暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和三年、秋。
豊臣家から預かった恐るべき奇物、日輪千成瓢箪を御異物改方の最も深い蔵へ封印し終え、ようやく少しだけ一息つけるかと思った矢先のことだった。
自室で山積みの書類を整理している俺の前に、本多正純と城郭普請担当の吏僚たちが、新たな和紙の束を抱えてずらりと並んだ。
「……今度は、何ですか。また南蛮の奇物ですか。それとも米の蔵の増築ですか。吉原の揉め事ですか。まさか、また相撲の番付表ですか」
俺は、その束の厚みを見て、思わずあからさまに嫌な顔をした。
正純は、能面のような顔で淡々と答えた。
「城でございます」
「……はい?」
「全国の諸大名より、水害や台風等による城郭の修理願いが、まとまって届いております」
俺は、完全に動きを止めた。
城、だと。
一国一城令で、残す城と壊す城の七分類、甲から庚までの仕分けは、去年きっちり終わらせたはずだ。
だが、正純たちが持ってきた修理願いの束には、紛れもない、残すと決めた城の数々からの深刻な被害報告が並んでいた。
海防城、戊。
台風と塩害により、海側の石垣の一部が崩落。異国船監視用の櫓の瓦が飛んだため、早急に直したい。
蔵・役所転用城、丁。
本丸跡の建物を公儀の米蔵として使っているが、大雨で屋根が漏り、米が湿りかけている。また、周囲の石垣が崩れ、米を運ぶ荷車が通れない。
街道要衝城、己。
大雨で橋が流され、堀端の土手が崩れ、旅人と物資の通行に重大な支障が出ている。関所化した門の修理が必要。
そして、広島城、庚。
大雨および洪水により、広島城三ノ丸が浸水。石垣、堀、土塁、城内建物に甚大な被害あり。城下の排水や堤の修理も急を要する。
広島城。
福島正則殿の城か。
俺は、その名前を見て、内心でわずかに反応した。
ああ、そういえば。
歴史の知識に、そんな事件もあったな。
俺が記憶の糸をたぐり寄せていると、視界の端にKAMI様が現れた。
『やっほー。あんた、また新しい仕事が増えたみたいね』
KAMI様。
これって、史実だと、この後めちゃくちゃ揉めて、福島家が改易される決定的な引き金になったやつですよね。
歴史、変わりました?
『うん。史実と同じ形で、福島家が改易される流れはもう消えているわ』
消えている?
『ええ。公儀が史実よりずっと早く城郭修理届のルールを整えているし、福島家もすでに徳川の法の内側へ入り込む流れが強くなっている。だから、同じ形の理不尽な改易は発生しないわ』
……大きな影響は、ないんですか。
『福島家一つの処分より、城郭修理の仕組みが全国へ行き渡ることの方が、この世界ではずっと大きいわ。歴史の見どころは、もう派手な武将の改易劇じゃなくて、地味な法と運用の段階に移っているのよ』
なるほど。
史実の悲劇の芽は、この時点で一つ消えたわけだ。
だが、代わりに俺の目の前には、圧倒的な事務作業の地獄が姿を現していた。
「……正純殿。私、城というのは、壊す方が一番大変だと思っていたんですけど」
正純は、静かに首を振った。
「いいえ。残すと決めた城は、残した後が最も大変にございます」
「……ですよね」
「城は、雨で崩れます。地震で崩れます。台風で瓦が落ちます。堀は泥で埋まります。石垣は水を含んで膨らみます。木材は湿気で腐ります。米蔵に使えば米が傷み、役所に使えば人の出入りで床がすり減り、海防に使えば潮風で傷みます」
「……」
「壊せば、そこで終わりです。ですが、残せば、永遠に保守と修理が続くのです」
壊せば終わり。
残せば保守運用。
まさか、城にまで俺の生業の呪いがつきまとうとは。
俺は、絶望的な気分で頭を抱えた。
太閤の千成瓢箪というとんでもない奇物を封印して、少しは休めると思ったら。
今度は、日本列島すべての城郭の保守運用かよ。
