家側の影響力が江戸城内で過剰に強まる危険がある。

 

 中堅大名家の娘なら、政治的には調整しやすい。

 

 だが、水神様の格とやらに釣り合わないと、周囲が勝手に騒ぐだろう。

 

「水神としてのお前を見るならば、寺社に縁ある娘も、悪くないかもしれぬのう」

 

 家康は、冗談めかして言った。

 

 だが、その目の奥は本気だった。

 

「仏閣や社家の娘で、神仏の扱いを心得た賢き者ならば、お前のその奇妙で恐ろしい立場にも、怯えずに済むやもしれぬぞ」

 

「いやいやいや! そこで水神様設定を縁談の条件に使わないでください!」

 

 俺は全力で拒否した。

 

「そんなことをしたら、神格化の制御が完全に死にます! 神仏の権威と結びついたら、それこそ宗教的な大爆発を起こしますよ!」

 

 お里が、手を叩いて大笑いした。

 

「あはははは! いいじゃん、水神様の嫁探し! 全国の大寺社が、うちの娘をって大騒ぎでざわつくよー!」

 

「やめろ! 宗教戦争の火種を、俺の婚活市場に持ち込むな!」

 

 俺が必死に抵抗すると、家康も楽しそうに笑い、少しだけ言葉を緩めた。

 

「もちろん、軽々に決める気はない。ゆっくりと、お前と国にとって一番安全な相手を探す」

 

 だが、その次の言葉は重かった。

 

「だが、お前の縁をどう扱うかは、竹千代の縁と同じく、天下の火種を未然に防ぐために避けては通れぬ、重き政の話なのじゃ」

 

 前世の俺は、仕事が忙しいことを言い訳にして、人生の大事な人間関係から逃げていた。

 

 そして気づけば、過労で死に、この元和の江戸で徳川国松になっていた。

 

 今世でも、俺はまた仕事ばかりしている。

 

 田んぼ、米蔵、銀台帳、灰色本、星見、吉原、婚姻外交の文書。

 

 まるで、前世と何も変わっていない。

 

 だが今度は、俺一人の仕事人間の都合では済まない。

 

 俺の婚姻すらも、徳川という家と、日ノ本の天下の安定に直結してしまうのだ。

 

「前世で仕事ばっかりだったならさ、今世くらいは、仕事以外のことも真面目に考えたら?」

 

「その今世でも、俺には仕事以外を考える暇なんて一秒もないんですよ!」

 

 俺が叫ぶと、家康とお里は声を上げて笑った。

 

 茶会が終わりに近づいた頃、家康は、もう一度静かに言った。

 

「今の儂の時は、天が気まぐれに与えた余りの時かもしれぬ」

 

 その声には、老いへの恐怖ではなく、覚悟があった。

 

「ならば、その余りの時を、決して無駄にはせぬ」

 

 家康は、指を折るように、ひとつずつ挙げていく。

 

「竹千代の元服。摂家の姫との婚約。秀忠の政の安定。そして、国松、お前の安全な身の置き所」

 

「儂が生きておるうちに。儂が動ける間に、できる限りの火種を消し、形を整えておく」

 

 俺の胸は、鉛のように重くなった。

 

 俺は、家康に一日でも長く生きていてほしい。

 

 この圧倒的な天下人がいれば、どれほど厄介な火種も、だいたいは強権で抑え込めるからだ。

 

 だが、家康自身は違う。

 

 自分がいなくなっても、決して崩れない形を、残り時間で必死に作ろうとしている。

 

 それが、本当の意味での後始末であり、天下人の最後の仕事なのだ。

 

「聞かぬのか」

 

 家康が、ぽつりと問うた。

 

 俺は、真っ直ぐに答えた。

 

「聞きません」

 

「そうか」

 

 家康は、それ以上何も言わなかった。

 

 ただ、深く、満足そうに頷いた。

 

 茶室を出た俺は、広縁から江戸城の庭と、その向こうに広がる夏の緑を眺めていた。

 

 夏の田んぼは、風に揺れて美しく輝いている。

 

 蔵の増築も進み、今年の政は少しだけ順調に見える。

 

 だが、その順調な景色の裏で。

 

 家康は、自分が本来いないはずの時間を生きていると知り、その余りの時間を使って、竹千代や俺の未来を整えようとしている。

 

 田んぼは、毎年青くなる。

 

 蔵は、建てればそこにある。

 

 制度は、紙に書けば残せる。

 

 だが、人の命だけは。

 

 どれほど強固な帳面に載せて管理しようとも、いつか、必ず尽きる。

 

 だからこそ、家康は急ぐのだ。

 

 竹千代の元服と婚約を、生きて見届けたい。

 

 国松の身の置き所を、安全な形に決めたい。

 

 自分がいなくなっても、二度と徳川が割れず、天下が乱れない形にしたい。

 

 俺は、静かに去っていく家康の背中を見つめた。

 

 その背中は、まだ大きく、まだ力強く、まだ天下人そのものの威圧感に満ちていた。

 

 だが、俺は初めて、その圧倒的な背中の向こう側に、いつか必ず来る絶対的な不在の気配を見た気がした。

 

 俺はその日。

 

 青々と空へ向かって伸びる夏の稲を見ながら。

 

 豊作よりも、巨大な蔵よりも、面倒な婚姻外交よりも厄介なもの。

 

 人の残り時間という、決して帳面に載せきることのできないものの重さを、初めて、本当の意味で思い知ったのだった。

 

 




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