『よかったわね。保守運用型、徳川国松の真の本領発揮じゃない』
ちっとも嬉しくない本領発揮なんですが。
『でも、これがあんたの仕事よ。壊れたところを見つけて、記録して、直す範囲を正確に決めて、次に揉めないように仕様書を作る。城はね、ただの石と木の塊じゃない。石と木でできた政治なのよ』
*
江戸城、小評定の間。
家康、秀忠、竹千代、俺、正純、そして土井利勝ら実務の重臣たちが集まり、この城郭修理問題の対応を協議していた。
正純が、諸国からの修理願いの一覧を読み上げる。
家康は目を閉じて黙って聞き、秀忠は武家諸法度との照らし合わせを頭の中で行っているようだった。
竹千代が、ふと、純粋な疑問を口にした。
「……祖父上。水害や台風で傷んだ城を直すことすら、なぜこれほどまでに面倒な手続きが要るのですか」
家康が、ゆっくりと目を開け、孫を見た。
「城は、ただの建物ではないからじゃ」
家康は、静かに言葉を続ける。
「直すとは、ただ木と石を組むことではない。兵を籠める器を整えることでもある。石垣を直す。堀の泥をさらう。櫓を建て直す。強固な門を補う。これらは、民を守るためであると同時に、いざという時の戦の備えを強化することでもある」
秀忠が、将軍として厳しい顔で続ける。
「大名たちの、民を救うための善意の修理と、いざという時のための密かな戦の備えは、外から見れば紙一重なのだ」
「では……直させぬのですか」
竹千代が問う。
「それも違う」
家康は首を振った。
「傷んだ城を放置すれば、公儀の米蔵が腐る。民の渡る橋が落ちる。城下が水に浸かる。海防の異国船の見張りもできぬ」
直させないと、民政が壊れる。
でも、好き勝手に直させると、軍事統制が壊れる。
ここが一番のジレンマだ。
「政とは、ただ直せと命じることでも、直すなと禁じることでもない」
家康は、竹千代の目を真っ直ぐに見て言った。
「どこまで直してよいかを、誰の目にも分かる形で、法として定めることじゃ」
竹千代は、その言葉の重さを噛み締めるように、深く頷いた。
*
そして、議論は最も重い案件、広島城の修理願いへと移った。
福島正則。
言わずと知れた、豊臣恩顧の筆頭格であり、天下分け目の戦で徳川に味方した最大の功臣の一人。
戦国の世を自らの槍で生き抜いてきた、武断派の猛将である。
彼からの願い出の文書は、その性格を表すように、極めて率直なものだった。
大雨により、三ノ丸が浸水。
石垣崩れ、堀から水が溢れ、城下の排水に甚大な支障あり。
領民の難儀を救うため、早急なる修理を願う。
文言はやや荒削りだが、被害を隠そうとしている様子はない。
「福島家の願いは、急を要するものにございます。城下の排水と、民の生活に直結しております」
正純が客観的な事実を述べる。
「だが、広島城は西国の要をなす大城じゃ」
秀忠が、警戒を露わにする。
「石垣、堀、櫓に手を入れるとなれば、周囲の諸大名が必ず注視する。あそこが許されるなら我らもと、なし崩しに勝手な軍備の増強が始まる恐れがある」
家康は、少しだけ目を細めた。
「……福島正則は、骨の髄まで戦場の男じゃ。己の城が傷めば、己の力で直す。本人にとっては、息をするのと同じくらい当然のことよ」
そうだ。
福島正則殿は、幕府への反逆などの悪意で城を直そうとしているわけじゃない。
純粋に、自分の城と民を守るために直そうとしているだけだ。
「だがな」
家康の声が、一段低くなった。
「天下はもう、その戦場の理だけでは動かぬのだ。正則が、どれほどそれを当然のことと思うておっても、公儀の法が、それを当然と認めねばならぬ」
悪意がないから許される。
そんな時代は、もう終わっているんだ。
俺は、この時代の転換点の残酷さを、肌で感じていた。
*
俺は、この城郭修理を完全に統制するための、新たな制度案を提示した。
「名称は、諸城修補願并検分定といたします」
俺は、自ら書き上げた帳面を開いた。
「まず、一国一城令で定めた城の七分類ごとに、修理できる範囲を明確に分けます」
甲、完全破却。
原則、いかなる修理も不可。危険箇所の残材撤去のみ可。
乙、部分残存。
残した部分の安全維持のみ可。新規の櫓、門、塀の建築は厳禁。石垣の補修は公儀の検分必須。
丙、関所化。
門、番所、橋の修理は可。軍事用櫓の再建は不可。通行機能を最優先する。
丁、蔵・役所転用。
屋根、床、壁、排水など、米蔵を保護する修理は可。湿気対策は奨励するが、防御力を高める石垣の拡張などは不可。
戊、海防。
異国船監視のための櫓、見張台の修理は可。ただし、砲台や堀の拡張は別許可。
己、街道要衝。
橋、土手、荷役場の修理は可。防御施設化は禁止。
庚、例外・本城。
すべて将軍の個別裁可とする。
「そして、すべての大名に対し、以下の手順を厳格に義務付けます。修理願いには、必ず被害箇所の詳細な絵図を添付すること。修理前と、修理予定の絵図を合わせて提出すること。水害や地震の場合は、民を救うための仮許可を即座に出すが、仮許可の範囲を超えた軍事部分の修理は、絶対の禁とすること。公儀から、必ず現地検分役を派遣すること。修理完了後には、完了報告書と修理後の絵図を提出させること」
俺は、息を継がずに一気に説明を終え、内心で盛大に突っ伏した。
また、信じられない量の帳面と手続きが増えた。
でも、これを作らなきゃ、日本中で勝手な軍備拡張と改易の嵐が吹き荒れるんだ。
*
そして、最も繊細な、広島城、福島家への具体的な処理が決定された。
一つ。
水害復旧のための仮許可を即座に出す。
城下の保護と排水改善のため、排水路、堤、水門、三ノ丸内の水損建物、崩落の危険がある石垣の仮押さえについては、緊急修理を認める。
二つ。
軍事施設部分は、厳格な別許可とする。
櫓の新築・増築、堀の拡張、石垣を以前より高く厚く積み直すこと、兵舎の増設などは、勝手に行ってはならない。
三つ。
絵図の提出と、公儀による現地検分。
被害前、被害箇所、修理予定の絵図を提出させ、公儀から検分役を派遣する。
「……正則を疑い、粗探しをして罰するためだけの検分ではない」
家康が、念を押すように言った。
「正則が、後になって他の大名から、勝手に城を強くしたと疑われぬようにするための、公儀の検分でもあるのだ」
竹千代が、その真意を完璧に理解して言った。
「……大名を罰するために帳面を作るのではなく、罰せずに済ませるためにも、帳面と検分が要るのですね」
兄上。
完全に、公儀の保守運用脳になってきてる。
俺は、竹千代の頼もしい成長に、内心で深く感動した。
*
方針が固まり、皆が少し安堵の空気を流しかけた時。
正純が、無慈悲な声で、俺の肩をとんとんと叩いた。
「国松様。では、この制度を各大名家へ配るための雛形の作成が必要にございますな」
「……雛形?」
「はい。修理願いの書式、被害絵図の書き方、仮許可の文言、検分役の心得、完了届の様式、そして範囲外修理をしてしまった際の申し開きの様式にございます」
俺は、その膨大な作業量を想像して、血の気を失った。
「……多すぎる!!」
「日ノ本の城は、多うございますからな」
「やめてください! 正論という名の物理攻撃で殴らないでください!」
『よかったわねえ。これからは、日本列島中にあるすべての城郭が、あなたの大事な保守運用対象よ』
俺は、前世でサーバーの運用保守に限界を感じて過労死したはずなのに。
なんで今世では、日本列島まるごとの城の保守運用をやらされてるんですか。
『すごいじゃない。規模が国家級にスケールアップしたわね』
スケールアップしなくていいです。
嬉しくない。
*
夜。
俺は、果てしない雛形の作成作業を進めながら、この城郭修理の制度化が持つ、本当の意味を考えていた。
戦国の世の城は、主君が兵を集め、敵の攻撃に備え、領民を武力で支配するための、絶対的な武の象徴だった。
だが、これからの泰平の世の城は、少しずつ、その役目を変えていかなければならない。
米を蓄える蔵。
政を執り行う役所。
街道の関所。
異国船を見張る海防の拠点。
そして、水害時の避難場所。
公儀の法に完全に従う大名たちが、責任を持って管理する天下の管理資産へ。
城という物理的な建物を、ただ無理やり壊すだけじゃ、武士の心の中にある戦国は絶対に終わらないんだ。
武士たちが、これは俺の城だから俺の好きに直すと思っていたものを、これは天下の秩序の中で公儀の許可を得て直す施設だという認識に、根本から変えていく。
地味だ。
信じられないくらい、地味な作業だ。
『地味だけど、強いわよ』
KAMI様が、珍しく真剣な声で言った。
『派手な合戦での勝利より、こういう書類と許可による地味な縛りの積み重ねの方が、人間の心の中から、次の戦の火種を確実に遠ざけていくのよ』
*
数日後。
福島家へ送るための、公儀からの返書の文面が完成した。
俺が考えた、城下保護のための水害の緊急修理の許可と、軍事部分の修理に関する厳格な絵図提出と検分の条件。
そのすべてに目を通した家康が、最後に、自らの筆で一行だけ、強烈な一文を書き加えた。
洪水にて城下を損ずるは、領民の大いなる難儀なり。
早く水を退け、民を安んぜよ。
ただし、城は、天下の器でもある。
修補は、必ず公儀の法に従うべし。
完璧だ。
俺は、その一文を見て震えた。
これなら、正則殿も、民を救うためという面子を一切潰されずに修理に専念できる。
そして公儀も、勝手に城の軍備を強くされたとは絶対に言われない。
『そう。ただ頭ごなしに処罰するんじゃなくて、処罰しなくて済む安全な道を作ってあげる。保守運用って、そういうものよ』
*
竹千代が、完成した雛形の帳面を見つめながら、俺に言った。
「……国松。先日の豊臣の瓢箪も、この諸国の城も、結局は、どちらも同じなのだな」
「同じ、ですか」
「外に漏れれば、戦の火種となる強大な力。それを、公儀の法の内へと入れ、勝手に燃え上がらぬように、帳面で縛る。太閤の残した奇物も、広島の巨大な城も、形は違えど、やっている政の根幹は、全く同じではないか」
俺は、竹千代のそのあまりにも本質を突いた言葉に、深く驚愕した。
「……兄上。それ、政治の神髄だと思います」
「ならば、私は、将軍となる者として、決して忘れずに覚えねばならぬ」
竹千代は、力強い目をして言った。
「かつての敵の家を生かすことも、武の象徴である城を残すことも、ただ許すだけでは終わらぬ。許して残した後の、全ての面倒と重さを、我ら公儀が、永遠に背負い続けるということなのだと」
*
数日後。
完成した諸城修補願并検分定の雛形と触書が、江戸城から全国の諸国へ向けて、一斉に発送された。
西国へ。
東国へ。
潮風に晒される海防の城へ。
米蔵に転用された陣屋へ。
街道の要衝にある関所へ。
そして、水害に苦しむ広島の城へ。
それは、天下統一を宣言するような、華々しい法ではない。
大名を処罰するための、鋭い刃でもない。
ただ、城が壊れたら、どういう絵図を書いて届けるか。
どこまで直してよいか。
誰が現地へ確認しに行くか。
それだけを細々と定めた、極めて地味で退屈な紙切れだ。
だが。
石垣は、雨で必ず崩れる。
堀は、泥で埋まる。
門は、風で軋む。
城が物理的に朽ちていくのと同じように、それを直すための手続きを、すべて公儀の冷徹な紙と帳面の中に収めきった時。
城を直すための、その地味な紙切れこそが。
石垣の奥深くに未だ燻っていた戦国の熱を、少しずつ、少しずつ冷ましていく、最も強固な封となったのである。
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